女騎士が聖女のために奮闘するお話
「くひひ☆ これはこれは騎士様ではありゃーしませんか。本日はどういったご用件で我が屋敷を訪れたのでございましょう?」
禁域、その一つ。
国境沿いの防衛都市スフィリーナの外れに広がる『魔の森』、その奥深くにある古びた屋敷でのことだった。
ダンスホールらしき大広間にわざわざ用意しておいたのか豪勢な椅子に腰掛けて、緩く握った拳を頬についた女がニタニタと似合わない嘲るような笑みを浮かべていた。
サキュバス。
個ではなく軍での対応が基本となる上位悪魔の一角。
「どういったご用件、だって? そんなの決まっているじゃん」
対して。
燃えるような赤髪を動きやすいように切り揃え、鍛え上げた肉体を騎士を示す赤のレザーアーマーで覆った少女が灼熱のごとき瞳でサキュバスを見据えながら腰の剣を抜き放つ。
「テメェが殺した聖女の敵討ちよ!!」
言下に床を蹴り騎士の少女がサキュバスへと肉薄する。
聖女殺し、その下手人を殺すために。
ーーー☆ーーー
『アンタが聖女に認定された、ねえ。……ははぁー、聖女様ぁーどうかこれまで馴れ馴れしく接してきたご無礼をお許しくださーい』
『ちょっちょっとやめてくださいよっ。確かに聖女なんて肩書きを授かりはしましたが、だからといって何か変わったわけではないんですから。これからも今までと同じように幼馴染みとして接してくださいよ』
『いえいえそんな恐れ多い。だから、あれよ、つきましては聖女特権使って私の地位向上を後押ししてくれればと、うんうん。っつーか聖女なんてもんになったとなれば給金跳ね上がっているんじゃあ……げっへっへっ。私い、ちょろっと金欠なんですよね聖女様ぁ?』
『幼馴染みとして接してくださいっつってんだろうが』
ついでに言うと聖女活動は無償の奉仕扱いだから給金なんてもらえませんよ、とわざとらしく下卑た笑みを浮かべる騎士の少女へと告げる幼馴染み。
聖女というものが大陸を席巻する教会でも重要な地位であり、億単位の教徒の中で現役の聖女は五人しかいないほどには名誉あるものだとしても、騎士の少女にとっては軽くじゃれ合う口実以外の何物でもなかった。
騎士の少女にとっては目の前の彼女が聖女であろうが何であろうが、幼馴染みであることに変わりはない。外野がアレコレ価値を付随してこようとも、そんなものに惑わされて本質を見失うほど浅い付き合いではないのだから。
『しっかし聖女ねえ。まあた面倒なの引き受けちゃってさ。確かにアンタは無駄に治癒系統のスキルに特化していたから選ばれたって不思議はないけど、聖女って確か奉仕活動のために大陸中を巡る必要あったよね? いかに護衛がつくっていっても危険な旅になると思うんだけど、本当にいいの? 多分アンタが思っているより大変なものよ?』
『かもしれません』
それでも、と。
聖女に選ばれるくらいには生まれながらに特別な人間だとしても──騎士の少女にとってはずっとずっと一緒に過ごしてきた、そばにいるのが当たり前の幼馴染みはこう続けたのだ。
『わたしの力で誰かを救えるのならば、それは悪くないことかと思いますので』
『誰かを救うためなら自分を犠牲にしてでも頑張りますって? 無償の奉仕活動、どこぞの誰かのために命をかけるなんて馬鹿なことよねえ』
『……騎士がそんなこと言います?』
『騎士なんて学がなくたってやっていける仕事の中では金払い良いからやっているだけよ。命懸けだってのに金払いまで悪かったら誰がこんな仕事やるものかって話よ』
そう騎士の少女が吐き捨てると、幼馴染みはくすくすと笑いながら、
『騎士でも何でもなかった頃、わたしのために数十もの盗賊に立ち向かったくせに? 昔から貴女はお金のためでなくとも自然と人助けするような人だったではありませんか』
『本当、馬鹿ねえ』
