第六十七話「喧嘩」
次の日。
日が昇り始めたときには、俺は海を眺めていた。
なぜ、海を眺めているのかというと。
昨日ロビーでサシャ達と朝に会う約束をしていたから、ピグモンと俺はロビーへ一緒に向かっていたのだが。
サシャがロビーで俺達を見るつけるや否や、「良い場所を見つけました!」と言って、海が一望出来る高台へと俺達を連れて来たのだ。
どうやら、第五寮の裏には海が広がっていたらしい。
つまり、地理的にはイスナール国際軍事大学はナルタリア王国の東の端にあるということか。
転移鍵でワープしてきたものだから、大学がどの位置にあるのかあまり理解していなかったが、ようやく俺が今いる場所を正確に理解出来たような気がした。
海辺のあたりに目を向けると、何隻か船が行き来しているのが見える。
たしか、ポルデクク大陸の東にはテュクレア大陸があったはずだ。
妖精族が住む大森林という話だが、あの船はそこへ向かうのだろうか。
なんて考えながら眺めていると。
「エレイン様!
朝ご飯が出来ましたよ~!」
と、隣で調理をしていたサシャから声がかかる。
サシャの方へと向かうと、すでにジュリアが何かを美味しそうに頬張っていた。
確か、べネセクト王国でサシャが買い込んでいたパンだなあれは。
ジュリアの膝の上に座るトラが食べているのは葉っぱのようだが。
二人を見ていると、俺の目の前にもパンが現れる。
「はい、これがエレイン様の分です!」
そう言ってサシャから渡されたのは、ジュリアと同じパン。
薄くスライスされたパン二枚で何かを挟んでいるように見える。
何かをパンの中に入れているな?
と、パンを凝視しながら一口食べてみる。
「お。
これは、美味しいな……」
「本当ですか!
エレイン様の口に合うようで、良かったです~!」
俺がムシャムシャ食べるのを見て嬉しそうにしながら、お湯を沸かすサシャ。
この味はおそらく……。
「卵と肉だな」
「ええ、そうです!
べネセクト王国で買った麦パンに、白鷲の卵焼きと、先日ジャリーさんが討伐した巨大猪の肉を焼いて挟んでいるんですよ~!」
と、小さな胸を張りながら、自慢げに語るサシャ。
白鷲の卵なんていつの間に入手していたのか。
白鷲は、ポルデクク大陸に生息する鷲で、一度飛んでいるのを見かけたことがあったが。
どこかで買ったのだろうか。
巨大猪は、べネセクト王国を出てすぐくらいのときに、道を馬車で走っていたら隣の林から急に現れた五メートルくらいの大きな猪である。
ジャリーが瞬殺していたのを覚えている。
なにやら、ジャリーが剥いだ肉をサシャが氷漬けにして保存していたらしく、最近サシャが作る料理で使われる肉は、全て巨大猪の肉だったので味も覚えていた。
それにしても、美味しいな。
卵と肉とパンの組み合わせは思った以上に最高だ。
なんて思っていると。
「はいどうぞ、エレイン様」
サシャは俺にコップを渡してきた。
そして、その中に入っている飲み物の正体が何なのか匂いですぐに分かった。
「フェラリアのところで貰った紅茶か……!」
「はい、そうです!
本当に美味しいんですよね、この紅茶」
ニコニコしながら隣でサシャも紅茶を飲んでいた。
少しの甘味と深いコク、それでいて爽やかさに感じる後味。
とても美味しい。
確か、テュクレア大陸で採れる『チャンバー』という茶葉を使っているとフェラリアは言っていたが。
機会があれば、俺もテュクレア大陸に行って採集したいものだ。
ここから見える海の先にあるであろうテュクレア大陸のことを見据えながら考えていると。
「エレイン様!
