第百四話「大魔王召喚」
私は、天井から月の光が差し込む原っぱの上で横になっていた。
もう身体は動かず、完全に満身創痍である。
スティッピンがどこかへ行った後、何度も脱走を試みたが結局上手くはいかなかった。
そもそも、この足についている足枷を外すことが出来なかったのである。
鎖を固定している杭の周りの土を手で頑張って掘ったりしたのだが、かなり長い杭を刺しているようで掘っても掘っても先端は見えてこなかった。
それならばと思って鎖を破壊することを試みたが、それも失敗に終わった。
足枷に付いている鎖は鋼鉄で出来ていて頑丈だったのである。
剣も持っていない子供の私にこの硬い鎖を壊せるはずもなかった。
杭を取り除けず鎖も外せないのであれば、ここから脱出出来るわけもない。
今の私には脱出不可能であることを悟った私は、一先ず原っぱの上で横になって身体を休めていたのである。
「はあ……。
私どうなっちゃうんだろう……」
思わず独り言のように呟いてしまう。
正直精神的に参っていた。
昨日の夜からずっと拘束されて、まともに動けずにいる。
ここはどこだか分からないし、ずっと一人。
一体、私が何をしたというのだろうか。
涙が出そうになるのを我慢しながら足枷を睨んでいると。
「お疲れ様です……」
急に誰もいないはずの場所からボソッとした声が聞こえた。
「うわあ!」
思わず私は叫び声を上げて飛び起きる。
急いで声がした方を見ると、ボサボサ頭のスティッピンが立っていた。
相変わらず髭も伸ばしっぱなしの不潔な男である。
「何の用よ!」
私は疲労していながらも、なけなしの力を振り絞ってスティッピンにそう叫ぶ。
叫ぶ私とは対照的に、スティッピンはいつもの無表情で気力の無さそうな声をあげた。
「お待たせしました。
ようやく準備が整いました」
スティッピンは私を死んだ魚のような目で見下ろしながら、そう言った。
「準備?」
そういえば、ちょっと前に会ったときにも準備があるとか言っていた。
一体何の準備をしていたというのだろうか。
「それでは皆さん。
設置の方、お願いします」
私がスティッピンの言葉に引っかかっているのを余所に、スティッピンは誰も居ないはずの後方に向かって声をかけた。
すると、誰も居なかったはずの後方から十人ばかりのスティッピンの部下達が急に現れる。
全員スティッピンと同じ、左半身が白、右半身が黒の特徴的な服を着ている。
そして、部下達は長い丸太くらありそうな太くて長い巻物を担ぐようにして持ってくるのだった。
その異様な光景に私が目を白黒させている間に、スティッピンの部下達はテキパキと作業をし始めた。
その丸太くらいありそうな大きな巻物を私とスティッピンの間の原っぱに広げ、部下達はその周りを等間隔で囲うようにして立つのだった。
広げられた巻物の上には、大きな魔法陣が描かれていた。
魔法陣はトラを召喚したときに見たことがあったが、あれとは比べ物にならないほどに大きくて複雑な魔法陣である。
「な、なによこれ!」
私が戸惑いながらも叫ぶと。
今まで無表情を貫いてきたスティッピンが珍しく二ヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ……。
これは、召喚用の魔法陣ですよ……。
これを製作するのに私達は一年以上も研究してきたんです……」
そう言いながら気持ちの悪い笑みを浮かべるスティッピン。
「召喚用?
何を召喚するのよ」
一体、私の前で何を召喚するというのだろうか?
なぜ、その召喚を私の前でやるのだろうか?
そもそも、召喚するだけであれば私を誘拐する必要は無くないだろうか?
なぜ、私をここに連れてきたんだ?
スティッピンの言葉に疑問が止まらない。
そんな私を見て、再び口を開くスティッピン。
「ジュリアさん……。
あなたは、パラダイン・ディマスタ様を知っておりますか……?」
パラダイン・ディマスタ?
聞いたことがある気がする。
私が小さいころ、ママが読み聞かせてくれた絵本に出てきたのをなんとなく覚えている。
確か、人族と戦争をした……。
「魔王?」
私がそう答えると、スティッピンは再び気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「ええ、そうです……。
五千年前に人族に戦争を仕掛けた大魔王パラダイン・ディマスタ様です……。
今はポルデクク大陸の神イスナールによって、とある場所に封印されていたのですが……。
実はつい先日、私はパラダイン様の召喚に成功したのです……!」
先ほどまでのボソボソとした声とは一転、やや声に張りがあるスティッピン。
何やら表情も相当嬉しそうだ。
しかし、私にはスティッピンの言っていることがピンとこなかった。
魔王の召喚?
