第八十六話「お風呂で遭遇」
「誰じゃお前は!」
そう俺に向かって叫んだのは、俺と同い年位に見える小さな少年。
幼い顔立ちをしているものの、よく見れば、頭に二本の黒い角とお尻に黒い尻尾が生えている。
俺はそれを見て、すぐに少年が魔族だと理解した。
頭の角とお尻の黒い尻尾から見るに、おそらく悪魔族ではないだろうか?
悪魔族といえば、高魔力で戦闘能力が高いうえに、非常に知的で狡猾であることで有名だ。
生前、彼らは魔王の配下で、俺達のパーティーを何度も苦しめてきた、所謂天敵である。
そのため、見覚えがある角と尻尾を見て、俺もつい身構えてしまう。
「俺は、エレイン・アレキサンダーです」
俺は警戒しながらも、お湯に浸かりながら胸の前に両手を結んで頭を下げて、出来るだけ丁寧に自己紹介をする。
生前、敵対していた相手とはいえ、この世界でも敵とは限らない。
なぜなら、この世界では人族が通う大学に魔族も通っており、人族と魔族の交流が成されているからだ。
それならば、まずは敵対しないように挨拶でもするべきだろう。
「エレイン?
どこかで聞いた名前じゃな。
はて、どこだったかのう……」
と、少年は首を傾げながら考え始める。
すると、少年の後ろから女性の声がした。
「エクスバーン様。
おそらく、シュカ氏が会ってほしいと仰っていた人物かと」
少年の後ろから、スタイルの良い綺麗な女性が風呂に入ってきて、少年を抱き寄せながら単調な声でそう言った。
おそらく、この女性も魔族であるとすぐに分かった。
ただ、この女性の頭には少年と違って白い角が二本生えている。
つまり、この女性は下級悪魔ということだ。
悪魔族は生まれたときから角の色で位が決まり、白い角の下級悪魔は黒い角の上級悪魔に従うのが種族の決まりである。
確か、上級悪魔の方が、生まれ持った魔力量や身体能力が高いのだとか。
サシャが俺を抱きかかえるのと同じように、この女性も少年を抱きかかえているところを見るに、サシャと似た様な感じがする。
おそらく、少年の侍女なのだろう。
しかし、気になることを言ったな。
シュカの名前が出たのはどういうことだろうか。
すると、少年の顔がピクリと反応した。
「本当か、ラミノラ?
ということは、お前が噂のバビロン大陸の王子かのう?」
と、少年は俺を咎めるように視線を向ける。
「はい。
俺は、メリカ王国の第二王子です」
すると、少年は俺のことを嘲るかのように鼻で笑った。
「フン!
お前には魔力が無いという話は部下から聞いている。
大賢者オールスディア・ディパウロの末裔が聞いて呆れるのう。
なあ、ラミノラ?」
「ええ、そうでございますね、エクスバーン様」
後ろの侍女の大きな胸を枕のようにして頭を乗せながら、馬鹿にするような視線を俺に向けて嘲笑してくるエクスバーン。
そして、それに同調するような言葉を無表情で言うラミノラ。
エクスバーン?
エクスバーンといば……例の魔王の息子か!?
そして、この瞬間。
俺は、シュカにエクスバーンと話せるよう取り次ぎをお願いしていたことを思い出した。
だから、ラミノラはシュカの名前をだしたのか。
おそらく、俺の知らないところでシュカが既にエクスバーンにアプローチをかけていたということだろう。
シュカからは、まだ何も報告を受けていないが、報告を受けていないということは上手くいかなかったということか。
すると、エクスバーンは、急に目を細めて俺の後方をジッと見つめた。
「それにしても。
そこにいるのは誰かのう?
上手く隠れているようじゃが、魔力がダダ漏れだぞ?」
エクスバーンがそう言うので、俺も後ろを振り返ると。
大浴場の端の壁際に、一人の黒ずくめの人影が霧が晴れるようにして現れる。
「やはり、魔族の者にはお見通しでござるか……」
そう呟きながら現れたのは黒装束の恰好をしたシュカだった。
今までシュカが後ろからいきなり現れる展開に何度も遭遇しているため、もう慣れている俺は特に驚かなかった。
そして、エクスバーンとシュカが言った言葉の意味について考える。
シュカが姿を消す技を使うと、本当にそこにいないかのように気配がしなくなる。
しかし、今エクスバーンは魔力がダダ漏れだと言って見破り、シュカは魔族の者にはお見通しだと言った。
つまり、魔族には人の魔力を感知する能力があるということだろうか。
そういえば、魔族のジェラルディアもシュカの気配に気づいていたな。
いやでも、ガラライカも気づいていたが、ガラライカは獣人族だよな……。
などと思考をしていると、後ろで短い悲鳴が鳴り響いた。
「きゃあ!」
悲鳴の主はアンナだった。
シュカを見て驚くようにして、アンナが自分の胸を手で隠しながらお湯の中にバシャンと音を立てて勢いよくお湯につかる。
シュカの急な出現に慣れてしまった俺とは正反対の普通の反応である。
そして、その反応を見て気づいたが、そういえばここは女湯だった。
俺やエクスバーンは、まだ小さいから良いとしても、流石にシュカはもう駄目だろう。
いくら俺の護衛とはいえ、それでは、ただの覗きではないか。
俺が咎めるようにシュカを見るが、シュカはいつものように何も言わない。
黒装束で顔が見えないので、何を考えているのかも分からない。
すると、エクスバーンがシュカに向かって話しかける。
「なんだシュカか。
なんで、そんなところにいるんじゃ?