それはアンタのためだったからよ、とその言葉は呑み込む騎士の少女。そんなこと、恥ずかしくてシラフでは言えたものではない。
ーーー☆ーーー
サキュバス。
悪魔の亜種にして『…』を喰らい生きて、『……』を利用する存在である。
人間がスキルという超常を先天的に宿すのに対して、後天的に鍛えることができる魔法を使うことができる悪魔でも上位に君臨する怪物でもある。
スキルは圧倒的自由度を誇る性質を持つが、基本的には一つか二つ程度しか先天的に生まれ持つことはできない。つまり手札が少なく、対処されてしまえばそれまで。
比べて魔法は炎、水、風、土という基礎属性に加えて、それらを組み合わせた複合属性がある。あくまで魔力という悪魔しか持ち得ないエネルギーが必要というだけで、魔法そのものは後天的に鍛えることができる──つまり武術などと同じ技術──なので、当人の素質や努力によっていくらでも手札を増やすことができる。代わりに悪魔全体である程度手札が似通ってくるので、大雑把に魔法に対応することで悪魔全体への攻略法とすることができる。
どちらが優れているという話ではないが、少なくとも上位悪魔の一角と分類されるサキュバスが弱いわけがない。その実力は教会でも重要な地位につき、常に腕利きの護衛に守られていた聖女を殺してみせたことからも明らかだ。
そう、そうだ。
目の前の女が聖女を殺した。
腰まで伸びた鮮やかな金髪、吸い込まれるように深く綺麗な碧眼、騎士の少女のそれと比べて発育の良い身体、そしてボロボロの『正装』の女が、だ。
「殺してやる……」
その姿が騎士の少女の魂を炙る。
殺意が、憎悪が、どうしようもない後悔が溢れて止まらない。
「ぶっ殺してやるっっっ!!!!」
騎士の少女。
十四という最年少、しかも女の身で正式な騎士とのぼりつめた天才が真っ直ぐにサキュバスの懐へと飛び込む。
「ハァッ!!」
唸る、跳ね起きる。
下からすくい上げるように右手に握った剣がサキュバスの首元を狙う。
一般人はおろか同僚の騎士であってもスキル抜きで対処可能な者はそう多くないその一撃。身体や刃が霞み、残像が流れるほどに速度を極めに極めた斬撃を、しかしサキュバスはそもそも見てすらいなかった。
「ふっ☆」
一息。
たったそれだけでボッ!! と凄まじい暴風が炸裂したのだ。
「づッ!!」
斬撃を視認して避けるなり受けるなりする必要はない。騎士の少女が何をしようとも、圧倒的暴風で薙ぎ払えばいいだけなのだから。
瞬間的に炸裂した竜巻に等しい風系統魔法を受けて騎士の少女の身体が宙を舞う。
いかに鍛えていようとも足が地面から離れてしまっては踏みとどまることはできない。軽く数メートルは滑空し、床に叩きつけられる──ところを、猫のように軽やかに着地する。
「やっぱり普通の手段で上位悪魔を殺そうってのは無理、よね」
「くひひ☆ だったらぁ?」
「もちろん普通ではない手段でぶっ殺すだけよ」
つまりは、スキル。
人間と悪魔、種族の『差』が勝敗を決することになるだろう。
ーーー☆ーーー
『聖女様ともなれば良くも悪くもモテるものなのねえ』
『べっ別にモテるなんてそんなことはありませんっ』
『いやいや、ついさっき騎士団長の息子に言い寄られていたくせに何言っているんだか』
『そっそうですっ。騎士団長の息子さんを思いっきりぶん殴っていましたが、あれ大丈夫なんですか!?』
『生憎とウチは完全実力主義だからね。あの馬鹿息子が母親に泣きついたって負けたお前が弱いって一蹴されるだけよ。……なんだってあの女傑からあんな馬鹿が生まれたんだか』
聖女たる者には騎士団長の息子である僕と付き合うのがふさわしい!! などとほざきながら幼馴染みに無理矢理キスしようとしていたところを目撃したのでとりあえずぶん殴っておいた騎士の少女は「それよりも」と繋げて、
