第百十三話「一時撤退」
「~~~~!!
~~・・~~~~!!」
目の前に巨大な女王蜘蛛が現れたことで、俺の後ろにいる黒妖精族の男が尻もちをつきながら取り乱したように叫び始めた。
だが、後ろにいる黒妖精族の方を振り返る余裕は無い。
俺のことを大きな赤い目でジッと見つめる女王蜘蛛。
俺は、この女王蜘蛛から目を離すことができないでいた。
目を離したら殺られると俺の中の信号が直感していたからだ。
蜘蛛の背には、俺の紫闇刀が刺さっていて血が流れているのが見える。
どうにかして紫闇刀を取り返したいが、何も武器を持っていない状態でこの女王蜘蛛の背から取り返すのは相当難しいだろう。
一瞬の隙が命取りだ。
俺と女王蜘蛛は一切微動せずに、互いにジッと見つめ合う。
この女王蜘蛛は、子蜘蛛達と同じ様に飛びついてくるのだろうか?
こんな巨体の蜘蛛にあの素早さで飛びかかられたら、気づいてからでは避けきれない。
今のうちに横っ跳びで回避する準備をしておくか?
俺は、全く微動せずにこちらをジッと見てくる女王蜘蛛を観察しながら、攻撃を回避する体制を徐々に整える。
一瞬でも隙を見せれば殺されるかもしれないという緊張感が全身に走る中、唐突に後ろから声が聞こえた。
「おい、エレイン!
なんじゃ、そのデカい蜘蛛は!」
そんな緊張感の無い声が聞こえた。
エクスバーンの声である。
俺はその声を聞いて、後ろにこそ振り返らなかったものの、一瞬緊張感が解れる。
それによって生まれた一瞬の隙。
その瞬間、女王蜘蛛が動いた。
女王蜘蛛は俺の方に顔を向けて口を開く。
シャアァァァァァァ!
俺に対して威嚇するような声と共に、口から何か白い物が勢いよく出てきた。
白くて細い物体……。
蜘蛛の糸か!
気づいた時には遅かった。
先ほどのエクスバーンからの声かけのせいで、反応が数瞬遅れてしまう。
避けられそうにない。
このままでは糸に捕まってしまう。
物凄い速度で発射された蜘蛛の糸が、俺の身体を捕らえそうになったそのとき。
俺の身体が光だし、目の前に何やら光の壁が出来る。
バチッ!!
蜘蛛の糸が目の前の光の壁に当たると、弾けるようにして蜘蛛の糸の先端が消失する。
それを見て俺は気づいた。
この光が、サラが最初に俺達にかけてくれたイスナールの祝福であることを。
確か、「悪意ある攻撃を防ぐ」とサラは言っていた。
つまり、今のが祝福の効果ということか。
正直、滅茶苦茶助かった。
祝福が無ければ確実に女王蜘蛛に捕まっていたので、ここを一度凌いでくれたのはありがたい。
だが、女王蜘蛛も攻撃を防がれたことに気づいた様子。
二撃目の蜘蛛の糸を俺に向かって吐いてくる。
俺はそれを見てすぐに逃げる体制を整えながら、後ろで尻もちをついている黒妖精族の手を取る。
「一旦引きますよ!」
俺は必死な形相でそう叫ぶと、女王蜘蛛に怯えていた様子の黒妖精族も何かを理解した様子。
俺の手に引っ張られるようにして立ち上がり、俺と共に後方へと逃げ始める。
パリン!
そうこうしているうちに、俺の背後でガラスが割れたような音が鳴った。
反射的に振り返ると、サラの祝福によって出来た防御壁が蜘蛛の糸によって割れていた。
それを見て俺は思い出した。
サラが祝福をかけてくれたときに、「あんた達はイスナール様を信仰していないから、効果はあたしの祝福より薄い」と言っていたことを。
つまり、今防御壁が割れたことでサラの祝福の効果はおしまいということだろう。
こうなると、いよいよ絶体絶命である。
ひとまず、体制を立て直すために一旦逃げようと判断した俺は、助けた黒妖精族と共に後方へと走って逃げる。
しかし、そう簡単に逃げられそうにもなかった。
子供蜘蛛達が俺達を狙い始めたのである。
女王蜘蛛の号令があったのか、蜘蛛の巣内に点在する蜘蛛の卵の中から子蜘蛛達が一斉に出てくる。
そして、逃げる俺達を狙い始めたのだ。
逃げる行く手を阻む子蜘蛛達。
俺達目がけて身体ごと飛びついてくる。
「くそっ!」
俺に今武器は無い。
子蜘蛛と言っても、一匹一匹が普通の蜘蛛より大きくて俺の身長ほどの背丈がある。
その上、頑丈な身体も持ち合わせたこいつらの攻撃を武器無しで対抗できるほど今の俺は強くない。
「~~~・・!」
すると、俺の隣にいた黒妖精族の男が腰に携えていた長剣を抜く。
そして、妖精語と思われる叫び声と共に子供蜘蛛を真っ二つにしたのである。
俺は、その光景に目を丸くした。
なんだ。
この人、強いんじゃないか。
なんで、あんなに女王蜘蛛に怯えたように尻もちをついて怯えていたのだろうか。
そのように俺が黒妖精族の強さを見て疑問を持っていると。
「・!
