第十五話「ザノフの提案」
「エレイン王子殿下、お久しぶりです。
ザノフ・オーステルダムでございます」
「ああ、久しぶりだな」
白髪をオールバックにまとめあげた五十代くらいに見える初老の男が、俺に向かって頭を下げる。
右目にはお洒落な片眼鏡が光っている。
この清潔感のある初老の男性は、前に俺の誕生日パーティーでも会っている。
メリカ王国宰相であるザノフ・オーステルダムだ。
なぜ、この男が俺の部屋に来ているか。
それは当然、俺が呼んだからだ。
いや、正確に言うと、サシャに呼んできてもらったのである。
部屋には俺とザノフと俺の後ろに控えるサシャだけ。
フェロはイラティナに預かってもらってるからいない。
ザノフがいるというだけで、俺の部屋が異様な緊張感につつまれている。
「それで。
私は何用でエレイン王子殿下に呼ばれたのでしょうか?」
頭を上げたザノフが、鋭い眼光でこちらを見下ろす。
適当な理由で呼んだ、などと言ったらその鋭い視線で殺されてしまうかもしれない。
「一年前の誕生日パーティーで、お前が俺に何か助けが必要だったら言え、と言ったのを覚えているか?」
「ええ、もちろんでございます。
あのときのエレイン王子殿下の舌戦には感銘を受けました。
私に出来ることであれば、是非お力になりたいと思っております。
ということは、何かしてほしいことがおありでしょうか?」
口調は柔らかいが、鋭い眼光で俺を見下ろし続けるザノフ。
要件をいきなり聞こうとしてくるところから察するに、無駄な話を嫌う人なのだろう。
「端的に言えば、現在のこの世界の情報を知りたい」
「……ほう」
俺がそう言うと、ザノフの鋭い眼光が光る。
目をやや細めて、俺の心内を探るように見てくる。
「現在のこの世界の情報と言われましても、情報には様々な種類があると思いますが、具体的にどういった情報のことでしょうか?」
「うむ。
俺はこの一年間でこの世界の地理や歴史については書庫の本を全て読んで、この世界の基本的な情報を学ぶことが出来た。
だが、現在の各国の情勢や政治体制、それから各国の有力人物についての情報を何も知らない。
それら全てを知りたいと思っている。
助けになってくれないだろうか?」
すると細めていたザノフの目が大きく開く。
右手で顎を撫でながら何かを考えるようにして俺を見つめる。
「世界各国の情勢や政治体制、それから各国の有力人物を知りたい、ですか。
なるほど。
一つお聞きしたいですが。
エレイン王子殿下は、それらの情報をなんのために得たいと思っているのですか?」
ザノフはこちらを値踏みするような目つきで見てくる。
おそらく、この返答次第で答え方が変わってくるのだろう。
俺は気を引き締める。
「それはもちろん、自己防衛だ。
俺が読んだ文献によると、この世界は数々の戦争を繰り返してきたようだな。
そして、現在は休戦中なのだろう?
だが、俺は休戦中だからといって我が国メリカ王国の城内であぐらをかいている訳にはいかない。
なぜなら、いつまた戦争が起こるか分からないからだ。
ポルデクク大陸との国境線付近では今なお紛争が続いているというのをサシャから聞いた。
魔大陸の魔族が、いつまた攻めてくるかも分からない。
バビロン大陸の人族が獣人族を奴隷にしていることで、獣人族の王が怒っているという話も本で読んだ。
戦争の火種はいくつもある。
俺は今にも戦争が起きてもおかしくないこの世界で生き残るために必要なのは、情報だと思っている。
世界各国の情勢をいち早く知り、有力人物を味方につけ、戦争の前段階の情報戦争に俺は勝ちたいと思っている。
そのために、俺は今からでも世界の情報を集めたい」
俺はザノフをまっすぐ見上げながら言う。
すると、無表情だったザノフの口角がやや上がる。
「はっはっは!」
急にザノフは高らかに笑いだした。
後ろのサシャがビクッとしている。
すると、先ほどまでとは一変して、ザノフはニコニコしながら俺を見つめて口を開く。
「エレイン王子殿下は私が思っていた以上に天才なようですな。
本当にシリウス様の子かと疑ってしまうほどだ。
まさか、その年齢で戦争が起こる可能性を想定しているとは。
しかも、そのうえで世界各国の情勢や重要人物を知りたいとは、情報の大切さを理解しておられるようですね。
素晴らしいことです。
それに「戦争の前段階の情報戦争」という言葉には心底驚きました。
そんな概念をまだ四歳の子が理解しているとは。
私の部下たちにも聞かせてやりたいくらいですよ。
……と褒めるのはここら辺までにしておきましょうか」
ザノフはコホンと咳払いをして、また無表情に戻る。
表情の移り変わりが激しい人だ。
というか、シリウスが一瞬馬鹿にされてはいなかっただろうか?