『やっぱりおっぱい大きいとモテるのかねえ? 昔っから本当ムカつくくらいに発育良いよね、アンタ』
『そ、そんな見ないでくださいよ……。別に良いものじゃありませんよ、こんなの。男の人から変な目で見られるし、肩は凝るし、「正装」が入らないということでわざわざ調整してもらうことになりましたし』
『自慢? それ自慢ねっ! 男モノのレザーアーマーをそのまま使える私によくもそんなこと言えたものねえ!!』
『む、むにゅう!! ほっぺたつねるのやめてくだひゃいよう!!』
聖女は腰まで伸びた鮮やかな金髪、吸い込まれるように深く綺麗な碧眼、騎士の少女のそれと比べて発育の良い身体と騎士の少女から見てもモテるのが当たり前と思えるほどだった。
こんなの世の男たちが放っておくわけがない。
騎士団長の息子のような馬鹿を引き寄せてしまうのは問題だが、それ以上に『良い男』だって放ってはおかないだろう。
聖女として大陸全土を巡ることになれば、それこそ大陸中の『良い男』を引き寄せることになる。
……いつまでもこうして幼馴染みとして隣に並んでいられるとは限らない。この場所は、幼馴染みの隣は、どこかの『良い男』に奪われるかもしれない。
『……? どうかしましたか???』
『…………、』
──もしも、この時彼女を引き止めていれば何かが変わったのだろうか。
聖女なんてやめてしまえと、ずっと自分のそばにいてくれないと寂しいと、感情のままに叫んでいたならば、何かが。
『ううん。なんでもない』
騎士の少女は選択を誤った。
気持ちを呑み込んでしまった。
幼馴染みが選んだ道に口を出すべきではないと、見ず知らずの誰かを救うために頑張ると決めた幼馴染みの邪魔をしてはいけないと、変に大人ぶって──いいや、逃げてしまった。
その数日後、幼馴染みは聖女として大陸全土を巡る旅に出た。『聖女』に同行できるのは教会に選ばれた護衛だけであるからと見送ってしまったから、騎士の少女は幼馴染みの最後に間に合わなかった。
ーーー☆ーーー
「スキル、その役は『転写』! 今ここに埒外の理を力と変じよ!!」
騎士の少女の叫びと共に物理法則の埒外、カミサマが設計した世界のルールを真っ向から破る力が炸裂する。
スキル。
その役は『転写』。
込められた理は以下の通り。
「ふっ!!」
一息。
たったそれだけでボッ!! と凄まじい暴風が炸裂したのだ。
「そ、れは……ッ!!」
瞬間的な竜巻にも似た暴風。
それは先程サキュバスが放った風系統魔法そのものだった。
咄嗟に一息放つサキュバス。そこから放たれるも暴風。騎士の少女と同じ、いいや騎士の少女の力こそサキュバスと同じものだった。
ゆえに激突と共に暴風は互いに喰らい合うように絡み合い、霧散する。同一の力がぶつかれば相殺されて終わるに決まっている。
「まさか、騎士様のスキルは他者の能力をコピーするものでございましょうか!?」
「だったらっ、どうしたってのよ!!」
踏み込む。
先と同じようにサキュバスの懐へと。
先と違うのは騎士の少女がサキュバスと同じ魔法を使ったという事実。つまりは、超常に関しては同等。何を使っても同一の力で相殺されてしまうということ。
となれば、だ。
「テメェは、ここで! 死ね!!」
勝敗を決するのは肉弾戦。
魔法もスキルも関係ない。物理的に強いほうが勝つ、ただそれだけの泥臭い殺し合いが始まる。
『なんで……』
護衛団が安全を確保していたはずの聖女が行方不明になった。
その知らせは大陸全土に広がり、もって騎士の少女の耳にも入った。
『なんで、こんな、くそっ!!』
聖女なんてやめてしまえと言っていれば良かった。いいや、せめて幼馴染みと一緒にいてやれば良かった。
