第九十九話「マリン・アーク」
扉を抜けると、目の前に見えたのは大きな船だった。
船はぷかぷかと海の上に浮いている。
あたりを見回すと何隻か船がある。
どうやらどこかの港に転移したらしい。
頭でそこまで理解しながら船を見上げていると。
横から叫び声が聞こえた。
「~~・・・~~~~・~~!!」
なにやら聞きなれない言葉に驚いて振り向くと。
そこには船の船員風の恰好をした一人の青年が立っていた。
青年は急に現れた俺に驚いている様子。
よく見れば肌が透き通ったように白く、緑の髪で耳も尖っている。
どう見ても妖精族である。
よく考えてみれば、ここはテュクレア大陸。
テュクレア大陸といえば妖精族が住む大陸。
妖精族がここにいるのは当然といえば当然である。
むしろ、よそ者の俺がここにいきなり現れて、この青年も驚いているといったところだろう。
それにしても、この青年が発した聞きなれない言語。
今のが、妖精語だろうか?
驚く青年をじっと見ながら冷静にそう分析していると。
「全員転移したね?
扉を閉めるよ」
後ろからバリー寮長の声が聞こえてきた。
振り返ると、サシャとピグモンとドリアンも目の前の船を見上げていた。
どうやら全員無事転移できたようだ。
すると、先ほどの妖精族の青年が再び口を開いた。
「・・・!
~~~~~!!
~~~~・・・・~~~~!!!!」
俺の後ろから続々と人が転移して驚いたのか、妖精語で俺達に捲し立てるように叫ぶが、何を言っているのか分からない。
「な、何か怒ってるぶひ?」
「何言ってるか分からねえなー」
ピグモンとドリアンがその青年に困惑したように声をあげると。
サシャが青年に向かって一歩近づいた。
「・・・~~・・・。
~~・・・~~~~?」
サシャの口からも青年と同じ、聞いたことのない言語が発せられる。
それを聞いて、先ほどまで動揺していた青年も少し安心した様な表情になる。
「~~・・・~?」
「・・・~・・~」
「~~~~!?」
「~~~!
~・・~~~」
「~~~……。
・・~~~~!」
サシャと青年が知らない言語で会話を繰り広げ始めた。
どんな内容の会話をしているのかさっぱり分からないが、先ほどまで俺達が急に現れて動揺している様子だった青年も、サシャと話していくうちにうんうんと頷いて何かを納得した様子。
会話を終えると、青年はサシャに何かを言い残して急ぎ足で船へと乗り込みに行ってしまった。
そして、サシャは俺の方を振り返る。
「どうやら、あの方は船の乗組員の方みたいです。
いきなり私達が現れて驚いたみたいですけど、私がちゃんと説明しておきましたから大丈夫です。
それから、白黒の恰好をした怪しい人達を見なかったか聞いたんですけど、分からないって言ってました……。
でも、ジュリアの失踪のことを伝えたら、船員にも聞いてみるからちょっと待っててくれと言ってくれました!」
報告を聞いて、俺はサシャに感服した。
今の短時間で、青年と打ち解けて協力してもらうとは流石である。
ピグモンとドリアンも、サシャの意外な一面を見て目を丸くしている。
「サシャ。
今のは妖精語か?」
「はい。
一応、私も妖精族なので」
そう苦笑いしながら言うサシャ。
この表情から察するに、やはりサシャは半妖精族であることに少し引け目を感じているらしい。
だからこその、『一応』なのだろう。
まあ、サシャは過去に色々あってメリカ城で俺のメイドをしていたが、元々テュクレア大陸に住んでいた。
妖精語を話せるのも当然ということか。
「妖精語まで喋られるなんて、流石サシャさんですね!」
「そ、そんなことないですよ」
相変わらずサシャに対しては敬語で褒めちぎるドリアン。
俺に対してもその尊敬をしてほしいと思いながら白い眼でドリアンを見ていると。
「おい。
いきなり現れたよそ者ってのは、お前達かい?」
何やら、船の方からそんな声が聞こえてきた。
その声を聞いて船の方を見上げると、船から続く階段をゆっくりと降りてくる|女性がいた。
それを見て、俺は思わずドキッとしてしまう。
なぜなら、その女性は妖艶という言葉が似合うような綺麗なお姉さんだったからだ。
三角帽を被った船長風の恰好をした赤髪の女性。
露出度の高いその恰好を良く見てみると、胸やお尻がボンッと出っぱっていて、お腹がキュッと引っ込んだ、正にボンキュッボンといったスタイル。
そんな彼女の胸に思わず目を奪われていると。
「おや、坊や。
私の身体に何かついてるかい?」
挑発するような口調でニコリと笑うお姉さんに驚いて、慌てて目を逸らす。
五歳の俺にはまだ女性に対する欲などはあまり無いと思っていたのだが、何かに目覚めそうになる妖艶さである。
すると、急に手に激痛が走る。
「痛ッ……」
痛みが走る手に目線を向けると、俺の手を握っていたのはサシャの手だった。
「エレイン様?
