前線へ
(60)前線へ
魔獣討伐の最前線があるスライゴ陣営に、大きな声が響いた。
「スタンリー様! 何かでっかいのがこっちに来ます!」
「は? 今日は満月だろうが、あいつらみんな消えたの確認したところだぞ」
日が暮れる少し前に昇った月が辺りをさんさんと照らし始めると、月の光と入れ替わるように魔獣が姿を消した。偵察機を飛ばして山の向こうまで確認して、つい先ほど今夜の陣を約半月ぶりに解除したところだ。スタンリーもできればゆっくりと湯につかって美味い酒でもと思っている。思わずうろんな目を向けてしまったのは、致し方ないだろう。
「俺、ちょっと用を足しに天幕から離れたら、少し先の草原が急にばぁ~って青白くなって! それが消えたら黒いでっかいのが!」
「いや、まったく伝わらないですって、それ」
隣で一緒に聞いていたトーマスが冷静に突っ込みを入れた所で、新たな声が天幕の外からかかった。
「――スタンリー殿はおられるか」
聞き覚えのあるその声に、まさか、と思いつつスタンリーはすぐに立ち上がって勢いよく天幕を飛び出した。少し向こうに居た人物に目を見張った。
「ダグラスか!」
その声に黒い影は素早く馬から降りて、そのままスタンリーの目の前まで歩いてくると、軽く頭を下げた。
「俺だけ飛ばしてもらいました。一日でも早くあいつらを蹴散らしたいので」
魔法騎士隊の隊長ともあろう男が、今何と言っただろうか。スタンリーの後ろでは部下がしきりに
『ね? 黒いでしょ? ね?』とトーマスを揺さぶっている。
「お前一人か? ……飛んできた?」
「はい。まぁ建前として勅命を頂きましたが、主には俺の独断です」
「…………」
はっきりと言い切るそれは、正直すぎるというか愚直なこの男らしいと言える。しばらく口を開けて呆けていたスタンリーは、すぐに破顔して声を出して笑った。
「おっまえ、言わなけりゃばれないのに、わざわざ言うか自分から! そうか、独断か。そりゃあ、いい」
そういうと、もう一度笑った後、ダグラスの背中を叩いた。
「ちんたらした行軍を我慢できなくなったのかぁ? 確かに、お前が来たら百人力だ。……と言いたい所だが、今晩はもう閉店だ」
「閉店?」
「ああ、ほら。今日は満月だ」
「……あ」
スタンリーの指さした先を見上げてダグラスは小さく声を漏らした。
「今日は満月だったのか…」
「そういう事だ。だから、ま、明日からよろしく頼むぜ。第一魔法騎士隊、隊長殿。貴殿の参戦を心より歓迎する」
何とも言えない顔をするダグラスだったが、小さく頭を下げて礼を言った。
スタンリーの天幕に案内されたダグラスは、トーマスが記録した山向こうの映像を見せてもらっていた。
「ありえないな…」
「そうだな。だが、現実だ」
「これはどこが起点だ?」
「はっきりとはわからない。規模が大きすぎるんだ。一応、どこまで広がっているかは確認した」
「今晩はここも魔獣は居ないってことか?」
「そうです。月が出てから確認しています。見える範囲すべて、この前線と同様に消滅しています。一時的ではありますが、一晩はこの状態が続くはずです」
「………そうか。では、今の内に行ってきますよ」
ダグラスはさらりと言うとすくっと立ち上がった。すでにくつろいだ姿勢になっていたスタンリーはもちろん、その場に居たトーマスも他の部下もきょとんとした顔をしてダグラスを見上げた。
「待て、どこへ行くつもりだ?」
いち早く我に返ったのはスタンリーだ。背を向けようとするダグラスの腕を掴んで低い声で問うた。
「どこって…、魔獣の出現地です。今回は普通じゃない。何か原因があるのなら、少しでも手がかりが欲しい。今なら起点を探るくらいはできるかもしれない」
「そうか、なるほど…」
それに反応したのはトーマスだ。スタンリーはダグラスの腕を掴んだまま難しい顔をしている。
「今晩が貴重な休息日だというのは、理解しています。だから探索は俺一人で行きます。魔獣が居ないならそう危険もないでしょう」
ダグラスがスタンリーの腕を外してそう言うと、スタンリーはなお一層眉根を寄せて大きな手で掴んでいた腕を叩いた。
「図体ばっかりでかいがとんだ馬鹿野郎だな。夜の森へ一人で行かせられるか。おい、俺の馬を連れてこい」
「……スタンリー殿、これはあくまで個人的な行動だ。少ない兵でここを死守するのがどれほど過酷な戦いなのか、俺にもそれくらいわかる。今日はどうか体を休めていただいて――」
「この、ひよっこが。一丁前に粋がってんじゃねえよ」
馬鹿野郎呼ばわりの次はひよっこと来た。さすがにダグラスも目つきを鋭くしてスタンリーを見た。
「じゃあ、隊長さんよ。逆に聞くが、不測の事態が起こったらどうするんだ。お前程の男が、それくらいの危機管理もできないはずないだろう。……一体、何を焦ってるんだ?」
最後の言葉にぐっと眉根を寄せて黙り込んだダグラスの背中を、スタンリーが勢いよく叩いた。厚みのある手のひらから繰り出させる一撃は手加減されていても、息が詰まる。
言い負かされた悔しさもあり、ぐっとスタンリーを睨み据える。元より親子ほどの年の差がある相手だ。一枚も二枚も相手が上手なのは当然だ。そんなダグラスの様子を横目で眺めふっと口角を上げると、スタンリーは外した剣を腰に差しながら言った。
「だから、行くなら俺も連れていけ。それにお前の言うことも一理ある。美味い酒が遠のくのは惜しいが、打破するきっかけを探れるってんなら、そっちの方がずっと良い。――トーマス、行けるか」
「あ、はい! 行けます!」
「せっかくの満月の夜に悪いな。付き合ってくれ」
「私は大丈夫です。問題ありません!」
「スタンリー様~、俺も行きます~」
「はぁ? お前、フラフラだったろう」
「スタンリー様と運命を共にするって決めてるんで!」
「……意味不明だな」
苦笑が漏れるが、純粋に慕ってくれているのだと理解している。それに目は多い方が何かに気づく確率が上がる。いくら満月の夜とはいえ、昼間の明るさとは比べ物にならない。それに夜の森となると、魔獣は居ないとしても、野生の獣はいつどこに居るかわからない。
「申し訳ない…」
「何言ってんだ。意味があるから同行するだけだ。さ、そうと決まったらさっさと行くぞ」
手早く準備を済ませて馬上の人となったのは、ダグラス、スタンリー、トーマスと、揉めに揉めてもう三人ついてくることになった。時刻はすでに日付が変わり、夜明けまであと三刻ほどだ。
「あまりゆっくりもしてられない。飛ばすぞ」
スタンリーの合図で一斉に皆が森の奥へ馬で駆けていく。ダグラスの馬はもちろんキーヴァである。




