第八十ニ話「簡易型転移魔法陣」
「簡易型転移魔法陣ですって!?」
驚きながらフェラリアが声を上げる。
だが、俺はフェラリアとは違い、その聞いたことがない単語に困惑していた。
普通の転移魔法陣であれば前世でも見たことがある。
確か、百メートル四方くらいある大きな魔法陣で、転移用の魔法陣の上に人や物が乗っている状態で魔法陣が作動すると、どこかの指定された場所に一瞬で転移出来るといった魔法陣だ。
この転移魔法陣の難点は、生成するのにかなりの魔力が必要なようで、一つの転移魔法陣を作るのにかなりの年月を要する点だ。
もちろん、転移魔法陣は一回使えば魔力が切れてしまうので、生成するの何年もかかる割に一つの魔法陣につき一回しか使えないということで、前世では貴重すぎてあまり使われなかった代物だ。
王族の者が緊急脱出用に所持していたという話を聞いたことがある。
そんな貴重な転移魔法陣を俺がここで使ってしまってもいいのだろうか?
と、俺が思っていると、メイビスが説明を始めた。
「ええ、簡易型転移魔法陣です。
エレイン君は知っているか分かりませんが。
旧来の転移魔法陣は、一つの魔法陣を生成するのに必要な魔力が多大であったために、一つの転移魔法陣を作成するのに五年から十年はかかったりしていたんですよね」
「ああ、知っている」
「流石、エレイン君ですね。
そこで僕は、もっと魔力消費を抑えて大量生産出来るような転移魔法陣を作ろうと考えたんです」
と、メイビスは俺だけじゃなくホールに着席している生徒達に説明するように、身振り手振りを合わせて流暢に話す。
すると、フェラリアが声を荒げるようにして叫ぶ。
「転移魔法陣の必要魔力量の高さは尋常じゃないわよ!
この必要魔力量を取り除く方法を、今まで沢山の魔術師が研究したけどついに解明されなかったわ!
それを、あなたは解明したっていうの!?」
このフェラリアの驚きっぷり。
それだけ、この簡易型転移魔法陣というのが物凄い産物なのだろう。
そんなフェラリアの驚き顔を前にして、メイビスは当然のように頷いた。
「とはいっても、かなり限定的な物なんですけどね。
だから、簡易型と名付けたわけなんですけど」
そう言いながら、メイビスは着席している生徒達の何人かに指示して壇上に何かを持ってこさせる。
すると、メイビスの部下と思われる生徒達が、何やら二枚の大きな羊皮紙の巻物を壇上に広げる。
広げた二枚の巻物の大きさは、それぞれ、おおよそ五メートル四方。
その羊皮紙の上には、びっしりと細かく魔法陣が描かれていた。
それを見て、ホール中の生徒達はざわめきだす。
何人かの生徒は壇上まで上がって魔法陣を見に来ていた。
「これは、すごいですね……」
隣からそんな声が聞こえて隣を見ると、いつの間にか壇上に上ったらしいアンナがジッと魔法陣を見回していた。
「何がすごいんだ?」
俺は素直にアンナに聞いた。
正直、魔法陣を見せられたくらいでは、魔法陣の知識がほとんど無い俺には何がすごいのか全く分からない。
「そうですね。
分かりやすく言うと、まず転移魔術という情報量な莫大な魔術をこの小さな魔法陣に収めているという時点で、相当凄いです。
本来であれば、転移魔術の魔法陣は必要な情報量が多すぎて、この建物の敷地じゃ収まりきらないくらいの大きさの魔法陣を描く必要があるんですよ。
それなのに、こんな小さな魔法陣に収まっているというのは、にわかには信じがたいですね。
どういった設計になっているのでしょうか……」
なんて言いながら、アンナは魔法陣を見るのに集中し始める。
すると、メイビスがニコリと笑いながらこちらを見てくる。
「はは。
天才アンナ・ダージリンにも驚いているようで嬉しいよ」
「て、天才なんてそんな……」
メイビスにそう言われて、アンナは顔を赤らめながら頭のとんがり帽を目深に被り、横から垂れる緑の三つ編みを照れるようにいじりはじめる。
そんなアンナを余所に、メイビスは説明を始めた。
「これが、僕が開発した簡易型転移魔法陣です。
見たことがある人なら分かると思うのですが、従来の転移魔法陣はかなり大きいです。
でも、この簡易型転移魔法陣は、かなり小さな代物となっているんです」
と、メイビスは座席に座る生徒達に向かって説明し始めた。
それに対して、魔法陣をじっくりと見回していたフェラリアが口を挿む。
「なぜ、こんなに小さいのかしら?
