第百十七話「隠し扉」
「え、エレイン様。
絶対に手を離さないでくださいね……」
後ろで、震えた声を出しながら俺の手を握るサシャ。
サシャがこんなに怯えているのには今の状況が関係している。
俺達は蜘蛛の巣から上の層へと繋がる吹き抜けに張られた、蜘蛛の糸で出来た空中の道を歩いていた。
道といってもところどころに穴が開いているし、人一人しか通れないほどの幅しかない細い不安定な道である。
下を見れば地面がかなり遠く、落ちれば軽い怪我では済まされないレベルの高さ。
いつも明るい元気なサシャも、流石に顔が真っ青になっている。
とはいえ、俺もサシャほど怯えているわけはないが、怖くないというわけではない。
下手をすれば落下死してしまうリスクがあるのは怖いことだが、迷宮であればこういった道もあるよなということで割り切っている。
生前は迷宮の落とし穴に引っかかって死にかけたこともあるし、迷宮とはそういうものだと思って覚悟を決めてきているのだ。
もちろん、迷宮に初めて入ったサシャがそんなことを知るはずもない。
だから俺は、迷宮攻略の先輩として、サシャの手を引いてあげているのである。
「まだかー、ラミノラー」
サシャの後ろからそんな気の抜けた声が聞こえてくる。
後ろに目を向けると、ラミノラにおんぶしてもらっているエクスバーンがいた。
エクスバーンは、上の層へ行くために蜘蛛の糸を登ることが決まったとき、ラミノラに向かって「ラミノラ、おんぶ」と言って自分を背負うことを要求していた。
ラミノラもラミノラで、当然のようにエクスバーンを背中に乗せて感情の見えない無表情を浮かべながら蜘蛛の糸で出来た道を歩くのだった。
こんな険しい道中でも使用人におんぶさせて自分で歩かないとは良いご身分ではあるが、一度蜘蛛の巣から脱出するために走って息切れを起こしていたエクスバーンは意外と体力がないことが分かったし、そもそもエクスバーンの魔術が無ければ蜘蛛を全匹捕縛してここを通ることすらできなかったので、そういう意味では当然の待遇なのかもしれない。
「出口が見えたよ!
あともう少しだけど油断せず、落ちないように慎重に登って来な!」
エクスバーンの声に反応して上からそんな声が聞こえてきた。
上を見れば、俺達が歩く一段上の道を歩くバリー寮長が下にいる俺達を覗き込みながら叫んでいた。
バリー寮長の後ろには、サラと救出した黒妖精族が七人もいる。
黒妖精族達は、救出したあとバリー寮長と話し合いをした結果、俺達と迷宮内で行動を共にすることとなった。
俺達に命を救われた黒妖精族達は、今度は自分達が救う番だと言って先頭に立とうとしていたらしいが、流石に迷宮攻略に慣れている元S級冒険者であるバリー寮長が先頭に立った方が良いだろうということになり、黒妖精族達は二番手としてバリー寮長の後ろを武器を構えながら歩いているのだった。
黒妖精族は攻撃性があり戦力になるので、行動を共にしてくれるのはありがたいことである。
それにしても、バリー寮長やサラは元S級冒険者なだけあってか、こんな足場が不安定な場所でも足取りが軽やかである。
サラなんて見た目は小柄なおばあさんだというのに、これだけ運動しても全く疲れている様子がない。
例の祝福の力のおかげなのかも分からないが、それを踏まえても凄いと思う。
祝福といえば、移動を始める前に再びサラに祝福を掛けてもらった。
そのため、黒妖精族含め、全員がうっすらと身体の周りに光のオーラを纏っているし、サラの周りには半円形の光の壁が常に浮いている。
蜘蛛の巣で蜘蛛達と対峙したときに思ったが、あのサラの祝福とかいう術は強すぎる。
女王蜘蛛の強力な一撃を簡単に防いでいたし、子蜘蛛の大軍による一斉攻撃も何度も割られはしたものの、そのたびに呪文を唱えなおして壁を張りなおすことで持ちこたえていた。
あの物量攻撃を防げるのであれば、どんな攻撃だって防げるのではないだろうかと思わせられるほどの防御力に俺は圧倒されたのである。
やはり、この世界ではイスナールという太古に存在した神の力が圧倒的なようだな。
イスナールの神器しかり、サラの祝福しかり、イスナールが関連した力は物凄いものばかりだ。
当のイスナール本人は、あの太古の大魔王パラダイン・ディマスタを封印したという話であるが、どれほどの力を持っていたのか気になるところだな。
俺は歩きながらふとそんなことを考えていると。
「エレイン様!
