第百十六話「蜘蛛掃除」
「エレイン様!
まずは私が攻撃します!」
天井に張りつく女王蜘蛛に向かって投げ飛ばされている最中。
俺を背負うサシャが、右手だけで烈風刀を構えながら叫ぶ。
「ああ、頼む!」
俺は、前方の女王蜘蛛を真っすぐ見ながらサシャに返事をした。
女王蜘蛛は、俺達が飛んでくるのをジッと八つの赤い目で見つめている。
てっきり、俺達が急速に近づくのを見て一旦逃げたりするのかと思っていたが、そのまま天井に留まるとは予想外である。
だが、それはこちらにとっては好都合。
逃げないのであれば、サシャの烈風刀で攻撃をしつつ、隙を見て女王蜘蛛背中に刺さる紫闇刀を抜くだけだ。
そう考えた俺達は、勢いよく天井に張りつく女王蜘蛛に向かって一直線に飛ぶ。
しかし、あともう少しで女王蜘蛛のところに辿りつくといったとき。
女王蜘蛛は動いた。
天井に張り付きながら、口を膨らます女王蜘蛛。
このモーションは二度ほど見ているので、俺はすぐに察知した。
女王蜘蛛は、俺達に向かって蜘蛛の糸を吐く気だ。
空中で無防備の中蜘蛛の糸を吐かれたら、俺達に身を守る術はない。
ここは、攻撃される前に先手を打たなければ。
「サシャ!
早く今攻撃しろ!」
俺は、女王蜘蛛に先手を打つためにサシャに強めの口調で指示を出す。
「は、はい!」
サシャは俺の指示に従って、女王蜘蛛に向かって急いで烈風刀を振るった。
すると、烈風刀を振るった方向に大きな突風が生まれる。
その突風は天井に張りつく女王蜘蛛へと一直線に進み、丁度蜘蛛の糸を吐こうとしていた女王蜘蛛の真正面に直撃した。
蜘蛛の糸を吐こうとしていた女王蜘蛛であったが、突風の勢いで糸を吐けなかったようだ。
そして、巨体の女王蜘蛛自身もジリジリと後ろに押し出されていた。
なんとか突風に耐えるように天井に張り付いていた女王蜘蛛。
しかし、その限界が来た様子。
大きな細長い脚を折り曲げ、地上へと逃げる体制を取る女王蜘蛛。
まずい、逃げられる。
バリー寮長の投擲によって不意打ちをとって紫闇刀を回収する作戦だったのに、逃げられてしまったら体制を整えられて取り返せなくなってしまう。
そうなればおしまいだ。
女王蜘蛛のモーションを見てそんな不安が過ぎる。
そして、その不安は的中して、女王蜘蛛が今にも地上へと飛び移ろうと脚を延ばしてジャンプしようとしたとき。
シャアアアアアアアアァァァァァァ!!!!
突然、女王蜘蛛が悲鳴を上げて天井に突っ伏す。
……?
何が起きた?
急な女王蜘蛛の突飛な動きに戸惑いながらも、じっくりとサシャの背中越しに観察していると。
女王蜘蛛の脚の先端にキラリと光るものが見えた。
そして、よく見れば、女王蜘蛛の八つの脚の先端全てにそのキラリと光る何かが刺さっているのだった。
「よくやったぞ、ラミノラ」
すると、後ろでエクスバーンの声が聞こえた。
俺はその声に反応して後ろを振り返ると、エクスバーンを背負ったラミノラが俺達に追随して飛んでいた。
そして、ラミノラの両手には小さなダガーが握られていた。
それを見て、俺はようやく気づいた。
どうやら、女王蜘蛛の全ての脚に刺さっているキラリと光る物はラミノラのダガーらしい。
俺の後ろから投げて全て命中させたということか。
とんでもない技術である。
ラミノラが女王蜘蛛の動きを止めてくれたのに感謝しつつ、その技術に戦慄していると。
ラミノラはそんな俺を見て口を開いた。
「何こっちを見ているんですか。
蜘蛛の動きは私が止めました。
あとは、あなた次第ですよ」
と、いつもの単調な口調でラミノラに言われて俺はハッとする。
そうだ。
今天井にいるのは、ラミノラのダガーで動きを封じられた女王蜘蛛のみ。
これ以上のチャンスはない。
そう思った俺は、天井に突っ伏す女王蜘蛛を見上げる。
「サシャ!
飛ぶぞ!」
「はい!
