第百十五話「投擲」
あれだ!!
天井の女王蜘蛛の背に刺さっている紫闇刀を見て俺はそう直感した。
おそらく、魔力で強度を上げているこの蜘蛛の糸は、魔力を吸いだす紫闇刀ならば簡単に斬れるだろう。
どうにかして、あの女王蜘蛛の背中に刺さる紫闇刀を取り返す必要がある。
さて、どうやって取り返そうか。
一度冷静になって周りを見ると、サラが何度も詠唱を重ねて祝福の防壁を張る中、防壁の周りを囲んで外側から執拗に攻撃をしてくる大量の子蜘蛛達。
先ほどからパリンパリンと防壁が割れる音が何度も聞こえている。
女王蜘蛛の攻撃でさえ見事に防ぐサラの防壁ではあるが、こうも蜘蛛の大軍に一斉に攻撃されると流石に物量で押し負けるようだ。
しかし、女王蜘蛛から紫闇刀を取り返すには、この防壁の外に出なければならない。
当然、防壁の外に出れば真っ先に子蜘蛛達の標的になるだろう。
サラの強固な防壁を何度も割るだけの攻撃力がある子蜘蛛の大軍が、一斉に俺の方に来たらひとたまりもない。
それを踏まえると簡単に防壁の外にも出られないので、紫闇刀を取り返すのは中々難しい。
女王蜘蛛は、防壁から一定の距離を取って俺達の様子をジッと観察しているだけで全く近づいてくる様子はない。
自分だけ安全なところから俺達が子蜘蛛にやられるのを見ていようって魂胆だろう。
そんな女王蜘蛛の様子を見て、俺は歯噛みする。
せめて女王蜘蛛がもう少し近づいてきてくれれば紫闇刀を取り返しやすいものなのだが、距離を取られている上に天井に張りつかれていては、サラの防壁から出るのも困難な現状、女王蜘蛛に近づくことすら難しい。
「エレイン!
なにボケッとしてるんだい!」
俺が遠くで天井に張りつく女王蜘蛛を見ていたら、横からそんなバリー寮長の怒声が聞こえた。
その声を聞いて俺はハッとした。
防壁の中では、どうにか地面の蜘蛛の糸を除去しようとサシャとバリー寮長と黒妖精族の男が汗だくになりながら何度もトライしている。
そんな中で俺がボケッとしていればバリー寮長が怒るのも当然だろう。
「す、すみません。
ただ、この地面の蜘蛛の糸を斬る方法を思いつきまして……」
俺がそう言うと、怪訝な目でこちらを見るバリー寮長。
「ほう?
あたしたちがこんだけやって斬れないのに、あんたはどうやってこの蜘蛛の糸を斬るっていうんだい?」
地面の蜘蛛の糸が中々斬れないことにイライラしているのか、俺を睨むようにして見下ろすバリー寮長。
ここで、俺がもし変なことを言えばぶん殴られそうな雰囲気である。
「あ、あれを見てください」
俺はバリー寮長の態度に怯えながらも、ゆっくりと遠くに見える俺の紫闇刀を指さした。
バリー寮長は俺の言葉に反応して、俺が指さす方を見る。
「女王蜘蛛のことかい?
あそこにいるのはあたしだってとっくに気づいていたよ。
……ん?
