第十話「決闘」
「業火に燃え盛る……」
俺が踏み込んだ瞬間、ジムハルトは左手を俺に向けて呪文の詠唱を始めた。
あの文言はルイシャから習った。
火属性魔術を使用する場合に、最初に絶対言わなければならない精霊への祈祷文言だ。
おそらく、炎を具現化させる攻撃魔術か防御魔術だろう。
左手を俺に向けていることから察するに攻撃魔術だろうが。
無い物の具現化は、ある物に干渉するより魔力の負担が大きいと聞いている。
この場では土や風の魔術を使う方が有効だと思うが、火属性魔術にそれなりの自信があるのだろうか。
俺が知っている初級の炎を生み出す攻撃魔法は、「火炎球」と「炎射矢」くらいだ。
一度、ルイシャに見せてもらったが、どちらもかなりのスピードがでる。
炎射矢のほうが火炎球より速かったのは覚えている。
特に、ルイシャの放つ炎射矢に関しては、普通の弓矢よりも圧倒的に速いスピードで飛んでいたので、三歳の俺では当然に避けきれないだろう。
ただ、ルイシャが言うには、射出速度は自分で決めるのだとか。
魔術の射出速度の調整は難しく、通常より速く射出するには、それだけ通常よりも魔力を必要とするらしい。
ジムハルトがルイシャほどの速度で魔術を放てるとは思えないが、注意は必要である。
俺は上段に紫闇刀を構えながら、勢いよくジムハルトに向かって走る。
「……炎の化身!
全てを燃やし恵みを与える、火の精霊よ!
火矢を放ち……」
残り五メートル。
ジムハルトの詠唱が思ったより速く、魔術が完成する前にジムハルトの元に到達するのは不可能だと瞬間的に察した。
それと同時に、ジムハルトが使う魔術も分かった。
「火矢を放ち……」のあとに来る魔術といえば、俺が知ってる中ではこれしかない。
「炎射矢」が飛んでくるだろう。
ここまでは想定内ではあるのだが、かなり厄介な状況だ。
炎射矢がどれくらいのスピードで飛んでくるかが分からない。
だが、避ける方法はある。
ジムハルトの左手と発射タイミングに注意するのだ。
おそらく、詠唱が完了した瞬間に炎射矢は飛んでくる。
そのタイミングに左手の射線から外れればいい。
全力で横に飛べば、この体でもなんとか射線から外れることはできるだろう。
だが、飛ぶタイミングが難しい。
飛ぶのが速すぎれば、避ける方向に即座に射線を合わせられて恰好の的。
逆に遅すぎれば、回避が間に合わずに致命傷だ。
タイミングが速すぎても遅すぎてもいけない。
俺は、全身全霊でジムハルトの声を聞き、左手を注視する。
「……かの者を貫け!
炎射矢!」
予想通りの文言。
ジムハルトの目がかっと開いた瞬間。
俺は右前方に前転しながら回避する。
走っている勢いを失わないように回避をするためだ。
「なっ...」
ジムハルトの驚く声がかすかに聞こえた。
転がってる最中、一瞬上空が見えた。
上空には一筋の炎の線が通る。
どうやら回避した先の俺の真上を炎射矢は通過したらしい。
俺の回避したタイミングは、やや速かったようだ。
俺の回避に気づいたジムハルトは、ギリギリで俺の方向に射線を合わせたのだろう。
しかし、ギリギリだったため、俺の前転には対応できなかったようだ。
俺が普通に走っていたら心臓に直撃していたであろう部分に炎射矢は通り、空を切る。
前転の着地ポイントはジムハルトの一メートル前方付近。
起き上がったと同時に剣を振る。
重力と前転で得た遠心力まで合わさっているため威力は倍増だ。
「うおおおおお!」
俺は叫びながらジムハルトの頭を狙う。
前転の起き上がりと同時に剣を振っているため、モーションの速さにジムハルトも対応できていない。
ジムハルトの頭と俺の剣の距離はわずか二十センチほど。
ジムハルトは俺の剣筋を見て表情が歪む。
もらった!
