図書室での出会い その一
物理的にデータが三回も飛んだため、かなり遅くなり申し訳ございません。
少し、心が折れそうでした。
保冷剤を首に当てつつ、学校にたどり着いた遥香は職員室に寄ってから、図書室に向かった。
二階にある図書室は、窓を開けているのに熱風によって涼しいどころか、熱い。公民館の図書室の様にエアコンは設置されていないのが、とても悔やまれる。
しかし、図書室にはすでに何人か居て、調べものか読書をしている。中には上級生の姿もあり、暑さなど感じていないと言いたげに、作業に集中していた。
張り詰めた雰囲気にたじろぎながらも、遥香が近くの本棚に近付いたその時。
「危ない」
「え?」
近くに居たからこそ聞こえた声。
頭上から聞こえて来た声に上を見た遥香の視界一杯に広がったのは、本の背表紙だった。
次に来たのは重い衝撃と、鈍い痛み。
遥香の顔面に厚みは無いが大判の本が落ちて来た。そう理解する頃には本は床に落ちて、大きな音を立てた。
視線が一斉に自分に向けられたのを感じていたが、遥香は痛みでそれどころでは無い。顔を押さえて痛みに呻いていると再び「すいませーん、気にしないでくださーい」と、頭上から声が聞こえ、視線が散って行った。
トンっと軽い音が聞こえ、誰かが自分の近くに降りて来た様だ。
「ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「あんまり、大丈夫じゃないよ」
答えながら遥香は手を顔から離した。
額と鼻が今だに痛いが、声の主を恨めし気に遥香は見つめる。
ボブカットの黒髪に白い薔薇のヘアピン、白いフリルのついた黒のノースリーブのワンピース、眼鏡の向こうにある黒い瞳は、角度によってその色を紫と黒に変わる不思議な瞳だった。
整った顔立ちの美少女が、申し訳なさそうに遥香を見ている。
「えっと……取り敢えず、保健室に行こう?」
「……うん」
頷いた遥香は床に落ちた本を拾い上げ、少女と共に図書室を後にした。
辿り着いた保健室には誰も居なかったが、少女は慣れた手つきで鍵のかかっていない引き出しを開け、その中から絆創膏と消毒液、ガーゼを取り出してから遥香を近くの椅子に座らせる。
「あー、やっぱりおでこに傷ができてる」
遥香の前髪を払い、そこにできた小さな傷に少女は顔をしかめた。ガーゼに消毒液を滲み込ませ「しみるかも」と言ってから遥香の額に当てた。
ピリッとした痛みに一瞬、目を閉じてしまう。どうやら背表紙が当たった時に、小さな傷ができていた様だ。
絆創膏を遥香の額に貼り付けた少女は、改めて頭を下げた。
「本当、ごめんなさい。私は五年二組の二ツ鏡 宙、あなたは?」
「オレは五年一組の鳴星 遥香。できれば、次は気を付けて欲しいな……えっと、二ツ鏡さん」
「宙で良いよ。二ツ鏡って言いにくいでしょ?」
「……じゃあ、ソーちゃん?」
思いついたままの愛称で呼ぶと、宙はキョトンとしてから苦笑した。
「おおぅ、鳴星さんって結構グイグイくるっすねぇ」
小声で呟かれた言葉に遥香は首を傾げた。
何というか、美少女のイメージとはかけ離れた口調が聞こえた様な……?
「もしかして……そっちがソーちゃんの本当の喋り方?」
「あー、えっと……」
宙は視線をあちこちに彷徨わせた後、観念した様に肩を竦めた。
「そうっすよ。美少女と外見のイメージを崩さない様、猫被ってるっす」
「……何で?」
「あー……昔、色々あったんすっよ」
そう口にした宙は『これ以上は言いたくない』と、口を閉じ、苦笑した。
二人の間に沈黙が下りる。
遥香は何と言えば良いのか言葉が見つからないまま、時間だけが過ぎていった。気まずい沈黙を破ったのは、意外にも宙だった。
「まぁ、鳴星さんにはバレちゃったっすからねぇ。二人の時は私も素の状態ではなしますわ」
ニヘリと笑った宙の表情に、暗い所は無い。本当に先ほどまでの話は終わりという事なのだろう。
自分の前では素で話すと言った宙。今日初めて会ったというのに何故か、凄く嬉しかった。
一つだけ不満があるとすれば……
「ハル」
「え?」
「名字じゃ無くて、ハルって呼んで。オレだって、ソーちゃんって呼ぶんだから、さ」
ニコリと笑ってから「駄目?」と、遥香は首を傾げた。
上目遣い寄りになってしまっているのだが、遥香本人は気が付いていない。何というか子猫や子犬が、首を傾げている時の様な可愛さに、宙は言葉に詰まった。
あちこちに視線を彷徨わせた宙は「あーもう、解りましたよ!」と、降参と両手を上げた。
「ハルっち。そう呼ぶっすからね!」
やけくそだと言わんばかりに声を上げる宙に、遥香は満足そうな顔を向ける。
初めは唇を尖らせていた宙だったが、微笑む遥香を見つめてその肩から力を抜く。そして噴き出す様に、宙も笑い始めたのだった。
こそっと話:宙はとある事情により、保健室を利用する頻度が多く、絆創膏や消毒液と言った備品の位置に詳しい。