第百二十一話「パラダイン・ディマスタ」
「俺様は、パラダイン・ディマスタだ」
そう言ってジュリアの顔で二ヤリと笑うそいつ。
片方の口角だけ異様に上げた気持ちの悪い笑みを浮かべるジュリアの顔を見て、俺はこいつがジュリアではないと直感した。
パラダインと自称するそいつ。
ここに来る前にサラが言っていた通り、本当にジュリアの身体が五千年前の大魔王に乗っ取られたとでもいうのだろうか。
にわかに信じられない。
俺はジュリアを見上げながら唖然としていると、後ろから老婆の叫び声が聞こえた。
「エレイン!
早くバリーの腹を止血して下がるんだわさ!」
この緊迫感ある叫び声はサラの声である。
いつも冷静なサラが声を荒げているのを聞いて俺はハッとした。
抱きかかえるバリー寮長を見れば、手刀で刺された脇腹から尋常ではない真っ赤な血がドロドロと垂れ流れている。
バリー寮長の顔がいつにもなく真っ青な血相の悪い顔をして苦しそうにしているのを見れば、危険な状態であるのは一目瞭然。
俺は急いでバリー寮長の服を一部脱がして、持っている包帯を血まみれの脇腹部分に巻き始めた。
「ぐっ……」
包帯を巻くために患部を抑える手をどかすと、小さくうめき声をあげるバリー寮長。
相当痛そうである。
こんなバリー寮長の声を聞くのは初めてなので、こちらも少し狼狽えてしまう。
「ああ。
治癒魔術を使えばいいものをなんでそんな物を巻いているのかと思えば、そういえばここは魔術封じの部屋だったな。
どうりで俺様も魔術が使えんわけだ」
ジュリアの見た目をした自称パラダインは、光の壁の外から苦しむバリー寮長を見下ろしながら冷淡な声でそう呟いた。
「パラダイン様……。
魔術封じの効果を無効化する私共が開発した魔装をお召しになりますか……?」
パラダインの後ろにヌッと現れたスティッピンが、ジュリアの身長に合わせる様に腰を下げながら両手で例の白黒の服を差し出す。
なるほど。
あの白黒の服は魔装だったのか。
それも魔力封じの効果を無効化する装備だとは驚きだ。
確かに、スティッピンは先ほど黒妖精族七人の意識を奪う光の魔術を普通に発動していた。
あれは、魔装を着用していたから魔術を発動できたというわけか。
ただの奇抜なだけの宗教服かと思っていたが、とんでもない代物である。
「いや、いらん。
今の俺様は魔術をほとんど使えないようだからな。
どうやらこの少女は元々闇の精霊との契約でほとんどの魔力を食われていたらしい。
身体に魔力をほとんど感じないな。
そこの女の背が乗ってる格闘パンダにも魔力を多少食われているようだ。
召喚獣か?」
そう言いながら後方にいるサシャの背中にぶら下がっているパンダのトラを鋭く睨みつけるパラダイン。
その視線に当てられて、トラはサシャの背中に隠れるように頭を下げる。
どうやら、身体がジュリアでも中身がジュリアでないことをトラも理解しているらしい。
だが、トラを背負うサシャはそうでもないようだ。
「じゅ、ジュリア!
ジュリアだよね!?
さっきから何を冗談言っているの!?」
サシャは、明らかに動揺している。
胸の前に構えている烈風刀がプルプルと震えていて焦点も定まっていない。
おそらく、先ほどからのジュリアのおかしな言動とバリー寮長の脇腹をジュリアの手刀が貫いた現場を目の当たりにして、一時的なパニック状態になっているのだろう。
「落ち着きな、サシャ。
あれは大魔王パラダインだわさ。
ジュリアが契約している影の精霊の神級魔術を使ってジュリアの中に入ったんだわさ」
「そ、そんな……」
パニック状態のサシャを落ち着かせるように、サラはゆっくりといつもの落ち着いたトーンで説明する。
サシャはサラの説明を聞いても信じられないといったように何度も光の壁の外に立つジュリアの顔を見つめる。
だがパラダインはサシャの視線など興味ないといった様子で、サシャの隣のサラの方に視線を向けた。
「ふむ。
お前はイスナールの使徒だな?
