第三十七話「追っ手」
移動中の馬車の中は静かだった。
ジュリアは、俺の隣で字を書く練習をしている。
反対隣に座っているジャリーは、それを黙ってジッと見ている。
この移動中、ジャリーは字を書くのがそこまで得意ではないと分かった。
名前や簡単な単語くらいは書けるようなのだが、文章を書くとなると厳しいらしい。
ジャリーは少し悔しそうな顔で「字はエレインに習え」とだけジュリアに言ったのだった。
まあ基本的には字なんて書けなくても生きていけるし、一般市民のほとんどが字を書けない。
剣士であるのに簡単な字を書けるジャリーは優秀な方だろう。
と、俺はジャリーを心の中でフォローしておく。
そんなわけで俺は馬車の移動中、荷台の中でジュリアに字の書き方を教えていた。
すると対面に座っているフレアがこちらを覗いてくる。
「それが、ユードリヒア語の文字ですか。
初めて見ましたわ……」
フレアはユードリヒア語の文字に興味津々な様子。
その隣に座るアルバもちらちらとこちらを見ている。
「イスナール語の文字はどんな感じなんですか?」
そういえば、イスナール語の文字は見たことがない。
レイラやサシャからは、一年かけて言葉だけを教えてもらった。
そのため、イスナール語に関しては話せるが文字は書けないという状態なのである。
「イスナール語でしたら文字を書けますわよ。
ちょっと羽ペンを貸してもらってもよろしいですか?」
そう言って、フレアはジュリアから羽ペンを借りると、サラサラと羊皮紙に文字を書き始めた。
そして俺にその羊皮紙を見せる。
羊皮紙を見ると、何やら丸っこい文字のような形が二行書いてある。
「これはなんて書いてあるんですか?」
「上がエレイン様の名前、下がジュリアさんの名前ですのよ」
すると、ジュリアは自分の名前が呼ばれたことに反応して、フレアの書いた羊皮紙を見る。
「これ何て書いてあるの?」
「イスナール語で、上が俺の名前、下がジュリアの名前だって」
「へー!」
ジュリアは面白そうに、羊皮紙を手に取ってまじまじと見ていた。
「気に入ってもらえたようで、よかったですわ。
それにしても、エレイン様はイスナール語の文字は書けませんのね」
「ええ。
イスナール語はここ一年で覚えた言葉ですからね。
会話が出来る程度で、文字は勉強していないんです」
それを言うと、フレアは驚いた顔をしていた。
「一年でイスナール語をそこまで話せるようにしたんですの!?
かなり頭がよろしいようですね……。
エレイン様は、今おいくつなんですか?」
「五歳ですよ」
「五歳!?」
フレアはさらに驚愕な顔をする。
いや、そんな驚くようなことを言ったようなつもりはないのだが。
見た目通りの年齢だと思っている。
「もしかして、エレイン様は人族ですか?
てっきり、小人族なのかと思っておりましたが」
「……ええ、人族ですよ」
「そ、そうでしたのね。
失礼しました。
あまりにも大人びていた上に、二言語も扱えていたので、小人族で年齢が若く見えるだけなのかと思っておりましたわ……」
相当驚いた様子で俺を見るフレア。
確かに、五歳で二言語を話せるというのは相当天才の部類だろう。
おじさん顔の小人族と間違われるのは心外だが、俺の子供には見えない大人びた言葉づかいを見れば、そう思われても仕方がないかもしれない。
とはいえ、俺が大人びているのは転生しているからなのだが。
「そもそも、なぜエレイン様はイスナール語を覚えたのですか?
バビロン大陸に住んでいるなら、覚える必要もないはずですが……」
「イスナール国際軍事大学へ留学するためです。
ポルデクク大陸の者達と関わるのであれば、まずはイスナール語を覚える必要がありますからね」
「バビロン大陸の者が、イスナール国際軍事大学へ留学するのですか!?」
再び大声をだすフレア。
フレアはおとしやかなイメージだったので、こちらまで驚いてしまう。
ジャリーとジュリアは、フレアが何を言っているか分からず警戒している様子だ。
すると、はっと我に返った様子で咳払いをするフレア。
「えっと、失礼しました。
あまりにも突飛な話だと思ったので、つい驚いてしまいましたわ。
それにしても、エレイン様はイスナール国際軍事大学がどういうところか分かっておりますの?」
「ポルデクク大陸の九か国のみならず、世界中の国々の種族が集まる国際的な大学だと聞いてます。
学ぶ内容はたしか、剣術や魔術のほかに様々な分野の勉強が出来るという話でしたが」
それを聞いて、少し苦い顔をするフレア。
そして、言いづらそうに口を開く。
「……それはそうなんですけれども。
最も重要なことを理解しておりますか?
