第二十話「サシャの涙」
俺は木剣を振り上げて、叫びながらジュリアに突っ込んだ。
しかし、ジュリアの表情は変わらない。
俺に視線を向けながら、よく観察している様子。
あと二メートル。
もう一歩踏み込めばジュリアに剣が当たる、といったタイミングでジュリアは動いた。
一瞬、ジュリアが俺の視界から外れそうになる。
恐ろしく素早い動きで、俺の剣筋から外れるように右足を軸に左回転ターンをする。
俺は全力で首を左に動かし、なんとかジュリアを視界に捕らえる。
視界に捕らえたジュリアは、俺の左方上段から首を狙うようにして剣を振っていた。
カンッ
木剣と木剣がぶつかる音が鳴った。
俺は振り上げた木剣を上段に構えたまま、頭の左側を守るように剣先を下ろしたことで、ジュリアの初太刀をなんとか防ぐことに成功した。
危ないところだった。
ジュリアの動きが予想以上に速い。
初めの左回転ターンによって生み出された遠心力とジュリアの素早さが合わさって、恐ろしく速い初太刀だった。
俺はなんとかジュリアを視界から外さないことで、ターンの始まりを視界に捉えた。
ターンが始まった瞬間、経験則で側面からの攻撃がくると察知し、なんとかギリギリ防げたという感じだ。
おそらく、あれをまともに食らっていたら、木剣でもかなり危なかっただろう。
初太刀を防いで、ジュリアが驚くように目を見開いたこの瞬間。
アドバンテージは俺にある。
今こそ、筋力差を見せつけるべきだ。
「うおおおおお!」
「うわあ!」
俺は叫びながら木剣の握りに力をこめて、思いっきりジュリアを押し返す。
やはり、ジュリアの剣は軽かった。
剣を片手で持っている上に、あの細い腕だ。
俺の筋力で押し返せないはずがない。
ジュリアは小さな悲鳴をあげて、少しよろけた。
俺はこの隙を見逃すつもりはない。
よろけたジュリアは咄嗟に頭上に剣を構えていた。
ならば、狙うは胴体だ。
俺は咄嗟に木剣を右手だけで持つ。
リーチを作るためだ。
右足で素早く一歩踏み込み、ジュリアのみぞおちをめがけて真っすぐに木剣を押し出す。
俺が今できる中で最速の突き。
よろけているジュリアに躱せるはずもない。
獲った、と確信した瞬間。
俺の視界からジュリアは消えた。
え?
俺は、空を切る自分の突きを見て目を丸くした。
ジュリアはどこに行った。
すると、俺の背後から殺気を感じた。
しかし、振り返る暇はない。
ガンッと俺の頸部に衝撃が走り、俺の視界は暗転したのだった。
ーーー
目が覚めると、目の前にはサシャの顔があった。
サシャは、俺が目を覚ましたのを確認して安心したような顔をする。
どうやら、俺は幌馬車の荷台でサシャに膝枕をされていたらしい。
「大丈夫ですか、エレイン様」
サシャは俺の顔を覗き込んでくる。
可愛らしいサシャの顔が俺の目に大きく映る。
近すぎて、やや恥ずかしい。
「だ、大丈夫!」
俺は慌ててサシャの顔を押しのけて起き上がる。
すると、座っていたサシャの対面にジャリーとジュリアが座っているのが目に入った。
「起きたか」
ジャリーは無表情のまま俺を見下ろして言った。
ジャリーの隣で、ジュリアが腕を組みながら俺をジトッと凝視していた。
そして、俺は二人を見て思い出した。
俺は、負けたのか。
初太刀は完全に防いだ。
そのあとのカウンターも完璧だった。
ジュリアをよろけさせて、勝ったと思った。
しかし、突きを放った俺の剣は空を切り、後頭部に衝撃が走った。
正直、何が起きたのか分からなかった。
そこにいたはずの存在が消えたような感覚。
この感覚は何度か味わったことがある。
ジムハルトと戦った時だ。
ジムハルトが大浴場の入口でジャリーを怒らせたとき、ジャリーは俺の背後から気配を消し、いつの間にか五メートル先のジムハルトの背後をとっていた。
決闘でジムハルトの首を切ろうとしたとき、数瞬前まで俺の後ろにいたはずのジャリーはいつの間にか目の前のジムハルトの背後にいて、俺の刀を防いでいた。
そう、ジャリーの動きを見たときと同じ感覚だった。
「ジュリアはどうだった?」
ジャリーは俺に聞いてくる。
隣のジュリアは相変わらず腕を組んで偉そうだが、ややソワソワしているように見える。
「ええ、強かったですね。
パワーはそこまであるわけではないですが、恐ろしく速かったように感じました」
「ふむ、それだけか?」
ジャリーは、俺が言いたいことを見透かしたように聞く。
俺が何を思い、何を感じ取ったのか分かっているといった様子だ。
その態度を見て、俺も遠慮なく聞かせてもらうことにした。
「俺が疑問に思っているのは戦いの最後です。
あのとき、ジュリアは俺の力に押されてよろけていました。
その隙をついて、ガードの空いていた胴体に突きを放ちましたが、いつの間にかジュリアは居なくなっていて、後頭部に衝撃が走って意識を失いました。
ジュリアがあの状態から避けることは不可能だったように思うんですが。
何が起きたんでしょうか?」
俺は、自分の抱いていた疑問をジャリーにぶちまける。
すると、ジャリーの隣に座っていたジュリアが、腕を組みながら立ち上がった。
「ふふん!
