第4話「意図的な鈍感。」
「ほんと一体どうしたんだろう?」
真霜はアパートの自室のベッドに寝転がり、天井を見つめながらつぶやいた。
「さすがに1週間は長いわね。どうするの?あの状況。」
ナヅハも眉を寄せて言った。ナヅハが深刻そうに言ったのには理由があった。
登校の翌日から1週間連続で休んだ椥叉に、早くもクラスの人間は不登校のレッテルを貼っていた。
『学校来るのが怖いんじゃない?』
『いじめられたからこっちに来たんじゃねぇの?』
『綾紫野さんって初日なんか暗かったし、なんか怖い。』
『何を考えてるかわからなかったもんな。』
真霜の耳にはそういったひそひそ話が嫌というほど流れ込んできていた。
「皆無責任すぎるよ……。」
怒りもそうだが真霜は何より悲しかった。
「だからといってその人たちの考えを直させよう、というほどの勇気は無いのね。」
ナヅハは静かにそう言った。
「・・・・・。」
その言葉に真霜は返事が出来なかった。
「"第拾伍条 心にいつも灯火ほどの勇気を持ちなさい"」
ナヅハは真霜にその言葉を言った。
「確かにそうだけど、これは灯火でどうにか出来るとは思えないよ……。」
「"第拾弐条 出来ると信じて努力しなさい"、違う?」
真剣な眼差しを真霜に向ける。
「このまま椥叉に根拠のない悪印象が植え付けられてもいいの?」
「それでも私と椥叉の間は変わらないよ……。」
「それは、あなたのため?それとも椥叉のため?」
「・・・・・。」
真霜はまた返事に窮する。
「本当はそうじゃないのに、椥叉が孤独になるのを黙って見てるつもり?」
「それは、、。」
一度黙ったが、真霜は少しして再び口を開いた。
「でも、どうすれば?私がそう言ったって変わるとは思えないよ。」
「確かに。ならどうして椥叉が学校にこないか、それが分かれば皆信じるんじゃないの?」
ナヅハは微笑む。
「、、そうだね。分かった。やれるだけやってみよう。ありがとう、ナヅハ。」
翌日。
通学路を歩いていると愛華が真霜に話しかけてきた。
「おはよ-!元気ないね?どうかしたの?」
「そんなこと、ないよ?気のせいじゃない?」
椥叉のことを考えていた真霜は、知らず知らずのうちに深刻な表情をしてしまっていたようだった。
「簡単に気取られてるじゃないの……。」
ナヅハは軽く呆れた声を出して首を振る。
「私はそんなに器用じゃないよ!」
真霜はナヅハに向かって少し泣きそうな声を出す。
「いや、なんかおかしいよ?もしかして転校生のこと?」
愛華はいつものように真霜の瞳を覗き込んだ。
「・・・・・。」
「聞いたよ?なんかもうお昼の時に罵倒されたとか。」
「尾ひれもそこまで行くと笑えるね、、。」
苦笑いを愛華に向け、真霜は椥叉との食事の時のことを話したのだった。
「あ、椥叉!」
教室の扉を開け、自分の席の前に座って文庫本を読む椥叉の姿があった。
「あ、お、おはよ、真霜。」
少しばかり気まずそうに笑う椥叉を見て、真霜は口から出かかった言葉を一度飲み込んだ。
「どうするの?」
そんな真霜を見てナヅハは聞く。
「とりあえず話してみないと……。」
ナヅハへ言葉を返して、真霜は自分の席にカバンを置き、そのまま椥叉の前まで行った。
「おはよ、これ、先週のノートね。」
真霜は自分が取っていた授業のノートを椥叉に笑顔で差し出した。
「……え?」
差し出されたノートと真霜の顔を交互に見る椥叉。
「え?って、だって先週休んだでしょ?試験の時大変だよ。」
真霜は気取られまいと惚けながら話す。
「あ、うん、ありがとう……。」
椥叉は受け取ったノートを丁寧にカバンに入れた。その様子を見て真霜は自分の席へと戻った。周りの視線が真霜と椥叉に注がれていたのは分かっていたが、真霜はそんなことはどうでもよかった。
「聞かなくて、いいのかしら?」
ナヅハは静かに真霜に問いかける。
「椥叉から話さないなら、私が聞くべきじゃない。そうでしょ?」
真顔で言った真霜にナヅハは返事をしなかった。
「でも、さすがに気になるなぁ、、。大丈夫かなぁ、、?」
頭の中で真霜はやはり狼狽していた。
「大丈夫、って?」
「だって1週間だよ?もし病気とかだったらインフルエンザ級のやつじゃん?ぱっと見大丈夫そうではあったけど、顔には出ない体調不良もあるからね、、。」
「え、ええ。そうね、、。」
どうしてかナヅハは歯切れの悪い返事をするが、真霜は気には留めなかった。
「とりあえず、お昼に世間話でもしてらっしゃいな。」
そうして、午前中真霜の耳には授業の内容などひとつたりとも入って来ず、昼食の時間を知らせるベルがなるまで、真霜は上の空だった。
「椥叉~、ご飯食べよ~。」
出来るだけのんびりした様子で話しかけると、椥叉は何故か立ち上がってこう言った。
「あのさ、今日のお昼なんだけど……。」
「こんな場所で食べるの初めてだよ、私。」
二人が弁当箱を広げていたのは屋上へ続く階段だった。
「初日に見つけたの、静かでしょ?」
そう言って笑う彼女の顔を見て真霜も笑う。その後二人は午前中の授業のことを、真霜は先週の出来事などを少しおどけて話した。弁当を食べ終わり、一度話が途切れ沈黙が流れたあと、椥叉が口を開いた。
「真霜は、気にならないの?」
「気になるって、何が?」
この時点で既に椥叉の言わんとしていることは分かっていたが真霜はわざととぼける。
「私が先週休んだこと。」
椥叉はおずおずと言った。
「もちろん、気になるよ。」
椥叉の隣に座る真霜は、椥叉ではなく踊り場の窓から見える空を見つめて言った。その言葉で椥叉は真霜の横顔を見た。
「でも、もし椥叉が話したくないことかもしれないでしょ?もしそうなら私から聞いたら嫌だと思わない?私なら負担っぽく感じちゃうかもしれないから……。」
「そっか……。」
「話したくないなら、話さなくてもいいよ。でももし椥叉が話すなら、私は聞く。」
視線は空をとらえたままの真霜を見て椥叉は口を開く。
「別に、大した話じゃないよ。」
「私生まれつき心臓が弱いみたいでね、普通の学校の生活でもちょっと辛いことがあるの。初日も帰った日に血吐いちゃって短期入院してたの。」
喀血。真霜は椥叉の状態が、自分が思ってたよりも悪いことに驚いたが、表情はそのままだった。
「だからといって学校を休むことの免罪符にはならないんだけどね。」
椥叉は自虐的に笑って見せる。
「みんなに言えば、変に気を遣われちゃうじゃない?同情だけされるのは好きじゃないから言わなかったの、ごめんね。」
そう言われて真霜は首をゆっくり横に振る。
「いいよ、多分私も初日に言われたら気を遣っちゃっただろうから……。」
「と、いうことは。」
椥叉は悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「真霜はもう私がこの話しても同情してくれないの~?」
と言った。
「え~?それじゃ私が特別薄情みたいじゃん!いやしないことも無いよ?でも!」
慌てて弁解しようとする真霜を見て椥叉は笑う。
「ふふ、冗談、冗談。ありがとう……。」
その椥叉の笑顔は真霜が初めて見た彼女の心からの笑顔だった。