まぁ、いつものシリウスを見て頭が良いと思う人は少ないだろうが。
「確かに、エレイン王子殿下が仰る通り、近いうちに再び戦争は起こると私も思っております。
最近では、各国で不審な動きが見られるようになってきたのを私の方でも把握しております。
エレイン王子殿下が世界各国の情報を欲しがるのは最もでありましょう」
「それなら……」
「いえ、そう簡単にはいきません」
俺が期待の眼差しを向けると、ザノフはやや冷ややかに断言する。
「エレイン王子殿下もご存知かもしれませんが、我が国は他種族とはあまり交流のないやや閉鎖的な国家でございます。
南のポルデクク大陸の国々はイスナールの教えがあるため、他種族と多くの交流をしておりますが、我が国メリカ王国や東のユードリヒア帝国はそうではないのです。
つまり、他種族と交流があまりない我々が得られる情報は、バビロン大陸内の情報がほとんどで、隣のポルデクク大陸ならまだしも他種族が住む地域の情報を得ることはかなり難しいのです」
言いながら、やや苦々しげな顔をしているザノフ。
「閉鎖的な国家?
俺の周りにいるサシャやルイシャやフェロ、それにジャリーもか。
みんな人族ではないと思うのだが」
「いえ、それらは例外です。
アレキサンダー王家が許したために在住が許可されています。
ルイシャ親子は、レイラ王妃殿下が許可をしたことで在住が許されています。
例の猫人の子供は、奴隷時代はジムハルト王子殿下が在住の許可を、奴隷解放後はシリウス王が在住の許可をだしたことで、今もなおメリカ城に在住できているのです。
それからジャリーは昔、ユードリヒア帝国の剣帝時代に新しい皇帝と反りが合わず、国を追い出されたところをシリウス様に助けられ雇ってもらえたと聞いております。
エレイン王子殿下の周りには人族以外の者が多くいるかもしれませんが、あくまでもそれは例外でして。
メリカ城の外に出たら分かりますが、他種族なんて滅多におりませんよ。
他種族がメリカ王国に入ろうとしたら、門番に止められてしまいますしね。
入れるのは、奴隷契約した者と王族に認められた者くらいです」
そうだったのか。
身の周りに妖精族やら獣人族やらが当たり前のようにいるから、きっとこの国も当たり前のように他種族を迎えているのだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
そうなってくると、確かに世界各国の情報を掴むという俺の目標は難しくなってくるかもしれない。
というか、ジャリーがユードリヒア帝国を追い出されてシリウスに助けられたというのは初耳だ。
あんな恐ろしく強そうなジャリーを追い出すとは、何があったのだろうか。
今度、会ったらそれとなく聞いてみよう。
色々考えている俺に向かって、ザノフは人差し指を一本あげて見せた。
「そのため、世界各国の情報を集めるのはかなり難しいと言えますが、一つとても良策とも思える方法があります」
「ほう」
そんな方法があるのであれば是非教えてもらいたい。
しかし、俺の期待とは裏腹にかなり難しそうな顔をしているザノフ。
すぐには答えず、言うのを渋っているように見える。
そして、ザノフは重い口を開いた。
「エレイン王子殿下。
イスナール国際軍事大学へ留学されるのはいかがでしょうか」
「い、イスナール国際軍事大学!?」
俺の理解が追いつく前に、後ろのサシャが驚いた声をあげる。
反射的に振り返ると、サシャが真っ青な顔をしていた。
「ざ、ザノフ様。
イスナール国際軍事大学とは、ポルデクク大陸の東に位置するナルタリア王国にある大学のことですか?」
「左様」
「エレイン様をポルデクク大陸へと行かせるつもりですか?」
「それが一番エレイン王子殿下の目的に沿うと思っている」
「あ、ありえません!