こんな小さな魔法陣で本当に転移出来るとは思えないのだけれど。
それに、なぜ二枚も魔法陣を用意しているのかしら?」
そんな素直な疑問をメイビスにぶつけるフェラリア。
質問をしているフェラリアの顔は少しワクワクしたような顔。
それほど、この魔法陣に期待しているということだろうか。
そんなフェラリアの質問に、メイビスは二ヤリと、まるでその質問を待っていましたと言うかのように笑った。
「ええ、もちろん説明させていただきます。
そこが、この簡易型転移魔法陣の売りですからね」
と言いながら、メイビスは二枚の魔法陣の間に割って入るようにして説明を始めた。
「まず、なぜ魔法陣が二枚あるかといいますと。
これは、転送用の魔法陣と転移先に着地する用の魔法陣の二つに別れています。
こちらが転送用魔法陣で、こちらが着地用魔法陣ですね」
言いながら右と左の魔法陣を指し示すメイビス。
確かに、言われてみれば右の魔法陣と左の魔法陣で描かれていることが微妙に違うように見える。
というか、描かれている魔法陣が細かすぎてよく分からない。
俺が魔法陣を見ながら目を瞬かせていると、隣のアンナが何かを理解したかのように口を開いた。
「なるほど!
つまり、転送用と着地用の二つを作ることで、情報量を減らしているということですね!」
と、何やら興奮したように言うアンナ。
そんなアンナを見てメイビスもニコリと笑いながら頷いた。
「流石、アンナですね。
今の説明を聞いただけで気づくなんて。
つまりは、そういうことです。
従来の転移魔法陣であれば、世界のどこに転移するか座標の指定しなければならないので、描かなければならない情報量が多いのですが、着地点の魔法陣を作ることで描く情報量を減らしているんです。
それでも、この大きさになってしまいましたけどね」
そのメイビスの説明を聞いて、魔法陣に詳しくない俺でもなんとなく理解出来た。
確かに、生前見た巨大な転移魔法陣は、移動先を指定する用の魔法陣は無かった。
魔法陣を二つにすることで、大幅に魔法陣を描く量を減らしたということか。
着地点用の魔法陣を描くという発想を持ったことがなかったので、素直にメイビスに感心していると。
ここでフェラリアから咎めるような指摘が入る。
「メイビス君。
確かに、魔法陣二つで転移魔術を作るという発想は私も持ったことがなかったし、面白いわね。
それなら魔法陣の情報量を大幅に減らせるかもしれないけれど、流石にこの大きさまで縮まるのはおかしいんじゃないかしら?
私は転移魔法陣は専門ではないけれど、何度か転移魔法陣の解析をしたことがあるわ。
着地点用の魔法陣を作って座標指定の情報を削減したからといっても、こんなに魔法陣が小さくなるのはおかしいと思うのだけれど?」
冷静な口調で指摘するフェラリア。
俺は魔法陣について詳しくないから、その指摘がどれほど正しいのかわからないが、フェラリアが言うからにはおそらくそうなのだろう。
だが、メイビスはその指摘を受けても余裕そうな表情。
「だから、簡易型なんですよ」
そう言って不敵に笑うメイビスは説明を続ける。
「この転移魔法陣が、なぜ簡易型という名前が不随しているかというと、それは人数制限があるからです」
「人数制限?」
フェラリアが、オウム返しのようにして聞くと、メイビスは頷いた。
「ええ。
この簡易型転移魔法陣は、従来の転移魔法陣と違って一人までしか転移させることが出来ないのです」
メイビスがそう言った瞬間、ホールの生徒達が一斉にざわつく。
一人?
従来の転移魔法陣は、魔法陣の中に入れる人数であれば何人でも転移させることが出来たはずだが。
この簡易型魔法陣は一人までしか転移させることが出来ないのか。
それでは、従来の転移魔法陣の下位互換なのでは……?
と、俺が思考していると、隣でアンナが興奮したように再び口を開く。
「なるほど!
人数を一人に絞ることで情報量を減らしたというわけですね!