背中が紫に光っているねえ。
あれは……あんたが持っていた魔剣かい?」
俺はそのバリー寮長の言葉に頷いた。
「はい。
あれは、俺の紫闇刀です。
黒妖精族の彼を救出する際に投げたら、女王蜘蛛に刺さってしまいました」
俺がそう言うと、バリー寮長はジトッと俺を呆れた様な目で見る。
「だからどうしたんっていうんだい。
回収したいって話なら後だよ。
今は最初に言った通り地面の蜘蛛の糸を急いで除去するべきだろう?」
そう諭すように俺に言うバリー寮長。
だが、俺は首を横に振った。
「いえ。
おそらく、地面の蜘蛛の糸を斬るにはあの紫闇刀が必要です」
俺が真顔でそう言うと、バリー寮長は眉をひそめた。
「どういうことだい?」
そう短く説明を求めてくるバリー寮長。
「バリー寮長が言った通り、あの刀剣は魔剣です。
例の九十九魔剣なのですが、その能力は魔力を吸う魔剣なんです」
「なんだって!?」
バリー寮長は、俺の言葉を聞いていつにもなく驚いた声を上げる。
そして、少し考えるような仕草をしたあと俺の方を見た。
「つまり、魔力で強度をあげているこの蜘蛛の糸は、あの刀で斬れるってことだね?」
理解が早い。
流石、バリー寮長である。
俺はその言葉に大きく頷いた。
すると、バリー寮長は女王蜘蛛の方を向いた。
「かなり遠いね……」
女王蜘蛛を見ながら小さく呟くバリー寮長。
俺と全く同じ意見である。
果たしてバリー寮長から女王蜘蛛との距離を詰める案は出るだろうかと、ジッとバリー寮長を見つめていると。
急にこちらを振り返ったバリー寮長と目があった。
そして、真剣な表情で口を開いた。
「また投げるかい?」
俺は最初、バリー寮長が言ったこの言葉の意味が理解できなかった。
投げるというのは、一体何を投げることを意味しているのか分からなかったからだ。
しかし、今日の記憶を振り返って俺は思い出した。
幻影の花と戦ったとき、バリー寮長は捕まっている黒妖精族を救出するために俺を投げたのである。
つまり、バリー寮長は今回も幻影の花と戦ったときと同じように、天井に張りつく女王蜘蛛に向かって俺を投げようと言っているのだろう。
中々鬼畜な提案である。
確かに、バリー寮長の化け物じみた腕力を使えば、俺を天井に張りつく女王蜘蛛のもとまで投げ飛ばすことができるだろう。
しかし、投げることができるだけだ。
女王蜘蛛が反撃する可能性については考えられていない。
幻影の花のときは、幻影の花の攻撃の大部分がサシャに集中していたため、俺は大きな反撃をくらうことなく黒妖精族の元まで投げてもらうことに成功した。
しかし、今回は状況が違う。
幻影の花と戦ったときのサシャのような囮役がいないのである。
俺一人で女王蜘蛛の元まで投げ飛ばされても、武器もない俺は女王蜘蛛の恰好の的である。
女王蜘蛛は口から糸も吐くし、最悪、奥で蜘蛛の糸にグルグル巻きにされて繭のようになってしまっている黒妖精族達と同じ轍を踏んでしまう。
とはいえ、俺を投げる提案には利点もあるだけに悩ましい。
利点というのは、上空に投げ飛ばされることで光の防壁を囲んで攻撃している子蜘蛛達の標的にならない可能性が高いということだ。
防壁の外に歩いて出れば当然蜘蛛達の攻撃の対象になるだろうが、上空に投げ飛ばされれば地上にいる子蜘蛛達からの攻撃対象になることはほとんどないだろう。
そうなれば、あとは女王蜘蛛と一対一である。
そこで上手く紫闇刀を取り返せればいいのだが……。
「厳しいですね……。
俺には武器も防具も無いので。
女王蜘蛛に返り討ちにされてしまうと思います」
色々考えた上で俺はそう返した。
流石に、武器無しであそこまで一人投げ飛ばされるのは厳しいものがあるだろう。
そう思っていたら、俺の隣にサシャがやってきた。
「バリーさん!
私も一緒に投げてくれませんか?
私が、エレイン様の武器と盾になります!」
サシャが緑色に光る烈風刀を両手で力強く持ちながらバリー寮長に向かってそう叫んだ。
それを聞いて、俺は驚いた。
「おい、サシャ。
言っている意味分かってるのか?
バリー寮長にあのデカい蜘蛛のところまで投げ飛ばされるんだぞ?」
サシャのとんでもない提案を聞いて、俺はサシャが冷静になるように問いただす。
すると、サシャは俺の質問に大きく頷いた。
「もちろんです!