我の暗殺でもしに来たのか?
もしそうだとしたら、返り討ちにしてやるがのう!
ぎゃははは!」
汚い笑い声をあげながらシュカを挑発するエクスバーンの言葉を聞いて疑問が湧いた。
シュカを返り討ち?
こいつは、シュカの実力を知らないのだろうか?
光速剣や気堅守を覚えているのみならず、妙な忍の技まで使うシュカは相当な実力者である。
こんな小さな少年に、シュカに勝つだけの実力があるというのだろうか?
だが、シュカはそんな挑発など全く気にしていない様子。
「拙者はエレイン殿の護衛任務中ゆえ。
エクスバーン殿を暗殺しようなどとは考えていないでござる」
そう淡々と答えるシュカを見て、つまらなそうな顔をするエクスバーン。
「フン。
お前が、そこのエレインとやらの護衛をしていることは、既に部下から聞いているわ。
それで?
なぜ、ここに連れてきた?
我は、お前が持ってきた話を断ったはずじゃがのう?」
と、シュカに咎めるような目を向けるエクスバーン。
やはり、断っていたのか。
「拙者が連れてきたわけではないでござる。
エレイン殿は、本日メイビス殿に呼ばれて第一寮に来たゆえ……」
「メイビスだと!?」
ガバッと立ち上がって叫ぶエクスバーン。
そして、俺を睨みつけながら怒声を上げる。
「お前も、メイビスの肩を持つのか!」
その叫びと同時に右腕を天井に向けて上げるエクスバーン。
「なんでみんな、あんな大して魔術も使えない研究だけしているあの男に付くんじゃ!
我の方が魔術を使えるのに!
なんでなんで!」
エクスバーンは、急に癇癪を起こすように俺を睨みながら叫ぶ。
すると、そのエクスバーンの叫びにこだまするかのように、俺達の浸かっているお湯が少しずつ空中に浮かび始めた。
「くそう!
同じ王子のよしみで、お前が直接俺に頼みに来たら配下にでもしてやろうと思っていたのに!
魔術も使えんくせに、裏切りおって!
もう許さんぞ!
我の魔術でぶち殺してやるううう!」
なんていう理不尽な言葉だろうか。
しかし、その言葉と同時に、空中に大浴場のお湯が少しずつ集まり何かがゆっくりと形成されていく。
そして、大浴場の中のお湯が全て無くなり、俺達の裸が露わになると同時に、俺を抱くサシャが上を見ながら呟いた。
「龍……」
俺もそのサシャの声に合わせて上を見上げると、エクスバーンの手の上には水で出来た超巨大な龍の顔がいた。
俺は、何が起こっているのか全く理解できず開いた口が塞がらない。
何か魔術を使ったのか?
だが、詠唱をしている素振りは全く無かった。
ではなぜ、俺達が浸かっていた大浴場のお湯が龍になって空中に浮いているのだろうか。
ありえない状況に俺が混乱していると、目の前で水の抜けた浴場で尻もちをついていたアンナが俺に向かって叫んだ。
「皆さん!
逃げてください!
あれは、上級水系統魔術の中でも破壊能力が断トツの水龍です!
あれが飛んで来たら、私達死んじゃいますよ!」
と、アンナは胸を手で隠し、体を震わせながら叫ぶ。
なんだって!?
詠唱も無く現れたあの魔術が、上級魔術だと!?
だとしたら、相当まずい。
俺は、現在裸。
手元に魔術を吸う紫闇刀も無い。
絶対絶命である。
急にやってきた絶体絶命のピンチに俺の体が硬直している最中、エクスバーンに向かって一直線で移動する人影が視界の端で見えた。
シュカだった。
シュカの両手にはクナイが装備されており、水のない大浴場の中を一直線に走る。
そして、一瞬でエクスバーンの元に到達したシュカは、即座にエクスバーンの首元に躊躇なくクナイを刺すように振る。
俺の眼には、その一連の動作の過程が見えなかった。
唯一、エクスバーンの目の前でシュカが止まり、エクスバーンの首元に一直線に放たれるクナイが見えたそのとき。
ギンッ!
