第七十一話「続く試合稽古」
「うぐっ……はぁ……はぁ……」
目の前で、膝をついたドリアンが無くなった右腕の患部を左手で抑えて、痛みを堪えるように何度も息を吐きながら、苦悶の表情をしている。
俺を氷で捕らえたときの余裕そうな表情とは打って変わったその様相を見て、俺は勝利を悟った。
しかし、俺は勝利を悟りながらも、純粋に喜ぶことは出来なかった。
喜びよりも驚きの方が勝っていたからだ。
驚きの方が勝った原因は、目の前の光景にある。
地面の土が一直線上に深く抉られ、闘技場を囲む観客席にポッカリ穴ができて破壊されたドリアンの後方にある観客席。
その大穴は闘技場の外にまで繋がっている。
なんという破壊力だろうか。
ただの刀剣一本から出せる力の域を越えている。
まるで、魔導大隊が一斉に魔術を放ったかのような威力を目の当たりにして、放心状態になってしまった。
幸い、今の一刀のおかげか、俺を捕らえていた氷は消えていた。
なぜ消えたのかは分からないが、あの紫の光には魔術を破壊する力でもあるのだろうか?
正直、あの紫の光で視界が奪われていたので、その間に何が起こったのかは分からない。
分かったのは、この紫闇刀には土を抉り、闘技場を破壊するだけの力があるということだけだ。
ジャリーは、魔力が限界まで溜まると刀は紫一色になり強力な一太刀が放てる、とだけ言っていたが、あまりに強力すぎて困惑してしまう。
「やってくれたな、エレイン……」
俺が闘技場の大穴を見ながら放心状態になっていると、後ろからそんな声が聞こえた。
振り返ると、大穴を見ながら呆れた顔をしたジェラルディアが立っていた。
俺は、すぐに頭を下げた。
「訓練棟を破壊してしまって、申し訳ありません。
まさか紫闇刀が、ここまでの威力を発揮するとは思っていなくて……」
と、俺が素直に謝罪すると、腕を組みながら目を大きく見開いて驚いた様子のジェラルディア。
「なんだ、エレイン。
お主、まさか紫闇刀の『魔力解放』を使ったのは初めてか?」
「……魔力解放?」
そういえば、ジェラルディアは初めて会ったときに、この魔剣の名前を知っていた。
魔族で不死体質のジェラルディアは、かなりの年月を生きているはずだ。
その膨大な人生の中で紫闇刀に出くわしたこともあるのだろう。
となると、俺以上に紫闇刀について詳しく知っているのかもしれない。
すると、ジェラルディアは俺の反応が面白かったのか、急に笑いだした。
「ぐはははは!
お主は、『魔力解放』も知らずに紫闇刀を使っていたのか!
今の技は、紛れもなく紫闇刀の必殺技『魔力解放』だろう!
我も昔、その技を先代のメリカの王にやられてな!
再生に百年はかかったものだぞ!」
なるほど。
今の紫闇刀の技は『魔力解放』と言うのか。
それにしても、ジェラルディアは今何歳なのだろうか。
いくら不死身とはいえ、百年も再生に費やしたとは驚きである。
ジャリーの剣でも掠り傷を負わせるのが精一杯だったジェラルディアに、それほどのダメージを与えた紫闇刀『魔力解放』が凄まじいというべきか。
俺が、ジェラルディアの逸話に圧倒されていると、ジェラルディアは続けて口を開く。
「まあ、知らなかったのならしょうがない!
普通なら、建物の修繕費を弁償してもらうところだが!
