表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/12

01 緑の屋根の家


 小高い丘を上っていくと、森の緑よりも濃い色に塗られた屋根がポツンと見えてくる。

 近年になって新しく手が入った平屋建ての一軒家。その門前にメルヴィは立っていた。真昼の太陽が蜂蜜色の髪を照らして背中をあたためるが、大陸でも北に位置するセーデルホルムの冬は厳しい。


 使いこまれた旅行鞄の他に、大きな荷はない。すべて揃っているから、身ひとつでかまわないと聞いている。

 メルヴィは、各地の御邸を転々としているハウスメイド。中央都市から静養に訪れている軍人、アダム・スペンサーの滞在中に、身の回りの世話をするのが今回の仕事だった。


 アダムは今、片足を負傷している。国の中枢で起こった騒動を鎮圧する際に痛めたらしい。大事には至らなかったものの、その状態で通常任務に就くのは難しいと判断された。

 溜まっていた休暇と合わせて、少しばかり早い冬の長期休暇を勧められたアダムは、静養のためにセーデルホルムの別荘地を訪れることになったそうだ。


 ここは、彼の祖父が所有していた物件。晩年、病気になるまで一族の誰も存在を知らなかった家だが、かつての住人は老婦人とふたりの子ども。慈善家でもあった氏が、援助をしていたのだろう。

 高齢者が住んでいたということで、足の不自由さを軽減するための加工が随所に施されている。療養場所としては最適だ。


 アダムと同じ軍部に所属している知り合いから、依頼が舞い込んだのが一週間前。

 ちょうど前の仕事も終わったところで、次も決まっていなかった。短期の仕事を探そうと思っていたメルヴィとしては、一ヶ月のあいだ、住み込みで仕事ができるのは渡りに船でもあったのだ。


 新しい仕事、新しい主。

 この家で、どんな出会いがあるのだろう。


 高鳴る心臓を抑えながら、メルヴィは敷地に足を踏み入れた。



     ◇



「はじめまして。コルト・パーマーからの依頼で参りました。メルヴィと申します」

「ああ」


 アダムは、ひどく不愛想な男だった。

 暗めのアッシュブロンドと冷ややかな灰青の瞳。頬に小さな傷がいくつもあり、分厚い唇は不機嫌そうに引き結ばれている。盛り上がった筋肉で肩が張り、メルヴィの細い身体の倍はありそうな体躯だ。


「使用人の方はいらっしゃらないのですか?」

「執事は使いに。料理人は町から通いの者が。貴女には日常の細々としたことを頼みたい」

「承知しました」

「ただ、その、事前に言っておくが、無理をすることはない」


 淡々と話していた男は、そこで急に言い淀んだ。メルヴィは問う。


「お嬢さまのことですか?」

「……言って聞かせてはいるのだが」


 この家には女の子がいる。名をケイトリン。七歳だ。少女はアダムの実子ではなく、亡くなった軍の友人の子を引き取ったらしい。

 妻に先立たれている友人には身寄りがなく、良家の出だった妻の両親は、軍人の婿を煙たがっていたところがあり、残された孫への態度も褒められたものではなかったという。


 そのせいなのか、ひどく乱暴で癇癪持ちらしく、辞めていったメイドたちは少女の態度に辟易したのだとか。メルヴィは、ナニーの役も乞われている。



「伺っております。お任せください、なんて大きなことは言えませんが、精一杯つとめさせていただきます」

「まずは、引き合わせよう」


 そう言ってアダムは踵を返す。足を怪我したというわりには、危なげない歩行で進んでいく。

 玄関ホールを中心に左右に分かれた邸内。右側はキッチンなどの水場が並んでおり、左側が住居スペース。

 一番手前の部屋、開かれたままの二枚扉をくぐると、そこはリビングルーム。暖炉が燃えているが、室内の温度は思っていたよりも低い。

 見ると、外へ出るための引戸が足の幅ほど開いており、風が吹き込んでいた。


「すまない。ケイトリンの仕業だ。なんでも、開けておかないと入ってこられない、と言って、気づくとあちこち勝手に開けてしまう」


 アダムが引戸に手をかけて閉じようとすると、一続きとなった隣の部屋から甲高い声が響いた。


「閉めないで!」

「不用心だし、客人が来ているのだから、寒い思いをさせるわけにはいかないだろう。そうだ、こちらに来て挨拶を」

「イヤ。どうせまたお金目当ての香水臭いおばさんなんでしょう? おじさんのベッドに忍んでいくような」

「ケイトリン!」

「その名前で呼ばないで!」


 金切り声をあげる存在を確認するために、メルヴィは室内を進む。陰になっていた観葉植物を追い越すと、ようやくその姿が見えた。

 癖のないまっすぐな黒髪をひっつめ気味に縛り、灰緑の瞳に苛立ちを乗せた少女が、肩を怒らせて立っている。

 近くにいるとは思っていなかったのか。顔を出したメルヴィを見て、わずかな動揺が見られた。ゆるりと不安の色が漂ってきて、メルヴィの頬がゆるむ。


(なんだ、いい子じゃないの)