そもそも、あの召喚の魔法陣はモンスターを召喚するものではなかったのだろうか。
人なんて召喚出来るものなのだろうか。
そんな具合に私が首をかしげていると、召喚魔法陣を囲うスティッピンの部下達が動き出した。
部下達は、召喚魔法陣の外側にいくつか描かれた丸い輪っかの中にそれぞれ手を置いている。
「ふふふ……。
いよいよパラダイン様を召喚できますね……。
パラダイン様にお会いするのは、これで二度目です……」
部下達の様子を見て気持ちの悪い笑みを浮かべるスティッピン。
どうやら今から召喚が始まるらしい。
私は息をのみながら、目の前の大きな魔法陣を見ていると。
「「「「「「召喚!」」」」」」
部下達が声を合わせて、その言葉を口にした。
その瞬間。
目の前にある巨大な魔法陣が光りだす。
私がトラを召喚したときとは比べ物にならないほどの大きな光に、思わず目を手で覆ってしまう。
ドガアァァァァァン!!
急に目の前で轟音が鳴り響く。
「きゃっ!」
私は急な大きな音に驚いて、反射的に頭を抱えてうずくまっていると。
音は鳴りやみ、静かになった。
恐る恐る目の前を覗くと、召喚魔法陣の上には大きな椅子があった。
禍々しさを体現したかのような漆黒の玉座のような椅子の上に、骸骨が座っていた。
その骸骨は、札の張られた鎖で四方八方から身体を縛られていた。
「ひっ……!」
私は骸骨を見て思わず目を背けた。
ただの骸骨だったら何度か見たことあるし、別に怖くもなんともない。
だが、今、あの骸骨はカタカタと手や首が微動していたのである。
人間の白骨死体が動くことなんてあるだろうか。
私は幽霊でも見ているのだろうか。
頭の中が軽くパニックになっていると。
『この召喚は……スティッピンか?』
そんなおおよそ聞いたこともないような声が私の頭の中に鳴り響く。
幻聴だろうか?
誰も喋っていないのになぜ声が聞こえたのだろうか?
そう思っていると、今度はスティッピンの声が聞こえてきた。
「パラダイン様……。
お久しぶりでございます……」
スティッピンはそう言いながら、その場で両手を結んで跪く。
『うむ。
俺様を再び召喚したということは、前に言っていた計画の準備が整ったということか?』
再び頭の中に響き渡る邪悪な声。
どうやら、幻聴ではないらしい。
スティッピンが向いている方向が骸骨なので、おそらくあの骸骨の声なのだろう。
あの骸骨は頭や手が微動しているだけなのに、どうやってこの声を出しているのだろうか。
そもそも、なぜ骸骨が喋っているのだ。
私はこの不可解な状況にただただ違和感しか感じないが、私の違和感は余所にスティッピンと骸骨は会話を続ける。
「はい……。
影の精霊と契約している者を見つけて参りました……。
しかし、やはりパラダイン様の言っていた通り、契約者は影の精霊との契約方法を秘匿しました……」
『だろうな。
それがイカロスの教えだ。
あいつは、自分の技を信頼出来る者にしか教えなかったからな』
頭を微動させながら肯定する骸骨。
『それで?
その場合は契約者を連れてこいと言ったはずだが、契約者は連れてきたのか?』
骸骨のそんな質問が頭の中に鳴り響く。
その質問に対してスティッピンは気持ちの悪い笑顔で回答する。
「ええ、もちろんですとも……!
そこの黒妖精族の子供をご覧ください……!
彼女が、影の精霊の契約者でございます……!」
スティッピンは頭を下げながら私を指さしてそう言う。
すると、骸骨の頭がカタカタと微動して、骸骨の視線がスティッピンから私に向けられる。
急に私に注目が集まりビクッとする。
尻もちをつきながらも、地べたを這うようにゆっくり後ずさると。
『黒妖精族の少女よ。
止まれ』
その瞬間。
私の身体は、私の意思に反して勝手に動きを止めた。
「え……?」
金縛りにあったかのように身体が動かくなり、体中に焦りが走る。
『ふむ。
まだ子供のようだが、本当に影の精霊と契約しているのか?
