第百一話「スティッピンの思惑」
気が付くと、私は原っぱの上で寝ていた。
頭がボーッとするような感覚があるが、なんとか身体を起こす。
周りを見渡すと、白い岩で囲まれた広い部屋の中に私はいた。
上を見上げると、天井が一部吹き抜けになっていて、そこから月の光がこちらに向かって差している。
地面には草花がたくさん生えていて、まるで植物園である。
どこだここ。
なんで、私はこんなところにいるのだろう?
そう思った私は記憶を思い出そうとするも、まだ頭がボーッとしていて中々思い出せない。
頭がボーッとすることに気持ち悪さを感じながらも、一先ずその場で立ち上がろうとしたとき。
「わっ!」
私は一人で声を上げながら転倒してしまった。
足が何かに引っ張られて自由に動けない感覚があった。
慌てて起き上がり、足元に目を向けると。
私の足は鎖で繋がれていたのだった。
それを見た瞬間、私は頭の中で記憶が蘇り始めた。
スティッピンとかいう男に捕まったこと。
先ほどまで、牢屋の中に鎖で繋がれていたこと。
記憶が蘇ると同時に、怒りがこみあげてくる。
私は結局、長い時間あの牢屋の中に拘束されていた。
両手両足を鉄の枷で拘束されていたので、全く動けず退屈な時間を過ごした。
料理は配給してくれたからお腹は空かなかったが、とにかく退屈だった。
それから、一度便意を催したときに、牢屋の中に用意されていたのはバケツだけだったので絶望した。
結局我慢出来ずにバケツにしたが、中々回収されなくて牢屋の中はずっと臭かったし、スティッピンの部下が訪れてバケツを回収されたときはとても恥ずかしかった。
片手で私の便が入ったバケツを持ちつつ、もう片方の手で鼻をつまんでいたのを見たときは殺してやろうと思ったが、拘束されていたのでそれも出来なかった。
どうしようもないのでしばらく牢屋でじっとしていたら、スティッピン本人が私のところにやって来たのを覚えている。
確か、スティッピンは私の前で何か魔術の詠唱をした。
スティッピンの手から光が出てきて私の視界が光一杯になったのを覚えている。
そして、私の記憶はそこで途切れている。
私の頭の中からここまで来た記憶が抜けているのは、おそらくスティッピンのあの魔術の影響だろう。
多分、海辺で私が素振りをしていたときに見たあの光もスティッピンの魔術だったに違いない。
この記憶の抜け落ちた感覚を体験するのは二度目なので、頭の悪い私でもいい加減この記憶の混濁が魔術の影響でありそうなことは理解出来てきた。
そして、私をこんな目にあわせているスティッピンに対して、ただただ怒りが湧いてくる。
だが、ただ怒っていてもこの状況は解決しないだろう。
一度深呼吸をしてから、何をするべきか考えてみる。
今頃、私がいないことに気が付いたエレイン達が私のことを探しているかもしれない。
でも、エレインの捜索に期待して、ただここで待つだけで何もしないのは悪手である。
なぜなら、私はおそらく船で別の島かどこかに移動させられたからである。
スティッピンと会話をしたとき、あいつは「船の移動になる」と言っていた。
檻の中にいたときも部屋がユラユラと揺れている感覚があったので、確かに船で移動していたのだろう。
一体どこに移動したのかは分からないが、船で移動したということは海を航海してどこかの島に辿りついたのは確実である。
そう考えると、エレインの捜索では私が見つからない可能性が高い。
きっとエレインはまず大学周辺を探すだろう。
しかし、私は海を越えたどこかの島にいるので見つかるはずもない。
やはり、ここは自力で脱出するしかない。
脱出して、まずは今いる場所がどこか理解しなければならない。
私はそこまで考えてから、自分の手首を見る。
手首には牢屋にいたときに付けていた手枷の跡があるが、手枷は付いていない。
私が寝ている間に手枷を外してくれたのだろう。
牢屋に入っていた時とは違い、今回は枷が足にしかついていないらしい。
手に枷が付いていない分、檻にいたときよりは自由度が高いし楽である。
周りには誰もいないし、今のうちに足枷をどうにかすれば逃げられるかもしれない。
そう思って、私は足枷についた鎖を見る。
鎖はかなり長く、その先端は原っぱの中央に打ちつけられた杭に繋がれていた。
私は足枷がつけられているので、起き上がらずに手で這うようにして杭の方へと移動する。
「……よし」
這ったせいで服に土や草がついているが、今はそんなことはどうでもいい。
ようやく原っぱの中央に辿りついたので、杭に目を向けると。
それは何の変哲もない鉄の杭だった。
土に打ちつけられているので、杭がどれほどの長さかは分からない。
簡単に引っこ抜けることはまずないだろうが、一応試してみよう。
そう思った私は、ゆっくりと杭の鎖が繋がれている部分に手を伸ばした。
バチッ!
