第百十八話「拘束」
「メェェェ……」
しばらく、サシャの胸で泣いているトラ。
そのトラの頭をサシャは優しく撫でていた。
トラが涙を流しながら泣くところなんて初めて見た。
よっぽど辛かったのだろう。
捕まっている間、一体何があったのだろうか。
俺はトラが泣いているのを見て心配になり、トラの身体に傷はついていないか何度も見回す。
だがトラの身体には特に傷は無かったので俺はひとまず安心する。
「ふむ。
これは魔獣拘束の術式のようだねえ。
それもかなり高位の拘束術式だわさ」
サラは俺達がトラに寄り添っているのを余所に、その足元にある大きな魔法陣が描かれていた羊皮紙を見ながらそう呟いた。
俺もその言葉を聞いて足元の魔法陣を見てみると、サラの祝福の術によって色が落ちてしまった魔法陣がうっすらと紫色に光っているのが見える。
確かに、普段フェラリアの魔法陣解析の授業で見ている魔法陣よりも全然大きく、これくらいの大きさの魔法陣となると、見たことがあるのはメイビスが前に見せてくれた簡易型転移魔法陣くらいのものだろう。
まあでも、トラを拘束するのであればこれくらいの魔法陣が必要というのは納得である。
トラは成体になるとランクSのモンスターだという話だし、何よりまだ子供なのにとんでもない破壊力を持っている。
シュカやラミノラにも劣らない俊敏さと、頑丈な岩の壁を一撃で破壊するだけの破壊力を持つトラを拘束しているというのだから、やはり今回の敵は相当実力があるのかもしれない。
「エレイン。
この剣に見覚えはないかい?」
地面の魔法陣をまじまじと見ていると、横からバリー寮長の声がしたので俺はそちらに振り向く。
そして、バリー寮長が持つその刀剣を見て飛び上がるほどに驚いた。
「不死殺しじゃないですか!!」
言葉通り、バリー寮長が俺に見せてきたのはジュリアに預けていた九十九魔剣の一刀、不死殺しだったのである。
その見間違うことのない琥珀色に輝く刀剣を見て、俺は思わず叫んでしまった。
「やっぱり知ってるかい。
あたしもどこかで見たことがあると思ったんだよ。
もしかしてジュリアの刀剣かい?」
不死殺しを見ながらそう聞いてくるバリー寮長。
俺は、すぐに頷いた。
「はい。
それは、ジュリアに預けていた不死殺しという魔剣です。
どこにあったんですか?」
俺がそう聞くと、バリー寮長は部屋の隅の方を指差す。
指さした方を見ると、壺のような入れ物にいくつか剣や槍などの武器が何本か雑に収納されている。
「あそこに入ってたんだよ。
どうやら敵は、この刀が九十九魔剣であることに気づいていないのかもしれないね」
そのバリー寮長の意見には俺も同意である。
果たしてこの刀が世界に九十九本しかない超貴重な魔剣だと知っていたら、あんな小さな壺に他の剣と混ぜるようにして雑に放り込むだろうか。
普通、不死殺しの価値に気づいていればあんなところに雑に放り込まないし、なんならその希少価値を加味すればこんな部屋に放置せず自分で持っておくところだろう。
それなのに、あんな罅の入った壺に雑に入れているということは、敵は不死殺しが九十九魔剣であることに気づいていない可能性が高い。
これまで出会った剣に精通している者は、皆紫闇刀や不死殺しや烈風刀を見ればすぐに九十九魔剣だと気づいていた。
だが今回の敵は気づかなかったということは、それほど剣には精通していない可能性が高いなと思った。
まあスティッピンは光魔術と闇魔術を専門にしている者だという話だし、その部下もそこまで剣に精通した人間はおらず、もしかしたら敵は魔術師ばかりなのかもしれないな。
「エレイン。
この剣は主のあんたに預けておくよ。
ジュリアを見つけたら、あんたから返しておくんだね」
そう言って、俺に不死殺しを差し出すバリー寮長。
「分かりました」
俺は、差し出された不死殺しを両手で受け取り、自分の腰帯に差す。
それを見てから、バリー寮長はパチンと手を叩いた。
「全員、隊列を組み直しな!
目標は近いよ!