どこ見てるんですか?」
「い、いや……」
ニコリと笑顔を作りながらも、俺の手を強めに握るサシャ。
表情と行動が乖離していて中々怖いものがある。
サシャは、俺が女性を見ていると怒るときがある。
大体怒るときは、女性の胸を見ているときだ。
おそらく、サシャは自分に胸が無いから胸の大きな女性に見惚れていると嫉妬してしまうのだろう。
俺はそう理解しながらも、誤魔化すようにして苦笑いを浮かべていると。
「あら?
久しぶりじゃないか、マリン」
転移鍵で扉を閉め終わったらしいバリー寮長が、後ろからそのお姉さんに向かって話しかけた。
その言葉に反応して、バリー寮長を見るお姉さん。
お姉さんはバリー寮長を見て驚いたように目を大きく見開いた。
「まさか、バリーかい!?
久しぶりじゃないか!
しばらく会わない間に、あんた老けたんじゃないかい?
三十年ぶりくらいだねえ!」
バリー寮長を見るや、急に興奮したようにそう叫ぶお姉さん。
三十年ぶり?
お姉さんの容姿は、二十代前半くらいにしか見えないのだが。
圧倒的に年上であろうバリーに対してタメ口というのは、この人の性格ゆえだろうか。
「バリー!
久しぶりに会ったんだ!
酒を飲もう!」
そう叫ぶと、バリー寮長の返事を聞く間もなくお姉さんは船へと戻って行ってしまった。
そのお姉さんの後ろ姿を見てため息をつくバリー寮長。
「ハァ……相変わらずだねぇ……」
「相変わらず」という言葉から、バリー寮長とマリンと呼ばれていたお姉さんが昔からの知り合いであることが分かる。
一体、どういった知り合いなのか気になるところだ。
そう思って、ため息をつくバリー寮長に俺は声をかけた。
「バリー寮長、あの人は一体……?」
俺がそう聞くと、バリー寮長はようやく俺達に説明してくれた。
「あいつはマリン・アーク。
このあたりの海を仕切ってる妖精海賊団の船長だよ。
あいつは海賊やってるだけあって、海に関しては情報通だ。
ジュリアの情報も持ってるかもしれないから、一旦船に行くよ」
そう言うと、バリー寮長はマリンの後を追うように船へと歩き始めた。
妖精海賊団?
海賊といえば、人を襲ったり物を奪ったりする海の悪漢である。
前世では汚らしい男が海賊をやっているのを何度か見たことがあるが、あの綺麗な女性も海賊でしかも船長ということなのか?
あまり理解が追いつかないが、俺は部下を連れて一先ずバリー寮長の後を追うことにした。
ーーー
マリンを追うと、船の一室に辿りついた。
元々大きな船であるだけに、それなりに広い部屋である。
部屋の端には、船員と思われる妖精族たちがズラリと並んでこちらを見てくるので少し委縮してしまう。
すると、俺達を呼ぶ声が聞こえた。
「ほらバリー!