お前は、その魔剣をフェラリアの研究のために貸し出すということだし、大目に見てやるように俺からサラに言っておこう」
「あ、ありがとうございます!」
危うく、建物を弁償させられるところだったのか。
ダマヒヒト王国で貰った金貨があるとはいえ、五年間も大学に在籍するのだ。
余計な出費は抑えたいところ。
ジェラルディアの配慮に感謝である。
今後は、紫闇刀の魔力解放をするとしても、場所には気を付けよう。
大学内で使ったら弁償物だし、人がいるところで使ったら大量の人間を殺してしまう恐れすらある。
強力な武器も使い方によっては最悪な武器となることを肝に銘じておこう、と思った。
「お、俺の腕は……腕はどこだ……」
ジェラルディアとの会話が終わったところで、ドリアンの方からそんなうめき声が聞こえた。
振り返ると、膝立ちをしながら、何かを探すように周りをキョロキョロしているドリアンがいた。
確かに、ドリアンの斬れた右腕とあの巨大な大剣が見当たらない。
腕があれば、サシャの完全治癒で斬れた腕をくっつけることは可能だが、無いのであれば話は別である。
どこへいったのだろうか。
「ふむ。
今の魔力解放で、ドリアンの右腕と大剣は消滅したようだな。
腕と武器が無ければもう戦えまい。
今回の試合、エレインの勝ちとする!」
ドリアンの様子を見て、そう宣言したのはジェラルディアだった。
そして、そのジェラルディアの宣言を聞いて、絶望したように顔が真っ青になるドリアン。
「じゃ、じゃあ……。
俺の右腕はもう……」
「右腕?
ああ、もう治らないだろうな。
まあ、紫闇刀の魔力解放をくらって、生きているだけマシだろう。
当たり所が悪ければ、お主の体は全て消滅していたぞ。
運が良かったな」
そう無慈悲に事実を伝えるジェラルディア。
それを聞いて、ドリアンは左手で患部を抑えながら、ガクッと肩を下ろしてうつむく。
「こんな王子に俺の右腕が……くそ……くそくそくそ……ううっ……うっ…」
俯きがちにそう呟きながら、目だけは俺の方を睨んでいるドリアン。
その目には涙が溜まっているように見える。
まずい。
遺恨を残すのは良くない。
人の恨みというのは、恐ろしいものだ。
人生の全てを差し出してでも、復讐される可能性すらある。
俺の魔王への復讐がそうであるため、ドリアンの今の気持ちがとてもよく分かってしまうのだ。
どうにか、遺恨を残さないようにしなければならない。
俺はその気持ちで口を開く。
「ドリアン。
すまなかった。
俺も、この刀の能力をちゃんと把握していなかったんだ。
まさかこんな力が備わっているとは思わなかったし、お前の腕を消し飛ばそうなんて思ってもいなかった。
試合だったとはいえ、俺も配慮するべきだった。
申し訳ない」
俺は、素直な気持ちを言って頭を下げた。
俺の言葉を聞いて、ドリアンは勢いよく顔を上げて俺の方を向く。
「謝れば許されると思っているのか!
無くなったのは、俺の腕だぞ!
もう戻ってこないんだぞ!
王子のくせに、俺なんかに頭を下げやがって!
くそ……くそ……」
悲痛な叫びだった。
確かに、腕が無くなるというのは辛いことだろう。
今後の生活に支障をきたすし、戦闘能力も大幅に下がる。
大学卒業後の雇用先だって見つからなくなるかもしれない。
だが、俺はドリアンを可哀想だとは思わない。
なぜなら、お互いさまだと思っているからだ。
もし魔力解放が発動していなければ、腕を持っていかれていたのは俺の方だった。
あのとき、氷に捕らわれていた俺に、ドリアンの大剣を避ける術など無かったからだ。
互いに腕を賭けて戦ったのだから、腕を失くしたからといって文句を言われる筋合いはない。
とはいえ、互いに本気で戦った仲だ。
そんな相手に対して辛く当たるほど俺も鬼ではない。
「ドリアン。
もし、その腕のせいで雇用先が無くなるようであれば、俺のところへ来い。
俺は、お前の強さを知っている。
悪いようにはしない」
俺がそう言うと、ドリアンは驚いたように目を丸くしながら俺の方を見る。
そして、慌てたように口を開く。
「お、おめえなんかのところに行くわけないだろう!
