第百八話「一時帰還」
「はぁはぁはぁ……」
通路を抜けると、サシャは明らかに疲労感の溜まった顔をしながら壁際に背負っていたピグモンを降ろす。
それに合わせて、バリー寮長もドリアンと黒妖精族三人をピグモンの隣に降ろしていく。
壁際に立てかけられながらも昏睡したままの五人。
全く起きそうな気配が無い。
すると、サシャが息を整えてから口を開いた。
「慈愛に満ちた天の主。
生物を愛し、尊ぶ、神の名を冠する者よ。
苦痛に滅びを。
血肉に愛を。
神聖なる天の息吹を我に与え、かの者の傷を癒せ。
完全治癒」
サシャは、中級治癒系統魔術である完全治癒を昏睡した五人一人一人にかけていく。
しかし、五人は身体の小さな傷などは治っているものの、目を覚ます気配はない。
「治癒魔術をかけたのですが起きませんね……。
やっぱり体内に毒が回っている可能性が高いです。
私の治癒魔術は身体の傷を治すだけで、毒には効果が無いですからね。
私が解毒魔術を使えれば良かったんですが……」
そう言って落ち込む様子のサシャ。
だが、サシャは悪くない。
解毒魔術は治癒魔術以上に使える者が少ないし、そもそも解毒魔術に関しては毒の種類が多すぎて全ての毒に対応出来ていないという話だ。
覚えていたとしても今の五人の病状に合うか分からない。
サシャの報告を聞いて、バリー寮長は大きなリュックをゴソゴソと漁りだした。
そして、取り出したのはいくつかの瓶詰。
瓶の中には様々な種類の草が詰められていた。
そして、そのうちのいくつかの草をすりつぶして水で混ぜ始めた。
「何してるんですか?」
俺が質問すると、バリー寮長は作業をしながら口を開く。
「調合だよ。
こういうときのために解毒薬をいくつか持ってきてるからね。
症状を見るにおそらく麻痺毒だと思うけど、幻影の花は大魔王パラダインが飼っていたモンスターな訳だし、あたし程度の調合で簡単に治せるような単純な毒ではないだろうね。
だから、これは応急処置用の薬だ。
あまり期待するんじゃないよ」
そう言いながら慣れた手つきで薬の調合をするバリー寮長。
流石、元S級冒険者である。
調合まで覚えているとは。
治癒魔術や解毒魔術があるこの世界では治癒や解毒は魔術師に頼りがちな者が多いため、調合術を習得している者は少ないのだが。
そういったところで他人頼りにならずに、しっかりと自分でも解決出来る能力をつけているあたり、バリー寮長の能力の高さがうかがい知れる。
「よし、出来たよ。
一般的な麻痺毒に効く薬だ」
バリー寮長はそう言いながらまずは倒れている五人に順番に飲ませていく。
昏睡していても飲めるように解毒草を水に混ぜたようで、その水を昏睡している五人の口を無理やり開けて飲ませていく。
バリー寮長は五人に飲ませ終わると、瓶をリュックに片付けて五人を見つめる。
五人とも壁際に持たれかけながら昏睡したままで、起きる気配は一向にない。
「うーん。
即効性がある薬のはずなんだけど、効かなかったかねえ……」
難しい顔をしながらバリー寮長が呟くと。
「ゴホッ……ゴホッ!」
急に何かにむせる様に咳をし始めたピグモン。
「ピグモン!」
俺が急いでピグモンに近づくと。
「エ……エレインさ……うっ……」
ピグモンはサシャを見て何かを呟こうとするも、身体に痛みが走ったのか上手く話せない様子。
「どうやら、全員意識は取り戻したようだね」
後ろでそう呟いたバリー寮長。
俺はその言葉を聞いて、ピグモンの隣に並ぶように倒れているドリアンと三人の黒妖精族達の方を見る。
「さ……サシャさ……ん?」
「ドリアンくん!」
ドリアンの近くにいたサシャは、ドリアンが目を覚ましたのを見て涙目でドリアンの手を握っている。
意識がはっきりしていないドリアンではあるが、心なしか顔が赤いような気がする。
そして、その隣に並ぶ黒妖精族達も目を覚ましていた。
「……~~・?」
「……・・~・……」
「……・・~……」
三人とも妖精語で何かを言っているが、意識が朦朧としている様子。
とにかくバリー寮長の調合した薬に効果があったようだ。
五人とも身体は全く動かせてはいないものの、目を覚まし口を僅かに動かせている。
あのまま昏睡状態が続いていれば死ぬ可能性すらあったと思うので、この回復はかなり大きい。
すると、バリー寮長は胸元から何かを取り出した。
「一旦大学に戻るよ。
全員準備しな」
「へ?」
俺は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
だが、俺の声など関係なしにバリー寮長は胸元から取り出した転移鍵をを空中に差して、大学へと転移するための扉を作っていた。
「ば、バリー寮長!
