第八十四話「吸魔石」
メイビスのお茶を待っている間、アンナが慣れた手つきで、机の上に積まれた大量の羊皮紙や本をせっせと片付ける。
そして、机の上が綺麗になったタイミングで、奥の方から湯呑を乗せたお盆を持って戻ってきたメイビス。
「ありがとう、アンナ。
最近、研究づくめで部屋の掃除があまり出来ていないなかったんですよ」
メイビスはそう言いながら、机の上に人数分のお茶を置いてから対面の椅子に腰を掛けた。
すると、アンナもメイビスの隣の椅子にちょこんと座る。
まるで、秘書だな、なんて思いながら二人を見ているとメイビスと目が合う。
「エレイン君。
僕の研究室に来てくれて、ありがとうございます」
と言って、頭を下げるメイビス。
相変わらず、礼儀正しい男である。
「メリカ王国の王子である俺に頭を下げるなんて、変わっていますね」
ここで、俺はメイビスの真意を測るべく、あえて感じの悪いことを言ってみる。
実際のところ、このメイビスの態度には最初に会った時から疑問だった。
大学に通うほとんどの生徒がメリカ王国の王子である俺を避けているから、メイビスが一切俺を避ける態度を取らないのが不思議だったのだ。
すると、メイビスは笑った。
「はは。
バビロン大陸の人間とは言っても、結局は同じ人族じゃないですか。
世界大戦は何千年も前に終結していますし、海底協定によって今は休戦中。
いがみ合う理由もありませんよ。
それに、イスナール様の教えでも、『他種族との友好を重んじるべし』とありますしね。
それなら、メリカ王国の王子様とも仲良くするのが、当然というものでしょう」
なるほどな。
つまり、メイビスもジェラルディアやサラ寄りの考え方を持っているということか。
どうやら、俺を避けている大学の生徒達とは考え方が違うらしい。
メイビスは大学内でも一位二位を争う重要人物である。
そんな重要人物が、バビロン大陸の人間に寛容で良かったと思った。
「それに、王子といえど、エレイン君は礼儀が正しいですからね。
どこかの王子とは、大違いです」
と、メイビスは苦笑いをしながらそんなことを呟いた。
「どこかの王子?」
誰のことを指しているのだろうか。
王子なんて、俺以外に誰かいただろうか。
そう思って、俺が聞き返すと。
「いえ、こちらの話です」
と言って、メイビスは話を逸らした。
そして、話題を変えるように言葉を続ける。
「そういえば、エレイン君は魔力が全く無いんでしたよね。
そこで、僕としてはエレイン君に是非試してもらいたいことがありまして」
「試してもらいたいこと?」
なんだろうか。
先日、メイビスは、魔力が全く無いからこそ出来ることもあるというようなことを言っていたが。
魔力が無いことで出来ることなんて、何かあるのだろうか?
俺に何か出来ることがあるのであれば、全然協力は惜しまないが。
などと思っていると、メイビスがバスローブのポケットから一本のガラス瓶を取り出した。
そして、ポンと机の上に置いた。
ガラス瓶の中には白い鉱石が入っていた。
「なんですかこれは……?」
と、俺が疑問を口にすると、メイビスの隣にいたアンナが瓶の中身をまじまじと見ながら口を開いた。
「これは、吸魔石ですね!」
吸魔石?
聞いたことがないな。
アンナの回答に、メイビスはニコリと微笑みながら口を開く。
「流石、アンナだね。
そう、これは魔吸石の原石です。
エレイン君には、これを手に持ってみてほしいんです」
と、俺の方を見て言うメイビス。
そのメイビスの言葉に俺が反応する前に、先に反応したのはアンナだった。
「え!?
吸魔石を素手で持つのは危険なんじゃ……」
と、不安そうな顔をして言うアンナ。
危険……?
正直、俺はこの石について全く知らないので、この二人の会話についていけていないが、危険な物を触るのは了承出来ないな。
「危険なんですか?」
俺が、メイビスに対して咎めるような視線を向けると。
メイビスは、ニコリとした笑顔を崩すことなく首を横に振った。
「いえいえ。
それは、普通の人間が持った場合の話です。
ただ、エレイン君は魔力がありませんので」
「あ……なるほど!