敵の強さは未知数だから、ここからは慎重に行くからね!」
バリー寮長の号令に従って、俺達は隊列を組みなおす。
サシャは、持ってきていたトラ用の食用葉っぱをトラに食べさせてからトラを背負い、俺の後ろに並んだ。
ーーー
部屋を出た俺達は、再び隊列を作って動き始めた。
先頭は当然バリー寮長。
その後ろは救出した黒妖精族七人。
それから、サラ・俺・サシャ・エクスバーン・ラミノラの順番で並んでいる。
黒妖精族達がバリー寮長の後ろを歩くおかげで先頭がやや遠いが、彼らは俺達に救われた恩を今度は自分たちが俺達を守ることで返したいということなので、彼らの熱意に期待して俺は後方を歩くことを甘んじて受け入れている。
俺とサラの位置が最初と比べて逆になったのも、サラの周りに張られた半円形の防御壁ができるだけ多くの者を囲うようにするため、できるだけ隊列の中心を歩きたいということでこういった配置になっている。
一列に並んで狭い通路を歩いていると、それぞれの能力の差が露骨に出るなと思った。
黒妖精族達やエクスバーン、それからサシャなどはドサドサと足元の草花を踏み分ける様に音をたてながら歩くが、先頭のバリー寮長やサラ、それから最後尾のラミノラからは全く足音が聞こえない。
やはり、バリー寮長とサラに関しては元S級冒険者なだけあって、こういった迷宮内での移動に慣れているということだろう。
ラミノラに関してはどこで鍛えたのかは知らないが、戦闘能力も高いし表情が常に無表情であること以外は全くよく出来た侍女である。
そんなことを考えていると、隊列がピタリと動きを止めた。
隊の動きが止まったのを見て前の方を見ると、どうやら通路の出口付近まで辿りついたようだ。
黒妖精族七人が前に詰まっているため、出口の部屋までは見えないが一体なぜそこまで来て止まったのだろうか。
もしや敵か?
止まる隊を見ながら首を傾げていると。
「~~・・~・~~」
バリー寮長は、後ろにいた黒妖精族達に向けて妖精語で何かを言う。
ヒソヒソと小さな声で呟くバリー寮長の声を黒妖精族達は身を寄せて聞く。
そして、聞き終わると黒妖精族達は全員大きく頷いた。
一体何を言ったのだろうか?
俺の疑問を余所に、急に武器を構えだした黒妖精族達。
次の瞬間、黒妖精族達は一斉にバリー寮長の脇から出口の方へと飛び出した。
「え!?」
急に飛び出したので後ろにいた俺達は驚きもので、後ろにいたサシャも思わず声をあげていた。
俺は急いで前にいるバリー寮長の方へ走って向かうと、やはり目の前は出口で、広々とした空間が見えてきた。
「ひえぇ!」
「な、なんだお前たち!」
「だ、黒妖精族!?」
黒妖精族達が一斉に突入した部屋の中からけたたましい悲鳴が鳴り響く。
悲鳴が聞こえた方を見ると、そこにはべネセクト王国の千里鏡で見た左半身が白、右半身が黒の奇抜な恰好をした者が三人ほどいた。
その三人は丸机を囲んで座っているところを黒妖精族達に詰められたようで、椅子に座りながら両手を上げている。
机の上には食べかけのように見える料理がいくつか並んでいた。
どうやら、こいつらは食事中だったようだ。
その机以外にも、部屋の中にはいくつかの丸机と食器棚等が並んでいる。
まるで迷宮の中とは思えないほどの生活感に俺は開いた口が塞がらない。
「くそ、舐めやがって!」
両手をあげていた三人のうちの一人が叫んだ。
そして、その両手を囲んでいる黒妖精族の方へと向ける。
「闇をも照らす光輝の化身!
爛々と輝く光の精霊よ!」
まずい。
黒妖精族に手を向けた男が呪文を唱え始めた。
すぐに止めたいところだが、おそらく黒妖精族達はあの呪文が何を言っているのか分かっていないし、もはや魔術なのかも分かっていないかもしれない。
俺が止めに行くしかないか?
でも、もうここからじゃ間に合わなさそうだ。
俺は紫闇刀を持ちながらも歯噛みしていると。
「大丈夫だよ」
隣でバリー寮長が二ヤリと口角を上げながら俺に言う。
すると、次の瞬間。
「ぎゃあああああああああ!!!」
部屋の中におぞましい悲鳴が鳴り響いた。
反射的にそちらに振り向くと、先ほど呪文を唱えていた男の両腕から血しぶきが上がっていた。
そして、ボタッと空中から落ちた男の両腕。
どうやら、呪文を唱え終わる前に囲っていた黒妖精族の一人が剣で両腕を跳ね飛ばしてしまったようだ。
それを見て、他の二人も声にならない悲鳴をあげながら尻もちをついていた。
「ふん。
勝負あったね。
サシャ!