ナンダカンダでこれまでの聖女も役目を果たしているから大変だろうけどうまくやれるだろうと、そんな風に言い聞かせた末路がこれだ。一歩踏み込む勇気さえあれば、騎士の少女が結末を左右できたかどうかはさておいて、せめて幼馴染みの危機に間に合っていたというのに。
『聖女』に同行できるのは教会に選ばれた護衛だけ、なんて決まり力づくでどうにかすれば良かっただけなのだから。
『今すぐ、助けるから。絶対に、絶対に!!』
そして、騎士の少女は聖女の末路と向かい合う。捜索隊よりも早く聖女のもとへと辿り着いた騎士の少女が目撃したのは──
ーーー☆ーーー
古びた屋敷、そのダンスホールらしき大広間で騎士の少女はサキュバスを殺すために剣を握りしめる。
「殺してやる……」
がむしゃらに突き進むことで捜索隊よりも早く聖女のもとへと辿り着いた騎士の少女は幼馴染みを殺した敵を見据える。
腰まで伸びた鮮やかな金髪、吸い込まれるように深く綺麗な碧眼、騎士の少女のそれと比べて発育の良い身体、そしてボロボロの『正装』の女を。
そう、それは、つまり。
「テメェだけは!! ティアラの『魂』を喰らって『肉体』を奪ったテメェだけは絶対に殺してやるッッッ!!!!」
サキュバス。
他者の『魂』を喰らい、『肉体』を利用する悪魔の亜種によって幼馴染み──ティアラは殺された。
魂を貪られて、肉体はサキュバスに蹂躙されて。もう致命的に終わってしまった後の尊厳さえも踏みにじられているのだ。
そんなの許せるものか。
こんな冒涜を見逃せるわけがない。
騎士の少女は幼馴染みの最期には間に合わなかったけど、せめてその尊厳だけは守り抜かなければならない。
それが、せめてもの弔いとなるのだから。
「お、ァァ、ああああああああッ!!」
獣のごとき咆哮と共に騎士の少女が飛び出す。
両者共に暴風を放ち、相殺。サキュバスが右手を振り下ろすのに合わせて火炎の矢が降り注ぐ。一発が騎士の少女の肩をかすめた瞬間、同量の火炎の矢を展開して相殺。同時に水の柱が床を突き破って襲いかかる。爪先をかすった時には床の下でサキュバスと騎士の少女の水の柱がぶつかり合っていた。
……『転写』発動のためには一度でも対象に触れる必要があるという条件があるのだが、その条件を類い稀なる身体能力で果たすだけの実力が騎士の少女にはある。
ゆえにサキュバスがどんな魔法を使ったところで意味はない。『転写』し、鏡写しのようにぶつけ合わせて相殺できるのだから。
超常なんてものはあってないようなもの。丸裸となった女二人が真っ向から激突して勝敗を決する以外に道はない。
ーーー☆ーーー
『ミリアっ』
眩い限りの笑顔で騎士の少女の名前を呼んでくれた幼馴染みはもういない。その魂はサキュバスによって貪られた。
ならば、せめてその肉体だけでも殺し、解放してあげるのが幼馴染みの最期に間に合わなかった騎士の少女にできるせめてもの弔いである。
……そんなことしかできないのならば、せめてそれだけは果たさなければならない。
ーーー☆ーーー
「お、おお」
踏み込む。
炎、水、風、土。四つの属性で形作られる魔法という超常を相殺、無力化することでサキュバスという個体を守る盾を剥ぎ取った上で。
「おおおおお!!」
殺せ、と騎士の少女は想いを燃やす。
魂を貪って肉体を好きに操る冒涜的な現実をぶち壊し、もって幼馴染みの尊厳だけでも守り抜くこと。間に合わなかった彼女にはそれくらいしかできず、ならばそれくらいは果たしてみせろ。
「おおおおおァァァあああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
魔法のヴェールを剥ぎ取られ、丸裸となったサキュバスの懐へと踏み込む。今度こそその肉体を斬り裂き、サキュバスから幼馴染みの肉体を取り戻すために。
だって、幼馴染みはそんな笑みは浮かべない。ニタニタと、嘲るような笑みなんて彼女には似合わない!!
