第十一話「フェロの誓い」
私の名前はフェロ。
ただのフェロ。
三歳だ。
そして、私は奴隷だった。
物心ついたときには、牢屋の中にいた。
暗くて汚い牢屋の中は、獣人族の子供であふれていた。
「一部の人族は獣人族をペットとして見ているから、獣人族のガキは高く売れるんだ。
大人の獣人族より子供の獣人族のほうが小さくて可愛いんだとさ」
と、奴隷商人は自慢げに話していた。
なぜ獣人族が高く売れるのかは分からない。
だが、自分は商品であり、これから人族に売られるのだ、ということは理解した。
ある日、ジムハルト・アレキサンダーという、どこかの国の王子に買われた。
私が猫人にしては珍しい黒髪であったから、気に入ったらしい。
私は、この肥満気味で気持ちの悪い笑みを浮かべる王子に買われたのが嫌いだったが、奴隷なので何も言えない。
買われたときは魔術を使った奴隷契約を結ばされた。
「フェロ、私が合図したら『私はジムハルト・アレキサンダー様に絶対服従することを誓います』と言いなさい」
と、奴隷商人に右手を向けながら言われた。
そして、奴隷商人は呪文を唱え始める。
「誓約を守りし主。
誓いを聞きとげ、約束を守る、契約の神よ。
絶対的な約束を。
裏切りには死を。
かの者の誓いを聞き、かの者の誓約を守れ。
絶対誓約」
唱え終わると、私に目で合図をする。
ここで逆らうと殴られることは、知っている。
「わ、私は、ジムハルト・アレキサンダー様に、ぜ、絶対服従することを、ち、誓います、にゃん」
私がおどおどしながら言い終わると、ジムハルトは満足げな表情でこちらを見下ろしていた。
私はこの日、この肥満気味の王子の命令に一生逆らうことができなくなったのだった。
ーーー
大きな馬車に乗せられて着いた場所は、立派なお城の前だった。
私は、今まで牢屋しか見たことがなかったので、私の何倍も大きなお城を目の前にして気絶しそうになった。
ジムハルトに手を引かれて城の中に連れて行かれ、階段をたくさん登った。
どうやらジムハルトの部屋はこのお城の最上階である五階にあるらしく、たくさん登らねばならないらしい。
部屋にたどり着くと、気の強そうなおばさんが待っていた。
そして、おばさんは私のことを思いっきり睨みつけてきた。
「こいつが先ほど聞いた奴隷ですか。
獣人族なんて臭いだけなのに、まったく」
そう言うと、私を見て鼻をつまむジェスチャーをする。
なんだか嫌な感じだが、私は奴隷なので仕方ないだろう。
「母上も奴隷を買うことを許可してくれたじゃないか!」
「奴隷と言っても獣人族を買うことはないでしょう!
こんな獣くさいの、部屋にいるだけで臭いがついて回りますわ!」
「でも、獣人族を奴隷にするのは流行ってるんだよ!」
「だからといって、こんな臭い物を買ってくるなんて……」
このおばさんは、ジムハルトの母親だったらしい。
私を買ったせいで、親子喧嘩をしているようだ。
私はどうしたらいいか分からずに、そこに立っていることしかできなかった。
立派なお城を見たときは、もしかしたら良い人に買われたのかもしれないと思った。
でも、ジムハルトの母親を見て考えが一変。
この先が心配である。
ーーー
お城での生活は牢屋での生活よりは良かった。
まず、視界が明るい。
お城の中はどこでも日が差していて、明るいのだ。
私がいた牢屋は、薄暗い地下にあった。
そこで生活していた私にとってはこの明るさはとても心地よかった。
それに、食事を一日三回も食べられる。
奴隷である私には最低限の料理しか食べさせていないと言っていた。
それでも、毎日味のしないスープを食べていた私にとっては、豪華な料理だった。
ただ、嫌なのはペット扱いをしてくるところだ。
私の食事の料理皿は全て床に置かれる。
私が手づかみで料理を食べているのを見て、ジムハルトはテーブルで食事をしながら笑っていた。
その笑い顔がただただ嫌だった。
それに、お城のトイレを使用する権利が私にはない。
したくなったら部屋に用意されている桶にして、捨てに行かなければならない。
部屋で排泄していると、ジムハルトはそれもまたニヤニヤと見てくる。
母親のディージャは「本当に臭いわね」と睨んでくる。
それが、ただただ嫌だった。
ディージャは、何かあるたびに私を怒鳴る。
私がジムハルトのことを呼んだら、「様をつけなさい!」とぶたれたり。
私の起きる時間がジムハルトより遅いと、「早く起きなさい!」とぶたれたり。
私のおしっこが桶から外れて床につくと、「床を汚すな!」とぶたれたり。
様々な理由でぶたれるのだった。
牢屋にいたときは私は商品だったので殴らることはなかった。
