第三十六話「朝の試合」
次の日の朝。
馬車の近くの岩場で、俺はジュリアと木剣の打ち合いをしていた。
いつものようにジュリアと二人で素振りをしていたら、ジュリアが、
「素振りばかりしてないで、打ち合いましょ!」
なんて言ってきたのだ。
まあ、俺もメリカ城の庭園で一人で素振りをしていたときは、剣を打ち合う相手が欲しいと思ったものだ。
ジュリアであれば、体格も近いし、剣の腕もある。
丁度いいと思った俺は、ジュリアの提案を喜んで受けた。
打ち合いは木剣を使いながらも、互いに本気だった。
ジュリアは、剣速がとてつもなく速い。
剣速が速いため、翻弄されがちになってしまう。
左上段から斬りこんできたと思って、防ごうとするとそれはフェイントで、振り下ろす最中に剣筋を方向転換させて、右上段から斬りこんできたりする。
それが普通の速度ならいいのだが、ジュリアの剣速でやられると思わず翻弄されて防戦一方になってしまうのだ。
それで、俺がジュリアに唯一勝っているパワーで押し込もうとすると、影法師を使われて背後を取られるという形だ。
ジュリアは影剣流を長年使っているだけあって、発動タイミングが絶妙だ。
背後には意識をむけているのだが、意識が逸れたタイミングで上手く使われるので、中々防げない。
そんなこんなで、ジュリアに木剣でボコボコにされて、俺の頭はたんこぶだらけになっていた。
近くにいたサシャはすぐに俺のところに来て、治癒魔術をかけてくれる。
そして、サシャは少し怒った様子で、ジュリアに「やりすぎです!」と注意するのだった。
しかし、ジュリアは俺に勝ったことが満足なようで、聞いていない様子だ。
すると、馬車のところにいたジャリーがこちらにやってきた。
ジャリーは、俺とジュリアを交互に見て、口を開いた。
「打ち合いを見ていた。
エレイン。
お前は、ジュリアの動きに翻弄されすぎだ。
剣を目で追うのだけではなく、剣がどこに来るのかを相手の動きから読め。
それから、ジュリア。
ジュリアは、影法師に頼りすぎだ。
影剣流は、剣術を極めたときこそ力をより発揮することは前にも教えただろう。
それにエレインはジュリアの十二歳も年下だぞ。
影剣流を使わずにでも勝てるように、努力しろ」
ジャリーから、剣術のアドバイスをもらったのは初めてだったので驚いた。
そして、的確なアドバイスだった。
確かに、俺は予想以上に速いジュリアの剣速に翻弄されすぎていた。
ジュリアの剣筋を読むように努力はしていたのだが、いかんせんこの体はまだ戦闘経験が薄い。
戦闘勘が戻っていない現状、目や体が追いつかず、ジュリアの剣筋が読めないのである。
ジャリーの言う通り、剣筋を読む訓練をする必要があるだろう。
ジュリアは、ジャリーに言われてショボンとしていた。
おそらく、ジュリアもジュリアで図星をつかれた形だったのだろう。
ジャリーは俺達のことをよく見ている。
ジュリアに対して俺よりも強く言ったのは、親心ゆえだと思う。
強くなってほしいからこそ、厳しくするというものだ。
なんて考えていると、馬車の方から歩いてくる者が。
フレアだった。
その後ろには、帯剣したアルバも控えている。
昨日と同じ白いドレス姿のフレアと、鎧姿のアルバ。
二人はダマヒヒト王国まで一緒に行くことになったので、俺達の幌馬車の中で一緒に寝たのだ。
そして、フレアは今起きてきたという所だろう。
護衛のアルバは、俺が起きたときにはすでに起きていたが。
「みなさん、お早いですわね」
欠伸をしながら、こちらに歩いてくるフレア。
その顔には、やや疲労が溜まっているように見える。
馬車の中は狭いし、寝辛かっただろう。
昨日襲われたショックもまだ残っているだろうし、馬車で休んでもらっていて良かったのだが。
後ろのアルバは、俺達を睨んでいる。
明らかに俺達に敵対心を持っているように見える。
俺達と同行することが気に食わないのだろう。
だが、ご主人様のフレアが同行すると言っているため、仕方なく同行しているようだ。
「朝から剣の稽古なんて熱心ですわねえ。
ところで。
うちのアルバも剣術は、かなり出来る方ですのよ。
よろしければ、親睦の証に一戦交えてみてはいかがかしら?」
ニコリと微笑みながら、さらりと言うフレア。
だが、後ろのアルバは虚をつかれたような顔をしていた。
「ふ、フレア様!