そう思った瞬間。
俺の剣とジムハルトの間に細い剣が現れたように見えた。
ギーン!
と、大きな鉄と鉄がぶつかる音が鳴った。
それと同時に俺の手に大きな振動が伝わる。
何が起きたのかわからずに目の前をよく見る。
そこには、ジャリーが背後からジムハルトの頭を抱えて立っていた。
左手には細い剣を持ち、俺の紫闇刀を止めている。
嘘だろ?
俺は走り出したとき、途中で間に立っていたジャリーを追い抜いた。
その後も後ろにジャリーがいる気配はしていた。
しかし気が付くと、ジャリーはジムハルトの背後に現れた。
そう、現れたのだ。
いないところにいきなり現れたような感覚。
どういうことだ。
「すまんな、エレイン。
お前はこいつを殺したかったかもしれないが、シリウスから死人は出ないように頼まれていてな」
「い、いえ。
ジムハルトお兄様を殺すつもりはなかったので大丈夫ですよ」
そう言ってジムハルトを見ると、顔面蒼白だった。
俺を見て恐怖しているような様子。
「はっはっは。
面白いことをぬかすな、エレイン」
いつも表情があまりないジャリーが、少し表情を崩して面白そうに笑っている。
そして、真顔に戻ってこちらをギロリと睨む。
「今の一刀。
私が防がなかったら、このガキは間違いなく死んでいたぞ。
殺すつもりがなかった、なんて嘘だろう?」
図星だった。
殺すつもりはなかった、なんていうのは確かに嘘だ。
生前、人を殺したことは何度もある。
そのため、ジムハルトを殺すことに抵抗はなかった。
ジャリーが止めていなければ、俺はジムハルトを殺していただろう。
「嘘をついてすみませんジャリー。
それでも、兄を殺そうとしていたなんて、体裁が悪いじゃないですか」
正直に言った。
ジャリーの睨みが怖かったからだ。
嘘と判断されて、何をされるか分かったものではない。
するとジャリーは少しだけ笑った。
「ふっ。
お前は利口な子供だな。
だが、お前も知っておいた方が良い。
この世界で決闘が始まったら、家族であろうと容赦をする必要はない。
逆に手を抜く方が軽蔑され、罰せられる。
決闘とは、そういうものだ」
ジャリーは淡々と言うと、去っていった。
その後、俺のもとに何人か集まってきた。
まず走ってやってきたのは、サシャだった。
「エレイン様、大丈夫ですか!
どこかお怪我はありませんか?」
「いや、大丈夫」
すぐに治療魔術をかけようとするサシャを止める。
現に俺は何も怪我をしていない。
少し疲れているくらいだ。
それから、イラティナも飛んできた。
「エレインー!
頑張ったねー!
よしよし、お姉ちゃんの胸に抱き着いていいんだよ~!」
と言いながら、むしろイラティナが俺に抱き着いてきた。
勢いで倒されて、少し背中が痛い。
「こら、イラティナ!
エレインに余計な怪我させないで!」
後ろから、レイラがイラティナを叱りながらやってくる。
レイラも俺が無事でほっとしている様子だ。
そして、その後ろでやや難しい顔をしているシリウス。
「エレイン、ジムハルト。
二人とも良く健闘した。
結果的に勝ったのはエレインだったが、良い決闘だったと思う。
しかしながら、結果は結果だ。
ジムハルトの奴隷であったフェロは、奴隷契約を解消させて、エレインに引き渡そう」
ジムハルトは真っ白な顔をして、シリウスの声が耳に届いていない様子だった。
すると、急に怒声が割って入る。
「待ちなさい、シリウス!
こんなの決闘じゃありませんわ!
家のジムハルトは負けていません!