流石、メイビス様です!」
アンナはそう目をキラキラさせながら叫んでいるが、正直俺はついていけていない。
だが、フェラリアはその説明で納得した様子。
「確かに、人数を減らせば、これくらい小さくなる可能性も……」
フェラリアは魔法陣を見ながら、そう一人で何かをブツブツ呟きながら考えだす。
どうやら、ついていけていないのは俺だけらしい。
まあ、魔法陣の勉強はほとんどしたことがないので、仕方がないのだが。
そう思っていると、メイビスは俺の様子に苦笑しながら魔法陣の方を指し示した。
「エレイン君。
難しい話は置いておいて、こちらの魔法陣の上に立ってくれませんか?
是非、転移を体験してみてください」
「は、はい」
簡単に転移転移と言っているが、よく考えてみれば転移を体験できるなんてすごい話だ。
生前は、転移魔法陣は作成するのに長い年月と膨大な魔力がかかる関係で、とても貴重な物として扱われていた。
そのため、元勇者とはいえ魔法陣を見たことはあっても、体験する機会はなかったので、結構楽しみではある。
少しドキドキしながら、メイビスが指し示した方の魔法陣の上に乗ると、メイビスが俺を見下ろしながら説明を始めた。
「それでは、転移の方法を説明しますね。
まず、この魔法陣の中心に小さな円がありますよね?」
「はい」
「あそこにどちらかのエレイン君の手を乗せて、『転移発動』と言えば隣の魔法陣に転移します。
簡単でしょう?」
確かに、やり方は簡単だった。
というか、それだけで人間が転移できるものなのだろうか?
俺は魔力は無いけど本当に大丈夫なのだろうか?
あまりに簡単に説明するので、少し不安が宿る。
「本当にそれだけで大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫ですよ。
ご安心ください。
私の部下で何度も実験はして成功してますので。
それでは、転移を楽しんでくださいね。
一瞬だと思いますが」
そう言ってニコリと笑うメイビスの顔を見て、少しの不安が払拭される。
むしろ、これから転移を体験出来るのか、という期待感の方が高かった。
俺は、ゆっくり魔法陣の中心に移動して身をかがめ、魔法陣の中心に右手を置いた。
「転移発動」
俺がそう小さくつぶやくと、その瞬間スクロールの魔法陣が光だし、その光が俺を包む。
光に包まれた俺は、段々と視界に見える着席した生徒達が見えなくなっていく。
それと同時に、何かに体ごと引っ張られるかのような感覚。
そして、その引っ張られる感覚が無くなったと同時に視界が晴れた。
目の前にはやはり着席している生徒達。
これは、成功したのか?
俺は不安になりながら左側を向くと、メイビスやフェラリアがいる位置が遠い。
「あれ?」
俺は声に出しながらも右手を当てている魔法陣を見ると。
先ほどとは少しだけ描かれている魔法陣の文字や紋様が違う。
俺がそれを確認したと同時に、前方の生徒達が着席している席から大きな拍手が聞こえだした。
俺が顔を上げると、生徒達は全員その場を立って拍手をしていた。
その様を見て気づいた。
どうやら、俺は転移に成功したらしい。
俺がそれに気づくのと同時に、メイビスが声を出して笑う。
「はは。
ありがとう、みなさん。
それでは、フェラリア教授。
今日の僕の発表は以上です。
この研究は、大学名義でいいので、いつものように魔術教会の方に発表しておいて頂けますか?」
「……ええ。
本当にあなたは、素晴らしいわ。
あなたが、魔法陣分析の授業をすればいいのにといつも思うわ」
フェラリアは呆れた様子でメイビスにそう言う。
「ははは。
授業なんてしていたら、研究する時間が無くなっちゃうじゃないですか。
それでは、僕は次の研究がありますので、さようなら。
あ。
エレイン君。
是非、今度僕の研究室に来てくれませんか?
魔力の件などについて、ゆっくり時間をとって話せたら良いんですが」
「え、ええ。
俺で良ければ是非……」
「ありがとう。
じゃあ、時間が取れるときにアンナ伝手で僕に連絡下さい。
それでは」
それだけ言うと、ツカツカと足早にメイビスは壇上を降り、入口の扉を開けて去って行った。
まるで、風のように去って行ってしまったメイビス。
俺は、このとき初めてメイビスの凄さを理解させられた気がした。
彼は根っからの研究者であり、物凄い才能を持っている。
俺が、最初にフェラリアと話していて注意してきたことや、発表が終わると風のように去って行ってしまったのを見るに、研究がしたくてしたくてしょうがない人なのだろう。
フェラリアに「あなたが魔法陣分析をすればいい」とまで言わせるとは相当である。
俺は、このとき初めて転移出来たという興奮と共に、メイビスに対する尊敬の念が心に深く刻まれたのだった。




