第十六話「帝国の勧誘」
ザノフが去ったあと、サシャからは必死に説得された。
ポルデクク大陸なんて行ったら死んでしまうとまで言われた。
正直、非常に悩ましい。
あのザノフが言ったくらいだし、各国の情勢や有力人物を知るのであれば、イスナール軍事大学とやらに行くのが最適解なのだろう。
しかし、死ぬ可能性があるとまで言われるとやや躊躇してしまう。
話によれば、バビロン大陸とポルデクク大陸の国境線付近が一番危険らしい。
行ったことがない身としては、国境がどれほど危険なのかがいまいち分からないが。
ただ、俺の体は四歳の体だ。
生前の鍛え抜かれた体ではない。
毎日鍛えているとはいえ、まだ四歳の俺では死ぬ可能性が高いのではないだろうか。
メリカ王国の王子と知られれば、人攫いに攫われる恐れまであるので危険すぎる。
それに、入学したら卒業するのに五年かかる、というのも厄介だ。
サシャは成人しているし魔術も使えるから良いとしても、まだ幼いフェロをそんな危険なところに連れて行くわけにはいかない。
というか、そもそも俺の両親であるシリウスとレイラは留学を許してくれるのだろうか。
俺はまだ四歳の子供だ。
四歳の子供が一人で留学に行くなんて普通はありえない。
生前の俺の記憶では、四歳の子供なんて大抵は家から出ずに親と暮らしていたはずだ。
外に出ても近所を走り回るのが精々だろう。
それなのに俺は四歳にして国を出ようと考えている。
生前の年齢も踏まえたら俺は二十八歳だ。
しかし、周りから見た俺は四歳のガキ。
国を出ようなんて許されるはずがない。
よくザノフは提案したものだ。
俺が一人で唸っているのを心配そうに見つめるサシャ。
サシャには心配をかけて申し訳ない。
だが、やはり一人で考えていても答えはでない。
こういうときは、両親に相談するとしよう。
ーーー
俺とサシャは謁見の間の入り口にある大きな扉の前にいた。
客人が国王に挨拶するときは謁見の間を使用するため、シリウスは謁見の間にいることが多い。
今日は重要な客人が来ていたのか、レイラも一緒にいるらしい。
サシャに聞きにいってもらったら、謁見の間でシリウスとレイラに会うことを許可された。
どうやら客人との話が終わり、今は時間があるらしい。
忙しい所申し訳ないが、こちらも人生が懸かった重要な案件なので、謁見の間まで足を運ぶことにした。
俺とサシャが待っていると、急に大きな音をたてて目の前の扉が開く。
どうやら中の衛兵が扉を引いて開ける様式になっているようだ。
扉が開くと、目の前には赤い絨毯で引かれた道があった。
赤い絨毯は奥の玉座まで続いているようだ。
謁見の間には初めて入ったが、三歳の誕生日パーティーのときの会場と同じくらいの広さだった。
パーティーの時とは違い、端には鎧を着た衛兵が並んでいて警備が厳重だ。
俺とサシャは衛兵の間にある赤い絨毯に沿って、まっすぐ歩く。
しばらく歩くと、赤い絨毯の切れ目が見えた。
目の前を見ると段差があり、段差の上に玉座が並んでいる。
玉座にはそれぞれシリウスとレイラが神妙な面持ちで座っていた。
玉座の隣には、先ほど会ったばかりのメリカ王国宰相のザノフとメリカ王国軍総隊長のジャリー、それからメリカ王国魔導隊長兼宮廷魔導士のルイシャまでもが並んで立っていた。
全員忙しい身だ。
この面々が揃うことは珍しいのではないだろうか。
なぜ全員揃っているのだろう。
そこで、もう一人壇上に立っている者がいることに気づいた。
青い髪をした色白の青年。
髪の色とは反対に真っ赤な甲冑を着こんだ剣士。
腰には細い黒色の剣を帯刀している。
紫闇刀に形がやや似ている。
魔剣だろうか?
青年はこちらを見ると、ニコリと笑う。
その笑みは作り笑いに見えて少し気味が悪い。
「エレイン、お前に会うのは一週間ぶりくらいか。
ここのところ忙しくてな。
それで?
お前はなぜここにきた?」
シリウスは玉座から見下ろすようにして言う。
玉座に座っているからか、シリウスの体が大きいからか、威厳があるその風格にやや緊張する。
なぜここにきたか?