あれは影剣流の奥義よ!
エレインは、私が使った影剣流奥義『影法師』に敗れたのよ!」
小さな胸を張ってドヤ顔をするジュリア。
影剣流?
剣術の流派だろうか?
そういえば、三剣帝の一人とか言っていたカインは光剣流の当主と言っていたな。
光があれば影もある、ということか?
ジュリアが言ったことを考察していると、ジャリーが口を開く。
「まあ、そういうことだ。
あの勝負。
ジュリアが影剣流の奥義を使えなければ、お前が勝っていただろう。
だが、ジュリアは奥義が使えた。
それだけだ」
「ちょっと、ママ!
影法師を使わなくても、勝っていたのは私よ!」
むくれるジュリア。
それを見てため息をつくジャリー。
「初太刀を防がれ、焦っていたところを力で押し飛ばされたのは、どこのだれだ?
あのまま影法師を使わなければ、お前は腹を突かれて負けていただろう?」
「うっ……」
図星をつかれたようで、うなだれるジュリア。
影法師。
一体どういう技なのだろうか。
人が消える剣術なんて生前でも見たことがない。
もはや転移の類である。
何か秘密があるはずだ。
「それで?
うちのジュリアは、お前の護衛として役立ちそうか?」
ジャリーは率直に聞いてくる。
隣のジュリアもソワソワしながら俺を見ている。
ジュリアの態度に、サシャがむっとする。
それを察知した俺は、サシャが何かを言う前に俺は答える。
「……ええ。
ジュリアが強いというのは本当のようです。
疑って申し訳ありませんでした。
護衛としてジュリアが同行することを認めます」
「え、エレイン様!?」
サシャは俺の言葉が予想外だったようで、声を裏返しながらこちらを見る。
驚いているサシャには申し訳ないが、俺はジュリアの同行を認める。
なぜなら、ジュリアが予想を超えた強さを持っていたからだ。
あの影剣流という流派は馬鹿にできない。
できることなら、影剣流を学びたい。
幸い、ジャリーとジュリアはメリカ王国の人間。
この旅の最中にいくらでも教わることはできるだろう。
それに、ジャリーの口は固そうだが、ジュリアの口は軽そうだ。
ジュリアに聞けば、また先ほどのドヤ顔で影剣流の秘密を教えてくれるかもしれない。
そういった打算的な考えで、俺はジュリアの同行を許可することにした。
「そうか、それは良かった」
ジャリーは二ヤリと少し笑って、ジュリアの背中をポンポンと叩く。
ジュリアも「ふふん!」と胸を張っているが、嬉しそうだ。
こうして、俺たちの旅のメンバーが一人増えたのだった。
サシャは信じられないといった顔をしていたが、ここは大目に見てもらおう。
ーーー
メリカ王国首都タタンは、綺麗な都市だった。
メリカ城にも似た青色の屋根を持つ白い建物がたくさんあり、風景に統一感がある。
そこらかしこに、よく手入れされた植物が植えられている。
時間帯がお昼だったからか、人もにぎわっていた。
俺は城の外に出るのが初めてだったため、その光景が新鮮に感じた。
この世界に来てから、これほど多くの人間を初めて見たのだ。
すると、あることに気づいた。
なぜか、俺たちが移動している幌馬車が注目を浴びている。
前後に見える人達は馬の手綱を引いているサシャや、荷台の中の俺たちをチラチラと見ている。
まさか、俺が王子だと気づかれたのだろうか?