確かに、エレインさんなら魔力が無いから大丈夫ですね!」
メイビスがそう弁明すると、アンナもそれに納得したように頷く。
なにが大丈夫なのか、俺にはさっぱり分からない。
「そもそも、この石は何なんですか?」
俺が聞くと、メイビスは急に真剣な顔をして答えた。
「これは、魔力を吸う石です」
「ほう」
魔力を吸う石。
聞いたことがないな。
そんな石がこの世界にはあるのか。
俺は石の能力を聞いて、まじまじと石を眺めていると、メイビスは説明を続ける。
「魔力を吸うと簡単に言いましたが、吸う量がとんでもないんです。
常人がこの吸魔石を手に持てば、一気に体内の全魔力を吸われて、しばらく触っていると気絶をする場合がほとんどです。
下手をすれば、死に至る場合もありますね」
「そ、それは、危険ですね……」
そんな会話を聞いて、隣で瓶に顔を近づけていたサシャも、顔を引きつらせながらすぐに瓶から顔を離す。
「そうなんです。
でも、この石は魔法陣を描くインクの元になっています。
吸魔石に魔力を出来る限り吸収させて、それを砕いて水と混ぜることで、魔法陣のインクは出来ています。
そのため、魔法陣に魔力を込めることが出来るので、先日エレイン君が簡易型転移魔法陣でやったように、魔力なしで魔術を発動することが出来るというわけです。
つまり、魔法陣を作る上で欠かせない、重要な石というわけですね」
「なるほど……」
知らなかった。
魔法陣を見たことはあったが、魔法陣のインクの原料として、こんな貴重そうな石を使っていたのか。
「それで?
なんで俺にこの石を持ってほしいんですか?」
「実験です。
普通の人であれば持つだけで気絶してしまう吸魔石を問題なく素手で持てるのであれば、それは凄いことなんですよ?」
「……そうか」
こんなただの石ころを手で持つのが凄いことなのか。
確かに、常人では持っただけで気絶してしまうとなれば、普通に持てるだけでも凄いことなのだろう。
「それではどうぞ。
瓶から石を取り出して、持ってみてください。
あと、万が一にもエレイン君以外の人達の肌に触れてはいけませんので。
みなさん、少しエレイン君から離れてください」
そう言いながら、メイビスは机の上にあった瓶を俺の前にポンと置く。
サシャとアンナとドリアンは、興味深そうにしながらも、俺から少しだけ距離を取る。
俺は、メイビスのその対応を見て少し不安になってきた。
確かに、俺には魔力はないことは魔水晶で分かっているし、魔力を吸う石を持ったとしても問題無いだろう。
しかし、常人を気絶させ死に至らしめるような石だ。
万が一にも、俺に危険があったらどうしよう。
そう考えて、俺が中々手を瓶に進められずにいると。
「エレイン君。
問題ないと思いますが、もし万が一まずいと思ったら石からすぐに手を離してください。
普通の人でも、一定時間触り続けないと気絶までいくことはないので、安心してください」
と、俺が不安に思っているのを察したかのように、メイビスが助言してくれた。
まあ、すぐに気絶することはないのなら大丈夫か。
そう考えた俺は、瓶を持って蓋を開けた。
そして、瓶を逆さまに持ち上げ、中に入っていた白い石が重力に従ってコロリと俺の左手の上に落ちる。
「…………」
しばらく、俺はそのまま動作を止めてじっと眺めていた。
隣にいるサシャとドリアンも、やや緊張した面持ちでこちらに顔だけ近づける。
なんともないな。
魔力を吸われているといったようにも感じないし、気絶する気配もない。
本当にこれはそんなに危ない石なのだろうか、と疑いたくなるほど何も起きない。
俺は、こんな結果で良かったのだろうかと少し不安に思いながらも、対面にいるメイビスの方へと視線を上げると、メイビスは目を丸くし、口も大きく開いて驚いたような顔をしていた。
「す……すごいですね、エレイン君……」
と、言葉を詰まらせながら俺を褒めるメイビス。
「すごいのか?」
ただ石を持っただけで、ここまで褒められるのは何とも奇怪だったので、俺が微妙な顔をしながらそう聞き返すと、食い気味にメイビスが叫んだ。
「ええ、本当にすごいですよ!
この吸魔石は、本当に危険な代物で、常人には持てないんですよ!
