第5話「見舞いと迷い。」
翌日から真霜と椥叉は一緒にいることが多くなった。昼食を一緒に階段で食べ、帰りは途中まで同じ道を歩く。しかし、椥叉は度々学校休んでいた。そして一月ほど経った六月の最初の金曜日のことだった。
『ごめん真霜!今日からちょっと入院してくる。』
と椥叉からの連絡があった。
「ちょっと入院ってなんか凄い言葉ね。ちょっとコンビニ行ってくる、くらいのノリじゃないのよ。」
ナヅハはメッセージを見て言った。
「大丈夫かなぁ……?どこの病院なんだろ?」
そう呟いてから真霜は椥叉の病院を聞いた。
「えっと、樽見河、樽見河……。」
土曜日の午後、真霜はスマホで地図を出して椥叉のメッセージにある”樽見河病院”を探していた。
「あぁ、あった、あった。思ってたよりは近いね。」
「まぁ、休みがちとはいえ学校に通うんだから出来るだけ近い方がいいわよね。」
「お見舞いならなんか買っていくべきだよね、やっぱり、桃?」
「風邪を引いたとは違う気もするけれど。黄色のは買ってくんじゃないわよ。」
そんな事を話ながら真霜は近くのスーパーに出向き、桃缶と常温のお菓子をいくつか買っていった。十五分ほど人の少ない電車に揺られて、病院から徒歩三分ほどの最寄り駅に到着した。近いとはいえ、電車に乗ってまで違うところに行くことが少ない真霜にとって、この風景は見慣れないはずだった。
「・・・・・・・。」
真霜は歩きながら、辺りの建物や道路を見ていた。
「真霜?どうしたの?」
違和感に気づいたナヅハが尋ねる。
「なんか、見たことがあるような気がして……。」
「だってここ初めてでしょう?」
「うん、まあ、気のせいかな?」
病院に着き、受付で椥叉の部屋の場所を聞いた。
「あぁ、あっちか。」
真霜は、部屋の番号を聞いてすぐに階段を登り、隣の病棟に向かって歩き出した。
「やけにスムーズね。」
真霜の足取りを見てナヅハは言った。
「なんか、知ってる気がする……。どうしてだろね。」
のんびりとした口調でナヅハに返す真霜。病棟を繋ぐ渡り廊下の横は全面ガラス張りされ、人のいない中庭が見えた。少し大きめの木の下にはベンチがあった。真霜はそれを一瞥し、椥叉の病室へと向かう。病室の引き戸を開けると、中には二つのベッドがあったがどちらかは知らなかった。
「どっちかしら?」
カーテンがかかる二つのベッドを見てナヅハは言う。真霜がベッドの間を通り窓際に行くと、椥叉がベッドのカーテンを開け放していた。
声をかけようとした真霜だったが、椥叉は背中を少し起こしたベッドの上で、寝息をたてていた。先程まで読んでいたのだろう、文庫本が手から布団へ滑り落ちている。
「時間的には眠くなるよね。」
腕時計を見て真霜は笑った。真霜は丸椅子をベッドに引き寄せ、お見舞いの品をベッドの隣にある棚に置いた。そして椥叉の手から落ちていた文庫本を、ベッド机に置く。その机には、昼食のデザートであろう梨が入った皿もあった。
「……。」
真霜は黙ったままその皿を見つめていた。
「さっきからどうしたのよ?おかしいわよ?」
「なんか、何か思い出しそうなんだけど、思い出せない。」
真霜はしばらく難しい顔をして考えていたが、やがて眠気が襲ってきた。そしてそれに逆らうことなく、真霜はそのまま微睡に落ちた。
「……んぉ?」
目を覚ました真霜は、ベッドに向かって前のめりに突っ込んでいた。つまり椥叉の膝の辺りの布団の所に突っ伏していた。
「やば、寝ちゃってた。」
強くまばたきをしていると、
「おはよう、真霜。」
と頭上から声が聞こえた。
「あ、あぁ……。おはよう、ございまーす。」