今日はどうするぶひか?」
と、むしゃむしゃパンを食べながら聞いてくるピグモン。
どうする、というのはつまり予定を聞いているのだろう。
「そうだな。
昨日ジェラルディアから剣術の授業を受けに来いと言われていたから、午前中は剣術の授業へ行こう。
サシャは、フェラリアから魔術の授業に誘われていたし、そちらに行ってもらっていいか?」
「えっと……。
でも私、エレイン様の侍女ですし。
エレイン様のお傍にずっといるべきではないですか?
私も剣術の授業に行ってはだめでしょうか?」
「駄目だ。
ジャリーにも言われただろう?
サシャには魔術の才能があるから、魔術の授業を受けろと。
それに、俺もこの大学の魔術の授業では、どのような授業をするのかを知っておきたい
魔術の才能があるのは、このパーティー内ではサシャだけ。
頼む。
魔術の授業を受けてきてもらえないか?
サシャにしか、この仕事は出来ないんだ」
「うーん……。
そういうことでしたら。
私が受けてきますね!」
よし、上手くいった。
サシャは、俺の上目使いに弱い。
「サシャにしか出来ない」というワードを入れるのもポイント。
そうやって頼めば、サシャは俺の言うことを大抵は聞いてくれるのだ。
「それから、午後は制服を作りに街へ出よう。
サシャは食料も買い込んでおいてくれ。
ここの寮は、寝泊りするだけで飯は出ないようだしな」
「分かりました!」
さて。
サシャが元気に返事をしたところで。
そろそろ紹介するか。
「シュカ。
出てきてくれ」
俺が小さな声でポツリと呟くと。
俺達が囲っている焚火の前にスッと急に人が現れる。
黒装束を身にまとったシュカだった。
その瞬間。
「うあああああ!」
「ぶひいいいい!」
丁度ご飯を食べ終えたジュリアが、膝の上のトラをポイッと捨て、腰の不死殺しを抜いて、シュカへと踏み込んだ。
それと同時に、シュカの背後を狙うように、ピグモンも大斧を振り抜こうとする。
「待て、二人とも!」
まずい。
ここまでシュカに対する反応が早いとは思わなかった。
咄嗟なことで、ジュリアとピグモンの動きを制止することができない。
と思った瞬間には、シュカの腕が消える。
そして、目の前でギンッといった音が鳴り響いた。
「きゃあっ!」
隣で、小さく悲鳴を上げるサシャ。
目の前を見ると、ジュリアの不死殺しとピグモンの大斧は、シュカのクナイで受け止められていた。
「あんた、何者よ!」
「この服と武器!
こいつ、忍ぶひ!
暗殺者ぶひか!?」
流石は、シュカである。
光速剣でジュリアとピグモンの刀剣と斧をしっかりとクナイを受け止めていた。
それにしても、ジュリアの攻撃を受け止めるのはまだ分かるにしても、ピグモンの大斧をあの小さいクナイで受け止めるとは。
この少年の筋力はどうなっているのだろうか。
すると、シュカは呟いた。
「拙者は、シュカ。
ザノフ殿の部下であり、大学ではエレイン殿の護衛でござる。
ジュリア殿、ピグモン殿。
以後、お見知りおきをお願いするでござる」
シュカの表情は相変わらず黒装束で見えないが、ジュリアとピグモンの力を両手のクナイで抑えながら、淡々とした口調のユードリヒア語でそう言うのだった。
「エレインの護衛?
そんなの、私聞いてないんだけど!」
と言いながら、ジュリアは俺の方をチラリと睨む。
俺もその睨みにビクリとしながらも、弁明するように口を開く。
「そんなに睨まないでくれ、ジュリア。
それから、二人とも武器を下げてくれ。
シュカは、新しい俺の護衛で、この大学の先輩だ。
メリカ王国出身で、ザノフ宰相の部下なんだ。
新しい仲間だから、皆も仲良くしてくれ」
俺がそう言うと、ジュリアが武器を下げた。
ユードリヒア語が分からないピグモンも、ジュリアの様子を見て武器を降ろす。
しかし、二人とも警戒は解いていない。
まあ、いきなりこんな黒ずくめの少年が何もないところから現れたら驚くというものか。
暗殺者の可能性もあるし、ジュリアとピグモンの行動は正解ではある。
それでも、これから仲良くなってもらわなければならないが、どう説得しようか。
すると、まず口を開いたのはジュリアだった。
「大学の先輩?