メリカ王国の王子がポルデクク大陸の大学に留学なんて!
そんなことしたら、下手したら殺されてしまいますよ!」
サシャはザノフに向かって金切り声をあげる。
額から汗をダラダラと垂らすその顔は、いつものサシャではない。
イスナール国際軍事大学というのは初めて聞いたが、大学というからには何かを教育する機関なのだろう。
生前の世界でも様々な専門分野を研究する、大学という教育機関はあった。
その大学に留学することはいけないのだろうか?
サシャは殺されると言っていたが。
「サシャ、一旦落ち着け。
なんでありえないのか、一から説明してくれ」
「は、はい、エレイン様」
サシャは自分が取り乱していることに気が付いたようで、一旦深呼吸をする。
そして、こちらをまっすぐに見る。
「エレイン様はポルデクク大陸とバビロン大陸の国々の関係性についてご存知でしょうか?」
「んー、昔、世界大戦と呼ばれる大戦争が起きたことは知っている。
世界大戦中、バビロン大陸とポルデクク大陸の国々が争ったというのも本で読んだ。
しかし、世界大戦はおよそ二千年前に休戦協定をしたんじゃなかったか?
たしか、海底協定とか書いてあったか」
「よく調べておりますね、エレイン様。
確かに、海底協定によってバビロン大陸の国々とポルデクク大陸の国々は休戦状態となりました。
とはいえ、前にも話した通り、バビロン大陸とポルデクク大陸の国境線上では小さな紛争が多発しております。
聞いた話によると、かなりの無法地帯になっているようで、国の兵や冒険者だけでなく盗賊や人攫いまではびこっているとか。
イスナール国際軍事大学へ渡るには、その国境線を通らなければなりません。
その時点でかなり危険かと」
「なるほど」
国境線では紛争が多発しているという話は、サシャやルイシャに以前から聞いていた。
そこを通るのは確かに危険だろう。
だが、サシャとルイシャとレイラは国境線を渡ってメリカ王国まできたわけで。
国境を通れないというわけではないのではないだろうか。
「それだけではありません!
イスナール神を信仰しているポルデクク大陸の人々は、イスナール神の教えに反しているバビロン大陸の人族を毛嫌いしているという話をよく聞きます。
もし、メリカ王国の王子であるエレイン様がポルデクク大陸の大学へ留学しようものなら、多くの者から反感を買うでしょう。
下手したら暗殺される可能性まであります。
危険なので絶対行かないべきだと私は思います」
サシャは必死な形相で嘆願するように俺の目を見て言う。
それほど、危険だということなのだろう。
確かに俺も、本でポルデクク大陸の人々はバビロン大陸の人々がイスナールの教えに反しているため敵視している、というような話を読んだ。
それは、実際に現在でも起きているということか。
話だけ聞くと、かなり危険なように思える。
それでも、行くだけの価値はあるとザノフは考えているのだろうか。
俺はザノフの目を見上げる。
「ザノフ。
サシャはこう言っているし、俺もポルデクク大陸へと行くのはかなり危険なように思える。
それでも行く価値はあるのか?」
「もちろんでございます。
エレイン様はイスナール国際軍事大学をご存知ですか?」
「いや、知らない」
「そうですか。
では説明しましょう」
ザノフはコホンと咳払いをして、たたずまいをただす。
「イスナール国際軍事大学は、ポルデクク大陸で最も大きい大学です。
ポルデクク大陸九ヶ国の軍事活動の強化を目的としております。
高度な剣術や魔術、それから医術に軍略に言語学に暗号など、様々な軍事活動の研究をしていて、世界中のあらゆる種族が学びに集まっているという話です。
その中には世界各国の情勢を知っている者や、各国の軍事関係の有力者なども多数いることでしょう。
当然に行く価値はあります」
「なるほど。
それは確かに行く価値はありそうだな。
しかし、メリカ王国の王子がポルデクク大陸の大学で学ぶというのは、相当に危険なのではないか?」
そこで、少し口角を上げて二ヤリとするザノフ。