そのため、私は痛みに耐性がない。
痛くていつも泣いていたが、ジムハルトは知らんぷり。
ジムハルトはジムハルトで何かあるたびに命令してきて、反応に遅れると誓いの魔術のせいで頭が痛くなる。
それに、大浴場で私の裸をニヤニヤとしながら触ってくるジムハルトは気持ちが悪かった。
私を助ける人はいないと悟った。
結局、お城での生活は綺麗な部屋でご飯が食べられるようになっただけで、牢屋と変わらない奴隷生活だった。
むしろ痛いことが多くて、牢屋にいるときよりも辛いかった。
そんなお城での生活が一年たとうとしていたある日。
いつものようにジムハルトにつれられて大浴場に入り、ニヤニヤしたジムハルトに気持ちの悪い手つきで体をまさぐられているのを我慢していたら、大浴場に知らない人が入浴してきた。
いつもなら、ジムハルトが入浴しているときは私と二人の使用人以外はだれも入ってこないのだが、一体誰だろうか。
私は大浴場の対面に入ってきた二人をチラリと見た。
片方はピンク色の髪の綺麗な女性。
そして、もう片方は私と同い年くらいの金髪の少年だった。
私をなでるジムハルトの手は止まった。
そして、ジムハルトは少年に嫌味を言い始めた。
どうやら、この少年はジムハルトの弟らしい。
弟なのになぜ嫌味を言うのだろうか、とは思ったが王族なら色々あるのだろう。
しかし、そのあとのエレインという少年の返しがすごかった。
まだ私と歳も同じくらいだというのに、エレインはまるで大人が話しているかのような敬語でペラペラと受け答えをし、ジムハルトの子供じみた嫌味を一蹴したのだ。
これには、私も使用人達も驚き、ジムハルトはばつが悪そうに私を引っ張って浴場を出た。
世の中には、私と同じ年齢くらいでも賢い人がいるんだなあ、と思った。
その後、そのとき会ったエレインの誕生日パーティーが開催されることを知った。
部屋では、ディージャがジムハルトに何度も大事なパーティーだから馬鹿な真似はしないように、と注意をしていた。
使用人たちも何やらピリピリしている。
なにやら、偉い人がたくさんくるパーティーだから失敗してはならない、とか言っていたが難しいことは分からない。
私は、ディージャの機嫌が悪くなるとぶたれやすくなるから、勘弁してほしいなと思っていた。
そして、パーティー当日。
なぜか、私もそのパーティーに参加することになった。
ジムハルトが、私という珍しい奴隷を自慢したいのだとか。
私なんかが自慢になるのかは分からないが、美味しい料理を食べられるという話を聞いて少し楽しみだった。
私はジムハルトにつれられてパーティー会場に行く。
聞いていた通り、たくさんの美味しそうな料理とたくさんの煌びやかな恰好をした人が集まっていた。
パーティーだからということで、奴隷の私にもドレスのようなものを着せられてはいたが、やや肩身は狭い。
「フェロ、お前その辺で料理でも食べていろ」
そう言って、ジムハルトはふらっとどこかへ行ってしまった。
私は、まさか置いていかれることはないだろう、と思って心置きなくテーブルに乗っている美味しい料理を食べていた。
すると、ジムハルトが歩いていった会場中央の方で、なにやらどよめきが起きていた。
ざわざわと人が集まる中、タタタと小走りに去る二人の人影が見えた。
ディージャとジムハルトだった。
二人は何かから逃げるかのように小走りで会場を出て行ってしまった。
それを追うように使用人たちもどこかへ行ってしまった。
なにがあったのだろう。
まあ、そのうち帰ってくるだろう、と思って私は会場の料理を食べていた。
それから二時間ほどたった。
人の数も半分ほどに減っていた。
しかし、ディージャとジムハルトは帰ってこない。
私はそこでようやく気づいた。
置いていかれたのだと。
私は焦った。
このお城は広いから帰り方なんて分からない。
だれかに道案内してもらいたい。
でも、周りを見ても知り合いなど一人もいない。
「「はあ……」」
手詰まりな状況にため息をつくと、隣からも同じようなため息が聞こえる。
ぎょっとしながら隣をみると、見たことがある金髪の少年。
エレインだった。
エレインと目が合うと、エレインは私のことを覚えていたらしく話しかけてくれた。
でも、私は怖かった。
エレインはジムハルトの弟だからだ。
何をされるか分からない。
すると、エレインは私の考えを察したのか、ニコリと笑う。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。
黒い髪の獣人族なんて珍しい。
素敵な髪だね!