いつでもどうぞ!」
あともう少しで女王蜘蛛の背中の紫闇刀に手は届くが、ほんのわずかに距離が足りない。
それを見て俺はサシャに許可を取りつつ、サシャの身体をよじ登り、サシャの肩に足を乗せる。
そして、俺は飛んだ。
サシャの肩を踏み台にして、思いっきり飛んだ。
当然、踏み台にされたサシャは地面に落ちて行ったが、高度がそこまで高いわけではないし、地面は蜘蛛の巣が何重にも張られているので、大きな怪我はしないだろう。
そう考えた俺は下のサシャを見ることなく、ただ真っすぐに女王蜘蛛の背中に刺さる紫に光る刀剣、紫闇刀に手を伸ばす。
「届けえええええ!」
俺は全力で、紫闇刀の柄に向かって右手を伸ばす。
五歳児並の短い腕を、引きちぎれんばかりに伸ばす。
そして、ついに俺は手に感触を得た。
その感触を頼りに握ったのは、紫闇刀の柄だった。
俺はその柄を握ると、天井に張り付く女王蜘蛛の背中に刺さる紫闇刀にぶら下がっている状態になってしまった。
俺の体重をもってしても女王蜘蛛の背中から抜けない紫闇刀に歯噛みしながらも、すぐに左手も柄に手を掛けて両手でぶら下がる。
そして、自分の腹筋を頼りに、足を上へと持ち上げて、女王蜘蛛の背中に持っていく。
「うおおおおお!!!」
前世の身体であればこんなことは余裕ではあるが、今は五歳児の身体だ。
空中で逆上がりでもするかのように、なんとか踏ん張りながら足を持っていき、ついに女王蜘蛛の背中に足を付けた。
背中に足をつけると、女王蜘蛛はジタバタしようとするが、やはりラミノラのダガーのおかげで上手く動けない様子。
「はあ!」
俺はその隙に紫闇刀の柄を持ちながら、掛け声とともに思いっきり蜘蛛の背中を蹴りあげた。
すると、ようやく紫闇刀は女王蜘蛛の背中から抜けた。
それと同時に、俺は地上へと落下する。
落下してるとき、上空から女王蜘蛛の背中から血が垂れてくるが気にしない。
俺は落下のダメージを最小にすることだけを考えて下を見ると。
そこにはサシャとラミノラが手を広げて待っていた。
ガシッと受け止めてくれた侍女二人。
「お疲れ様でした、エレイン様」
ニコリとした笑顔で俺にそう言ってくれるサシャ。
「まあ、人族にしては頑張ったようですね」
サシャとは対照的に、無表情かつ不愛想にそう言うラミノラ。
だが、そのラミノラの大きなお胸が俺の頬に当たっていて、なんとも心地が良い感触である。
少しの間、二人に身を預け、その頬に伝わる感覚を楽しんでいると。
「エレイン!
早く、蜘蛛の糸を斬れ!」
俺の前に仁王立ちで腕を組みながら立つエクスバーンが、俺にそう叫んできた。
それを聞いてハッと我に返る。
「そ、そうでした。
今斬ります!」
俺は身を起こして、すぐに紫闇刀を上段に構える。
そして、力いっぱい柄を握りしめて、地面の白い蜘蛛の糸に向かって紫闇刀を振り下ろす。
すると、案の定紫闇刀は地面に刺さった。
刺さった部分の蜘蛛の糸は切断されて、少し草花が生い茂る地面が露わになる。
予想通りである。
魔力を通すことで強度を上げている蜘蛛の糸なんて、紫闇刀にかかればただの糸なのだ。
「おお!
いいぞ、エレイン!
その調子で、どんどんやれい!」
俺はそのエクスバーンの興奮した声を聞いて調子づく。
どんどん振り下ろして、蜘蛛の糸を除去していく。
「よし!
これで、我も魔術を使えるぞ!
エレイン、どけい!!」
待ってましたと言わんばかりに、俺が開けた草花生い茂る地面に近づくエクスバーン。
そして、その小さな手を草花の上に置くと、草花はどんどん伸び始める。
「がはははは!
今まで我らを苦しめてきた報いだ蜘蛛共!!」
エクスバーンが叫んでいる間にも、どんどんと部屋中に伸び始める草花。
まずは天井にいる女王蜘蛛を、その身体が見えなくなるまで草で覆って捕縛する。
さらに、入口付近でサラの光の防壁を囲んでいる子蜘蛛達も一匹ずつ捕まえていく。
そして、部屋中の蜘蛛の卵も草で覆い、全ての蜘蛛を捕まえていく。
まるで幻影の花のように大きな草花となって蜘蛛達を捕まえていくその魔術の光景は圧巻である。
そして、しばらくするとエクスバーンはこちらを振り向いた。
「終わったぞ」
エクスバーンのその言葉を聞いて周りを見渡すと、あれだけ白かった蜘蛛の糸はどこへやら、部屋全体が緑一色に染まっていた。
そしてその緑一色に変えてしまった大量の草花が蜘蛛の巣内の全ての蜘蛛を捕まえていたのである。
「さ、流石ですね先輩」
俺が周りの光景に呆気にとられながらそう言うと。
「うむ!」
エクスバーンはニコリと笑って頷くのだった。
ーーー
「エレイン!