あいつの腕を止血してやりな!」
「は、はい!」
バリー寮長の指示を聞いて、すぐにサシャは飛び出して治癒魔術をかけにいく。
その間に、黒妖精族達は三人の男を跪かせて拘束したのだった。
ーーー
先ほどまでの叫び声は無くなり、三人は黒妖精族に拘束されながら地面に突っ伏す形で尋問は始まった。
「さて。
時間が無いから手っ取り早くいこうか。
ジュリアはどこにいるか分かるかい?」
バリー寮長は椅子に座って三人を睨むように見下ろしながら強い口調でそう言った。
「ふ、ふん!
お前らなんかに情報を流すわけないだろ!」
「そうだそうだ!」
「俺達は、死んでもスティッピン様を裏切らないぞ!」
三人はバリー寮長に対して反抗的な目で見上げながら叫んだ。
これは簡単に行きそうにないな。
「はあ……。
あんまり手荒な真似はしたくないけど、時間がないからしょうがないねえ」
三人の強情な様子を見てため息をつくバリー寮長。
そして、三人の後ろで拘束している黒妖精族の方を向いた。
「・・・~・~~」
なにやら黒妖精族に妖精語で何かを伝えるバリー寮長。
後ろにいた黒妖精族はバリー寮長の言葉に頷くと、腰の剣を抜いて振り上げた。
「ぐあああああああああ!!!」
三人のうちの端にいた男の絶叫音だった。
どうやら、黒妖精族に右足を斬られた様子。
ドロドロと赤い血が流れている。
「どうした?
痛いかい?
ジュリアがどこにいるか言わないと、どんどんお前たちの足が取れるよ」
バリー寮長は椅子の上で足を組みながら、三人に圧をかける。
その言葉を聞いて三人とも顔が青ざめた様子。
「お、お前!
大学にいた寮長のババアだろ!
俺達にこんなことしていいのか!?」
「そうだそうだ!
俺達はイスナール国際軍事大学の学生だぞ!」
足を斬られていない方の二人が額に大粒の汗を垂らしながら、バリー寮長を非難するように叫ぶ。
すると、俺の後ろにいたサラがバリー寮長の隣まで近づいた。
そして、三人を見下ろすサラ。
「アート・テイラー。
ウェイン・ショーター。
スコット・ハミルトン。
お前たちは確かにうちの学生だったね」
俺はそれを聞いて驚いた。
まさか、サラが三人の名前を言い当てるとは。
大学には何千人と学生がいるのに、その一人一人の名前を覚えているというのだろうか。
拘束されている三人もそれには驚いて大きく目を見開いた様子。
そして、サラを見上げながら大きく口を開いた。
「大学長!
来てらっしゃったんですね!」
「サラ大学長!
お願いです!
俺達を助けてください!」
「大学長!
この寮長のババアに暴力を振るわれます!
止めてください!」
調子の良いやつらだ。
自分たちはジュリア誘拐に加担しているくせに、暴力を振るわれると被害者ぶっている。
挙句の果てには、大学長を見れば「助けてください」ときたもんだ。
流石にその態度にはイラッとくるものがあるな。
「フォッフォッフォッ」
すると、その三人の声を聞いてサラは笑った。
「何がおかしいんですか!?」
サラの笑い声を聞いてムッとした様子の真ん中で拘束されている男が、サラを睨むようにして叫ぶと。
今度は、サラの方が男を睨み返した。
「何がおかしいかと言われれば、それはあんた達が未だに自分をイスナール国際軍事大学の生徒だと思っていることだわさ」
サラは低い声でポツリとそう言った。
それを聞いて、静まり返る三人。
その静まった空気の中、サラは言葉を続ける。
「あんた達は忘れているかもしれないけどねえ。
大学の規則に、犯罪行為は禁止と明記されているんだよ。
そして、もし犯罪行為をしたら除名処分になるんだわさ。
だから、ジュリアを誘拐したあんた達は犯罪行為をしたわけだから、もう学生ではないんだわさねえ」
そういえば、俺も大学に入学したときにそんなことをフェラリアから説明された気がする。
確かに、その規則に従えばこいつらはもう学生ではないだろう。
「で、でも!
学生じゃないからといって、人に暴力をすることが許されるとでも思っているんですか!?」
真ん中で拘束された男が今度はサラを睨みながら叫ぶ。
「逆に誰が許さないんかねぇ?
お前たちは犯罪者なんだから暴力を振るっても誰も何も言わないよ。
もしジュリアの居場所を言わないのなら、殺しても構わないと思ってるわさ」
サラはその真ん中の男を真っすぐに見ながら、冷たい声で淡々と鋭い言葉を放つ。
それを聞いて、三人は顔を青くして無言になった。