なぜ俺が、こんなやつらと……!」
アルバは、フレアの急な提案に対して不満気な様子。
そんなアルバをフレアは冷ややかな目で見る。
「あなたがいつまでも彼らに心を開かないからでしょう?
剣を打ち合えば、仲も深まるのではなくて?」
アルバはそれを聞いて押し黙る。
フレアは、アルバが俺達に敵対心を抱いていることに気づいていたようだ。
この提案はフレアなりの配慮ということか。
フレアは、周りの人間のことを良く見ているな。
すると、怪訝な表情をしていたジャリーが俺の方を見る。
「エレイン。
こいつは何と言っているんだ?」
「ええと。
アルバも剣術の心得があるらしく、俺達の親交を深めるためにも一戦交えてみたらどうかとフレアが提案してますね」
「……ほう」
ジャリーは、ジロジロとアルバの体を見始めた。
ジャリーは背が高いからか、見下ろすだけで妙に威圧感があり、アルバも身構えていた。
「いいだろう、私がこいつと戦おう」
それだけ言うと、ジュリアから木剣を受け取り、俺とジュリアが打ち合っていた場所へと歩き始めたジャリー。
え、いいのか?
と思ってアルバを見ると、どうやら覚悟が決まった様子。
アルバは俺の木剣を受け取り、ジャリーの元へと歩き出した。
これは、どうなるのだろうか?
ーーー
ジャリーとアルバは、互いに木剣を持って向かい合っていた。
ジャリーはいつもの薄手の黒い軍服であるのに対して、アルバは鎧姿。
防御力の面で言えば、ジャリーの方が不利なように思える。
すると、ジャリーは俺とジュリアの方を向いて叫んだ。
「エレイン!
ジュリア!
この戦いをよく見ておけ!」
それを見たアルバは、いきなり木剣を振り上げて突っ込んだ。
「何、戦いのときによそ見してるんだあああああ!」
叫びながら、放たれるアルバの上段からの一振り。
アルバの剣速はジュリア並みに速かった。
それに、かなりパワーもありそうだ。
ジャリーの目線は俺達の方に向いていて、アルバの木剣に追いつけていない。
危ない、と思ったその瞬間。
ジャリーは目線を戻しながら、恐ろしい速度で腕が動いた。
光剣流の光速剣のように腕が消えたりはしなかったが、残像が見える程度には速いその動き。
そして、アルバの剣がジャリーの頭に到達しそうなところを、危うげなくジャリーの木剣が上段で防いだ。
そして、ジャリーの頭上でつばぜり合いが始まる。
アルバの体は鎧の上からでも分かるくらい筋骨隆々で、いくらジャリーの体つきもいいとはいえど、ジャリーは女性なりの体つきであるため、おそらくパワーに関してはアルバの方に分があるだろう。
そのせいか、頭上でのつばぜり合いはジャリーがやや押されているように見える。
アルバは顔を真っ赤にしながら、剣に力を入れる。
「女に、力で負けるわけないだろおおおおおおお!」
アルバが木剣に全力を注いだその瞬間。
ジャリーは木剣を後ろに引いた。
アルバは、力を込めた木剣を受ける対象がいなくなり、そのまま勢いに任せて前に空振る。
ジャリーは体を右方に持っていき、アルバの木剣から逃れるように脇を通る。
そして一瞬、ジャリーはアルバの背後を取った。
この一瞬を逃すジャリーではない。
ジャリーは恐ろしい剣速で、背後から頸椎を狙った一撃を放つ。
「ぐあっ!」
アルバから小さな悲鳴が聞こえた。
アルバの鎧は、首が囲われていないため、ジャリーの木剣がそのままアルバの頸椎に直撃した形になった。
そうして、アルバは倒れたのである。
ジャリーはアルバが倒れたことなどどうでもいい、といった様子で俺とジュリアの方を見る。
「分かったか?」
俺達の方を見ながら、ジャリーはそれだけ言った。
俺は、それを聞いて理解した。
ジャリーが何を見せたかったのかを。
最初よそ見をしながらもアルバの木剣に対応出来たのは、アルバの木剣がどのように来るか予測していたからだと思う。
それにしても、あんなに遅れてもアルバの一撃に対応できるあたり、流石ジャリーだと言わざるを得ない。
あのジャリーの剣速は、長年修練を重ねて積み重ねてきたものなのだろう。
それから、つばぜり合いからの一撃は見事だった。
自分より力のありそうなアルバの剣とアルバの過信を逆に利用して、剣を絶妙なタイミングで引くことでアルバの重心を崩し、アルバの背後に回る。
この流れが非常に見事だったのである。
アルバとの対戦をすんなり受けたのは、これをジュリアに見せるためだったのだろう。
明らかに自分より力がある相手をどのように対処するかを、わざわざ実演してくれたのだ。
それは、先ほどのアドバイスで言っていたジュリアの課題でもあったからな。
ジュリアを見ると、目をキラキラと輝かせていた。
「分かったわ、ママ!」
そう言って、ニッコリと微笑むジュリア。
それを見て、ジャリーは少し微笑みながら頷いた。
すると、フレアとサシャがアルバのところに駆けこんだ。
「アルバ!
