第百話「マリンの助言」
「知ってるのかい?」
バリー寮長はマリンに聞き返した。
ジュリアの居場所の手がかりが分かるかもしれないということで、サシャとピグモンとドリアンも料理を食べる手を止めてマリンに注目を集める。
「ああ。
あいつらはこの辺だと結構有名だぞ。
一年前くらいからここらをうろつく様になったんだ。
確か、スティッピンだったか?
あのひょろっとした男がリーダーだったはずだ」
マリンは酒を飲む手を止めてそう言った。
まさかのいきなりビンゴである。
正直、ただの酒飲みだと思ってあまり期待していなかったので、マリアの口からスティッピンという言葉が出たことに驚きを隠せなかった。
すると、今度はマリアがバリー寮長に質問を返す。
「それで?
あいつらがどうかしたのかい?」
マリアは酒を飲んで酔ってはいるようだが、顔は真剣そのものでバリー寮長を問い詰める。
「うちの大学の生徒が誘拐されたんだよ。
そこのエレインっていう子の護衛だ」
バリー寮長がそう言うと、マリンは拍子抜けたような顔をする。
そして、俺を見ながら鼻を鳴らした。
「はっ!
護衛のくせに誘拐されたのかい!」
そう馬鹿にするかのように笑うマリン。
俺はそのマリンの態度に腹が立ったが、俺が何かを言う前に先に声をあげたのはピグモンだった。
「お前!
ジュリアを馬鹿にするつもりぶひか!」
そう怒声をあげながらピグモンは背中の大斧に手をかけた。
その瞬間。
マリンは姿を一瞬消した。
そして、視界に捕らえたときにはピグモンの懐に潜り、魚を切るときに使っていた食事用のナイフをピグモンの首筋に当てていた。
「おい、豚。
私の船で何をするつもりだい?」
その声は先ほどまでの明るい声とは異なり、低く冷淡な声だった。
そして、まるで今から人でも殺すかのような殺意のこもった視線をピグモンに向けるマリン。
それを見てピグモンは動きを止めて、顔を青ざめさせながら大斧から手を離す。
サシャとドリアンはその一瞬の出来事に唖然として声も出ない様子。
一瞬で張り詰めた空気へと様変わりしてしまい、俺もどうすればいいのか分からない。
そんな緊張感漂う中、最初にマリンに向けて言葉を放ったのはバリー寮長だった。
「マリン。
うちの大学の生徒をいじめないでくれ。
サラが怒るよ」
バリー寮長がそう言うと、マリンはピグモンの首筋に当てていたナイフをすぐに離して両手をあげた。
「サラの名前を出されたら仕方ないねえ。
またあいつに殺されかけるのは二度と御免だ」
そう言ってナイフを丸机の上に置くマリン。
緊張状態から解放されたピグモンは深く息をしながらマリンを睨んでいた。
すると、バリー寮長がピグモンに向かって口を開いた。
「ピグモン。
マリンに殺意を向けるのは止めときな。
こいつは普通に接していれば気のいいやつだけど、悪意を持った相手には容赦しないからねえ。
私がいなければその首飛んでたんじゃないかい?」
淡々とそう言うバリー寮長の言葉に、ピグモンの顔は身震いしていた。
それにしても、恐ろしく素早い動きだった。
シュカの動きにも引けを取らない目にもとまらぬスピードで的確にピグモンの首筋にナイフを持っていったその動きは、さながら忍者である。
「マリンさんは、お強いんですね……」
俺がそう言うと、二ヤリと笑うマリン。
「私は海賊の船長なんだ。
強いのは当たり前だろう?
昔、サラのパーティーにいたときも私はバリーより強かったしね」
と、腕を組みながら鼻高々に自慢するように言うマリン。
それを聞いて、今度はバリー寮長が怖い顔をする。
「ああ?
いつマリンがあたしより強かったって言うんだい?
いつも私に喧嘩で負けていたのを忘れたのかい?」
威嚇をするかのように啖呵を切るバリー寮長に応戦するマリン。
「忘れた?
バリーこそ、私に負けたのをもう忘れたのかい?
年を取って脳みそまで劣化しちゃったみたいだねえ」
その挑発するかのような口調に、バリー寮長のこめかみに血筋が浮き出る。
「だったら、今ここで勝負するかい?
久しぶりにどっちが上か分からせないとねぇ」
「はっ!