そこ、危ないですよ!」
急に後ろにいたサシャが叫ぶ。
俺はその言葉に反応して動きを止めると、丁度足をつこうとしていたところに穴が空いていた。
俺は慌てて、穴が空いていないところに足を着地させる。
穴が空いているところに足を踏み入れていたら、きっとバランスを崩して落下していたことだろう。
背中に冷や汗を溜めながら、なんとか着地出来たことに安心して一息つく。
「すまん、サシャ。
考え事をしてた」
俺がそう言うと、サシャは真っ青な顔で口を開く。
「もう、驚かせないでください、エレイン様。
よくこんな危険な状況で考え事なんてできますね……」
と、半ば呆れ気味に言うサシャ。
それもそうだ。
落ちたら死ぬかもしれない状況。
よくこんな状況で別のことを考えられたものだな俺は。
サシャに言われて、俺は少し反省した。
そして、気を引き締め治して慎重に上の層を目指す。
ーーー
「やっと着きましたね!」
蜘蛛の糸の道を登り切ったことで、ようやく緊張から解放されたといった様子で嬉しそうにニコリと笑うサシャ。
どうやら、俺達は巨大樹迷宮の第三層に辿りついたようである。
そして、おそらくここが迷宮の最高層だと思われる。
なぜ最高層だと分かったかというと、空が見えたからだ。
今までは、天井も含めて全てが木で囲まれた密閉空間だったのだが、第三層は天井が吹き抜けになっているようだ。
上を見上げれば、暗い夜の空の中に見える満天の星々が輝いているのが見える。
「ここが最高層みたいだねえ。
意外と短い迷宮だったね」
俺が空を見上げるのを見て、バリー寮長も空の星々を見上げながらポツリと呟いた。
「意外と短い」というバリー寮長の意見には俺も同意である。
生前、俺は何度も迷宮を攻略したことがあるが、第三層で終わりなんていう迷宮に潜ったことは一度もない。
大抵十層くらいまである迷宮がほとんどで、短くとも最低五層くらいはあったのではないだろうか。
そんな中、第三層で終わりという迷宮は短いと言えるだろう。
とはいえ、俺はこの巨大樹迷宮のように、上に登っていくタイプの迷宮を攻略するのは初めてである。
大抵の迷宮は地下に潜っていくタイプなので、このような上に登る迷宮は珍しいものであるし、上に登っていくタイプの迷宮の普通が分からないのでなんともいえない。
それに、蜘蛛の巣から吹き抜けに向かって登る蜘蛛の糸で出来た道はかなり長かった。
一層から二層に登ったときの木の階段の何倍もの距離を登った気がするので、もしかしたら本当は途中の層をショートカットしたという可能性もある。
そう考えると、蜘蛛の巣を諦めずに攻略をしたのは正解だったのかもしれない。
と、俺はポジティブに考えることにした。
さて、周りを見渡すと、やはり今までの層と同じく木の壁で囲まれた空間で、地面には草花が生い茂っている。
最高層とはいえ、特段今までの層と変わった点は無いようだ。
奥に二つほど通路があるので、そのどちらかを進むべきだろう。
周りを見渡しながらそう考えていると、ようやく蜘蛛の糸で出来た道を登り終わったエクスバーンとエクスバーンを背負ったラミノラが後ろからやってきた。
「む。
何かそこにいるのう」
登ってくるや否や、ラミノラに背負われたエクスバーンがラミノラの肩越しに指を差す。
エクスバーンの指が指し示したのは、奥にある通路ではなく左手に見える何もない木の壁だった。
「先輩。
そこは壁しか無いですけど……」
俺は見たままにそう伝えた。
左手には木の壁があるだけで、通路や扉があるわけでもない。
何の変哲もない木の壁である。
「いや、待ちな」
俺の言葉を遮るように、左手の壁をジッと見つめながらバリー寮長が口を開いた。
「確かに、そこの壁、ちょっとおかしいね。
サラ。
障害崩しの祝福を使えるかい?」
「はいよ」
バリー寮長がサラに声をかけると、サラはすぐに返事をしながら持っていた本を開く。
そして、サラは左手の壁に近づいて呪文を唱えだした。
「我らがポルデクク大陸の神、イスナール様。
どうか我らに祝福を与え、目の前の障害を破壊する力を授けてください」
サラがそう呪文を唱えると。
サラの本は光だし、その光はサラの身体へと伝播する。
そして、サラは壁に向かって右手を前に向ける。
すると、右手から煙が放出されるかのようにして光が段々と壁の方に集まっていく。
壁にどんどん光が集まり、壁全体が祝福による光で満たされたとき。
パリンッ!
