第5話 練習
「本当に何もない荒れ地だな。」
「だからこそ外敵がいないとも言える。」
「なるほど。」
俺とゴブリンたちは南に向かって荒れ地を歩いていた。昨日は丸1日歩き続け、岩陰で野宿したので体の節々が痛み、思わずため息がでる。
「まだ着かないのか?カラノ山脈」
「後1日で到着だ」
「まだ1日歩き続けなきゃいけないのかよ」
先頭を歩くリーダー格のゴブリンの言葉を聴いて、がっくりと項垂れてしまう。行動を共にしている20名のゴブリンは慣れたもので足取りまも軽く進んで行くが、現代日本から転移してきた普通のサラリーマンだった俺に2日間歩き続けるのは相当辛い物が有るのだ。
「大体お前、オレ達より歩幅が大きいから歩くのも楽だろう?」
「歩幅が大きくても対して有利にならんくらい歩く距離が長いわ」
「ならお前、魔術を使ってみたらどうだ?」
フラフラ歩いている俺の様子を見たゴブリンの若者が立ち止まって提案してくる。
「ああ、魔術なぁ」
「何だ?何か問題が有るのか?村長から聴いたがお前の属性は‘風’と‘鉄’だそうだな。風属性の方に移動できる魔術が有るのではないか?」
ゴブリンの若者が首をひねる。
「有るには有る。空を飛べる『飛翔』と動きを速くする『加速』がある」
「なら使えば良いだろう?」
「『加速』は動きが速くなるだけで、歩く距離は一緒だから途中でバテるだけだし、『飛翔』は…」
「『飛翔』は?」
「やって見せたほうが速いか」
いい加減疲れてきていたのでちょうど良いと立ち止まり、右手を前に出す。人差し指で空中に文字を書く様に手を動かしていく。
「何をしているんだ?」
ゴブリンの若者が怪訝そうに問う。
「魔術は魔導文字をマナで形作り、その組み合わせで様々な効果を生み出す。本来はイメージだけでマナを動かして文字を作るんだが、俺は慣れてないからこうやって指で書いた方がやりやすいんだ」
「なるほどな」
ゴブリンの若者が納得したように首肯する。話している間も手の動きを止めず、魔導文字を書き上げる。
「よし。完成」
先程魔導文字をかき上げた空間。右手の前には青い光が浮いており、その光を握ると同時に、俺の体全体が1瞬青く光る。
この光を見れば、ゴブリンの若者にも『どうやら魔法を発動したらしい』と分かったことだろう。そんなふうに考えるのもつかの間、俺の体が空へ吹き飛ぶ。
「な、何だこれは?」
困惑するゴブリンの若者達を尻目に、大空へ急上昇していく、風圧で顔が痛い。目も空けていられない。意味不明な軌道を描きながら、ものすごいスピードで空を飛び回り、その勢いのまま地面に急降下してしまう。
「うわ、逃げろ」
ゴブリンの若者たちがその場を離れるとほぼ同時に俺は頭から地面に激突した。
「「「うわぁぁぁ」」」
「「ぎゃぁぁぁ」」
俺がが地面に激突した衝撃はさながら大砲が着弾した様であった。地面がえぐれ、凄まじい衝撃波と小石の破片が辺りに降り注いだ。
「あいつ大丈夫か?」
先程俺と話していたゴブリンの若者が上から俺がめり込んでる穴を恐る恐る覗き込こんでくる。
うん。そんなにビクビク見なくても無事だよ。
「よいしょっと」
「うおっ」
すると穴から這い出し、体についた砂埃を手で祓う。うん。毛がは無し無傷である。
「大丈夫なのか?」
「墜ちる前に、鉄魔法の『身体硬化』を使ったからな」
「ああ、なるほど」
ゴブリンの若者は納得したように頷いた。多分落下の寸前で俺の体が青く光るのを見ていたんだろう。俺は落下の直前で全身に硬化の魔術を掛け、体を鉄のように固くしたのだ。でなければ、高速で地面に激突し、死んでいただろう。
「で、こういう状態なんだよ。俺の『飛翔』」
「制御できてないと言うことか?」
「ああ、本にも書いてあったが、魔術の発動は簡単。長い時間が掛かるのは制御の方らしい」
思わず苦笑してしまう。顔も疲れた表情になっているのが自分でも解った。ウィリアム・ロワード・フォン・アルフォロス著の『魔術学 基礎入門』にも書かれているが、魔術の失敗で1番多いのは不発ではなく暴発である。
「そんな状態で大丈夫か?オレ達はお前が実践訓練をするから、今回一緒にカラノ大森林に連れて行けと村長に言われた。でも、お前は全く魔法が使いこなせていないじゃないか」
ゴブリンの若者は不安そうな表情をする。目の前の人間が魔物や猛獣と戦えると思えないのだろう。