第五階級のくせに何言ってやがる!
そういうことは、第二階級以上になってから言いやがれ!」
「ふむ、分かった。
俺はすぐに第二階級には上がるだろう。
そしたら、また考えてくれ」
「ふ、ふん!
まだガキのくせに何言ってんだ!
調子に乗りやがって!」
ドリアンはそう叫ぶと、怒った様子で闘技場の端の方へと右肩の患部を抑えながら歩き去って行ってしまった。
俺としては今の提案は本気だったんだがな。
ドリアンの戦闘能力は極めて高かった。
最初は、剣速も遅いしオリバーの劣化版だと思っていたのだが、蓋を開けてみれば剣速の遅さをカバーする無剣流奥義『気堅守』による堅い守りとフェラリア直伝の氷魔術まで使えた。
かなり有能であることに間違いない。
たとえ、片腕を失ったとしてもドリアンは左手のみでも戦闘能力は高い。
俺の部下になってくれるのであれば、それなりに報酬は出すというものだが。
そう上手くはいかないか。
「エレイン様~!
お疲れ様ぶひ~!」
「エレイン~!
今の戦い、本当に凄かったわ!」
すると、ドリアンと入れ替わるように、ピグモンとトラを抱っこしたジュリアが走り寄ってきた。
なにやら二人とも、いつもより興奮した様子である。
「氷の魔術に掴まった時は心配したぶひ!
最後の攻撃はどうなってたんぶひか!?
光で前が見えなくなったと思ったら、いつの間にかあそこに大きな穴が開いてたぶひ!」
闘技場の観客席にできた大穴を指さしながら、目をキラキラさせながら聞いてくるピグモン。
そんなピグモンの様子を見て、ジュリアが嬉しそうに口を開いた。
「ふふん!
エレインはやっぱり強いんだから!
あんな体が大きいだけの男に負けるわけないのよ!」
なぜかドヤ顔のジュリアである。
とはいえ、試合前もジュリアだけは俺が勝つことを信じて疑わずに送り出してくれた。
ジュリアとは死線を共にした仲ではあるわけだし、信頼されているということだろうか。
そんなジュリアの態度が嬉しかったが、気恥ずかしさもあり、俺は苦笑いで応対するのだった。
「エレイン殿。
お疲れ様でござる。
途中、氷で捕らわれたときは間に入ろうか迷ったでござるが、言いつけを守って正解でしたでござる」
急に背後からそんな声がした。
振り返ると、黒装束のシュカが立っていた。
全く気配がしなかったが、いつの間にそこに立っていたのだろうか。
「あーっ!
いつからそこにいたのよ、あんた!」
シュカを見て、先ほどまで嬉しそうにしていたジュリアも急にピリピリし始める。
そういえば、この二人喧嘩していたんだったな。
どちらかというと、ジュリアが一方的にシュカを嫌っているように見えるが。
「エレイン殿。
次の試合も健闘を祈るでござる。
拙者は、常にエレイン殿のお近くで護衛をしているゆえ。
それでは」
そう言って、シュカは人差し指と中指を突きあげた右手を胸の前に持ってくると、スッと体が薄まり、霧のように姿を消した。
「こらーっ!
無視するなー!
出てきなさい!
けちょんけちょんにしてやるんだからっ!」
ジュリアは、シュカに無視されたことに腹を立てたようで、抱いていたトラをポイッと放すと同時に不死殺しを抜いて、キョロキョロとあたりを見回す。
だが、出てこないシュカ。
その様子が面白かったのか、ジェラルディアが大声で笑い始めた。
「ぐはははは!
ジュリアは、血気盛んだのう!
安心せい!
試合に勝ち上れば、シュカとも戦えるだろう!