飯と酒を出すから早く座りな!」
その真ん中に大きな丸机が置かれていて、そこにマリンは座っていた。
丸机の上には、既に豪勢な魚介料理とお酒が用意されていた。
言われて思い出したが、今日はまだご飯を食べていなかった。
昨日の夜にジュリアが居なくなってからずっとジュリアを探していて、ご飯を食べるような余裕が無かった。
マリンのその言葉を聞いて、急にお腹が空いてきてしまう。
ぐぅぅぅぅぅ。
ごろごろごろ。
ぐるるるるる。
ぐぅ。
部屋の中で腹の音がいくつか共鳴する。
そういえば、ご飯を食べていないのは俺だけではなかった。
サシャもピグモンもドリアンも俺と同じくお腹が空いていたようで、俺達の腹は一斉に鳴ってしまった。
「なんだい、お前達!
腹が減ってるなら早く食べな!
バリーの連れなら、いくらでも歓迎するよ!
美味い料理ならいくらでもあるからね!」
その言葉を聞いて、俺達の目は輝き、一同口から涎が垂れる。
そんな俺達を見てため息をつきながらバリー寮長が口を開いた。
「あたしは酒は飲まんからね」
席に座るバリー寮長を追うようにして、俺達も急いで席に座るのだった。
ーーー
「バリーも昔は美人だったのに、すっかりおばさんになっちまって!
時が流れるのは早いねえ」
「私は人族だからね。
妖精族のマリンのようにいつまでも若くはいられないんだよ」
「人族は短命だねえ!
昔より酒を飲める量も減ってるんじゃないかい?」
そう言いながらバリー寮長の持つジョッキに酒を注ぐマリン。
バリー寮長も注がれるとぐびぐびと再び酒を飲み始めた。
結局、酒は飲まないと言っていたバリー寮長もマリンに勧められるや否や飲んでしまっていた。
酔っぱらっているのか、二人はたわいもない会話しかしないので一向にジュリアの話に進まない。
だが、俺も俺でそれどころではなかった。
目の前の料理が美味しすぎて、箸が止まらずにいたのである。
昨日の夜から何も食べていなかったというのも大きいが、単純に料理が美味しい。
海で取った魚をすぐに料理しているのか、新鮮で味わい深い魚介料理。
大学近くのレストランで食べた魚介料理とはラインナップも変わっていて、新たな味わいである。
俺達は、バリー達の会話に目もくれず黙々と魚介料理を食べていると。
ついに、マリンが本題に触れてきた。
「で?
そこの食い意地の張った坊や達は、あんたの子かい、バリー?
それにしては、種族がバラバラみたいだけど。
あんたも好き者だねえ」
と、ニヤニヤしながら言うマリン。
思わず食べているご飯を吹き出しそうになるような話だが、バリー寮長は呆れた様な表情で首を振った。
「そんなわけないだろ。
この子たちは大学の生徒だよ。
この制服は見たことあるだろう?」
すると、マリンは首をかしげた。
「大学……?
あぁ、そういえばバリーは今どこかの大学で働いてるんだっけ?
最後に会った時にそんなことを言っていたような気も……」
マリンはそう言いながら頭を指で撫でるようにして思い出そうとしている。
しかし、酒が回っているせいか中々思い出せそうに無さそうだ。
すると、バリー寮長はため息をついてから口を開く。
「マリン。
あんたは昔から本当に記憶力が無いねぇ。
最後にナルタリア王国の港で会った時に、イスナール国際軍事大学で働くことになったから用があったら大学に連絡してくれと言っておいたのに。
それから一向に連絡が来なくなったのは忘れてたからだったとはねえ」
「お、覚えてたよ!
ちょっと酒が回って思い出せないだけだ!」
そう言って取り繕おうとするマリンを見て、再びため息をつくバリー寮長。
そして、今度は真剣な眼差しでマリンを見た。
「マリン、そんなことはどうでもいいんだ。
あんた、昨日ポルデクク大陸とテュクレア大陸の航路で不審な船は見なかったかい?」
バリー寮長は低い声でそう聞くと、マリンもそれに反応して目を細める。
「不審な船?
その航路は昨日私達もいたけど、昨日見たっけなあ……」
考え込むように再び頭を指で撫でるマリンに対して、バリー寮長は説明を付け加える。
「おそらく、移動に海人族を使ってるやつだ。
人数は十数人くらいだと思うが、皆半身白と黒の変な恰好をしている奴らだよ」
バリーがそう説明すると、マリンは合点がいったようなスッキリした顔になる。
「ああ、あいつらのことかい」
どうやら、マリンには思い当たりがあるようだ。