「ああ。自分の体を強化するタイプの魔術は割と簡単だから大丈夫だ」
「それは制御できるのか?」
「体を固くしたり、元々有る筋力や五感を高めるタイプの魔法は制御が必要ないからな」
「まあ、一応納得しておく。どのみち今から引き返すのは余計に手間だ」
一応納得の意を示したゴブリンの若者は、また黙々と移動を再開する。
「希さん。制御が出来てないなら。移動しながら練習したらどうっすか?」
「練習?」
再び歩き出すと先程とは別のゴブリンの若者が声を掛けてくる。
「そうっす。希さん、おれ達より歩幅がでかいから多少ゆっくり歩いても置いていかれないでしょ。だから練習しながら歩けばどうかと思って。ほら、疲れも紛れるし」
「それ危ないだろ。周りを巻き込む。それはお前も、あいつと一緒に見てただろ?」
「マナあんまり使わない弱いのなら大丈夫じゃないっすか?なんかありません?」
「弱いのか…」
確かにいい案ではある。魔術の制御とは要はマナの制御なので、此処の魔術ももちろん練習する必要はあるが、基礎的な制御だけなら何か弱い魔術を練習してマナの制御を行って行けば、強い魔術も制御できるようになる。
そうとなれば早速と、俺は『魔術学 基礎入門』をパラパラ捲る。
「これかな?」
「どんなのっすか?」
「『風読』第2階梯の初級魔術で、微弱な風を周囲に広げて、魔術の範囲内の物や生物を把握する」
「おお、ピッタリじゃないっすか」
魔術の説明を細かく読んで見るが、これなら周囲の被害は万に1つも無い。
「確かにこれなら危なくないし、練習してみるよ」
早速魔導文字を作り、魔術を発動させる。すると俺を中心にして辺りにそよ風が吹き抜ける。
「お、涼しくて良いっすね」
俺の魔術の発動に合わせて、近くに居る若いゴブリンのみならず、20名のゴブリン全員が涼しいと口々に言う。
「涼しかったら失敗なんだよ」
『風読』は本来感じ取れない程度の微弱な風を操って、周囲を探るのだ。「涼しい」と言う感想が出てくるようでは探っているのがバレてしまう。
「こう言う失敗ならいくらでもやってくれていいっすよ」
「そうだな〜」
「ちげぇねぇ」
ゴブリン達が好き勝手言うのを横目に見ながら俺は練習を続けた。
ひたすら歩きながら練習すること2時間。徐々に制御が出来る様になっていき、ゴブリン達が「風が来ない」と愚痴るくらいまでには魔術制御は上達した。
「希さん。全然涼しくねえんっすけど?」
「風を送る魔術じゃないんだ。これで良いんだよ」
「制御できるようになったんなら何をしてるんっすか?」
ゴブリンの若者は不思議そうに俺の方を見る。『風読』の制御が出来たなら、魔術をやめるなり、別の魔術を練習するなりすれば良いと思っているのだろう。確かに1理ある。だが俺は未だに『風読』を使い続けている。
「『風読』の範囲を広げてるんだ。魔術の制御は要するにマナの動かし方だから、細かい制御は1つ1つ練習する必要が有るが、暴発しないようにすることや、発動を速くする様な大雑把な制御は、1つ1つ練習するより、基礎的な魔術を徹底的に練習したほうが良いらしい」
「なるほど」
ゴブリンの若者は感心した様に相槌を討ちながら俺の手元を見つめる。
「さっきで半径150m。次はチョット頑張って200m」
気合を入れて『風読』を発動させる。50m、100m、150m、200mと広がっていき目標を達成する。
「(もうちょといけるか?)」
更に広げ、200mから250m更に300mと広がったと同時に『風読』が制御を失い消滅する。しかし、消滅する間際何か大きなものが『風読』の端に触れた。アレは空の上だったはずだ。空の上に巨大なものが有る。明らかに岩などではない。しかもアレは動いていた。
「後ろから何かでかい物が近づいてきてる」
「でかい物?」
思わず出した声にゴブリン達が反応する。
後方の上空に黒い塊の様なものが見え、それが徐々に大きくなっていく。
「あ、アレは?」
最初に気づいたのは一番後ろに居たゴブリンだった。他のゴブリン達もそれが何なのか判り、顔色を青くしていく。
最初は黒い塊にしか見えなかったそれが俺の目にもはっきりと見えてくる。
建物と見紛うばかりの巨体、人を丸呑みにできそうな口、コウモリに似た独特の形の翼とその翼を含めた全身を覆う鱗。
そう、おとぎ話やファンタジーで大活躍のあの生物、ドラゴン。
1頭の巨大なドラゴンが俺たちに迫ってきていた。