大学に戻るってどういうことですか!
ジュリアはどうするんですか!」
俺がそう叫ぶと、バリー寮長は呆れたようにため息をついてから俺を見下ろした。
「だから、一旦と言っただろう?
こいつら五人を大学で治療してもらうんだよ。
それとも、お前は動けないこいつらを連れて迷宮攻略するつもりかい?」
バリー寮長のその説明に反論の余地は無く、俺は押し黙った。
転移鍵のことなど頭の隅にもなかったので、俺の頭ではそんなことを思いつけなかったが、確かにバリー寮長の提案は理に適っている。
意識を取り戻したものの身体を全く動かせない五人をこのまま迷宮内に放置する訳にもいかないし、どこかに移動させなければならないだろう。
転移鍵であれば一瞬で遠くへ移動させることが出来るわけだし、大学で治療してもらいつつ俺達は再び迷宮に戻ってくれば、それほどタイムロスもなく攻略再開出来るというものだろう。
「分かりました。
一旦戻りましょう」
俺はバリー寮長が開いた転移の扉の方へと移動する。
それから、サシャは再びピグモンを背負い、バリー寮長はドリアンと黒妖精族三人を抱えて転移の扉の方へと移動する。
こうして、俺達は一旦大学へと戻るのだった。
ーーー
転移の扉を通ると、そこは見覚えのある部屋。
「おや。
もう帰ってきたんだねえ」
俺に向かって聞き覚えのある声がかかる。
声が聞こえた方を見ると、そこにいたのはサラだった。
サラは行きに見たときと同じ着物を着ながら、机の上で羽ペンを動かして作業をしていた。
どうやら、俺は大学長室に戻って来たようだ。
「サラ。
急患だよ。
テュクレア大陸の迷宮で幻影の花と思われるモンスターに毒をくらったんだ。
うちの大学の生徒二人と、黒妖精族三人が刺された。
一応、あたしの薬で応急処置をしたから意識はあるが身体が動かないみたいでね。
大学の治療室で治療しておいてもらえるかい?」
俺の後から転移してきたバリー寮長は、抱えていたドリアンと黒妖精族達をその場に降ろしながら説明する。
「おやまあ。
大変だわさ。
フェラリア。
その子たちをすぐに医療室へ連れて行くよう手配してもらってもいいかね?」
そう言って部屋の中央の方を見るサラ。
俺もそれに合わせて部屋の中央を見ると、ソファにフェラリアが座っていた。
それからフェラリアと向かい合うようにして、もう二人ほど座っているが誰だろうか。
ここからだと背後しか見えないので誰だかわからない。
「はい!
至急医務室に連絡を取りますので少々お待ちください!」
フェラリアは席を立ちながらそう叫ぶと、急いで大学長室を出て行った。
もう今は真夜中だというのに、フェラリアはここで待機してくれていたのか。
おそらく、バリー寮長と緊急事態になったらここに転移鍵で戻ってくるよう打ち合わせていたのだろうが。
自分だって明日も授業があるだろうに待ってくれているとは良いやつだな。
そう思いながら、走り去るフェラリアを見ていると。
フェラリアの座っていたソファの対面に座る二人のうちの片方が立ち上がった。
「おい、エレイン!
どこに行っていたのじゃ!」
こちらを振り返ってそう叫ぶ、俺と身長も変わらない小さな少年。
二本の黒い角と長い黒尻尾を持つその少年には見覚えがあった。
エクスバーンである。
よく見れば、その後ろには使用人のラミノラが立っている。
どうやら、フェラリアの対面のソファに座っていたのはこの二人だったらしい。
「せ、先輩!?