恐る恐る椥叉の顔を下から見上げた。
「よく寝てたね。」
「どれくらい寝てたかな?来た時に椥叉が寝てて、考え事していたら寝ちゃったみたい。」
「私が起きた時が二時半くらいだったけど、いつ来たの?」
「その少し前だったから、三十分くらいは寝ちゃったのか。」
真霜は体を起こそうとするが、その時見上げた椥叉の顔になぜか見覚えがあった。
「あれ?今日はどうしたんだろう?本当におかしいな。」
「……気のせいじゃないかしら?」
「いや、気のせいじゃないってナヅハ。絶対何かあると思うんだけど……。」
と真霜が口を開いてナヅハに返事をした瞬間に真霜の表情が硬直した。
「真霜?一体誰と何を話してるの?」
椥叉は静かに尋ねる。
「あ、えっと、その、独り言多いんだ私……。」
その言い訳は椥叉には通じていなかった。
「それは無理があると思うんだけど。独り言っていうより会話だったよ?それに誰?ナヅハって……。」
名前さえも口走っていたことを真霜は気づいていなかった。
「あ、その……。」
ここまでの失敗をしたのはおそらく初めてだろう、真霜は完全にパニックになっていた。
しばらくの間、気まずい沈黙が流れたが、それを破ったのは椥叉だった。
「……分かったよ。聞かない。」
目を閉じて真霜にそう言った。
「……え?」
パニックと意外な発言への困惑で真霜は間抜けに聞き返した。
「言いにくいことに見えたから、聞かない。真霜が私から病気のことを聞き出そうとしなかったように、聞かない。けど、話したいと思ったら話して。」
体を起こした真霜に向かって真っすぐな視線を向ける椥叉。返事ができない真霜は、ゆっくりと戸惑いながら頷くことしか出来なかった。
「あ、桃缶だ!私これ好きなんだよねー。」
話題を転換するためか、椥叉はいつもより大きな声で言った。
「そ、そうだったんだ?私の好きなもの買ってきちゃっただけで、好みじゃなかったらどうしようかと……。」
目線を外しながら真霜は言う。
「ううん、凄く好き。それに、友達の好みを知れるのはいいことじゃない?もし、今まで自分が好きじゃなくても好きになれるかもしれないしね。だから嬉しい、ありがとう真霜。お、こっちはアルフォートだ、甘いもの多いね。」
真霜が買ってきたお菓子を広げて喜ぶ椥叉は、まるで子供のようだった。真霜はナヅハのことから切り替えられずにおり、ナヅハは何も言うことができなかった。
「どしたの?食べようよ。そろそろおやつの時間なんだから。あ、梨もあるよ。」
椥叉は板チョコにかぶりつきながら、そう言ったのだった。
病院から帰る電車の中は相変わらず人が少なく、電車の走行音のみが真霜の耳に届いていた。窓から差す夕陽を見つめながら真霜はつぶやいた。
「どうしよう……。」
それはナヅハに言ったのか、それとも”独り言”かは分からなかったが、ナヅハはしばらくして答えた。
「……私はやめたほうがいいと思うわ。」
「どうして?」
「どうせまた狂人扱いされるわ。見えない私と会話ができるなんて信じると思う?」
ナヅハは目を伏せたままそう言った。
「椥叉は信じてくれる、とは思う。でも、、」
視線が電車の中を泳いだ。
「でも?」
「……言ってもいいのかな?」
ナヅハは真霜の言葉の意図が分からずに聞き返す。
「どういうこと?」
「分からないけど言っちゃいけない気もする。でも椥叉には話しておくべきだとも思う。どうしよう……。」
真霜は静かにそう言う。窓の外の地平線に沈み込んでいく夕陽を再び見つめた。
「もう、まぶしいなぁ……。」
少しだけ鬱陶しそうに真霜は呟いたのだった。