この光の壁。
イスナールの結界とはくらべものにならん弱さだな」
サラを馬鹿にするようにニヤリと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、光の壁を軽く小突くパラダイン。
その態度に大粒の汗を額に流しながらパラダインを睨むサラ。
「ぱ、パラダイン様!」
パラダインとの間で緊張が走っているさなか、光の壁の中で甲高い叫び声をあげたのはエクスバーンだった。
その声を聞いて腕を組みながらゆっくりとエクスバーンの方に首を傾ける自称大魔王。
「む。
お前のその黒い角……魔族か。
それにその顔。
メテオバーンによく似ているな。
あいつの子供の頃を思い出す。
まさかメテオバーンの親族か?」
パラダインはエクスバーンの顔を興味深そうに覗く。
「メテオバーン・ヘルストライクは我の父上じゃ!」
「ほう!!」
エクスバーンの叫びを聞いて、急に嬉しそうに二カリと笑う自称大魔王。
「俺様が封印されている間にメテオバーンに息子が出来たのか!
あいつは大の女嫌いだったから、一生子供なんて作れないと思っていたんだがなあ!
五千年も経てば思考も変わってくるという所か。
ふははは!」
パラダインはうんうんと頷きながら可笑しそうに笑っている。
そういえば、エクスバーンの父親のメテオバーンは昔パラダインの側近をやっていたという話を聞いた。
昔の部下の息子を見れば、多少なりとも思う所はあるのだろう。
「パラダイン様!
我はパラダイン様を大尊敬しておる!
じゃから、パラダイン様の部下にしてもらえないかのう!」
俺はバリー寮長の手当をしながら聞いていたが、エクスバーンのその言葉が聞こえて思わずエクスバーンの方を振り返ってしまうほどに驚いた。
まさかエクスバーンがパラダインの部下になろうとするとは思ってもいなかった。
とはいえ、考えてみれば当然の話である。
エクスバーンとパラダインは同じ魔族で、エクスバーンはパラダインの信者だと自称するほどにパラダインを尊敬している。
ここに来るまでの道中もパラダインに会えるのを楽しみにしていた。
それならば、エクスバーンがパラダインの部下になろうとするのも納得だろう。
だが、タイミングが悪い。
今はジュリアの身体がパラダインに乗っ取られている上に、パーティーの主軸であるバリー寮長が負傷しているという状況。
そのうえ強力な魔術を放てるパーティーの要のエクスバーンにまで裏切られてしまっては、もはや俺達にジュリアを奪還する手だては無くなってしまう。
「ほう、面白い。
俺様の部下になりたいか。
よかろう。
許可しよう」
そんな俺の考えなど裏切るようにして、パラダインはエクスバーンの部下入りを許可した。
ようやくバリー寮長の脇腹に包帯を巻き終えた俺はエクスバーンの方を糾弾するように見るが、エクスバーンは俺の視線に気づくと何やらアイコンコンタクトのようなものを俺に向けて発してから再びパラダインの方を見た。
「じゃあパラダイン様。
今パラダイン様が支配しているその少女の身体は、我の部下の部下の身体じゃ。
じゃから、支配を解いてもらっても良いかのう?」
腕を組むパラダインに対して、エクスバーンも腕を組みながら胸を張って尊大な態度でそう言った。
その言葉を聞いて、一瞬この場が静まる。
「……なに?」
先ほどまで笑顔だったパラダインの表情は消え、相手を推し量るようにジッとエクスバーンを見る。
だが、エクスバーンはパラダインに見られようと臆さず胸を張って口を開く。
「じゃから、その少女の身体は我の部下の部下の身体だと言っておるのじゃ。
我の部下の部下の身体なら、パラダイン様からすれば部下の部下の部下の身体じゃ。
まさか、あの大魔王ともあろう者が部下を蔑ろにするはずがないじゃろう?」
キラキラとした純真の眼差しでパラダインを見つめながらそう言うエクスバーン。
俺は、先ほどのエクスバーンのアイコンタクトはそういうことかと納得した。
どうやらエクスバーンは自分の理想であるパラダインは部下を蔑ろにはしないため、自分がパラダインの部下になってしまえば俺達が助けたいジュリアも助けてくれると本気で思っているらしい。
だが、そう上手くいくはずがないだろう。
すると、また片方の口角だけを上げたパラダイン。
「ふふ……ふふふふ………ふはははははは!」
パラダインは堪えられないといった様子で、大きな声をあげて笑いだした。
それにはポカンとした表情のエクスバーン。
そして、そんなエクスバーンを馬鹿にするかのように見下ろすパラダイン。
「大魔王が部下を蔑ろにするはずがないだって?