と、鉄のぶつかり合う音が大浴場に鳴り響く。
気づくと、シュカとエクスバーンの間に侍女のラミノラがいた。
そして、ラミノラがどこから取り出したのか分からないダガーのような小さなナイフを逆手で持ってシュカのクナイを防いでいるのが見えた。
それと同時に、シュカはラミノラのダガーからクナイを離し、今度は両手のクナイで軌道を変えながらラミノラを狙うが、全てラミノラは右手のダガーだけで受けきる。
俺は、その光景に驚いた。
あのシュカの早業について行き防げる者がいたのか。
しかも、シュカは両手のクナイで攻撃しているのに対し、ラミノラは一本のダガー。
あのラミノラとかいう侍女、とんでもないぞ。
シュカとラミノラの戦いがあまりに凄い剣技なので、呆気にとられながら傍観していると。
ラミノラが守るエクスバーンが再び叫び始めた。
「これで、完成じゃ!
エレイン・アレキサンダー!
我よりメイビスを取った、お前を許さん!
死ねえええええ!」
どうやら、空中で形どっていた水龍が完成したらしい。
この大浴場は天井が結構高いのだが、その天井付近を埋め尽くすかのように大きな龍を形どった水がひしめいている。
そして、エクスバーンの叫び声と同時に、俺の方に向かって一直線に動き出した。
まずい。
シュカの攻撃をラミノラに止められてしまった今、エクスバーンの攻撃を防ぐ手段が無い。
「エレイン様逃げましょう」
サシャが俺を抱いている腕を震わせながら、そう言う。
それを聞いて、俺も逃げるべきだと一瞬思った。
が、目の前で尻もちをついて動けなくなっているアンナを見て、すぐにその考えは変わる。
どの道、あんな大きな龍から逃げられるはずがない。
それに、逃げることが出来たとしても、その結果アンナだけが犠牲になってしまったら、俺はそのことを一生悔いるだろう。
であれば、立ち向かうしかない。
俺はこの状態から、どうにかあの水龍を止められないか考えた。
守るべきは、俺とサシャとアンナ。
持ち物は無く、全員裸。
エクスバーンまでの距離は十メートル程度で、近くにはラミノラという凄腕のダガー使いがエクスバーンを守っている。
もはや詰みとも思えるこの状況。
どうにか逃れることは出来ないか。
俺に向かって一直線に空中を高速移動する水龍を見つめながら、俺は考えに考える。
そして、あともう少しで俺のもとに水龍が到達するというとき。
俺は、全力で叫んだ。
「エクスバーン様!!!!!
すごいです!!!!!」
俺がそう叫んだと同時に水龍はピタリと動きを止める。
もはや、龍の口とキス出来るのではないかと思えるほど、近くまで水龍が来ていて、心臓がバクバクと鳴りやまない。
すると、その水龍の陰で見えないエクスバーンの方から声が聞こえた。
「お、お前、今なんて言った?」
そんなエクスバーンのやや狼狽えているような声が聞こえたと同時に水龍が俺から少し離れ、もじもじしているエクスバーンが見えた。
俺は、これがチャンスだと直感した。
「龍が出る魔術なんて初めて見ましたよ!
こんな大きな魔術を使うことが出来るエクスバーン様は凄いですね!
尊敬します!」
「で、でも。
お前は、メイビス派になったんじゃろう?」
「いえいえ!
俺は呼ばれたから来ただけで、メイビス派になんて入っていませんよ!
でも、エクスバーン様を見て思いました。
メイビスとかいう人より、エクスバーン様の方が大きな魔術が使えて格好いいなって!
是非、エクスバーン様の派閥に入りたいと思います!」
これは、咄嗟に思い付いた作戦だった。
エクスバーンがメイビスの名前を出した途端に怒りだしたことから、エクスバーンがメイビスを敵対視していることは分かっていた。
それに、まだ会って間もないが、エクスバーンはかなり自尊心の高く、自分が認められないと怒るタイプなのだろうと会話から察していた。
それならば、エクスバーンを貶めつつエクスバーンをヨイショすれば、なんとかなるのではと思って咄嗟に叫んだのだが、どうやら正解だったようだ。
エクスバーンは目をキラキラと輝かせながらこちらを見てくる。
「エレイン!
お前、中々見どころがあるようじゃな!
我の部下にしてやろう!
風呂を上がったら、我の部屋へ来い!」
「かしこまりました!」
俺は、エクスバーンの命令に、その場で片膝をついて頭を下げながらそう言うと、エクスバーンは満足げな表情でうんうんと頷いた。
そして、エクスバーンはラミノラの方に振り返る。
「ラミノラ、戻るぞ!」
「はい、エクスバーン様」
エクスバーンがそう侍女のラミノラに命令すると、そう単調な声で返事をしながら、シュカと打ち合っていたダガーを大きな胸の谷間の中にしまう。
そして、エクスバーンとラミノラは大浴場を後にしたのだった。