ザノフから事情は聞いていないのだろうか。
それとも確認のために、聞いているのだろうか。
俺は言いたいことを頭の中で速やかにまとめる。
「お父様。
俺は、留学をしようか迷っています。
行きたい大学があるのですが、まだ四歳の俺が行くには早計かもしれないと思いまして。
お父様とお母様の考えを聞きに、ここに来た次第です」
俺が言うと、ザノフ以外の壇上の人間は驚いたように目を丸くしていた。
当然だろう。
やはり、四歳で大学へ留学なんて明らかにおかしい。
なにもかもが早すぎる。
周りの反応を見て留学を断念しようと思ったそのとき、意外な人物から声が上がる。
「ほう!
留学ですか!」
声が聞こえた方を見ると、先ほどから壇上に立っている、知らぬ青髪の青年だった。
先程より笑みが増しているように見える。
俺が訝しげな目線を青年に送ると、はっと我に返るようなわざとらしい仕草をした。
「おっと……これは、失礼しました。
お初にお目にかかります。
ユードリヒア帝国三剣帝が一人、光剣流当主のカイン・ダマと申します。
以後お見知りおきを」
そう言いながらカインは、左手を前に出して掌を上に向けながらお辞儀する。
帝国流の挨拶だろうか?
光剣流とは初めて聞いた流派だ。
ユードリヒア帝国三剣帝ということはジャリーと同じだな、と思いジャリーの方を見ると、ジャリーは静かにカインのことを睨んでいた。
ジャリーの目には憎しみがこもっているようにも見える。
昔なにかあったのだろうか。
メリカ王国のトップが集合している理由は分かった。
おそらく、このカインという帝国の剣帝様が来たから全員集まっているのだろう。
それにしても、なぜカインはメリカ王国に来たのだろうか。
と疑問に思っていると、カインはニコリと笑いながら口を開く。
「ところで、先ほどエレイン王子殿下は留学しようか迷っている、と仰られましたね?」
「あ、ああ…」
なんだこいつ。
俺はシリウスとレイラに話しに来たのに、なんでこいつが入ってくるんだ。
不敵に笑うカインにややイライラしてくる。
「実は僕、ちょうどエレイン王子殿下をユードリヒア国立剣術大学へ勧誘するためにここに来たところなのです。
シリウス王らからはあまり良い返答をもらえていなかったので、せめてエレイン王子殿下に直接話を通させてくれと残っておりましたが、正解でした。
まさかすでに留学に興味をお持ちとは!」
言いながら、やや大げさに驚いたようなポーズをするカイン。
ユードリヒア国立剣術大学?
また初めて聞いた大学の名前だ。
名前から察するに、ユードリヒア帝国の剣術を学ぶ大学のようだが。
なぜ、俺がそんな大学に勧誘されるのだろうか?
俺がポカンとしていると、シリウスはため息をついた。
「おい、カイン。
まずは、息子の話を聞いてからだ。
お前が一方的に話しても意味はなかろう」
呆れた様子でカインを諭すシリウス。
カインもそれに従い、ニコニコしながら一歩下がり口をつぐむ。
「で?
留学をしたいとはどういうことだ、エレイン?」
全員の視線が俺に集まる。
それを聞かれるということは、やはりザノフから話は聞いていないのだろう。
ザノフは素知らぬ顔でこちらを見下ろしている。
「はい。
単刀直入に言うと、ポルデクク大陸のナルタリア王国内にあるイスナール国際軍事大学に留学しようか迷っています」
「なに!?」
シリウスは玉座を立ち上がり驚いていた。
シリウス以外の面々も同じように驚愕している。
特にカインにいたっては、先程までのニヤケ面が消失し、真顔になっていた。
そんな中、ザノフだけは口角をつりあげていたのを俺は見逃さなかった。
「馬鹿な!
ありえない!」
まず叫んだのは、カインだった。
なぜお前が叫ぶのだとは思ったが、冷静に考えてみれば、俺を帝国の大学へ勧誘しにここまで来たのに俺が他の大学へ行くと言っているのだから怒るのは当然か。
なぜ、俺を勧誘しに来たのかが謎だが。
すると、シリウスは玉座に座り直し、ややうすら笑いを浮かべながらつぶやいた。
「……そうか。
その手があったか。
いや、だが…」
なにやら、考え込むように小さくつぶやくシリウスを後目にカインは俺を見ながら叫ぶ。
「エレイン王子殿下!
なぜ、宿敵であるポルデククの大学へなど行こうと考えているのですか!
ありえません!
今すぐに考え直してください!
そして是非、我がユードリヒア帝国の剣術大学に……」
と、カインが言っている最中に隣から急に怒声が。
「カイン!
お前はメリカ王国の者ではないだろう!
