あの日の真実
(21) あの日の真実
『逃げなさい、振り返らずに! あなたは生きるのよ!』
母の最期の言葉だ。胸を貫かれて声を出すのも辛かっただろうに、腹にずしりと響く声だった。そして最後にふっと笑って唇だけで『愛してるわ』と彼女は確かにそう口にした。そのまま崩れ落ちた母の姿を見てダグラスは、弾かれたようにその身を翻してその場から駆け出した。
逃げなきゃ、とただそれだけを思って、アッシュと二人で森を駆けた。いつまでも追いかけられている気がして、力尽きて気を失うまで走り続けた。
『暗殺者も手引きした者も、僕らが残らず始末した。ただ、あの女とのつながりを証明できるものがなかった。内情を吐かせる為に残していた証人も、歯に仕込んでいた毒で自害したよ』
限りなく黒に近くても、証拠を押さえなければ皇城に巣くう毒花は追い詰められない。問答無用で切り捨ててしまっては、独裁者と同じ所に落ちてしまうだろう。
『だけど、君の姿がどこにも見当たらなくて。次の日の朝になって、アッシュと寄り添うように眠る君をようやく見つけた。手足は傷だらけで、その頬は涙の後が幾筋も残ってた』
アッシュはどんなに引き離そうとしても、意識のないダグラスの服を噛んで離さなかったと後に聞いた。小さな主人を守るために、暴れに暴れたアッシュは、その場で殺されていてもおかしくなかった。
ヒューバードが習ったばかりの眠りの魔法を使って、ようやく二人を連れ帰ることが出来たのだという。一緒に連れて行こうと決めたヒューバードには感謝しかない。ダグラスが皇城で目を覚ました後、傍にアッシュが居なければ、彼は正常な精神を保てなかっただろう。
『僕もまだ大人とは言えない年だったけど、絶対に君を守るってその時に誓った』
その誓いの通り、ヒューバードは十三歳でありながら、ダグラスに第二皇妃の手が及ばないよう、あらゆる手を尽くした。それはもちろん、ヒューバードの前に姿を現したオーエンの協力あってのものだ。その時オーエンはヒューバードに全てを打ち明けてくれた。そして彼が涙を流す姿をヒューバードは初めて見た。
『皇城は安全な場所ではないよ。だけど、遠く離れた場所でも命を奪われるのなら、どこに居ても同じだ。だったら近くに居た方がまだましだ。それに気づくのが遅すぎたけど、もうこれ以上大切な者を奪われないために、僕らは君を城に連れて帰ることにした』
笑みを消したヒューバードは、その整いすぎた顔立ちから途端に冷酷さを増す。気弱な相手なら、視線だけで動けなくなるだろう。
『唯一良かったのが、君の容姿も名前も、あの女は把握できなかったこと。それを知ったこれまでの襲撃者は全員息の根を止めたから、情報があの女まで伝わらなかった。だから、あえて懐に飛び込んだ。灯台元暗しだよ』
一旦そこで言葉を切ると、ヒューバードは目つきをさらに鋭くした。
『襲撃者の死体と一緒に、別人の子どもの遺体を添えて、あの女の宮の庭に返してあげたよ。都合よく同じころ死んだ身寄りのない貧民街の子だ。君とは似ても似つかない容姿の子をね。本物の君は山賊に襲われて全滅した隊商の生き残りで、賊の討伐を指揮していた僕に保護されたってことにした。ケントって名前はその時に僕が付けた偽名だ』
ダグラスが現実を受け止めきれず、アッシュと共に部屋に閉じ籠っていた二ヶ月の間に、新しい環境は整えられていた。図らずもその期間がいい目くらましとなり、第二皇妃の興味を引くことなく、ダグラスは新しい生活を始めることができた。
『数年ぶりに顔を合わせた叔父上は、そのまま死んでしまうかと思ったよ。だけど、君を殺すよう命じた相手が生きている。幼い君を絶対に守り抜くと、叔父上は奮い立った。だから、その日を境に本当に死ぬ事にした』
『方向性が違うような気もするが、そんな事が可能なのか?』
『金があれば、世の中大抵のことはできるさ』
黒い笑みを見せる男は、その甘い美貌に騙されそうになるが、彼はその手を汚すことをまるで厭わない。ただ罪なき相手を処罰してきた前帝や義母と、決定的に違うのはその信念だ。彼は実の父よりオーエンと通ずるものがある。
『君の時より派手に立ち回ったよ。今度は叔父上によく似た死体を用意して、偽の死亡診断書を手に入れ、大っぴらに葬式まで執り行った。すでに居ないものと思われていた叔父上が、生きていたことに世間はまず驚いて、次に自殺ってことに奴らは納得したんだ。叔父上はまさに世捨て人だったから』
その葬列に参加していた第二皇妃が黒い扇の影で、こっそりほくそ笑んでいたのをヒューバードはしっかりと見ていた。握りこんだ拳が震えるのを抑えるのに、大変だったと吐き捨てるように言った。
『本当は父なんかより、叔父上の方が皇帝になるべき人徳者だったんだ。…その彼が死ぬしかなかったことに、強い憤りを感じた。まぁ、別人の棺だけど、社会的には抹殺されたと同義だ。この国にもう本当に未来はないんだと思った。……まぁ、僕が皇帝の座を父から奪うと決意する、きっかけにはなったけどね』
子どもの頃、一度だけ遠目で見かけた第二皇妃を、その時とても恐ろしい人だと感じたのを覚えている。そしてあの十年前の運命の日を境に、彼女は皇城から姿を消し、それ以来会っていない。
守りの硬いヒューバードより、先にこちらに矛先が向いたのは自然な流れだったのかもしれない。だからといって、 簡単に許す事が出来るはずもない。だが、当事者の内、一人はすでに死に、もう一人は今にも愛する妻の後を追おうとしている。残るダグラスは、過去ではなく今を生きている。
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