もちろん、僕にも持てません!」
「そ……そうか」
メイビスが興奮しながら叫び始めたので、俺は引き気味に吸魔石を瓶の中に戻していると。
急に、メイビスは俺の方を真っすぐ見つめ真剣な表情で口を開いた。
「エレイン君に折り入って頼みたいことがあります!」
「頼みたいこと?」
この流れで、急に話が変わったので、予測が出来ない。
まあ、メイビスとは仲良くしたいし、俺にできることであれば何でも聞くが。
すると、メイビスは神妙な面持ちで口を開いた。
「ええ。
エレイン君に、吸魔石の採集をお願い出来ませんか?」
なるほど。
メイビスは、俺が吸魔石を採集出来るかを確かめるために、俺に吸魔石を持たせたのか。
そして、見事吸魔石を持つことが出来たから、採集を頼みたいということか。
だが、いきなり頼まれたからといって、簡単に承諾することはできない。
なぜなら、俺はこの石についての情報をまったく持っていないからだ。
「いきなり頼まれても、俺は吸魔石について何も知りません。
まずは、この石について、もっと詳しく教えてほしいですね」
「ええ、もちろんです」
メイビスは、俺の言うことに頷く。
そして、コホンと咳払いをしてから説明を始めた。
「先ほども言った通り、吸魔石は魔法陣を描く上で欠かせない、インクの原料となる石です。
なので、僕も吸魔石を業者から度たび買い取ったりはしていたんですが。
どうも最近、中々手に入りにくくなっているんですよね。
元々、吸魔石がある場所が場所なだけに市場に出回りにくいんですが、なにやら吸魔石の買占めをしている者達がいるみたいで。
そろそろ吸魔石のストックが切れてしまいそうなんですよね……」
そう言って、困った様な顔をするメイビス。
「その、吸魔石がある場所っていうのは一体どこなんですか?」
吸魔石のある場所が理由で市場に出回りにくくなっているということは、相当厄介な場所にあるのだろう。
だが、メイビスはあっさりとした口調で教えてくれた。
「迷宮です」
懐かしい響きだった。
生前、俺は迷宮に何度も潜りこんだものだ。
パーティーを組んで、迷宮を探索し、罠に注意しながらモンスターを倒していき、最後には決まって宝物や貴重な武器や防具を手に入れていた。
そんな懐かしい苦しく楽しかった思い出に浸っていたが、隣でガタンとサシャが立ち上がったことで現実に戻される。
「エレイン様!
迷宮は危険です!
今はもうジャリーさんもいません!
絶対に行ってはいけませんからね!」
と、俺を叱るようにして叫ぶサシャ。
予想通りの反応だった。
サシャは、俺が危険なところに足を運ぶことを嫌う。
俺がメリカ城を出るときも、ドバーギンの大穴に行こうとしたときも、いつだって止めてくれたのはサシャだった。
正直、こうやって俺に進言してくれることはありがたいと思っている。
俺だって人間だから、間違えることだってある。
だからこそ、こうやって止めようとしてくれる人が必要なのだ。
「分かってるよ、サシャ。
俺だって、迷宮がどれだけ危険なのかくらいは知っている。
ただ、まずは話だけ聞いてみよう。
な?」
俺がそう言うと、サシャは「話を聞くだけなんですからね」と言いながら引き下がった。
おそらく、俺が話を聞いた上で迷宮に行くなんて言い出したら、サシャは怒るんだろうが、ほぼ間違いなくそれは無いから今回こそは安心してほしい。
なぜなら、俺は迷宮の危険度については良く知っているからだ。
転生前の俺の成人した体ですら、迷宮では危ない場面が何度もあった。
当時の俺は、剣術を極めていたが、剣だけではどうにもならない場面がいくつもあった。
迷宮には大量のモンスターが生息している上に、外敵を退けるかのような罠がいくつもある。
その全てを、俺のこの五歳の体で退けられるとは思えないからこそ、迷宮に行こうとは思えないのである。
よっぽどのことがない限りは、メイビスのこの依頼は受け付けない。
そう心に決めたうえでメイビスの方を見る。
「では、詳しく教えてください」
俺とサシャのやり取りを見てもメイビスは変わらず真剣な表情で頷いた。