今度は悪そうな笑みを浮かべているように見える。
「エレイン王子殿下が王子としてではなく、ポルデクク大陸の人間として、一般の入学を果たせば問題ないかと思われます」
「いや俺は……」
と、言いかけたところで俺は気づいた。
つまり、ザノフは俺にポルデクク大陸の人間のふりをしてイスナール国際軍事大学に入学しろと言っているのだ。
メリカ王国の王子であることを隠せということか。
しかし、そんなことが可能なのだろうか。
「流石、エレイン王子殿下、お気づきのようですね」
「しかし、そんなことが可能なのか?」
「ええ、不可能ではないです。
現に私の部下が何人かその方法で入学しています」
「……ほう」
ザノフの部下が潜入しているということは、不可能というわけではなさそうだ。
何か入学する方法があるのだろうか。
「入学する方法は単純です。
試験に合格すればいいのです」
「試験?」
「ええ。
イスナール軍事大学は、入学試験を年に一度開催しております。
それに合格すれば、出自はあまり問われず入学することができるのです」
「ほう、それはいいな。
それで?
どのような試験があるんだ?」
「イスナール軍事大学は能力優先主義のようで、何か才能を見せれば合格できるようです。
毎年試験方法は違うとのことですが、私がイスナール軍事大学への入学を勧める理由はここにあります」
「というと?」
「はい。
私は庭園での決闘を見ておりました。
ジムハルト王子殿下の火射矢への対処は本当に素晴らしかったです。
どうやら、エレイン王子殿下には剣術の才能もおありのようだ。
エレイン王子殿下には才能があり、すでにメリカ王国の一般兵レベルを超えているとジャリーも言っておりました。
それなら、剣術能力の採用も多くしているイスナール軍事大学への入学も果たせるのではと思い、具申いたしました」
「……そうか」
なるほど。
俺の剣術の才能ならイスナール軍事大学への入学もできる可能性があるということか。
って、いやいやまてまて。
俺はまだ四歳だぞ。
四歳にしてはできるというだけで、俺の剣術で大人の剣士を倒せる気はしない。
そんなんで入学試験に合格などできるのだろうか。
「ザノフ。
俺はまだ四歳だぞ?
ジムハルトに勝ったといっても、それはただの子供の戦いだぞ?
四歳の子供が剣術能力だけで大学に入学できるものなのか?」
「大学への入学に年齢は関係ないようです。
部下からの報告では、小さな子供も生徒で数名いるとか。
エレイン王子殿下はもっと自信を持つべきです。
あなたはあのユードリヒア三剣帝のジャリーから才能を認められたのですよ?
それならば、剣術の入学試験くらいは問題ないでしょう」
嘘偽りのないというような目付きで言うザノフ。
というか、俺はいつの間にかジャリーから認められていたのか。
ジャリーからそのようなことを言われた覚えはないが。
それに、ユードリヒア三剣帝というのはそれほどすごいものなのか。
確かにジャリーは恐ろしく速い動きをしていたが。
「エレイン様!
ポルデクク大陸へは絶対に行ってはダメです!
本当に危険ですよ!
命がいくつあっても足りません!」
俺とザノフの間に割り込んで、説教するように俺に叫ぶサシャ
表情を見れば、サシャが本当に心配してくれているのがわかる。
しかし、それを遮るようにザノフは口を開く。
「エレイン王子殿下。
これは可能性の一つとして言ったまでです。
エレイン王子殿下はまだ四歳ですし、行かなければいけないということはありません。
ただ、エレイン王子殿下の目的が一番達成される可能性が高いのはこれでしょう。
そして、行くことになればイスナール軍事大学まで馬で二か月はかかります。
もし入学することが決まれば、五年の大学生活を過ごさなければ卒業できません。
よく考えて決めていただければ幸いです。
もし行くということでしたら、私にお伝えください。
それでは、私は次の予定がありますので」
それだけ言い残して、ザノフは敬礼をしてから去って行った。