名前を聞いてもいいかな?」
私は驚いた。
今まで私の髪を素敵だと言ってくれた人はいなかった。
奴隷商人は私の髪を褒めてくれてはいたが、商売道具としてだ。
ジムハルトも私の髪を自慢すると言っていたが、それは珍しいからだ。
でもエレインは違った。
まっすぐにこちらを見て「素敵」と褒めてくれた。
こんなかっこいい王子様に。
初めて「素敵」と言われて私は顔が熱くなった。
たぶん、真っ赤な顔をしていたと思う。
嬉しいし恥ずかしかったのだ。
そして、エレインに助けを求めてみた。
この人なら助けてくれるかもしれない。
信頼できるかもしれない。
そう思ったのだ。
そしたら。
「俺がジムハルトお兄様のところまで送ってあげようか?」
と言ってきたのだ。
衝撃的だった。
エレインは私のことを助けようとしてくれている。
私を助けてくれる人なんて、この世界にいるのかと驚いた。
そして、エレインは近くのメイドを呼んで一緒に案内してくれた。
私は、このかっこよくて素敵な王子様に、手をつないで案内してもらった。
私の顔は真っ赤になっていたと思う。
ーーー
エレインの案内のおかげでジムハルトの部屋に戻ってこられた。
でも、なんだかディージャの怒鳴り声が聞こえる。
どうやら、ジムハルトに怒っているらしい。
機嫌が悪いディージャは私のことをすぐにぶつから、とても怖かった。
体の震えが止まらない。
でも隣にはエレインが手を握ってくれている。
そのおかげで、ここに立っていられるような気がする。
部屋に入るとディージャに睨まれた。
予想通りだったが、怖くて直視できない。
すると、ディージャは私に罰を与えると言い始めた。
なんで、私が罰を受けなければならないのか全然分からなかった。
ジムハルトに置いてけぼりにされたところをエレインのおかげでなんとか帰ってこれたのに、なぜ罰を受けなければならないのは意味が分からない。
でも、私に口ごたえをすることは許されない。
なぜなら奴隷だからだ。
もし口ごたえをしようものなら、ぶたれるだろう。
命令をされて、誓いの魔術のせいで頭が痛くなるかもしれない。
私は静かに震えながら佇んでいた。
やっぱり、私は奴隷なんだな、と思ってあきらめかけていたとき。
目の前にいた王子様が口を開いた。
「お言葉ですが、ディージャさん。
フェロは何も悪いことはしておりません。
ジムハルトお兄様を会場で待っていたところを、私がお節介にもここに送り届けたまででして。
フェロに罰を与えるのは筋違いかと思いますが」
私は驚いた。
あれだけ私を睨んだりぶったりしてきたディージャに、エレインが反抗してくれたのだ。
私の言いたいことを代わりに言ってくれたのだ。
私はこのとき泣きそうだった。
私を守ってくれる人なんていままでいなかったからだ。
私の代わりに反抗してくれたのが、ただただ嬉しかった。
でも、結果的にディージャにバッサリと言いくるめられてしまった。
なぜなら、私はジムハルトの奴隷だからだ。
私を好き勝手出来る権利がジムハルトにはあるのだ。
エレインは去り際に「すまん」と言ってくれた。
エレインが謝らなくてもいいのに、と思った。
私は、エレインが私を本気で助けようとしてくれただけでも心が救われたのだから。
それでも、エレインが去ってからは孤独だった。
ディージャにはたくさんぶたれて、ジムハルトには首輪に鎖までつけられた。
それからは、毎日エレインのことを思い出しながら泣いていた。
ーーー
その一週間後、ジムハルトは鎖を引っ張るようにして私をつれて風呂に入った。
そして、風呂から出たときである。
脱衣所の扉を開けると、偶然にもエレインと出くわしたのだ。
私は、とても嬉しかった。
私を助けようとしてくれたエレインにまた会えたからだ。
あれからずっと、エレインのことを考えていた。
でも、ふとあることに気づいた。
私の首には鎖が繋がれている。
そのことが、急に恥ずかしくなったのだ。
エレインに鎖を見られるのが恥ずかしい。
エレインに鎖で引っ張られるところを見られたくない。
でも、私にはどうすることもできない。
ただ、涙するしかなかった。
すると、エレインは私に怒鳴った。
急に怒鳴られたからすごいびっくりした。
「お前はそのままでいいのか!