大丈夫ですか!」
「今、治癒魔術をかけます!」
フレアは顔を真っ青にしながら、倒れたアルバに駆け寄る。
あんなに自信満々に送り出した護衛が、簡単にやられて驚いているのだろう。
サシャはアルバに治癒魔術を唱えていた。
まあ、サシャの治癒魔術をかけておけば、体に損傷は残らないはずだ。
すると、アルバは目を覚ました。
「うっ……!
……ん?」
目を覚まして、フレアに抱かれながら周りを見る。
そして、自分が負けたことに気づいたようで、青い顔をする。
「申し訳ありません!
フレア様の期待に答えることが出来ず、負けてしまいました!」
アルバは起きた瞬間、まずフレアに頭を下げて謝った。
しかし、その様子を見てニコリと笑うフレア。
「いいえ、気にしないで良いのよ。
それより、あなたが無事でよかったわ、アルバ」
そう言って、アルバを撫でるフレアと、顔を赤くするアルバ。
お?
これは、もしかして?
と思っていると、フレアはこちらを向いた。
「それにしても、そちらの方はお強いですわね。
うちのアルバは、ダマヒヒト王国の上級剣士で、かなり強いはずなのですが。
まさか、こんな簡単に負けてしまうとは思っておりませんでしたわ。
そちらの方は、名前はなんておっしゃりますの?」
フレアとアルバはジャリーに目をむける。
ジャリーは視線を感じて長い耳をピクリとさせるが、無表情だ。
「ジャリー・ローズと言います。
うちの頼もしい護衛です」
俺が代わりに答えると、アルバは目を大きく見開いた。
「ジャリー・ローズ!?
それは、メリカ王国軍総隊長の名前じゃないか!
俺でも聞いたことがあるぞ!」
まずい。
名前を知られていたか。
ポルデクク大陸の者なら、知らないと思っていたのだが。
すると、フレアが目を細める。
「メリカ王国軍総隊長……?
そんな方が護衛をしているというんですか?
それでは、エレイン様は何者ですの?」
まずいまずい。
フレアが俺のことを怪訝な目で見ている。
フレアの疑問は最もだ。
国軍の指揮官である総隊長が自ら護衛をするなんて、中々ありえない事態だ。
それがありえるとすれば、国にとって重要な人物の移送をする場合ぐらい。
まあ、言ってしまえば、俺が王子だから護衛してもらっているわけだが。
しかし、俺が王子であることをバレるわけにはいかない。
俺が王子であることを知られれば、ポルデクク大陸を渡ることが出来なくなるかもしれない。
とはいえ、良い言い訳も思いつかない。
俺は、こういう急なときの機転が利かないのだ。
そして、咄嗟に俺は答えた。
「え、ええと。
そ、そちらも名字を言わないあたり、素性を隠しているわけでして。
お互い、余計な詮索はしない方向でいきませんか……?」
俺は、開き直った。
もはや隠すことはできないと思った俺は、「お前たちも素性を隠しているだろ?」というカードを切ることにした。
すると、フレアは少し顔を歪める。
「……分かりました。
あなた方は私を助けてくれた恩人です。
余計な詮索はしないことにしましょう」
それだけ言って、立ち上がり馬車へと戻るのだった。
ここで、彼女らとの間に少し亀裂が生まれたのは悔やまれるがしょうがない。
まさか、ジャリーのことを知っているとは思わなかった。
だが、ジャリーは有名人だ。
その可能性を考えることはできたはずであり、名前を言ったのは迂闊だったと思う。
俺のミスだ。
俺は反省しながら、馬車へと戻るのだった。