ジャリーさんが割り込まなければ、勝っていたのはジムハルトですわ!」
確かに、ジャリーは割り込んできた。
しかし、もしジャリ―が守らなければジムハルトは確実に死んでいただろう。
それなのに、ジムハルトの勝ちを宣言するとは。
今まで何を見ていたのだろうか。
「しかし、ディージャ。
もし、あの場でジャリーが割り込まなければ、下手をするとジムハルトは死んでいたぞ?」
シリウスは分かっているようで、淡々と言う。
しかし、ディージャは折れない。
「何を言ってるんですの?
ジムハルトは生きていますわ!
死んでいないのに、死んでいた、なんて言われても納得出来ませんわ。
私から言わせてもらえば、もしジャリーさんが入らなければ、エレイン王子殿下は負けておりましたわよ!」
高らかに吠えるディージャにシリウスはため息をつく。
そして、俺とジムハルトに目をむける。
「じゃあ、どうする?
お前達、もう一回決闘をやるか?
今度は、ジャリーの介入はなしで」
とシリウスが言うと、ジムハルトは悲鳴をあげた。
「か、か、か、勘弁してくれ……
わ、我は死にたくない!
死にたくない!」
ジムハルトは青ざめた顔で俺を見る。
そして、背中を丸めてメリカ城へと走って逃げてしまった。
「ま、待ちなさい!
ジムハルト、戻ってきなさい!」
と、言いながら追いかけるディージャ。
そんなに戦わせたいなら、お前が戦えよ。
とは思ったが、もうどうでもいい。
そんなことより。
「フェロ!」
俺が叫ぶと、シリウスの後ろでチラチラとこちらを覗き見していたフェロがビクンとする。
「…にゃあに?」
フェロはやや頬を赤らめて俺を見つめてくる。
「フェロ!
今日から俺のところにこい!
ジムハルトの奴隷なんてやめろ!」
すると、フェロの顔はたちまち明るくなった。
フェロはシリウスの足元を離れ、俺のところまで走ってくる。
そして、勢いよく抱き着かれた。
「エレイン!
ありがとにゃん!
本当に、ありがとにゃん!」
フェロの体は震えていた。
目には涙がこぼれている。
俺は、そんなフェロを見て、助けて良かったと思った。
こんな小さな女の子が奴隷なんて、今まで相当辛い思いをしてきたのだろう。
獣人族というだけで、ジムハルトに鎖をつけられて。
そこから解放できただけでも、ジムハルトと決闘した価値はあったと思う。
しかし、シリウスの表情は険しかった。
「エレイン。
決闘で勝ったのはお前だ。
その子とジムハルトの奴隷契約は解除しよう。
だが、お前はその子をどうするんだ?」
「一緒に暮らします」
即答した。
フェロを路頭に迷わせるわけにはいかない。
奴隷から解放したからそれで終わり、というわけにはいかない。
「簡単に言うが、お前はその意味を分かっているのか?
その子はまだ四歳だという。
何も能力がないままずっと城に置いておくわけにはいかないだろう。
それは、お前にとって重りになるぞ」
「分かっていますお父様。
それでも、俺はフェロを助けたかったから助けたんです。
それに、フェロはまだ四歳。
可能性は無限大じゃないですか!
俺がフェロを育てます」
俺はまっすぐにシリウスを見て言う。
フェロは俺に抱き着きながら顔を真っ赤にしている。
すると、険しかったシリウスも二ヤリと笑う。
「わはは!
三歳のお前から「育てる」なんて言葉がでるとはな。
人を育てる大変さもまた学びか。
ふむ、わかった。
お前がフェロと暮らすことを許可しよう!」
俺にぎゅっと抱き着くフェロを見て、面白そうに言うシリウス。
隣でレイラは笑っている。
サシャとイラティナは、俺を取られたと思っているのか、少しむくれている。
俺はそれらを無視をしてフェロを見つめる。
「これからよろしくな、フェロ!」
「よ、よろしくお願いします……にゃん」
フェロは俺に抱き着きながら、恥ずかしそうに答えてくれた。
それでも、尻尾は嬉しそうに揺れているのだった。




