第1話 炎の獣
街灯で照らされた夜の街は深夜だと言うのに所々に明かりが灯った建物があり、遠くの方からは車のクラクションの音が聞こえてくる。それでも夜中ということで人通りは殆ど無く、女性ならば1人で歩くのは危険であろう。
いや、昨今は物騒なので男でも通り魔などに遭うかも知れない。そう考えると危険に思えてくるが、毎日通る慣れた道ならばそのような危機感も薄れてくる。残業で退社が深夜になるのは何も昨日今日に始まったことではない。安い残業代で遅くまでこき使われるのは中小企業に務めるサラリーマンの宿命だろう。
それに安かろうが何だろうがキチンと残業代が支払われるだけウチの会社はまだホワイトの部類だ。
「終電に間に合ったな」
駅に到着すると終電までは10分ほどある。最近終電ギリギリに駆け込み乗車したり、終電を逃す日が続いていたので、今日はまだ早い方だ。
「よいしょっと」
ホームの椅子に腰掛けて電車が来るのを待つ。
「駅の中にコンビニがあるのは良いよな」
手に持ったコンビニのレジ袋から缶ビールを取り出して煽る。
「く〜染み渡る」
仕事終わりに飲みに行く時間など当然無いので、こうやって電車を待つ僅かな間に缶ビールを楽しんでいるわけだがこれが中々悪くない。
「もうすぐ来るかな?」
腕時計を確認し、電車の到着を待っていると視界の端に何か赤っぽいものが写った。
「何だ?」
そちらに視線を向けるとバルケットボールよりもふた回り位大きな毛玉があった。一本一本の毛はツヤツヤしており、色は暗い朱色だ。
「ク〜ン」
「うわっ」
近づくといきなり鳴くので驚いてしまった。どうやら動物のようだ。よく観察すると、丸まっていただけで足や頭もある。子犬?いや耳が大きいので小狐か?
「ク〜ン」
また小狐が弱々しく鳴いて身じろぎした。どうやら大分弱っているようだ。
「この時間に動物病院は開いて無いし、弱ったな」
放っとくことも出来ず、小狐を膝の上に抱えて、再び電車を待つ。
「お、きたきた」
腰を落ち着けてすぐに電車が到着した。
動物を抱えたまま電車に乗って良いのか少し悩んだが、終電で乗客は少ないし、後ろの方の車両ならば良いだろうと考えて乗車する。
「とりあえず家に着くまで我慢してくれよ」
小狐を抱えたまま電車に揺られること数十分。アパート最寄りの駅に到着し、すぐに自分の部屋にたどり着く。古いボロアパートだが駅から徒歩5分の近さと、家賃の安さが自慢だ。
「よいしょっと」
小狐を座布団の上にそっと乗せると、大きめのマグカップに牛乳を注ぎ、電子レンジで温める。
「このままじゃ飲みにくいよな」
流石に小狐がマグカップから牛乳を飲むのは難しいだろう。どうしたものかと思案していると視界の端にプラスチックの容器が映る。先日食べた牛丼の容器を捨てるために洗っていたのだ。
「これでいいか」
どうせ捨てる予定だったコンビニ牛丼のカップ、しかも悪臭を放たぬように綺麗に洗っていたのでうってつけだった。
「ほれ」
容器に温めた牛乳を入れ、小狐の前に置いてやる。
小狐はちらりと見た後、のそりと体を起こして容器に顔を突っ込んでミルクを舐め始める。
「コン!」
1口舐めて気に入ったのか一心不乱にミルクを舐める小狐。
「美味いか?」
「コン」
ミルクを飲んで元気が出てきたのか小狐は元気良く鳴き、尻尾をピンと立てる。
「え?」
すると、その尻尾が松明になったかのようにその先端に火が灯った。
「尻尾から火?普通の動物は出さないよな。お前なんなんだ?」
「ク〜ン。コンコン」
まるで何かを話そうとしているかのように小狐は鳴く。
「何か言いたいんだろうけどな?て言うか、もしかして俺の言葉解ってるのか?」
「コン」
小狐は俺の質問に元気よく頷く。
「偶然か?それとも本当に解ってるのか?」
「コンコン。コン」
小狐は俺の言葉に合わせて鳴き声を上げる。『偶然か?』の所で首を横に振りながら2回鳴き、『本当に解ってるのか?』の所で頷きながら1回鳴いて見せた。
「流石に偶然で此処まで一致しないよな?お前なんなんだ?ただの狐じゃ無いだろ?」
「コン。コンコン、コーン。クーン」
「すまん。分からん」
必死に何かを伝えるように鳴くが、生憎と狐語は分からない。どうしたものか?