急に、何かが割れた様な音がした。
その音に反応して左手の壁を見てみると。
そこには、木の壁の中心に大きな木製の扉が現れていたのである。
「扉!?」
急に現れた扉を見て俺が驚いた声をあげていると、バリー寮長は鼻を鳴らす。
「幻惑魔術だね。
迷宮に元からある隠し扉かもしれないけど、あたしは十中八九あの白黒のやつらのがかけた幻惑魔術だと予想するね。
今まで幻惑魔術で隠された迷宮の隠し扉なんて見たことがないからねえ」
バリー寮長の意見に俺も同意である。
迷宮にはよく隠し扉があるが、基本的に迷宮に点在する隠し扉は物理的に隠されている。
それは、回転扉だったり、見つかりにくいところにあったり、物を前に置いて隠されていたり。
このように、幻惑魔術で隠された隠し扉なんて迷宮では見たことがない。
すると、バリー寮長は扉に近づく。
それから、引き戸の金具に手をかける。
「あんた達。
あたしが開けるから、武器を構えな」
そう言ってから、バリー寮長はゆっくりと扉を開ける。
俺も紫闇刀を構えながら、扉の近くに寄る。
扉が開くと、中には広々とした空間が広がっていた。
そして、中を覗いてみると驚くものが目に入った。
「トラ!!!!」
叫んだのは、サシャだった。
そう。
中には、白と黒の見覚えのある小動物が一匹。
パンダのトラが倒れていたのである。
何やら、部屋の中は紫色に光る魔法陣が敷かれていて、その中心でトラがうつ伏せになって倒れている。
サシャは、トラを見つけて反射的に走り寄ろうとする。
しかし、そのサシャの走りを妨害するかのようにバリー寮長が手を横にあげて止めた。
「待ちな!」
バリー寮長に止められて、サシャはムッとする。
「なんでですか!
すぐそこにトラが倒れてるんですよ!?
あれは、ジュリアの召喚獣で、私達の仲間なんですよ!?」
サシャは、トラを見つけただけでも感極まってしまった様子。
目に涙を浮かべながらそう泣き叫ぶと。
「ああ、分かってるよ。
でも、あの魔法陣が危険かもしれない。
先にサラを行かせた方が良い。
サラ、またお願いできるかい?」
「はいよ」
バリー寮長がサラにそう言うと、短く返事をしたサラ。
扉の近くにいる俺や黒妖精族達、それからバリー寮長とサシャを押しのけ、部屋の中にサラが一番に入る。
「我らがポルデクク大陸の神、イスナール様。
どうか我らに祝福を与え、目の前の障害を破壊する力を授けてください」
サラは部屋に入ると、左手を魔法陣に向けながら再び壁の幻惑魔術を破ったときと同じ呪文を唱える。
本が光り、サラも光り、左手から煙のように光が放出される。
その光は今度は魔法陣に集まりだした。
光は段々と魔法陣に吸収されていき、紫色に光る魔法陣は段々とその色を薄めていく。
そして最終的に、紫色に光っていた魔法陣は無色へと変貌をとげ、トラの下に敷かれた大きな羊皮紙は何も描かれていないただの紙に化してしまった。
それを見て、サラは扉の前にいるこちらを振り返る。
「魔法陣の無効化、完了したわさ」
その言葉を聞いた瞬間、サシャを止めていたバリー寮長の左腕を潜り抜け、トラに向かって一直線に走り出すサシャ。
「トラ!!!」
サシャはそう叫びながら、うつ伏せに倒れていたトラを抱きかかえる。
俺もサシャの方に走り寄ってトラを見てみると、トラは目をつむっていた。
「トラ!
起きて、トラ!」
目をつむっているトラに向かって、サシャは何度も呼びかける。
すると、次の瞬間。
パチリとトラの目が開いた。
サシャと目が合ったトラはやや戸惑った様子。
周りをキョロキョロと見渡し、俺とも目が合う。
そして、状況をなんとなく理解したようだ。
「メエェ……」
トラは涙を浮かべながら、サシャに抱き着いて泣いたのだった。