精霊との契約には膨大な魔力が必要なはずだが』
骸骨は、私の身体をジロジロ見ながら値踏みするようにそう言う。
「調べによると、彼女の母親も影の精霊の契約者のようでして……。
その母親の才能が遺伝したのかと思います……」
骸骨の疑問に対してすぐに答えるスティッピン。
『母親も契約者か。
それならば納得だな。
才能や魔力は遺伝するものだからな。
俺様の寿命も近いから時間は無い。
それでは、早速始めよう』
玉座に座る骸骨は、そう言うと急にカタカタと震えだした。
『黒妖精族の少女よ。
俺様の元に来い』
そんな骸骨の邪悪な声が頭の中に鳴り響くと、私の身体は勝手に立ち上がった。
「え、なんで……」
私の意図とは関係なしに動く足。
なぜ、私の身体は勝手に動いているのだろうか。
まるで誰かに操作されているかのように動く自分の身体に気持ち悪さを感じる。
『俺様の手を取れ』
骸骨が再び命令口調でそう言うと、私の身体は勝手に玉座の肘掛けにのせられた骸骨の手を取ってしまう。
骸骨の手のヒンヤリとした感覚が伝わってきて、私の身体はゾワッとする。
「いやっ……!」
反射的に声を上げるも、身体は動かない。
身体が危険信号を発しているのに動けないとなると、不安が溜まる一方である。
『俺様の言葉を一字一句違わずに復唱しろ』
骸骨は私のことを真っ直ぐ見ながら、邪悪な声でそう言った。
私は涙を流しながら首を振るが、骸骨はそれを無視して言葉を続けた。
『深淵の淵に住む、闇の化身』
「……深淵の淵に住む、闇の化身」
骸骨の言葉が聞こえると、自動的に私の口は動き勝手に声が出る。
私はそれに驚き言葉を止めようとするが、私の口は止まらない。
『光を吸い、影を操る闇の精霊よ』
「光を吸い、影を操る闇の精霊よ」
どんどん呪文のように呟かれる謎の言葉。
私はその意味も分からずに言葉を発する。
『我の前に姿を現せ』
「我の前に姿を現せ」
そこまで唱えた瞬間。
視界が闇に染まった。
先ほどまで目の前にいた骸骨は見えず、ただただ目の前は闇に染まっている。
何も見えない視界の中、私の右手にはカタカタと微動する骸骨の感触があって気持ちが悪い。
一体何がどうなっているのだろうか。
すると、その暗闇の中で声がした。
ジュ……リ……ァ……。
ジュ……リ……ァ……。
およそ人の声とは思えない声が私を呼んでいる。
しかし、私はこの声に聞き覚えがあった。
昔、影の精霊と契約したときに聞いた声だ。
『闇の精霊が現れたようだな。
それでは続けて復唱しろ、黒妖精族の少女よ』
この奇妙な声について考える暇もなく、頭の中には命令口調の骸骨の声が鳴り響く。
『この者を我の影にすることを所望する』
頭の中にこの言葉が鳴り響くと、自動的に私の口も動いた。
「この者を我の影にすることを所望する」
私が頭の中に聞こえた声をそのまま口に出すと。
再び闇の中で奇妙な声が聞こえた。
ワカッタ……オマエヲ……ジュリアノ……カゲニスル……。
その奇妙な声が聞こえた瞬間。
握っていた骸骨の手の微動は止まった。
それと同時に、私は身体に大きな違和感を覚えた。
それは、身体の中を侵食されているかのような気持ちの悪い感触。
「うわああああああああ!」
急に何かが身体の中にこみ上げてくる感覚があり私は思わず叫んだ。
叫ぶと同時に、視界がクリアになっていることに気づく。
いつの間にか、目の前の闇は消え、月明りに照らされた魔法陣と玉座の骸骨が目に入る。
先ほどまで微動していた骸骨は一切微動せず、死んだかのように玉座の上で身体を崩していた。
その様子を見て、スティッピンは立ち上がった。
「どうやら、成功のようですね……。
それでは、ジュリアさんはごゆっくり……。
私はジュリアさんが居なくなったころにまた戻ってきますね……」
スティッピンはそれだけ言うと、魔法陣や玉座を置きっぱなしにして部下と共に壁際まで行き、再び姿を消してしまった。