エレインをそそのかすのも大概にしろ!」
叫んだのはジャリーだった。
恐ろしい殺気を放ちながら叫ぶジャリーに、場が緊張する。
すると、先ほどまでニコニコしていたカインの表情が完全に消え、殺気を放ちながらジャリーを睨みつける。
「僕の邪魔をするなよジャリー。
それとも君は、僕に喧嘩を売っているのかい?
君とはあまり戦ったことはなかったが、喧嘩を売っているのであれば容赦はしないよ」
「お前ごときに負ける私ではない!」
カインは腰に携えた黒い刀に手をかけ、鯉口を切る。
ジャリーもそれに反応して腰の刀に手をかける。
周りの衛兵がざわつく。
ルイシャも杖を出して、戦闘態勢。
まさに一触即発といったそのとき。
「お前は、我が国に戦争を仕掛けに来たのか?」
静かなドスの聞いた怒声が玉座から聞こえた。
シリウスだった。
シリウスは玉座から睨みつけるようにしてカインに言う。
その威圧感はカインやジャリーの比ではなく、後ろのサシャもブルッと震えていた。
これが国王の睨みか。
すると、カインは腰の刀から手をはなして両手を上げた。
「はは、冗談ですよシリウス王。
昔の同僚にちょっとちょっかいをかけてみただけですよ。
これくらいは許してください」
先ほどまでの表情とは一変、ニコニコとした表情でおちゃらけた声をだすカイン。
「ふん、まあ許そう」
シリウスのカインへの威圧感も薄まる。
一連の流れを見て、ジャリーとルイシャの戦闘態勢も解除される。
「それにしても、シリウス国王様。
息子さんをイスナール国際軍事大学へ行かせるのは、いかがなものかと思いますよ。
現在バビロン大陸とポルデクク大陸の国境は紛争状態。
その上、ポルデククの人間はバビロンの人間とは相容れない。
なぜなら、イスナールの教えがあるからだ。
それはシリウス国王様もご存知でしょう?
そんな大学へ行かせるくらいであれば、我がユードリヒア帝国の剣術大学へ留学させた方が大変有意義だと思いますが?」
カインは説得するように淡々と言葉をつむぐ。
表情はニコニコしているが、その目はまったく笑っていない。
そして、そんなカインを真っ向から睨みつけるシリウス。
「もちろん知っているとも。
確かに、エレインをイスナール国際軍事大学へ行かせることは危険だろう。
そして、お前が言う帝国の剣術大学への招待を理由もなく断ることは、我が国と帝国の間の信用関係に傷がつくというのも心得ている。
しかし、結局どうするかはエレインの考え次第だ。
もし、エレインがどうしてもイスナール国際軍事大学へと行きたいのであれば、護衛をつけてでも行かせよう。
エレインがイスナール国際軍事大学へ行きたいというのであれば、当然に帝国の剣術大学へは行けないので断ることも仕方ない。
エレイン本人が他の大学へ行きたいと言っているのだから、我が国と帝国の間の信用関係に傷がつくこともないだろう」
「な!?
そんな勝手が許されると思っているのか!」
「子供がやりたいことに、大人の思惑を交えるべきではない。
俺は、エレインがやりたいようにやらせるぞ」
そう言ってカインの申し出を一蹴するシリウス。
カインは悔しそうにシリウスを睨み返すが何も言い返せない様子。
つまり、俺は政治によって帝国の大学に飛ばされそうになっていたということだろうか。
そんなとき、俺がイスナール国際軍事大学へ行きたいと言い出したから、シリウスはそちらに賛同し、カインは意表をつかれたという形になったのだろう。
なぜカインが俺を帝国の大学へと連れて行きたがっているのか分からないし、なぜシリウスがイスナール国際軍事大学へ行くことを推しているのかも分からない。
だが分かるのは、なにかしらの政治が働いているということだ。
「それで?
エレインはイスナール国際軍事大学へ行きたいのか?」
再び皆の視線が俺に集まる。
カインは睨めつけるように俺を見つめる。
シリウスは「分かっているよな?」といったような視線を送っている。
俺は空気を察した。
「はい、お父様。
俺はイスナール国際軍事大学へ行こうと思います」
すると、シリウスはふっと笑った。
「まあ、そういうことだカイン。
俺の息子は優秀なんだ。
帝国の剣術大学よりイスナール国際軍事大学へ行きたいらしい。
悪いが帝国にはそう伝えてくれ。
それでは、これでもう用はないな。
帰ってくれ」
「……ちっ」
カインは舌打ちをすると、壇上を降りる。
そして、俺のところに来て耳元に口を持ってくる。
「お前は絶対後悔する」
俺の耳元でそれだけつぶやくと、カインはツカツカと歩き去っていた。