イスナール国際軍事大学の最大の目的は、バビロン大陸の国々に対抗する力をつけることですのよ?」
「それはもちろん、分かっています。
バビロン大陸の国々と他の種族が対立しているというのも知っています」
「それでは、なぜイスナール国際軍事大学へわざわざ行くんでしょうか?
エレイン様がバビロン大陸の者だと知られれば、おそらく迫害にあいますわよ。
かなり危険だと思いますが?」
それは、分かっている。
宰相のザノフにも注意勧告をされている。
それでも、危険を侵すだけの価値があるから俺は行くのだ。
俺は、真っすぐにフレアを見つめる。
「それでも俺は、世界情勢が知りたいんです」
「世界情勢?」
「ええ。
バビロン大陸だけでなく、世界の国々が今、どのような歴史を辿っているのか。
そして、これからどのような人物が、どのように動こうとしているのか。
それを知りたいのです」
それを聞いて、目を丸くするフレア。
そして、何かを思案するように顎を右手で支える。
「エレイン様は、五歳にしてかなり大きなことを考えているようですね。
……それは、まるでどこかの国と戦争でもするかのように」
言葉と共に、鋭い目で俺を見下ろしたフレア。
俺は、その瞬間背筋が凍るような思いをした。
会った時から思っていたが、このフレアとかいう女性は頭が回る。
俺がメリカ王国の王子だなんて言っていないのに、これだけの会話から戦争という単語にまで繋げたのは、中々賢い。
実際、俺がイスナール国際軍事大学へ行く目的は戦争にある。
この留学はいわば、戦争前の情報戦である。
もしメリカ王国と敵対する国があって戦争を仕掛けてくるとしたら、どのような人間がどのように仕掛けてくるのかを前もって知っておくことで対処できる幅も広がる。
その情報を得ることこそが留学の本当の目的だ。
それを、この短時間の会話だけで近いことを言い当てたフレアは流石だ。
俺は図星をつかれて内心は驚いていたが、表情にはださないように努める。
「ははは。
戦争なんて、したいわけないじゃないですか。
むしろ逆ですよ。
できれば、争いたくないんですよ。
メリカ王国は閉鎖的な国なので、ユードリヒア帝国以外の国とは関わりがありません。
ユードリヒア帝国以外の国は敵対視しているので、ポルデクク大陸や他の種族の国々と戦争をした歴史も多くあります。
でも俺は他の国や種族とも友好的でありたいと思っているんですよ。
同じ人間じゃないですか。
出来れば、仲良くしたいです。
だからこそ、世界の情勢を知りたいんですよ」
それを言うと、フレアはポカンとした顔をした。
俺が言ったことに嘘はない。
世界の国々の人と仲良くなりたいと思っているのは本当だ。
戦争なんて、ないに越したことはない。
平和が一番なのだ。
だが、そう簡単ではない。
国同士の対立によって戦争が起きるのが世界の常だ。
俺は、その戦争の犠牲者になりたくない。
自己防衛をするためにも、前段階の情報戦争で負けたくないのだ。
そのために、イスナール国際軍事大学へと行くわけだ。
納得しきっていない様子のフレア。
フレアが俺に何かを言おうとしたとき。
馬車の前から声が聞こえた。
「はいお嬢ちゃん、止まってー」
その声と同時に、急に馬車が止まる。
前を見ると、馬に乗った数人のメリカ王国軍の兵士がいた。
「ここから先は、ポルデクク大陸との国境の大峡谷なの分かってるよね?
決まりだから、中の荷物改めさせてもらうからね」
そう言って、馬車の荷台を覗くメリカ兵。
そしてそのメリカ兵を、荷台で腕を組んで座るジャリーが睨むように見下ろす。
すると、中を覗いていたメリカ兵は飛び上がるようにして一歩下がり、背筋を伸ばした。
「じゃ、ジャリー・ローズ様の馬車でしたか!
こ、これは失礼しました!」
「うむ。
それで?
国境付近の状況はどうなっている?」
「は、はい!
国境付近はいつも通りのようです!