本当にそういうところまでメテオバーンにそっくりだなお前は。
お前みたいな純真な馬鹿は成功しないぞ、エクスバーン」
パラダインのその言葉を受けてムッとした表情になるエクスバーン。
「部下を蔑ろにするなというのは父上の教えだ!
パラダイン様は父上を愚弄するつもりか!」
流石に父親を馬鹿にされて怒っているといったところか。
だが、そんな怒っているエクスバーンを面白そうに見下ろすパラダイン。
「ああ、お前の父親は馬鹿だぞエクスバーン。
メテオバーンは馬鹿だったから魔王になれずに俺が魔王をやっていたんだ。
この世界ではメテオバーンより俺様の方が有名だし人気だろう?
能力的には俺様と互角の力を持っているメテオバーンがなぜ俺様に勝てないか分かるか?
それは、メテオバーンが純真な馬鹿だったからだよ。
エクスバーン、お前のようにな」
そう言い終わると再び高らかに笑いだすパラダイン。
それには流石のエクスバーンも顔を真っ赤にしてプルプルと震えだす。
「お、お、お、お、お前!!!!
父上を馬鹿にしおって!!!!
絶対、許さぬぞ!!!!」
そう言ってエクスバーンは地面に手を置く。
おそらく魔術を発動させる気だろう。
だが、魔術は当然発動しない。
エクスバーンは怒りで忘れていたようだが、ここは魔術封じの部屋である。
「ふん。
魔術封じの部屋で魔術を発動出来ない魔術師など、まだまだ二流だな。
俺様の元の身体であれば、あんな魔装などなくても魔術くらい使えたんだがな。
前の身体が恋しくなってきたな……」
じゃあジュリアの身体を返してくれと思う。
というか、ジュリアの精神はちゃんとあの身体の中にあるのだろうか。
先ほどからずっとジュリアの顔をした何か別の人格の者がずっと喋っているため、見ていて不安になってくる。
すると、パチンと両手の平を叩いて音を鳴らすパラダイン。
「さて、無駄話は終わりだ。
そろそろお前たちには死んでもらうとするか。
エクスバーン。
お前は俺様の部下なのであれば俺様につけ。
つかないのならお前も殺す。
メテオバーンの息子だからといって容赦はせんぞ」
そう言い終わると物凄い眼力で俺達のことを睨む。
視線を向けられて思わず身震いしてしまうほどに強い威圧であった。
その威圧感だけでも流石大魔王と思わされる力強さを感じる。
だが、エクスバーンはその視線に一切怯える様子はない。
「誰がお前なんかの部下になるか!
父上を侮辱しおって!
お前なんて大魔王じゃない!
ただの阿呆じゃ!」
魔術を発動出来なかったエクスバーンは、口でパラダインを攻撃する。
どうやらパラダイン側に寝返る気は無くなったようで一先ず安心だが、状況は悪くなる一方だ。
「パラダイン様……。
私共もお手伝いしましょうか……?」
パラダインの後ろにいるスティッピンは頭を下げながらボソボソと尋ねる。
「いや、よい。
この身体になれるためにも俺様だけで戦おう」
「承知しました……」
パラダインの言葉を聞いたスティッピンはそそくさと後ろに下がる。
そして、ジュリアの身体で準備運動するかのように肩を回しながら骨をポキポキと鳴らしながらこちらを見たパラダイン。
「さて。
少しは俺様を楽しませてくれよ?」
パラダインはそう言うと、空気中に霧散するかのように姿をくらました。