望むところだよ!」
二人は酒が回っているせいか徐々にヒートアップしていき、ついに席を立ち上がった。
バリー寮長は両手に拳を作り、半身を前にしてマリンに向かって構える。
相対するマリンは腰から太ももに巻きつけていたホルダーからダガーを二本抜き取って、バリーに向かって構える。
おいおい。
今度はこっちかよ。
俺は呆れるように二人を見る。
どうやら、マリンという女性はどうにも喧嘩っ早いタチらしい。
バリー寮長も酔っぱらっているのか、やる気である。
そして、数瞬の沈黙が流れる。
周りにいるマリンの部下達は、別に止める様子もなくただ見ている。
何かのきっかけがあれば、決闘は始まるだろう。
元S級冒険者で身体が大きくて強そうなバリー寮長と、先ほどシュカ並みの俊敏さを見せたマリン。
この二人が決闘したら一体どうなってしまうのか分からない。
俺は椅子を動かしてジリジリと二人から距離を取るように後ずさりしていると。
丸机の脚にひっかかり、先ほどまで食事に使っていた箸が床へと落ちる。
それが合図だった。
バリー寮長は勢いよくマリンに向かって正拳突きを放ち、マリンはそれを避けるようにして俊敏に動き、側面からバリー寮長に襲い掛かろうとする。
その瞬間。
「止めてくださーーーーーーーーーーーーーい!!!」
その叫び声とともに、バリー寮長とマリンに向かって突風が巻き起こる。
そして、バリー寮長とマリンは瞬時にそれを察知し、突風から逃れるようにお互い離れるように対称に回避する。
俺は吹き飛ばされる丸机から退避するように頭を下げながら突風が発生した方向を見ると。
そこには、緑色に光る魔剣、烈風刀を勢いよく振り下ろしたサシャが怒りの表情で立っていた。
「何してるんですかバリーさん!
ジュリアが誘拐されているというのに、こんなところで喧嘩している場合ではないでしょう!
お酒も飲まないって言ってたじゃないですか!
しっかりしてください!」
バリー寮長に説教するように叫ぶサシャ。
それを見たバリー寮長とマリンは、呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。
それもそのはずだ。
突風の威力はとんでもなかったからである。
サシャの烈風刀が放った突風は食器ごと丸机を吹っ飛ばし、奥の壁に小さな穴まで空けてしまっていたのだ。
マリンがバリー寮長と喧嘩を初めても余裕そうにしていたマリンの部下達も、サシャの放った突風には驚いて頭を下げながら隅の方に退避している。
流石は九十九魔剣の威力だ。
というか、サシャが実戦で烈風刀を使ってるところを初めて見たな。
なんて思っていると、バリー寮長が口を開いた。
「サシャの言った通りだよ、悪かったね。
おかげで酔いが覚めたよ」
そう短く謝罪をするバリー寮長。
だが、マリンの反応は違った。
「それは魔剣かい?
久しぶりに見たねぇ。
中々面白い技を持っているじゃないか」
マリンはサシャが持つ烈風刀に興味を示している様子。
そんなマリンにため息混じりに声をかけるバリー寮長。
「おい、マリン。
こっちは、生徒が一人誘拐されて気が立ってるんだ。
この子が怒ってるのを見れば、それくらい分かるだろ?
早く、スティッピンの居場所を教えな」
バリー寮長にそう言われると、マリンは素直に頷いた。
「いいよ。
そこの豚にはイラついたけど、面白いものを見せてもらえたしね」
愉快そうにそう言うと、マリンは部屋の隅で怯えるように頭を下げる妖精族の部下の一人に声をかけた。
「~~・・・!
