雑学百夜 「ババ抜き」の「ババ」とはそのまま「婆」を意味する
「ババ抜き」は元々、考案されたときジョーカーというカードはまだ存在しておらず、代わりに『Q』を一枚抜いて51枚のカードで勝負するゲームだった。
最後には必ず「クイーン」が余るので、そのクイーンを「婚期を逃した年寄りの女性」に見立て欧米ではこのゲームを「old maid」と呼び日本に輸入された際「お婆抜き」と和訳された。
受話器を置き、俺は力なく肩を落とした。
ババを引いちまった。まるでツイてない。
組織の仲間に相談したが「てめぇのケツくらいてめぇで何とかしろよ」とあしらわれてしまった。冷たい奴らだ。そもそも仲間だなんて向こうは思ってないのかもしれない。
俺は今いわゆる、その、「オレオレ詐欺」の犯罪組織に属している。別に言い訳をするつもりはない。紛れもなく俺のやっていることは犯罪だし、爺や婆から金を巻き上げて良心の呵責が全くないと言えば嘘になる。上手く騙せた時ほどその日の夜の寝付きは悪い。まぁ、その分月末の成果発表があった夜の酒は格別に旨かったりもするわけだが。
組織の中で中の中、これまで卒なく詐欺を働いてきた俺だったが、ここに来てとんでもないヘマをしてしまった。
それもこれもあの婆のせいだ。
20分前の事だ。
「婆ちゃん、オレオレ、元気?」
毎度おなじみの一言。たかが詐欺師が生意気にと思われるかもしれないが、この瞬間から俺は仕事モードに頭が切り替わるのだ。
「元気? って……誰だい?」
受話器の向こう側で露骨に婆が不審がる。並の詐欺師ならここでたじろぐ。
だけど俺には分かる。この婆はイケる。
声の印象では70代後半から80代前半だろうか。性格は比較的勝ち気で、若い頃ならともかくこの齢にもなれば身内から疎ましがられ孤立してそうだ。きっと内心どこかで孤独感を感じているだろう。
であれば、だ。俺は喉仏をクイッと押し上げ声を1オクターブだけ上げ、猫撫で声を作る。
「なんなん、おばあちゃん~寂しいなぁ。オレやって~忘れたん?」
懐に飛び込むように一息に言うのがコツだ。これで一気に婆の心の扉を開けに掛かる。
「………………」
受話器の向こうで婆はひたすら押し黙っている。俺も待つ。生意気にと思われるかもしれないがこの余裕がプロとアマの違いだ。
ここで焦り、喋り続ければ必ずボロが出る。黙って婆の「あれっ? この子は本当に私の孫かもしれない」という疑念が確信に変わるのを待つのだ。
俺はひたすらに待った。時間にしてみればおよそ30秒ほどだっただろうが俺には永遠のような長さにも思えた。
「……春樹かい?」
恐る恐るというように婆が言った。
――勝った。
俺は諸手を挙げて喜びそうになったのを必死で抑えながら応えた。
「そう! 春樹だよ! 婆ちゃん元気にしてたかなって?」
「あぁ~春樹ぃ~ありがとう~菫婆ちゃんは元気にしてるからねぇ~」
都合よく自分の名前まで婆は教えてくれた。もうこの勝負は貰ったも同然だった。
俺はそこから紋切り型に『交通事故に遭った』『加害者に慰謝料を払わないといけない』『どうしよう。助けてほしい』と嘘を繰り広げて行った。今どきこんなベタな詐欺に誰が引っかかるのかと思われるかもしれないが、一度心の扉を開けた女性はどこまでも許してくれる。それは歳を取ったとしてもだ……あれっ、生意気だったかな? イカン。上手く行き過ぎて気が緩んでいる。
だからだったのだろう。俺は気づけば会話のイニシアチブを婆に取られていた。
『300万円なら用意できる』『だけど銀行までは遠くてとても行けない』『迎えに来てくれないか? 久し振りに顔も見たいし』『お茶淹れて待ってるよ』婆は一人で先々決めていく。
ちょっと待て。会うのはまずい。
「待って! 菫婆ちゃん! 会いたいのは山々なんだけど時間が取れなくて……」
慌てて俺は取り繕う。会うのだけは回避しなければ。顔を見られたらこの嘘は一発でバレてしまうのだ。
「そんな水臭いこと言わないでおくれよ。春樹。二十年ぶりじゃないか」
「……えっ、二十年?」
「そうだよ春樹。ほら春樹今あんた幾つだっけ?」
「えっ、22だけど」
「ほら、じゃあやっぱり二十年ぶりだよ。最後に会ったのは赤ん坊の時なんだから、あたしは今のあんたがどんな顔なのかさっぱり分からないんだよ」
婆はそう言うと寂しそうに溜息を吐いた。
――顔が分からない?
「なぁいいだろ? お金は勿論渡すよ。だからせめてもの婆孝行だと思ってさ……」
婆……いや菫婆ちゃんは声を震わせながら続けて言う。
「あたしゃ、春樹に会いたい……会いたいよ……」
湿った声が受話器越しに響く。
――どうしたらいい?
俺は頭の中の天秤に捕まるリスクと300万円を掛けた。捕まるリスクの受け皿の方がやや深く傾く。それはそうなのだ。だが、今300万円の受け皿にポタポタと菫婆ちゃんの涙が滴り落ちる。その一粒ごとに受け皿は少しずつ少しずつ沈んでいった。
あの電話から3日後の15時。約束の喫茶店についた。サングラス越しに辺りを見渡す。こんな田舎だが、店内は案外、人が多い。
これはさっさと仕事を済ませるべきだな。俺はそう思いながら奥から三番目の窓際の席に向かった。
席には紫色のカーディガンを羽織った老齢のお婆さんがいる。
「菫婆ちゃん?」
俺がそう声かけながら近づくと、そのお婆さんはふと顔を上げ満面の笑みを浮かべると俺が席に座るのも待たず、ふらつく足で歩き俺の胸元に飛び込んできた。
「……春樹かい?」
菫婆ちゃんは嬉しそうに呟く。
「あぁ、そうだよ」
俺の声に菫婆ちゃんは「そうか、そうか……」と頷き涙した……かと思うと突然叫んだ。
「かかれぇぇぇぇぇぇぇぇいいいい!!」
菫婆ちゃんの声を合図に珈琲を飲んでいた周囲の客が一斉に俺に飛びかかってきた。
不意を衝かれた俺は、成す術もなくその場に組み倒された。
その俺のポケットから菫婆ちゃんは携帯を抜き取ると「これから足を辿りな。組織も芋づる式に潰しちまえばいい」と言い近くの客に携帯を放り投げた。客は恭しくその携帯を受け取った。
訳の分からないままいる俺に菫婆ちゃんは吐き捨てるように言ってくる。
「いいか? 青二才? あたしに孫はいないよ!!」
「騙したな!」
俺の言葉をせせら笑い、婆は叫んだ。
「だまらっしゃい! お前みたいなクソガキがババアを出し抜こうなんて100年早いのさ!!」
婆の高笑いはいつまでもいつまでも店内に響き渡った。
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