・・~~!」
黒妖精族の男は、側面の壁を指差して叫んだ。
俺もそれに反応して男が指さした方を見たとき、鳥肌がたった。
そこには、こちらをジッと見つめながら蜘蛛の糸で出来た白い壁を移動する女王蜘蛛がいた。
だが、鳥肌が立ったのは壁にいる女王蜘蛛を見つけたからではない。
女王蜘蛛が大量の子蜘蛛を後ろに引き連れていたからである。
いつの間に、あんなに子蜘蛛が増えたのだろうかと周りをキョロキョロ見回すと。
吹き抜けの上から何匹も蜘蛛がボタボタと落ちてきているのが見える。
落ちてきた蜘蛛達は、女王蜘蛛が引き連れる子蜘蛛の隊列にどんどん参加していく。
そして、女王蜘蛛の後ろには白い壁を一面黒くするほどの黒い子蜘蛛の行列が出来ていたのである。
すると、後方から声がした。
「おい、エレイン!
逃げるぞ!
ここを出れば我も魔術を使える!
そこで倒すぞ!」
そう後方で叫んだのはエクスバーンだった。
その声がした方に振り返ると、青ざめた顔をしているエクスバーンが返り血まみれのラミノラと共に立っていた。
どうやら、エクスバーンも子蜘蛛の大軍を見て、流石にヤバいと感じているようだ。
いつも尊大な態度のエクスバーンにも余裕が無くなっている。
しかし、エクスバーンの提案に俺は賛成である。
エクスバーンが魔術を使えない今、この大量の蜘蛛達を倒す術は俺達には無い。
おそらく、この黒妖精族達も相当強いが、女王蜘蛛が引き連れたあの大量の子蜘蛛達と戦い、物量で負けて捕まってしまったのだろう。
だとすれば、一旦白い壁や地面で囲まれた蜘蛛の巣が無いところにまで戻り、蜘蛛達が来たところをエクスバーンの魔術で返り討ちにしてしまえば良い。
そこまで考えたところで、俺は黒妖精族の男の手を引いて入口の方を指さした。
「あそこまで逃げますよ!」
俺が黒妖精族の男に向かってそう叫ぶと、言語は違っても俺の指を差している方向を見て俺の言いたいこと理解した様子。
黒妖精族の男は、俺と共に入口に向かって走り出した。
走っている最中、子蜘蛛が何匹も現れるも、黒妖精族の男がバッタバッタと斬り倒していく。
昔、本で読んだ黒妖精族は強いというのは本当のようで、子蜘蛛達を真っ二つにするその威力には恐ろしいものがあるが、仲間である今はかなり心強い。
走っている最中、エクスバーンとラミノラとも合流した。
「先輩!
あそこの入口まで走りましょう!」
「ハァハァ……。
ああ、分かっておる……。
外に出たら、あの蜘蛛達は我の魔術で全員消し炭にしてやる……」
エクスバーンに声をかけると、エクスバーンは息切れしている様子である。
意外にも、エクスバーンは体力が無いらしい。
まあ、エクスバーンは魔術師だからそんなに身体も鍛えていないだろうし、五歳の俺が言うのもなんだがエクスバーンはまだ六歳だ。
鍛えている俺とは違い、身体をそこまで鍛えていないであろうエクスバーンにこの距離を走るのはキツいか。
だが、今はそうも言っていられる場合ではない。
間近に蜘蛛の大軍が近寄ってきているので、せめて蜘蛛の巣を脱出するまでは頑張って走ってほしい。
「先輩!
頑張ってください!」
俺はそうエールをかけつつ、周りを見渡しながら走る。
後ろは、救出した黒妖精族の男とラミノラが子蜘蛛達を鬼神のごとくぶった切っている。
女王蜘蛛が直接攻撃してこない限り、入口まで走る時間はそれなりに稼げそうである。
問題は、バリー寮長達だ。
いまだ入口付近で俺の囮役をやってくれているであろうバリー寮長達。
しかし、女王蜘蛛が子蜘蛛の大軍を部屋の奥から連れてきた今、もう囮の意味はほぼほぼ無くなってきている。
こっちがとんでもないことになっていることを急いでバリー寮長に伝えて、一緒に蜘蛛の巣の外に脱出しなければ。
そう思って、入口付近にいるバリー寮長達がいるところを見ると。
どうやら、まだ子蜘蛛達と戦っているようだった。
だが、最初にバリー寮長の元に集まった子蜘蛛達を半数ほどに減らしているし、バリー寮長もサラもサシャも傷ついている様子はない。
どうやら、バリー寮長達は善戦していたらしい。
「バリー寮長!!