~~~~~・~!」
「~~!」
声を掛けたのは、最初にここに転移したときにサシャとお話していた青年だった。
青年はマリンの言葉に頷くと、走って部屋を出て行く。
その間に、部屋の隅に吹き飛ばされた丸机を俺達の前に置きなおすマリンの部下たち。
床にぶちまけられた料理は全て回収され、すぐに綺麗になる。
そしてしばらくすると、部屋を出て行った青年は巻物にされた大きな羊皮紙を持ってこちらに戻ってきた。
マリンはその巻物を受け取ると、丸机の上にバッと開いた。
丸机に近づいてその大きな羊皮紙を覗くと、そこには地図が描かれていた。
「これはテュクレア大陸全体の地図だ」
そう言った後に、マリンは地図内のある一点を指で指し示す。
「あいつらが潜伏しているのは、おそらくこのあたりだよ。
妖精族と黒妖精族の居住区の丁度狭間にある大森林地帯だ」
そこはテュクレア大陸内の南東のあたりだった。
そういえばメリカ城で読んだ本に、黒妖精族が南東の辺りに住んでいて、妖精族は近づかないようにしているというような話が書いてあった。
つまり、マリンが指し示した場所は黒妖精族の居住区域の手前の辺りということだろう。
「おそらくってことは、確実というわけではないということかい?」
マリンの説明を聞いて、バリー寮長が問いかけると。
マリンは首を横に振る。
「いや、ほとんど確実だよ。
そもそも、テュクレア大陸は他の大陸と違って特殊でねえ。
普通は、よそ者がテュクレア大陸に移住することなんて出来ないんだ。
うちら妖精族はよそ者が嫌いだからねえ。
特に魔族の男なんて来た日には、すぐに血祭りにあげるのがこの大陸だよ。
だから、たとえ人族だとしても妖精族の居住区に一年も滞在なんて許されない。
そうなってくると、よそ者が住める場所なんて妖精族と黒妖精族の居住区のどちらからも離れたこの辺りしかあり得ないってことだよ。
それに、最近偶に会う黒妖精族達から、この辺りに変な奴らがいるっていう噂も聞いているしね」
なるほど。
テュクレア大陸は他種族に対して排他的ということか。
それに関してはバビロン大陸も似た状況だったから分からなくはない。
とはいえ、魔族の男を血祭りに上げるということは、テュクレア大陸の他種族に対する拒絶はもしかするとバビロン大陸以上なのかもしれない。
それならば、スティッピンが妖精族と黒妖精族の居住区から外れたこの場所に潜伏しているのは納得である。
噂も立っているなら、ほぼ間違いなくここに潜伏しているのだろう。
「バリー。
この辺りは来たことあるかい?」
「いや。
テュクレア大陸には何度か来ているけど、南東の方に行ったことはないね。
黒妖精族共をを刺激すると良くないからね」
「それなら、一応忠告しておくよ。
この辺りに出る魔物は最近強くなっているって話だよ。
何やら、大森林の中に迷宮が出来たらしくてねえ」
「迷宮だって?
本当かい?
テュクレア大陸に迷宮があるなんて初めて聞いたよ」
迷宮という言葉を聞いて、驚いたような顔をするバリー寮長。
それに対してマリンは神妙な面持ちで首を縦に振った。
「理由はよく分からないんだけどねえ。
丁度一年ほど前に出来たらしいんだ。
大森林の中にある一際でかい大木の中に迷宮があるって話しだよ。
だから、この辺りは妖精族も黒妖精族もあまり近づかないようにしてるらしい。
迷宮なんて冒険者以外には厄介な場所でしかないからね。
まあ、バリーなら迷宮攻略なんてお手の物かもしれないが、まさかスティッピンとかいう奴が迷宮の中に潜伏してるなんてことは無いだろうし、お前たちも迷宮を見つけたら迂回した方がいいんじゃないか?」
そう助言してくれるマリン。
大木の中に迷宮?
そんな迷宮、前世でも聞いたことがないな。
そもそも、迷宮というのは魔力が高密度に溜まった場所に発生すると言われている。
元々迷宮がその場所に無かったのだとしたら、迷宮が発生した理由が何かあるはずだ。
一年ほど前に出来た迷宮ということは、スティッピンが潜伏し始めた時期と重なるわけだし、気になるところだな。
そう俺が考えている隣で、バリー寮長は助言してくれたマリンに大きく頷いた。
「事情は大体分かったよ。
情報ありがとね」
バリー寮長が感謝の言葉を言うと、マリンはニコリと笑った。
「感謝なんかしなくていいよ。
これは、酒を一緒に飲んでくれた駄賃さ。
それより、今日はもうそろそろ暗くなるけど、泊まっていくかい?」
マリンは部屋の窓から外を見ながらそう言った。
外は夕焼け空で、太陽が地平線辺りに見える。
もう少しすれば日も沈みそうである。
すると、バリー寮長は俺を見る。
「あたしはどっちでも構わないが、一旦休むかい?
それとも、夜間探索をするかい?」
その質問にノータイムで俺は答えた。
「寝る時間が勿体ないです。
夜間探索を行いましょう」
今この時間もジュリアは危機に瀕しているかもしれない。
それならば、今すぐにでも探索を開始するべきだろう。
俺の言葉にバリー寮長は頷いた。
「そういうことだ、マリン。
私達は今すぐにここを出る。
世話になったね」
それを聞くと、マリンはやれやれと言った様子で両手を上げるジェスチャーをする。
「夜間の方がモンスターが凶暴で危険なんだけどねえ。
まあ、バリーがいれば大丈夫か。
精々気を付けるんだね」
こうして、俺達はマリンと別れることになる。
そして、ジュリアを探すためにテュクレア大陸の大森林へと足を運ぶのだった。