「コンコン。コーン。ココンコン」
今度は鳴き声に合わせて体をアクロバティックに動かし、身振りで何かを伝えようとしているが、やはり分からない。
「言葉が分からないんなら、筆談って言う手が有るが、流石に字は書けないよな?」
「コン?ココン」
俺の呟きを聞き取った小狐は少し首をひねった後、目を輝かせながら頷き、尻尾をピンッと立てた。
「どうした?」
「コン。コンン」
「うおぉ」
小狐は気合の入った声を出すと、先程よりも大きな火を尻尾の先に灯す。
「な、何だ?」
まさか、言葉が通じないことに腹を立てて辺りを燃やすつもりだろうか?しかし、小狐の行動は予想外のものだった。
「火が!」
火の形が変わっていき、最終的には文字を形作る。
「あ?」
そう、小狐の尻尾の先から出た火はひらがなの『あ』と言う文字を形作っていた。
そこから更に火が形を変え、どんどん別の文字を形作っていく。
「り?」
「が?」
「と?」
「う?」
「ありがとうか?」
「コン!」
やっと言いたいことが通じて嬉しいのか小狐は元気良く鳴く。
「なるほど確かにコレなら筆談が出来るな」
「コン」
「で、お前何なんだ?狐じゃないよな?」
「コンン」
尻尾の火が大きく揺れて文字を作る。
「え〜と、なになに。つ・か・い・ま。使い魔?」
「コンコン」
『そうそう』とでも言うかの様に小狐は頷く。
「使い魔ねえ」
随分とファンタジーな単語が飛び出してきた。アレだろうか?魔女とかと契約してるのだろうか?
「使い魔って言うからには、主とかが居たりするのか?」
「コン」
小狐は頷き、尻尾の火で再び文字を作る。
「ええ〜となになに。ひ・の・み・や・あ・か・り。ひのみやあかり?」
「コン」
そうだよ〜と頷いて尻尾を振る小狐
「その人が飼い主か?」
「コン」
その通りとばかりに小狐は頷く。とりあえず飼い主、使い魔の主が『飼い主』で良いのかは微妙だが、飼い主の名前は解った。後はどうやって連れて行くかだな。
「連絡できれば良いんだが」
「コン?コンン」
首を傾げた小狐は再び火で字を作っていく。
「0・9・0ってコレケータイの番号か?」
「コン」
またもや満足そうに頷く小狐。相当賢いようだ。
「本当に賢いな。え〜と」
「コン?」
この子狐の名前を知らなかった事に気づいて言葉に詰まる俺に、小狐は『どうしたの?』とでも言うかの様に鳴きながら首を傾げる。
「お前、名前とか有るのか?」
「コン」
俺の質問に小狐は『有るよ』と頷いて尻尾を振る。
「どんな名前だ?」
「コンコン」
再び尻尾の火が文字を作っていく。
「く・う。『くう』か?」
「コン」
小狐改くうは嬉しそうに頷く。
「よし。くう、悪いけどお前の飼い主の連絡先もう1回見せてくれ。メモするから」
「コン」
元気に頷いて尻尾の火で携帯番号を書くくう。今度はメモしやすいように1文字1文字ゆっくり出してくれる。本当に賢い奴だな。人間と同じくらいの知能が在りそうだ。まあ、飼い主?の個人情報を他人に教えるのが賢いか?と言う疑問は残るが。
「良し書けた。ありがとな」
「コン」
「後は連絡するだけなんだけど」
「コン?」
言葉を濁す俺の顔を『どうしたの?』とくうが覗き込む。
「もう遅いから、一眠りしてからにするか?」
現在午前2時。流石にこの時間に連絡を入れるのはその飼い主さんにも迷惑だろう。起きてる保証も無いし、何より非常識だ。幸い明日は日曜日で、流石に休日出勤は無いのでたっぷり時間は有るはずだ。