じゃあ何よ、その恰好。
制服も着てないし、記章も付けてないじゃない!」
確かに、ジュリアの言う通りだ。
俺も最初会った時から、それは疑問に思っていた。
ジュリアの言葉を聞いて、シュカは何やらゴソゴソと自分の服の中をまさぐり始めた。
何をしているんだ?
と思っていたら、何かを手にしたようで、俺達の前に見せるように手を開く。
「これが拙者の記章でござる。
制服の着用の義務は第一階級の拙者は免除されているゆえ。
この恰好というわけでござる」
手の上には、真っ黒に光る記章があった。
これが、第一階級の記章か。
初めて見た。
第一階級ともなると、制服を着用しなくても良くなるのか。
とはいえ、大学内ではほとんどの人間は制服を着ている。
目立つのは嫌なので、俺だったら第一階級になっても制服は着続けるが。
なんて考えていると、ジュリアは怒った様子で再び口を開く。
「ふん!
あんたが大学の生徒だっていうのは認めてあげるわ!
でも、エレインの護衛は私とピグモンだけで十分よ!
あんたなんて、いらないんだから!」
そう言ってシュカを睨むジュリア。
「おい、ジュリア。
仲良くしてくれと言っただろ。
シュカは、同じメリカ王国の人間なんだぞ?」
と、俺が言い終わったと同時に、シュカが口を開いた。
「大丈夫でござるよ、エレイン殿。
拙者は、影ながらエレイン殿を護衛致しまするゆえ。
ジュリア殿やピグモン殿がおらずとも、拙者はエレイン殿を守れるでござる。
それでは、これにて」
それだけ言うと、シュカは胸の前に手を持ってきて、いつもの人差し指と中指だけ持ち上げたポーズをした後、スッと消えた。
それを見て、目を丸くして驚いた様子のサシャとピグモン。
そして、ジュリアは。
「なっ!
なによ、あいつ!
出てきなさい!
私が斬ってやるわ!」
叫びながらプンプン怒ったジュリア。
しかし、現れないシュカ。
こうして、波乱の朝食は終わり、俺達は午前の授業へと向かうことになる。
その間、ジュリアの機嫌はずっと悪いままだった。
ーーー
海を眺めながら朝食を済ました後。
俺とピグモンとジュリアとトラは、大学の南にある第一訓練棟へと向かっていた。
目的は、剣術の授業である。
昨日、ジェラルディアから第一訓練棟に来いと言われたから、それに従っている。
ちなみに、サシャは朝のフェラリアの魔術の授業を受けに、第一魔術訓練棟へと行ってしまった。
魔術の授業は、魔術理論の授業と違い、実技を重んじているようなので、魔力のない俺が受けても仕方がない。
あとで、サシャからどのような授業だったかの報告をしてもらうとしよう。
朝食のとき、シュカとの一件で怒っていたジュリアだったが、今もかなり機嫌が悪い。
そろそろ第一訓練棟に着くというのに、ジュリアは一言も口を聞いてくれない。
ただ、強くトラを抱きしめながら歩いているのを見る限り、確実に怒っている。
そのため、なんとなく俺とピグモンも無言になってしまい、重い空気のまま歩く俺達。
そんな悪い空気の中、俺達はようやく第一訓練棟と思われる場所に着いた。
目の前を見ると、横に大きい建物。
その円形のような曲線を描く壁の形に見覚えがある。
あれは闘技場だろうか?