そう思っていると、対面に座っていたジャリーが舌打ちをした。
「チッ……。
種族が違うというだけで、遠慮なく見てくる人間たちには嫌気が差すな」
ジャリーは鬱陶しそうにつぶやいた。
そのつぶやきを聞いて俺も気づいた。
なるほど。
タタンの人達が見ていたのは、俺ではなくサシャやジャリーやジュリアだった。
確かに、サシャのピンク色の髪は良く目立つ。
ジャリーとジュリアも白い髪はいいとしても、耳が長くて尖っているのはやはり目立つ。
そういえばザノフは、メリカ王国はアレキサンダー王家が許した者か奴隷以外は、他種族の入国を許さないと言っていた。
ここに住んでいる人達にとっては、人族以外の種族を見る機会はほとんどないのだろう。
それなら、この視線も納得だ。
馬の手綱を引いているサシャは、先ほどからややイライラしているように見える。
ジュリアを連れて行くと俺が言ってから、サシャは口を聞いてくれない。
不躾に見てくるタタンの住民の視線も相まって、不快感が顔ににじみ出ている。
すると、ジャリーの隣にいたジュリアが俺の隣に来て、勢いよく座る。
「ねえ!
エレインは何歳なの!」
大きな声で俺に問いかけるジュリア。
周りの視線なんて気にしていないという様子だ。
「五歳だけど」
「ふふん!
じゃあ私の方が年上ね!
私は十六歳だから!
私の家来にしてあげてもいいわよ!」
腕を組んでドヤ顔で言うジュリア。
いや家来って…。
本当にこの子は十六歳なのだろうか?
発想が小さな子供のそれである。
黒妖精族は、体の成長だけじゃなくて精神の成長まで遅いのだろうか。
俺は仮にもこの国の王子なのだが。
城の人に聞かれたら、殺されてしまうぞ。
などと思っていると、幌馬車が急停止した。
サシャが勢いよく手綱を引いて止めたようだ。
そして、サシャは勢いよくこちらに振り返った。
「エレイン様を家来扱いなんて!
ふざけないでください!」
サシャはいきなりジュリアに対して金切り声の怒声をあげた。
顔を真っ赤にしてジュリアを睨みつけている。
サシャが怒声をあげるなんて珍しい。
ここまで怒っているサシャを初めて見たかもしれない。
「さ、サシャ。
落ち着いて?」
「エレイン様もエレイン様です!」
「へ?」
サシャはジュリアだけじゃなく、俺まで睨む。
サシャに睨まれるというのが初めての経験だったので、たじろいでしまう。
「なぜ、この子の同行を許したんですか!
エレイン様を家来扱いするなんてありえません!
メリカ城に置いてくるべきでした!
一緒にいるだけで不快です!」
生前、婚約者に裏切られてしまうくらい察しの悪かった俺でも気づいた。
これは本気でキレている。
街の中に響き渡るサシャの怒号。
タタンの住民達が、サシャを覗き込む。
しかし、サシャは気にも留めず捲し立てる。
「大体、エレイン様は、いっつも私の言うことを聞いてくれません!
先ほどの戦いだって、私が言う通りにこの子をメリカ城に送り返せば怪我をせずにすんだじゃないですか!
この子は最初、私のことを殺そうとしたんですよ?
その上、エレイン様を家来にするなんて、ありえません!
なのに!
なんでこんな危ない子と仲良さそうに話しているんですか!
この旅だって私が危険だと止めても、エレイン様は私の話を聞かずに行くと決めてしまいました!
私はエレイン様が心配です。
私はエレイン様の専属メイドなんですよ?
もっと信用してくれてもいいじゃないですか。
こんなにも、こんなにも私は尽くしているのに、なんで…なんでなにも…。
うっ…ひっぐ…きいて…ひっぐ…くれないん……ですか…!」
怒りながら涙を流すサシャ。
言葉には嗚咽も混じっている。
これはまずい。
おそらく、今まで少しずつサシャが貯めこんでいたストレスが今爆発してしまったのだろう。
こんなサシャを見るのが初めてで、どうしたらいいか分からない。
ジャリーは相変わらずの無表情。
ジュリアは泣いているサシャを見て、オロオロしながら俺を見てくる。
しかし、俺にどうにかすることはできない。
それからしばらく、サシャは泣いていた。
その間、誰も口を開かなかった。
重苦しい空気が幌馬車の中を漂うのだった。