私が烈風刀で女王蜘蛛の動きを止めるので、その間にエレイン様は紫闇刀を取り返してください!」
小さな胸を張って、任せてくださいといわんばかりに大きな声で叫ぶサシャ。
どうやら、サシャは本気らしい。
「分かったよ。
二人くらいは別に問題ないから、サシャも一緒に投げよう。
エレインもそれで問題ないね?」
最終確認といった様子で俺に問うバリー寮長。
俺もサシャにここまで言われたら断れない。
俺は無言で頷いた。
その頷きを見てバリー寮長も頷いた。
「よし。
じゃあ、すぐに投げるよ。
一気に投げるから、エレインはサシャにくっつきな」
バリー寮長がそう言うと、サシャがこちらを向く。
「エレイン様。
抱っこしますので、どうぞこちらに来てください」
そう言いながら両手を開くサシャ。
それを見て、俺は少し戸惑った。
いくら俺が五歳児とはいえ、中身はいい大人である。
流石に若い女の子に抱っこされるのは恥ずかしい。
そう思って、俺は両手を開いたサシャの後ろに回る。
「おんぶでいい」
俺は短くそれだけ言って、サシャの肩に手を回す。
サシャは俺を抱っこできないことに少々不満そうではあったが、渋々俺をおんぶすることを了承してくれた。
そして、サシャにおんぶされるようにひっついていると、バリー寮長が近づいてきた。
「持つよ」
バリー寮長はそれだけ言うと、サシャの腰に手を回す。
「わ!」
サシャは短く驚いた声をあげながら俺と共に宙に浮く。
なんと、バリー寮長は右腕だけで俺とサシャを持ち上げてしまったのである。
バリー寮長が並外れた力を持っていることは知っていたが、まさか俺達二人を一気に持ってしまうとは。
軽々と持ち上げられたことで、改めてバリー寮長の力強さを実感する。
「じゃあ、投げるからね」
バリー寮長はそう言うと、遠くの天井に張りついている女王蜘蛛の赤く光る八つの目に焦点を合わせて、俺とサシャを右手だけで持ち上げて振り被り始めた。
それを見て、俺は全身に緊張感が走る。
ゴクリと生唾を飲み、遠くにいる女王蜘蛛を見つめながら集中していると。
「おい。
我らも投げろ案内人」
俺の集中力を断ち切るかのように、そんな不遜な声が後ろから聞こえた。
振り返ると、そこにはラミノラにおんぶされたエクスバーンがいた。
「……先輩。
防壁の中にいたほうが安全ですよ。
なんでわざわざ……」
俺がバリー寮長に抱えられながらそう言うと、エクスバーンはラミノラの肩越しにこちらを見て叫ぶ。
「エレイン!
お前は、我の子分じゃ!
子分が行くなら、我も行くのは当然じゃろう!
それに、お前の剣はこの白い糸を斬ることができるのじゃろう?
だったら、お前の近くにいた方が我もすぐに魔術が発動できて良い」
と、捲し立てる様に説明するエクスバーン。
エクスバーンも俺のことを心配してくれているということなのだろうか?
まあ、俺の近くにいた方が良いという後半の説明は分かる。
俺が紫闇刀を取り戻せたらすぐにエクスバーンの近くに行って、エクスバーンが魔術を発動できる様に地面の蜘蛛の糸を斬らなければならない。
それならば、近くに居てくれた方が時間もかからないし良いだろう。
「バリー寮長。
四人ですがいけますか?」
いくらエクスバーンの提案が魅力的だとはいっても、流石に四人一気に持ち上げてまとめて投げるというのは厳しいのではないだろうか。
ここは二回に分けて、エクスバーンは後から投げてもらうかなどと考えていると。
「まあ、四人までだったらギリギリ投げれるよ」
と、バリー寮長はすました顔で言うのだった。
四人まではいけるのか。
化け物だなこの人……。
バリー寮長の人間離れした怪力に半ばあきれていると。
「じゃあ、頼む案内人」
「ああ」
いつの間にか近くに来ていたラミノラとラミノラの背中におんぶされたエクスバーンは、バリー寮長の左手に抱えられた。
俺とサシャとラミノラとエクスバーン。
計四人を両手で持ったバリー寮長は、両腕がパンパンになるほど力をこめながら思いっきり振り被る。
「じゃあ行くよ」
バリー寮長が短くそう言った数秒後。
「はあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
バリー寮長は思いっきり叫んだ。
獣のように低く唸るような叫び声と共に、俺達四人はバリー寮長の両手から遠くで天井に張りつく女王蜘蛛に向かって物凄い速さで投げ飛ばされた。
今度は前回投げ飛ばされたときのように悲鳴をあげたりはしない。
しっかりと、天井に張りつく女王蜘蛛の背に刺さる紫闇刀を視界に捉えながら、サシャの背にしがみつくのだった。