相変わらず、国境を行き来する馬車を狙う盗賊や人攫いが蔓延っておりますが、ポルデクク大陸の兵が攻めてきたといった報告はないと聞いております!
ただ、不審な馬車が何台か通過したらしいという報告があり、我々はここで検問をしておりました!」
荷台にジャリーがいるとわかり、緊張した面持ちでジャリーに報告をするメリカ兵。
その報告の最期の言葉にジャリーの長い耳がピクリと反応する。
「不審な馬車?」
「はい!
なにやら、荷台に十名ほどの兵士を乗せた高級馬車が、十日ほど前に通過したという報告があがっております!
それから、その馬車を追うように二十もの騎馬隊も通過したとのことです!」
「なんだそれは!
衛兵は何をやっている!」
「それが、深夜のことだったらしく、相手も馬に乗っていることもあり、すぐに見失ってしまっようです……」
ジャリーの睨みに、怯えたように報告をするメリカ兵。
ジャリーはその様子を見て、すぐに殺気を収める。
このメリカ兵にあたっても意味がないことに気づいたのだろう。
「まあ、報告は分かった。
ご苦労だったな」
「は、はい!
失礼致します!」
メリカ兵士は安心した表情で、馬を引いて下がる。
それを見て、サシャは手綱を持って移動を再開した。
「今の報告。
おそらく、フレア達のことですよね?」
「あぁ、そうだろうな」
「追っていたというのは、フレア達を追っていた昨日の男たちでしょうか?」
「おそらく、そうだろう。
ただ、そうなると厄介だな……」
何か思案するように言うジャリー。
「……?
何が厄介なんですか?」
「ああ。
あの兵士は、追っ手が二十の騎馬隊だと言っていた。
追っ手が二十いたということは、まだ私たちが見ていない追っ手がいるということになるのではないか?」
「あ」
確かに考えてみればそうだ。
昨日、フレアを襲っていた男たちは十人ほどだった。
しかし、追っ手は二十名いると言っていた。
俺は、十人以上で国境を通ったらメリカ兵士に止められるから、というのを理由に追っ手は昨日の男たちで終わりだと思っていたが、どうやらそうでもないかもしれない。
メリカ兵の検問を逃れたというなら話は別である。
もしかしたら、まだバビロン大陸内にフレアの追っ手はいるかもしれない。
そして、もしいるとしたら……。
「おそらく、国境付近にいますね」
「あぁ、そうだろうな」
ジャリーも頷きながら同意する。
おそらく、昨日フレア達を追っていた男たちは、いわば先遣隊。
残りの追っ手は、国境付近に残っていると見るのが妥当だろう。
なぜなら、大峡谷はフレア達が帰るときに確実に通る場所だからだ。
俺とジャリーの強張った顔を、不安気な顔で見るフレア。
「何がありましたの?」
「ええと……」
と、俺が説明を始めようとしたとき。
再び馬車が停止した。
急停止だったので車内は大きく揺れて、俺は思わずジュリアにもたれ掛かってしまう。
「どうした、サシャ!」
「そ、それが……」
サシャは不安げな顔で、前方を見ている。
俺も急いで前に目を向けると、岩場の影から十人ほどの騎乗した男たちが現れた。
まさか……。
すると、隊の一番前にいる筋骨隆々の男が大剣を携えて一歩前に出た。
「おい、お前ら!
少し怪しいな、馬車の中を見せてもらうぞ!
銀髪の女を匿っていたりしないだろうな!」
やはりか。
イスナール語を話していることと、銀髪の女を探していることからも確定的だ。
こいつらは、フレアの追っ手だ。
フレアは俺の後ろで険しい顔つきをしているが、何も言わない。
アルバは、覚悟を決めたように剣に手をかける。
ジュリアも雰囲気を察した様に、羊皮紙と羽ペンをしまって、不死殺しを持つ。
「おい、なんとか言ったらどうなんだ、姉ちゃんよぉ!」
男が御者台にいるサシャの横まで近づき、肩に手をかけようとした瞬間。
男の右手は、空中に跳ね上がった。
一瞬の出来事に俺は息を呑む。
男の手を切ったのはジャリーだった。
そして、斬りながらジャリーは叫ぶ。
「サシャ! 馬車を出せ!
大峡谷を渡れ!」
「は、はい!」
その叫びを皮切りに、サシャは手綱を持ち、馬を出したのだった。
「お、追えーーーー!」
岩場には、右手を斬られた男の叫び声が響き渡った。