だから。
だから。
だから。
「ミリアっ」
一転。
眩い限りの、見慣れたからといって見飽きることなんて絶対にない、ティアラの笑顔そのものでもって『彼女』は騎士の少女の名前を呼んだ。
違うと、目の前の肉体の中身はもう別物へと変わっていて、騎士の少女の知る『彼女』の中身はもうどこにもないとわかっているのに。
それでも、それでもだ。
腰まで伸びた鮮やかな金髪、吸い込まれるように深く綺麗な碧眼、騎士の少女のそれと比べて発育の良い身体。そのどれもが『彼女』のもので、浮かべる笑みさえもどこからどう見ても同じであったならば、それはもう……、
「……ッッッ!!!!」
まるで見えない壁に弾かれるように、『彼女』の首を叩き斬る寸前で騎士の少女の剣は止まっていた。
わかっている。
頭の中ではちゃんとわかっているのだ。
それでも騎士の少女は後一歩踏み込めなかった。その眩い限りの笑顔を前にして、己の手でぶち壊すことなんてできなかった。
わかって、いるはずなのに。
「くひひ☆」
ゆえに、それは当然の帰結。
ズボァッ!! と無防備にも程がある騎士の少女の腹部へとサキュバスの手刀が襲いかかる。
バターでも貫くような気軽さで女の子のものながらに鍛え上げられた腹部をぶち抜いていた。ごぶっ、と血の塊が騎士の少女の口からこぼれる。
「甘いでございましょう。本気で私を殺す気ならば何があっても攻撃の手を緩めてはならねーでしょうに」
「が、ぉぶあ……!!」
「俗に言う身体が覚えている、というヤツでございましょうよ。この肉体に染み付いた記憶を元に再現しただけで、先の表情の中に騎士様が知る『彼女』の意思なんてこれっぽっちも介在してはいねーでしょう。全ては肉体に刻まれた残滓を再現しただけに過ぎねーから。それとも、もしや? なんだかんだと希望を抱いてしまったでございましょうか???」
笑う、笑う、笑う。
嘲る。ただそれだけのために。
ゆえにサキュバスは言う。
致命的な、それでいて本当はわかっていたことを。
「ティアラとやらの魂はすでにこの肉体から抜け落ちているでございましょう。そんなの、本当は、騎士様だってわかっていたでございましょうに、なぜあんな笑顔一つで止まってしまったのでございましょう?」
わかっていても。
もしかしたらまだ残っているかもと、間に合うかもしれないのだと、希望を捨てきれなくて……、
「お、ごぶあっ、が、ァ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」
咆哮と共に剣を振り上げる。
今度はもう迷わないと、自分の命がどうなろうともサキュバスだけは絶対に殺してみせると、怒りと憎しみで本当の気持ちを塗り潰して。
だから、だけど、サキュバスはすでに腹部を貫いている。そう、騎士の少女にゼロ距離と迫っているのだ。
ズッドォ!!!! と腹部を貫いたその腕から凄まじい魔力の波動が炸裂した。いかに同等の力でもって超常を相殺する騎士の少女であってもゼロ距離からの一撃にはなす術もなかった。
どれだけ怒りを燃やし、憎悪に溢れて、自分の命がどうなろうともサキュバスだけは絶対に殺すと決意したところで意味はない。全身を走るその衝撃は人間の構造上許容できるものではなく、彼女の意識は寸断された。
ーーー☆ーーー
腰まで伸びた青髪、浅黒い肌、そして左右の側頭部から伸びた巻き角やお尻から覗く先端がハート型の尻尾、背中の漆黒の翼を羽ばたかせる女が騎士の少女を見つめていた。
つまりは悪魔。