「痛っ!」
杭に触れようとした瞬間、手に激痛が走り反射的に手を引っ込める。
すぐに痛みが走った自分の手に目を向けると、指先から赤い血がダラダラと流れていた。
私はそれを見て青ざめる。
今私は杭を触ろうとしたのに、杭を触る前に何かに阻まれた感覚があった。
その見えない壁のような物に触れたことで、どうやら私の指が傷を負ったらしい。
一体どういう仕組みなのだろうか。
私は傷を負った指を抑えながらじっと杭を観察していると。
「おや……。
杭を触ろうとしてしまいましたか……」
そんなボソボソとした声が背後から聞こえてきた。
私は急に声が聞こえて身震いしながらも、声がした方向に振り返る。
そこに立っていたのはスティッピンだった。
スティッピンはいつもの無気力そうな表情でじっと私のことを見下ろしていた。
「あ、あんた!
どこから入ってきたのよ!」
私は声を荒げながらスティッピンに向かって叫んだ。
これは、気配もなく私の意表を突くようにして現れたスティッピンに対しての恐怖や驚きを打ち消すための怒声だったが、実際、扉一つないこの岩に囲まれた空間でどこからこの部屋に入ってきたのかは謎である。
すると、スティッピンは口を開く。
「普通に扉から入ってきましたよ……。
ただ、この部屋の扉には私の幻惑魔術をかけていましてね……。
中からだと見えないようにしているんですよ……」
そう説明しながら、スティッピンは私に近づく。
私はスティッピンが近づいてくることに恐怖しながら、ゆっくりとお尻を地面に擦らせながら後ずさる。
だが、足枷のせいで思うように動けない。
「ち、近づかないで!」
私がそう叫んでもスティッピンは歩みを止めない。
そして、ついに私の目の前まで来た。
「慈愛に満ちた天の主…。
生物を愛し、尊ぶ、神の名を冠する者よ……。
かの者の傷を癒せ……。
治癒」
スティッピンは私に手を向けて呪文を唱えた。
すると、抑えていた私の指の傷が塞がり、痛みが無くなるのだった。
それに驚いて、抑えていた手を離して自分の指をよく見てみるが、先ほどまで出血していたのに今は傷が塞がって血が全く出なくなっていた。
「忠告しておきますが、あの杭には私の結界魔術が施されていますので、もし触ろうとしたらそのように傷を負ってしまいます……。
なので、あの杭には出来るだけ近づかない方がいいですよ……。
私は治癒魔術に関しては初級の治癒しか使えませんので、それ以上怪我をされたら治せません……。
くれぐれも気を付けてくださいね……。
あなたは大切な器ですので……」
私はそう忠告してくれるスティッピンが気持ち悪かった。
なぜ、私の傷を治してくれたのだろうか。
こいつは私を誘拐した敵だというのに、敵に怪我を治されたことに違和感を感じる。
大切な器という言葉の意味もよく分からない。
「ここはどこよ!」
私はスティッピンに嫌悪感を感じつつも、とりあえず会話をするためにそう叫んだ。
こいつから何か一つでも情報を引き出そうという魂胆である。
「ここは、そうですね……。
あなたの故郷とでもいうべき場所でしょうか……」
そんな含みのある言い方をするスティッピン。
私の故郷?