ここでいいかい!?」
「えーと。
もうちょっと左です!」
俺はバリー寮長に肩車をしてもらいながら、下のバリー寮長にそう指示を出す。
なぜ、俺がバリー寮長に肩車をしてもらっているかというと、蜘蛛の糸に捕まって繭のようにされてしまった黒妖精族達を助けるためだ。
最初に黒妖精族を一人助けたとき、俺は蜘蛛の糸に向かって思いっきり紫闇刀を投げた。
そして、紫闇刀が蜘蛛の糸の魔力を吸収してくれたことによって簡単に助けることが出来たが、本来魔力で強度を上げているため、紫闇刀でないと助けられない仕様になっているようだ。
なので俺は今バリー寮長に肩車をされながら、紫闇刀を振り回す。
そして、繭を吊り下げる蜘蛛の糸を斬っては繭を地上に落として、それを黒妖精族の男がキャッチしていた。
そんなこんなで、ようやく黒妖精族全員の救助を終えた。
救助された黒妖精族達は、訳も分からないといった様子であったが、再び顔を合わせた同胞達を見て号泣していた。
それを見ただけでも、助けてよかったなと思えた。
「おい、エレイン」
俺が、バリー寮長の肩車から降りるや否や、エクスバーンに声を掛けられた。
「どうしましたか?」
「いや。
なんか、その剣。
ものすごい魔力が溜まっているぞ?」
「へ?」
エクスバーンが目を丸くしながら俺の紫闇刀を見てくるので、俺も思わず一緒になって紫闇刀を見る。
確かに、紫闇刀は最初に迷宮に来たときより紫色に光っている気がする。
紫闇刀は魔力を吸う分だけ紫色に光るが、ここまで目に見えて光っているということは相当魔力が溜まっているのだろう。
魔力が見えるエクスバーンにはそれがお見通しだったようだ。
「どこで、こんなに魔力を溜めたんですかね?」
俺は、紫闇刀を見ながら呟いた。
実際、蜘蛛の糸の魔力は多少吸ったものの、別に特段大量に魔力を吸ったことは無かったので、なぜこんなにも魔力が溜まっているのかが分からない。
「うむう。
もしかしたら、あのデカい蜘蛛に刺さってたからかもしれんのう。
あの蜘蛛は一匹だけ魔力が桁違いに大きかったからな」
と、俺の紫闇刀をまじまじと見ながら言うエクスバーン。
それを聞いて思い出した。
エクスバーンが蜘蛛の巣に入る前に魔力感知をしたときに、一匹だけ魔力が大きいやつがいると言っていた。
あれは女王蜘蛛のことだったのか。
まあ、これだけ魔力で強度をあげた蜘蛛の糸を大量に吐いて蜘蛛の巣を作っているのだから、魔力をたくさん蓄えていたとしても不思議ではない。
紫闇刀に魔力をたくさん蓄えることが出来れば、魔力解放を放つチャンスでもあるので、まだ魔力解放をしたときほど紫色に光ってはいないが、これだけの魔力を吸収出来たことはありがたく思っておこう。
そんなことを考えながらエクスバーンと二人で紫闇刀をまじまじと見ていると。
横から声を掛けられた。
「~~・・・・~~~~!
・・~~・~・~~~!!」
俺は声を掛けられた方を振り向くと、黒妖精族が立っていた。
それも、一人ではなく助けられた黒妖精族全員が俺とエクスバーンを見ていた。
「うむう。
何言ってるのか分からないのう」
エクスバーンも言語が分からずに困惑しているようである。
すると、バリー寮長が二ヤリと笑いながら口を開いた。
「そいつらは、命を助けてくれたお前たちに感謝しているんだよ。
『人族の王子と魔族の王子よ、ありがとう』って言ってるよ」
なるほど。
まあ確かに、命を救ったんだから感謝されるのも当然か。
その分、ジュリア救出のために、こいつらにも働いてもらわなきゃな。
バリー寮長の言葉を聞いて、そんなことを考えていると。
「わ!」
唐突に、黒妖精族の救出したうちの一人に手を握られた。
そして、ぶんぶんと俺の手を振る黒妖精族。
それを皮切りに、他の黒妖精族達も俺の手を取りにやってくる。
さらには、隣のエクスバーンにまで握手を求めてくる。
「な、なんだお前たち。
なぜ、我の手を取る……」
エクスバーンはどうやら困惑しているようだが、ニコニコとした笑顔で黒妖精族達に握手をされるため拒否できない様子。
「全く。
エクスバーン様の御手はそんなに安いものではないんですけどね」
「まあまあ。
悪気はなさそうですし、いいじゃないですか」
後ろで、俺達を見て少しむくれた様子のラミノラとニコニコ笑っているサシャがそんな会話をしていた。