その女は倒れている騎士の少女を膝に乗せ、優しく頬を撫でていた。
膝の上の少女の意識が覚醒したことに気づいていないのか、その妖艶な唇から呟きが漏れる。
「まったく、サキュバスさんもやり過ぎですよね。こうでもしないとミリアを止めるはできないとわかってのことでしょうが……いいえ、あれは完全に趣味ですよね。悪趣味にも程があるというものです」
姿なんて完全に違っていた。
願望を抱く余地などどこにもないはずだった。
だというのに。
ミリアはその女悪魔へとこう呼びかけていたのだ。
「てぃ、あら……?」
呼びかけに。
女悪魔はパァッと表情を明るくして、眩い限りの笑顔でずいっと顔を寄せてきた。
「ミリアっ。目が覚めたんですねっ。よかったです!」
「な、にが……その姿は、サキュバスに魂を貪られたんじゃあ……?」
「うーん、何から説明したものでしょう。とりあえず──」
唇の下に人差し指を添えて、しばらく悩むように唸っていたティアラはやがてこう切り出した。
「わたし、悪魔になっちゃったんですよねっ」
明るく、元気に、とんでもない一言から切り出してきたのだ。
ーーー☆ーーー
ティアラ曰く、聖女は教会が所有するらしい(所在不明のはずの)仮死状態の魔王を復元できるだけの治癒系統スキル持ちを確保するための仕組みなのだとか。
貧富の差、資源の枯渇、人種や身分からなる差別、その他にもこの世界を蝕む汚染は数え切れず、こんな世界に生きることそれ自体が不幸だと教会は考えた。
ならば滅ぼせばいい。
清らかなる魂の持ち主ならば必ずやカミサマに拾い上げられ、何の汚染もない楽園へと導かれるだろう。
本気で全てはこの世界に生きる不幸なる全生命体のためだと考え、かつて世界を鮮血と死で埋め尽くし、勇者によって仮死状態で封印された魔王を復活させようとしているのだ。
そのための聖女。
仮死状態の魔王を復活させるために治癒系統スキルを限界以上まで搾り──それこそ命尽きるまで世界を滅ぼす脅威を復活させるためだけに生きる……はずだった。
「──そのことを知ったのは聖女として旅に出た後でした。どうにかしないとと考えていた時にサキュバスさんが声をかけてくれたんです」
「……アンタが嘘をついているとは思えないけど、その、魔王? 教会がそんな過去の遺物を持ち出して、世界滅亡を企んでいるとすれば、うっへえ。こりゃあ長丁場のお仕事になりそう。平穏な世の中でタダ飯食うために騎士になったってのに面倒くさいわね」
戯けるように吐き捨てる騎士の少女。
そんな余裕があることに気づいて、小さく笑みを浮かべる。
こんなにも余裕があるのは先の戦闘での負傷の全てが(おそらくティアラによって)癒やされているからでもあるし、それ以上に──
「それで、その辺のアレソレが何だってサキュバスに肉体を奪われて、っていうか、魂を交換している感じよね? どうしてそんなことになったのよ???」
「サキュバスさんが聖女として教会に入り込み、魔王の仮死体を奪い取るためです。スキルや魔法は魂に宿るものですからね。身体はわたしのものでも魂がサキュバスさんのものであれば魔王奪還も成し遂げられる可能性は高いでしょう?」
「……もしかしてその作戦、アンタの提案だったり?」
「ええ。当初、わたしにサキュバスさんが接触したのは魔王のありかを調べてほしかっただけだったのですが、せっかくサキュバスさんが味方してくれるならより良い作戦が立てられるのではないかと思いまして」
「そっか、へえほおふうーん」
「えっと、ミリア?」
色々言いたいことはあった。