ということは、メリカ王国?
いや、そんなはずはない。
大学からメリカ王国に帰るには、馬で二ヶ月はかかる。
まだ一日しか経っていないし、ここがメリカ王国なはずがないだろう。
どうやら、こいつは場所を教える気がないらしい。
「何のために私をここに連れてきたのよ!
私をここから出しなさい!」
私がスティッピンに向かってそう叫んでも、スティッピンの表情は相変わらず無表情。
そのボサボサとした髪と不健康そうな身体を見ているだけで、なんだかイライラしてくる。
そんな私の感情など一切興味無さそうにしながら、スティッピンは口を開いた。
「そうですね……。
ジュリアさん、あなたを誘拐したのは闇の精霊……。
あなたの国で言う所の影の精霊と契約した者のみが発動出来る神級魔術を使っていただくためです……」
私は、スティッピンの言った言葉の意味が理解出来なかった。
神級魔術?
そんな言葉、聞いたことがなかった。
前にサシャから魔術がランク分けされているという話を聞いたことがあった。
初級・中級・上級に分かれていて、上級魔術は詠唱が長い分強力な魔術を放てるのだとか。
しかし、神級魔術という言葉は聞いたことがない。
影の精霊と契約した者のみが使えると言われても、そんな話はママから聞いていない。
一体何のことを言っているのだろうか。
私が首をかしげていると、スティッピンは言葉を続けた。
「まあ、あなたは理解しなくても大丈夫です……。
いずれ嫌でも理解することになりますので……。
今はその準備中ですので、もう少々ここで休んでいてくださいね……」
スティッピンはそれだけ言うと、クルリと身を翻してここを歩き去ろうとする。
私は、この瞬間チャンスだと思った。
(影法師!)
私はスティッピンの背後に転移するために影法師を発動しようとする。
しかし。
「あれ?」
影法師は発動しなかった。
この感覚を体験するのは二度目である。
すると、スティッピンが歩くのを止めてこちらを振り返る。
「ああ、そうでした……。
言い忘れていましたが、船の牢屋同様ここも魔術は使えませんので、その影移動も使えませんよ……。
ここは神級魔術のために吸魔石を壁に敷き詰めた特別な部屋になっていましてね……」
と、ぼそぼそ説明するスティッピン。
私はその態度に余計にイライラする。
「トラはどこにいるのよ!」
私はイライラしながらも、スティッピンに質問する。
私にとって心配なのはパンダのトラがどこにいるのかということだった。
船では、別の場所にいると言っていたが。
まさか、捨てられたりはしていないだろうな。
「あのパンダでしたら、別の部屋に閉じ込めていますよ……。
前にも言いましたが、もしジュリアさんが闇の精霊との契約方法を教えてくれたら、あのパンダも持っていた剣もお返しして大学に帰しますが、どうしますか?」
目を細めながら聞いてくるスティッピン。
だが、私は首を横に振る。
「いやよ!
教えられないわ!
ママとの約束なんだから!」
私がそう叫ぶと、スティッピンの無気力そうな顔が少し暗い表情になる。
「そうですか、残念ですが分かりました……。
私もあなたみたいな子供を危険な目には合わせたくないんですがね……」
それだけ言い残して、スティッピンは再びクルリと踵を返す。
そして、スティッピンは部屋の端の方まで進むと、霧のように姿を消した。
「なんなのよ、あいつ!」
私は一人、原っぱの上に座りながらそう叫んだのだった。