脱出しますよ!!!」
俺は、走りながら奥にいるバリー寮長の方へ叫ぶ。
すると、丁度子蜘蛛を一匹殴り殺したバリー寮長がこちらを振り返って、ギョッとした顔をした。
「サラ!
サシャ!
戦闘終わりだよ!
エレイン達をサポートしながら脱出するよ!」
迫る蜘蛛の大軍を見て驚いた表情をしたバリー寮長だったが、すぐに切り替えて周りにいるサラとサシャにそう指示を出す。
このバリー寮長の切り替えの早さは、こういった緊急事態のときに本当に助かる。
こういったところに、元S級冒険者の経験豊富さを感じさせられる。
バリー寮長から指示を受けたサラとサシャは、すぐに俺達の後ろに差し迫る子蜘蛛の大軍と女王蜘蛛の存在に気づいたようで、俺達をサポートするためにこちらに駆け寄る。
「エレイン様!
今助けます!」
そう言いながら、俺の後方に向かって思いっきり緑色に光る烈風刀を振るうサシャ。
烈風刀からは、大きな強風が地面を切り裂きながら一直線に進み、俺達の後ろにいる子蜘蛛達を蹴散らす。
「よし!
ありがとう、サシャ!
もう大丈夫だ!
脱出するぞ!」
サシャの一撃によって、子蜘蛛の大軍から逃げる俺達に余裕が生まれた。
やはり、烈風刀のような範囲攻撃は、相手の数が多いほど効果を発揮するというものだ。
サシャの攻撃のおかげでしばらく後ろを気にする必要が無くなったので、あとは脱出するのみだ。
その一心で、もう少し走れば辿りつきそうな蜘蛛の巣の入口を目指して走っていると。
「エレイン様!
天井に!」
サシャが今度は俺達の頭上を見ながら悲鳴のような声を上げた。
それを見て、俺も上を見上げると。
天井には、女王蜘蛛がジッとこちらを見ていた。
そして、次の瞬間。
女王蜘蛛の口から白い糸が吐かれた。
まずい。
後ろや横からくる子蜘蛛の大軍にばかり気を取られていて、入口の方に戻ってきたことで現れた天井を気にしていなかった。
それは、黒妖精族の男もエクスバーンもラミノラも同様だったようで、気づくのに遅れた俺達にあの蜘蛛の糸を回避する手段はない。
万事休すか。
そう思った時、前方から老婆の呟きが聞こえた。
「我らがポルデクク大陸の神、イスナール様。
どうか我らの身に祝福を与え、あらゆる逆境を跳ねのけ、あらゆる敵に対抗する力を授けてください」
声が聞こえた方向を見ると、そこには本を持ったサラがいた。
そして、その本は光だし、サラと俺達を包み込む。
バチッッ!!
天井にいる女王蜘蛛の吐いた白い糸を、俺達を包みこむようにして現れた半円形の光の壁が防いだのである。
だが、防がれたからといって諦める女王蜘蛛ではない。
何度も光の壁に向かって蜘蛛の糸を吐く。
バチッッ!
バチッッ!
バチッッ!
女王蜘蛛がこちらに向かって蜘蛛の糸を吐くたびに、光の壁が全て防ぐ。
「ふぉっふぉっふぉっ。
その程度の攻撃では、イスナール様の防壁は壊せないだわさ」
俺の目の前に現れたサラはそう陽気な声で言った。
どうやら、サラがこの防壁を出してくれたらしい。
おそらく、先ほども俺を守ってくれた例のイスナールの祝福とかいう術だろう。
しかし、先ほど俺を守っていた時は女王蜘蛛の糸を一発しか防げなかったが、やはりサラ本人にかかる光の壁の耐久性は高いということか。
物凄い能力である。
シャアァァァァァァァァ!!!!
すると、今度はそんな鳴き声のような音を鳴らしながら、女王蜘蛛が俺達に向かって飛びつく様に落ちてきた。
それを見て、俺は思わず頭を低くする。
バチッッッッ!!
しかし、女王蜘蛛の攻撃は再びサラの光の壁によって防がれた。
女王蜘蛛は弾かれるようにして後方へと吹き飛ばされる。
俺はそれを見て開いた口が塞がらなかった。
あんな巨大な蜘蛛の攻撃を防ぐこの光の防壁。
強すぎるな……。
そう思いながら光の防壁を見ていると。
「さあ、あんた達!
道はあたしが開いた!
逃げるよ!」
入口までの道中にいる子蜘蛛を全て殴り殺したらしいバリー寮長が、拳から蜘蛛の血を垂らしながらこちらを向いてそう叫んだ。
俺達はその指示に従って、蜘蛛の巣を脱出するのだった。