全部すっ飛ばして騎士の少女はティアラの頬を両手で掴み、左右に引き伸ばした。
「こっの、ばかあ!!」
「ふっにゅあーっ!?」
あわあわとティアラが痛みから両手を振り回している気がするが、そんなもの見えやしない。
「ばか……。ばかばかっ!!」
涙で滲んで、何も見えない。
「私がどれだけ心配したとっ、大体サキュバスに肉体を差し出すとかそのまま肉体も魂も奪われる可能性だってあって、ああもうっ心配かけないでよばかあ!!」
「ミリア……。ごめんなさい」
「ふんっ」
と、その時だ。
横合いより声をかける影が一つ。
「くひひ☆ 感動の再会に涙が止まらねーでございましょう」
「サキュバスッ!?」
姿こそティアラのものなれど中身はサキュバスの彼女は言葉とは裏腹にニタニタと嘲るような笑みを浮かべていた。
「言っておくけど、私、お人好しのティアラと違ってテメェのことは信じてないから。つまんない真似した時点で斬り殺してやるから覚悟しておくように」
「そんなに怖い顔で凄んだって無駄でございましょう。騎士様にゃあティアラの肉体に傷をつけることはできねーでしょうからね」
「テメェ……ッ!! そもそも最初っからティアラと話をさせていれば私たちが殺し合うこともなかったんだけど!?」
「この肉体に染み付いた記憶からティアラと騎士様の関係はわかっていたでしょうが、そもそもにおいてあの時のティアラは会話ができる状態じゃなかったでございましょう。魂を入れ替えるってのは人間には負担が大きく、ティアラが魂入れ替えの衝撃で動けない間に騎士様が乗り込んできたので仕方なくお相手させていただいたでございましょう。まあ、幾分か趣味も含まれていたのは否定しねーでしょうが」
「クソ悪魔め!!」
ニタニタ笑うサキュバスを今にも斬り捨てたいところだが、肉体はティアラのものだ。魂が元に戻ったらしこたまぶった斬ってやると己に言い聞かせて、騎士の少女は気持ちを切り替えるために一つ息を吐く。
「正直言えばまだまだ言いたいことはありあまっているけど、まあいいわ。サキュバス。教会による失笑ものの救済を阻止する。それさえ果たせばティアラの肉体を返してくれるのよね?」
「くひひ☆」
「はぁ。面倒くさいけど仕方ないわね。さっさと教会ぶっ潰しますか」
その後、大陸全土に影響力を持つ教会相手にたった三人でぶつかり、魔王の仮死体を奪い、その企みを暴き、やがて教会の撃滅に成功するのだが、そんなことは大した話ではなかった。
問題は、全てが終わった後にサキュバスが消えたことである。
「あのクソ悪魔っ。ティアラの肉体奪ったまま消えるとか何を考えているわけ!?」
「おそらく魂の入れ替えを受け入れた時からわたしの肉体を持ち逃げするつもりだったのではないですか? 『ティアラの肉体を返してくれるのよね?』というミリアの問いを笑って誤魔化していましたもの」
「ちょっと待ってて。サキュバス探し出してアンタの肉体取り戻してくるから!!」
「別にいいですよ。ちょっと派手な身体になってしまいましたが、心は何も変わってはいません。世界を救うために行動してくれたサキュバスさんがわたしの肉体を手に入れて満足してくれるのならば喜んで差し上げますよ」
「アンタがそれでいいなら、まあ、いいけどさ。本当お人好しなんだから」
それに、と。
ティアラは多少外見が変わろうとも変わることのない眩い限りの笑顔でこう続けた。
「ミリアと一緒にいられるのならば、それだけでわたしは幸せですから」
「……、ふん。そんなの私も一緒よ、ばか」