 少女のもとへ向かうと、目線を合わせてしゃがみこんだ。



「はじめまして。私はメルヴィよ。名前を教えてくれるかしら」

「知ってるくせに」

「そうね。でもあなたから聞きたいの」

「……ケイシー」

「まあ素敵。あなたそのものね、可愛い猫妖精(ケット・シー)さん」


 小さな両手を取って微笑むと、驚きに目を見開く。

 だからメルヴィは、顔を近づけて、少女にだけ聞こえる声でそっと問いかけた。


「扉を開けているのは、妖精の通り道を作っているの?」 


 少女の肩口に潜む小さななにか(・・・)は、クスクスと笑っている。床の上を転がるように走っていく動物型の精霊は、壁に突き当たるとそのまま吸いこまれるように消えていった。

 家妖精にしては数が多いし、この土地では見ない姿もある。

 これらはおそらく、ケイトリンに付いてきた町妖精なのだろう。


「大丈夫よ。彼らはどんな小さな隙間からだって入ってきてしまうもの。それに、あちこち開けてばかりいては、どこから入ればいいのか困ってしまうわ。ここよって、教えてあげないと」

「そう、なの……?」


 大きく頷いてみせると、ケイトリンはぎゅっと眉を寄せて俯いた。


「……ほんとうはね、お部屋がさむかったの。だけどみんなが――えっと、みんなっていうのは」

「話しかけてくれるのが嬉しいから、妖精たちはみんな、あなたと一緒にいたいのね。だけどね、ケイシー。良い子もいれば、悪い子もいるわ。本当に悪いやつは、開いている扉から入ってきてしまうの。歓迎していると思ってしまうのね」

「たましいを取っちゃう?」

「そうね。悪い精霊は人間を狙うわ。赤ん坊や幼い子どもは、その標的になりやすい。自分の身をきちんと守るためにも、彼らとの付き合い方を学びましょう」


 心当たりでもあったのか、ケイトリンの身体が震えた。

 その小さな身体を自分に引き寄せて、メルヴィは少女の頭を撫でる。


「セーデルホルムには精霊がたくさん住んでいるから、あなたのちからになってくれるはず。ずっとひとりで怖かったのね、頑張ったわね、ケイシー」

「どうしてあなたは信じてくれるの? ママもおばあちゃまも、おかしなことを言うなってぶったわ。いままでのメイドも、ひとりでしゃべるなんて気持ちがわるいって。だれも信じてくれなかったのに、なんで?」


 普通のひとには見えないものが見えるというだけで、奇異な目を向けてくる。

 少女がいつからこうなったのかはわからないけれど、突飛な言動が目立ったり、暴れたりするようになったのは、三歳のころだという。

 もしかすると赤子のときから何かを見ていて、母親が精神を病み、育児放棄に至ったというのも、それが原因なのかもしれない。


「ケイシーと同じものを、私も見ているからよ」

「うそ」

「嘘なものですか。私のほうがあなたよりずっと年上なんですから、彼らとの付き合いは長いのよ」


 しゃがんだまま胸を張ろうとして、尻もちをつく。踏みつけてしまいそうになった小さな隣人は、メルヴィの細い指をえいやと踏んで、姿を消す。


(怒らせたかしら。あとで埋め合わせをしないと)


 独り言つメルヴィに届くのは、ケイトリンの内なる気配。

 信じたい気持ちと、嘘かもしれないという不安。

 入り混じって、立ち上がるオーラは、マーブル模様を描いている。


 半分本当で、半分は嘘だ。

 ケイトリンと同じように不思議な存在が見えるけれど、それだけではない。

 メルヴィはひとの心が聞こえるのだ。制御して、心の耳を閉じていても、喜怒哀楽の感情はオーラとなって見えてしまう。

 少女の葛藤を床に尻をつけたまま眺めていると、アダムがゆっくりと近づいてきた。


「ケイトリンが失礼を」

「とんでもありません」


 アダムが声をかけてきたことで、ケイトリンの心はまた固くなった。

 警戒と失望。そして哀しみ。


「わたしはわるくない。このひとが勝手に転んだのよ!」

「また突き飛ばしたのか」

「またって、でもだってあれは」


 少女からは哀しみが押し寄せてきた。



 ちがう、だってあのときは怖いやつがいたから。あのままだと、ケガをしたから。



 あまりにも強い感情のせいか、それともメルヴィ自身が同朋に会えたことで緩んでいたのか。ケイトリンの『声』が飛びこんでくる。

 苛立ちまじりに床を足で踏み鳴らすと、ケイトリンは逃げるように去った。その姿を見送るメルヴィに、アダムは肩で息をつく。


「申し訳ない。あの調子で、何人ものメイドを辞めさせたんだ」

「あの、ミスタースペンサー。あの子の言い分はお聞きになったのですか?」

「レスターが――ケイトリンの亡くなった父親が言うには、空想癖があって、妄言も多いと」


 眉を寄せる男の顔に、メルヴィの中で怒りが立ち上がる。


「そんなふうだから、あの子は頑ななんだわ。ええ、わかった、わかりました。私があの子の味方になります」

「いや、俺は――」

「この土地で過ごしてみれば、あの子が見ている世界が少しでもわかるわ。それを知って、あの子を認めてあげてください」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
マシュマロ
匿名でメッセージが送れます
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