シュカと戦いたければ、試合稽古を勝ちあがるんだな!」
そう言いながら、ジェラルディアは生徒達が集まっている闘技場の端の方へと歩いて行ってしまった。
そういえば、試合稽古はまだ続くんだった。
すでに、ドリアンとの試合で満身創痍であったがために、そのことを完全に忘れていた。
こんな試合をあと何試合続ければいいのだろうか。
この後も、ドリアンレベルの相手が何人も出てきたら、魔力解放という紫闇刀の切り札を失った今のオレに勝ち目はあるのだろうか。
そんな不安を抱えたまま、俺は引き続き試合稽古に臨むのだった。
ーーー
「……参りました」
俺の目の前に立っている、おそらく獣人族であろう猿顔の男は、試合が始まると同時に土下座をするかのように地に座ってそう言った。
これで何回目だろうか。
ドリアンとの試合で観客席に大穴を開けたのが大きかったようで、試合稽古で俺の決闘相手になった者達は、皆試合が始まると同時に降参宣言をするのだ。
俺としてもドリアンと戦った疲れが残ってはいたため、体力を温存することが出来てありがたいのだが、戦わずに降参されるというのは何とも味気ない。
それに、紫闇刀に溜まった魔力はすでにドリアンとの試合で解放されてしまったので、この授業中にあの技を再び放つことはできないのだが。
まあ、もしあの技を放たれたら死ぬ可能性が高いわけだし、降参はしょうがないか。
それはさておき。
太陽が真上に昇って、丁度お昼時。
三百人以上はいた生徒達のほとんどは、観客席に座って観覧している。
観客席に座っている者達は、全員試合稽古の敗北者である。
闘技場内に残っているのは、俺とジュリアとピグモンとシュカ。
まさかの全員身内だった。
ドリアンとの試合が終わった後、ジュリアはシュカに無視されたことに苛立っていたのか、バッタバッタと生徒達を剣で薙ぎ倒していった。
生徒達の中には、光剣流奥義『光速剣』を使う者や、無剣流奥義『気堅守』を使う者もいたようだったが、ジュリアの敵ではなかったようだ。
全員瞬殺していた。
それから、ピグモンも中々健闘していた。
元A級冒険者ということもあり、ピグモンの戦闘能力は中々に高かった。
大斧による力技によって、生徒達をねじ伏せていたのが印象的であった。
流石は、俺の護衛達といったところだろうか。
大学の生徒達を圧倒してくれる護衛達のおかげで、俺も鼻が高いというものだ。
ちなみに、シュカはというと。
俺と同様に、対戦相手全員から開幕と同時に降参されていた。
シュカの実力が高いのは周知の事実のようで、戦わずしてシュカは試合稽古を昇りつめたのである。
なんとも反則的である。
そんなこんなで、試合稽古は終盤に差しかかっていた。
「対戦相手降参により、エレインの勝利だ!
では、次の試合へいくぞ!
次の試合は……。
ジュリアとシュカだ!
二人とも前に出ろ!」
そのジェラルディアの声に呼応するように、闘技場を駆ける音がした。
「待ってたわ!
今度こそボコボコにしてやるんだから!
あいつはどこよ!」
と、俺のところに来て叫ぶジュリア。
その顔は闘志にみなぎっているように見える。
「ここでござる」
すると、再び俺の背後にスッと現れたシュカ。
お前は、俺の背後にいなきゃ気が済まないのか。
と、突っ込みたくなるのを抑える。
「ふむ、揃ったようだな。
ルールは殺さなければなんでもありだ。
どちらか一方が降参するか、我が戦闘不能と判断するまでは戦ってもらう。
準備はいいか?」
ジェラルディアがルール説明を終えると、すでにジュリアは不死殺しをシュカに向かって構えているが、シュカは何も構えなどはとっていないように見える。
「ええ、もちろんよ!」
「拙者も、問題ない」
その二人の言葉を聞いて頷くジェラルディア。
そして、ジェラルディアは息を大きく吸い込むと。
「それでは、始め!」
その合図と共に駆け出すジュリア。
俺は、試合の邪魔しないように闘技場の端の方へと退避するのだった。