ど、どうして先輩がこんなところにいるんですか!?」
予想していなかった人物が急に目の前に現れたせいで、驚き動揺してしまう。
すると、エクスバーンは腕を組みながらこちらを睨む。
「エレインこそ、どうして今日は我の部屋に来なかったのじゃ!
我はずっと待っとったんじゃぞ!」
プンプンと怒りながら俺に叫ぶエクスバーン。
そういえば忘れていたが、毎日行くという約束をしていたエクスバーンの部屋に今日は行っていなかった。
そのせいでエクスバーンを怒らせてしまったようだ。
だが、今はそれどころではない。
「先輩、ごめんなさい。
俺の部下が誘拐されてしまったようなので、捜索をしていて先輩の部屋に行く時間がありませんでした」
俺は正直にそう言った。
しかし、それでも不服なようで、エクスバーンは俺を再び睨む。
「そんなことはそこのババアから聞いておる!」
そう言って、サラの方を指さして叫ぶエクスバーン。
どうやら、ジュリアの件はもう耳に入っているらしい。
それにしても大学長をババア呼ばわりするのは問題ではなかろうか。
なんて俺が思っていると、エクスバーンは言葉を続ける。
「問題は、なぜ我に報告をしなかったのかということじゃ!
言ってくれれば、我も一緒に行ったのに!」
そう言って頬を膨らますエクスバーン。
それは俺にとって意外な言葉だった。
「え、ええと。
エクスバーン先輩が俺の部下の捜索を手伝ってくれるということですか?」
エクスバーンとジュリアは会ったこともないはずだし、何の繋がりもない。
探してもらう義理もないように感じる俺は、困惑しながらもエクスバーンに聞き返すと。
「当たり前じゃ!
エレインは我の子分じゃろう!
それなら、子分の部下も我の子分みたいなもんじゃ!」
そう言って胸を張るエクスバーン。
俺はその言葉に驚いた。
どうやら、エクスバーンは意外と義理堅いやつらしい。
俺とエクスバーンの『先輩』と『子分』の関係なんて所詮は言葉遊びみたいなものだと捉えていたが、まさか俺の部下であるジュリアのことまで気にしてくれるとは。
それに、もしエクスバーンが捜索に参加してくれるなら、それはとてもありがたいことだ。
なぜなら、エクスバーンは超強力な魔術師だからだ。
迷宮攻略において、魔術師の存在は欠かせない。
様々なモンスターに臨機応変に対応できたり、魔術で罠を回避出来たりすることがあるからだ。
特に、火の魔術が使えない巨大樹の迷宮で現状攻撃魔術を放てる者はいないので、エクスバーンのパーティーへの加入はとてもありがたい申し出なのである。
「先輩、ありがとうございます。
このあと、再び捜索をしにテュクレア大陸の迷宮に戻りますので、是非同行のほどよろしくお願いします」
俺がそう言ってエクスバーンに頭を下げると。
「うむ!」
エクスバーンは満足気にニコリと笑いながら頷いた。
それを見た後、待っていましたとばかりに今度はサラがバリー寮長を見ながら口を開いた。
「それで、バリー?
テュクレア大陸の迷宮っていうのは何のことだわさ?
あたしは、テュクレア大陸に迷宮があるなんて聞いたことがないけどねぇ。
それに、幻影の花といえば、例の覚書に出てくるパラダインの育てていたっていうモンスターじゃないだわさ?」
羽ペンを動かす手を止め、鋭い目付きでバリー寮長を見上げながら問いただすサラ。
それに対して、バリー寮長も説明を続ける。
「ああ、そうだよ。
テュクレア大陸の迷宮で、例の覚書に書かれていた幻影の花と特徴が全て一致したモンスターに遭遇して、こいつらはそいつの毒針に刺されてこうなっているってわけさ」
バリー寮長の説明を聞いて、難しい顔をするサラ。
普段、表情が全く変わらないサラがこういった顔をするということは、相当おかしな事態のようだ。
「悪いけど、何があったか最初から順に説明してもらっていいかねぇ?」
「ああ、分かったよ」
そう言って、バリー寮長はサラに今日一日べネセクト王国に転移してから何があったのかを順を追って説明し始めた。