こんな男の奴隷にされて、首に鎖までつけられて!」
私は気づいた。
少年は私に怒っているのではない。
私に鎖をつけたジムハルトに怒っているのだと。
私のために怒ってくれているのだ、と気づいた。
鎖は嫌だ。
でもそれを言ったら、ジムハルトに無理な命令をされるかもしれない。
そしたら、また誓いの魔術のせいで頭が痛くなってしまう。
私は何と返したらいいか分からなかった。
「お前が、奴隷のままで、酷い扱いを受けるままで良いと言うのだったら俺は何も言わない。
だがもし、お前がこのままでは嫌だ、奴隷を辞めたいと言うのであれば、俺はお前を助ける覚悟がある!」
私はこれを聞いた瞬間、涙が出た。
私を助けると言ってくれたからだ。
奴隷から抜け出す可能性を見せてくれたからだ。
私はエレインについていこうと思った。
ジムハルトより、エレインの方が信頼できる。
それに、私はエレインが好きだ。
エレインと一緒にいたい。
「助けて…ほしい…にゃん」
私はジムハルトの命令を恐れながらも、震え声で助けを求めた。
するとジムハルトは怒って、すぐに命令で取り消しを要求してきた。
私に逆らえるはずもない。
「ごめんなさいにゃん……。
今言ったことは忘れてほしいにゃん」
頭痛をこらえながら、涙目で発言を訂正した。
私はもう駄目だ、と思った。
せっかくエレインが助けてくれようとしていたのに。
この忌まわしい魔術のせいで、それも無くなってしまう。
私は無力感に、ただ泣くことしかできなかった。
しかし、エレインは再度怒鳴った。
「ジムハルト!!」
今度は私ではなくジムハルトに対してだった。
エレインの表情は、殺気のようなもが放たれているように思えるくらい怒りがにじみでている。
それには、私もジムハルトもたじろぐ。
「俺と、決闘しろ!」
私は最初、なぜエレインがジムハルトと決闘をしたいのか理解できなかった。
しかし、そのあとの会話を聞いて驚いた。
エレインは私を助けるために、自分の王位継承権を賭けて戦うという。
私はもうエレインが分からなかった。
なぜ、そこまでして私を助けてくれるのか。
私に王位を賭けてまで助ける魅力はない。
ただの奴隷だ。
それでも、私は嬉しかった。
私を救ってくれる人がいる。
その事実が、ただただ嬉しかった。
そして、そんなエレインを好きになっていた。
ーーー
決闘は、庭園で行われた。
ジムハルトは遠目にも目立つきらびやかな鎧と剣を装備している。
対するエレインは、防具はなく一本の細長い剣のみ。
そして、一回りも二回りも違う体格差。
こんなの勝てっこない、と私は思った。
私のせいでエレインが死んでしまったらどうしよう、と思った。
心配しながらエレインを見ていた。
しかし、結果は予想と違った。
エレインはジャリーの合図と同時に走り出し、ジムハルトの火を出す魔術を避けて、そのままジムハルトの首に剣を振ったのだ。
私はそんなエレインに目を奪われた。
私と同い年くらいの少年が、あの重装備のジムハルトに一撃をいれたのだ。
結果的にはジャリーに止められはしたものの、エレインがジムハルトに勝ったのである。
ジムハルトは真っ白な顔をして逃げて行った。
私は、エレインが私の代わりにジムハルトをこらしめてくれた、と思った。
これで私は本当にエレインに救われたのだ。
でも、私はこれからどうすればいいのだろうか。
ふと、そんなことを思った。
ジムハルトの奴隷を辞めたら、私に居場所はないのではないだろうか、と思った。
急に不安になってきた私。
でも、こちらに近寄るエレインを見ると、そんなことは考えられなくなる。
エレインの顔を見ると、顔が熱くなってくる。
「フェロ!
今日から俺のところにこい!
ジムハルトの奴隷なんてやめろ!」
エレインは私にそう言ってくれた。
「俺のところにこい」という言葉の意味はすぐに理解した。
私に新しい居場所が出来たのだ。
私を助けてくれる人はここにいる。
嬉しかった。
エレインには感謝してもしきれない。
私は泣きながらエレインの胸元に抱き着いた。
「これからよろしくな、フェロ!」
と泣きなじゃくる私に明るく声をかけてくれたエレイン。
私は誓った。
今度は私がエレインを助けようと。
エレインを助けることができる人になろうと。
そして願わくば、エレインと一生一緒にいたい。
そう思ったのだった。