道には、俺達と同じようにあの建物を目指して歩く、青い制服を着たたくさんの生徒が列を成している。
種族や年齢は様々ではあるが、皆剣を腰に帯剣しているあたり、おそらく剣術の授業を受けに行くのだろう。
それぞれの記章の色を見ると、やはり緑色の第五階級の者が多いが、中には赤や青の記章を付けている者もいる。
様々な階級の者が同じ授業を受けられるということか。
などと考えながら、俺達は階段を上って建物の中へと足を運ぶ。
すると、やはりというべきか。
建物の中は、円形のステージと、それを囲むように観客席がある形となっていた。
いわゆる、闘技場である。
生前は、勇者になる前に、自分の力を試そうと闘技場へ何度も足を運んだことがある。
懐かしいものだな。
ステージには、既にたくさんの青い制服を着た生徒が集まっていた。
各々、剣を振ったり、談笑したりしている。
何百人いるのか正確には分からないが、すごい数だ。
周りの生徒達をチラチラと見回していると。
急に、後ろから声をかけられた。
「ぐはははは!
来たか、エレイン!」
声がした方を振り向くと、そこには赤橙色の髪を後ろにまとめた上半身裸の筋肉質な男がそこに立っていた。
胸の穴と腰に掛けた桜色の爆破刀が特徴的なその男。
ジェラルディアである。
「はい、本日はよろしくお願いします」
俺がジェラルディアに向かって九十度くらい頭を下げると。
ジェラルディアは、急に眉をひそめる。
「ん?
そこにいるのは誰だ?
上手く隠密しているが、我の探知能力は掻い潜れんぞ?」
ジェラルディアは、俺の後ろにいるピグモンの隣あたりを睨みながらそう言う。
俺も、ジェラルディアの目線の方向に振り返ると、何もいなかったところに急に黒装束の少年が現れた。
「流石は、ジェラルディア殿。
拙者ごときの隠密はお見通しでござるか」
「おお!
シュカだったか!
久しぶりだのう!」
ほう。
ジェラルディアは、シュカの隠密を見破れるのか。
ジャリーの暗影は、爆破刀なしでは攻略出来ないと言っていたのに。
この違いはなんなのだろうか。
現れたシュカを見るや、嬉しそうにするジェラルディア。
シュカは相変わらず目元しか見えないが、ジェラルディアに対して少し会釈をしたあたり、ジェラルディアを尊敬しているというところか。
まあ、シュカは剣術の授業で好成績を認められたと言っていたし、ジェラルディアの授業を受けたことがあるのだろう。
それにしても、先ほどからジュリアの態度がヤバい。
ジュリアはグルルと唸りながら殺気を放ち、腰元の剣に手を運んでいる。
今にもシュカに向かって襲い掛かりそうだ。
そして、そんなジュリアの態度にジェラルディアも気づいた様子。
「なんだお主ら。
喧嘩でもしているのか?」
と、ジュリアとシュカを交互に見ながら言う。
だが、ジュリアもシュカも何も言わない。
おそらく、ジュリアはイスナール語が分かっていないだけだと思うが、シュカはなぜ無言なのだろうか……。
「ええと。
二人は、朝に色々ありまして……。
今、喧嘩中です」
そう俺が代わりに代弁すると。
「ほう!
それは中々面白いな!」
と二ヤリと笑いだしたジェラルディア。
「あのシュカに喧嘩を売るとは!
やはり、あのジャリー・ローズとかいう黒妖精族の娘なだけはある!
ならばその勝負、我がしっかりと見届けてやろう!
今日の授業は、顔合わせの意味も込めた、試合稽古だ!
喧嘩をすれば仲良くもなる!
しっかり打ち合うんだな!
ぐははははは!」
そう笑いながら、中央の方へと歩いていくジェラルディア。
おいおい。
ジュリアは、シュカを睨みで殺すかの如く唸っている。
ジュリアとシュカを本気で打ち合わせて大丈夫なのか?
俺は、不安に感じつつも、ついて行くのだった。