「コン?コン」
俺の言葉に首を傾げたくうだったが、俺が時計を見ていることで察した様で、一度頷くと、尻尾を枕にするように丸くなった。
「時計がどういう物かも解るのかよ。すごいな」
「コ〜ン」
俺の言葉に返事とも欠伸とも付かないような鳴き声を出して、くうはスヤスヤと夢の世界へ旅立った。
「寝付き良いな。まあ流石に眠いし、俺も寝るか」
日頃の疲れが溜まっていたのか。布団を敷いて、その上に寝転ぶとすぐに瞼が落ちてきた。
ーーーーーー
「空。何処に行ったの?」
真夜中の路地裏を1人の少女が駆ける。目鼻立ちは整っており、将来美女に成るであろう容姿をしているが、若干釣り上がった、ぱっちりとした目が活発な印象を与え、まだ幼さが残っていることも有って美しいと言うよりは、愛らしいと言う言葉が似合う少女である。
かなり速い速度で走っているのか、ポニーテールに纏めた長い赤みがかった茶髪が風に流れて本当の尻尾の様に揺れている。
「戦闘の後が在ったのにそこに空は居なかった。傷ついて命からがら逃げたのか?それとも捕まったのか?は〜」
少女は1度立ち止まってため息をつく。
「無事だと良いけど」
不安そうな顔をする少女のポケットの中で『プルルルル』とスマフォが鳴り、着信を知らせる。
「電話?げっ」
スマフォの画面に写っている着信相手の名前を見て、美少女が上げてはいけないような声を上げる。
「気づかなかったって事には出来ないかな?う〜ん」
よっぽど出たくないのか、暫く迷う素振りを見せるが、ついに観念したようで通話ボタンを押す。
「もしもし。火宮です」
「ああ灯理。いま大丈夫かしら?」
スマフォからは鈴を転がした様な声が聞こえてくる。優しく綺麗な声音だが少女は顔をこわばらせる。
「はい大丈夫です。あの、そちらは何か進展ありましたか?水月さん」
「いいえ。残念ながら何も。襲ってきていた玄吾の使い魔は大方処分したのだけれど、肝心の本人の居場所にはたどり着けなかったわ」
「私も同じです。玄吾の使い魔は何体か倒したのですが」
「貴方の使い魔が玄吾の臭いを覚えてなかった?」
「はい。なのでふた手に分かれて潜伏場所を探っていたのですが、空が居なくなっちゃって」
「ふた手に別れたりなんかするからよ」
電話の向こうからため息が聞こえてきて少女は顔を青くする。
「すいません。逃げられないように速く見つけなきゃと思って効率を上げようとしたんです。後になって一緒に探せば良かったって思ったんですけど」
「まあ良いわ。今更言ってもしょうがないし」
「すいません」
「でも」
電話口から聞こえる声が若干低くなり、少女は身を震わせる。
「使い魔よりも玄吾を探すことを優先しなさいね。盗まれた宝具の中には『天ノ磐船』が有るんだから。時間を掛ける訳にはいかないわ」
「解ってます。絶対に玄吾を捕まえてみせます。失礼します」
着信を切ると少女はまた走り出す。
「ギャァァ」
「ちっまだ居たか?」
走る少女に突如、体長2mほどの生物が襲い掛かってくる。その生物はコウモリと人間を足して二で割った様な見た目をしていた。
「はっ」
少女は裂帛の気合と共に腰の日本刀を振り抜き、その生物を一刀のもとに切り捨てる。
刀を振るう時に若干火の粉が舞い散り、切断面は焼き切られたように成っている。
「空。無事で居て」
明るく輝く月に向かって呟くと少女はした唇を噛んで、走り始めた。