第3話「裏側。」
「あー、疲れた。」
真霜は最後の授業が終わって教室の外に出た時に伸びをした。
「ずーっと座ってただけでしょうに。」
ナヅハは目を細め、呆れたように言う。
「あのねぇ?ずっと座ってるのも案外疲れ……」
「何一人でぶつぶつ言ってるの?」
「うおぅあい!?」
突然現れた椥叉の言葉に真霜はひっくり返りそうになる。ナヅハも手を顔に当てて首を振った。真霜はナヅハへの返事をつい声に出してしまっていたのだ。
「そ、そんなにびっくりするかな?」
彼女の驚いた様子に驚いていた椥叉が言った。
「え?あ、あぁうん!そうね!びっくり、してないよ?うん」
「い、いやもの凄くびっくりしてるじゃん……。どうしたの?」
椥叉は愛華と同じように真霜の顔を覗き込む。
「わ、私は独り言が多いから、気にしないで?それよりも。」
真霜は恐る恐るというように椥叉を見つめ返した。
「その、怒って、ないの?」
その言葉に椥叉はきょとんとした。
「え?お、怒る?」
「だってお昼に私が生意気なこと言っちゃったから……。」
真霜はうつむき加減で言った。
「生意気?何それ?」
首を傾げて椥叉は言う。
「むしろ私はうれしかったんだけど……。」
椥叉のその言葉に今度は真霜がきょとんとした。
「え、そうなの?」
「もう私が頭痛くなってきたわよ……。」
きょとんとしあっている真霜と椥叉を見てナヅハは言ったのだった。
・
・
・
・
「まさか私の言ったことがうれしいと思ってもらえるなんて……。」
「私がああいう言い方をしても、琴ノ葉さんみたいに言ってくれた人いなかったもん。」
夕暮れが人通りの少ない通学路を歩く二人の影を作っていた。
「あ、私の事は真霜でいいよ?」
真霜は笑ってそう言った。
「分かった、なら私の事も椥叉って呼んで?真霜。」
「うん!」
この時真霜は少しだけ椥叉が笑ったように見えた。
「お昼はどうなるかと思ったけど、初日なのに一気に近づけたわね。」
椥叉と別れた真霜は一人で帰路についていた。ナヅハは微笑んでそう言い、
「焦ったけど結果オーライだね。」
と真霜は返す。
「にしても、どうしてあんなに私にそっくりなのかしら……?」
ナヅハは目を伏せて言う。
「確かにあの似方は異常だよね。あれじゃないの?地球上には3人自分にそっくりな人がいるってやつ。」
真霜はナヅハをからかうように笑った。
「私はあなたの中にしか存在しないのよ?ある意味私は地球上には存在していないんじゃないかしら?」
「なにそれ?年が明ける瞬間にジャンプしてれば地球上にいなかった、みたいな?」
「それこそ意味が分からないわよ。存在の定義が難しいわ。」
「むしろ椥叉がナヅハに似ているんじゃなくて、ナヅハが椥叉に似ているんじゃないの?性格全然似てないけど、椥叉はナヅハより素直な気がするなぁ~?」
真霜はケタケタ笑ってからかい続ける。
「あら酷い。もうやめなさいな。」
ナヅハはため息をつき空を見る。
「これからどうなるのかしら……。」
真霜は小さなアパートへ帰ってきてすぐにシャワーを浴びた。
「湯舟入れないの?」
「あー、入れてもいいんだけど待ってるのが嫌だったんだよね。季節の割には今日暑かったじゃん?」
「確かに。でも5月の後半になればじめじめするし、暑くもなるわよ。」
「だからもうさっさと浴びて、ご飯食べて寝ちゃいたいの。」
風呂から出た真霜はパソコンを立ち上げ、今朝奏と話していた配信者の動画を見ながら髪を乾かした。
「これそんなに面白いかしら?」
ナヅハは不思議そうに真霜に聞く。
「昨日の録画分は面白いと思うよ?ほら」
昨日見た、ゲームを実況しながらくだらない話をしたり、ちょっとした奇声を上げている配信者の録画動画を再生した。
「うーん、なんというか滑稽ね。」
「interestingじゃなくてfunny?」
「そういうこと、興味深くはないわ。バラエティ番組で熱湯に押し込まれてクワガタに噛まれる芸人を見ている感覚に近いわね。」
「それ大分前のネタだし……。しかもなんか色々混ざってるよ……。」
部屋の中では真霜は気兼ねなく声を出してナヅハと会話ができる。真霜は現在実家とは離れた学校の近くで一人暮らしをしていた。母親は昔に亡くなり、父親は出張が多く家にいないことが多く、母方の祖父母に面倒を見てもらうことが多かった。しかし、高校に通うにあたって一人暮らしを申し出、現在の場所に暮らしている。一人暮らしを始めてはや半年が過ぎたが彼女は大して困ってはいない。寧ろ家事は自分に合わせて出来るし、何よりもナヅハとの会話を気兼ねなくできるのが、真霜にとって大きかった。ナヅハの存在は家族も知らない。
ナヅハが言うには、
「昔は私の存在を必死に話していたけれど、子供の妄想ということで片付けられていたわ。」
ということらしい。父親は仕事で忙しく、娘を無くした祖父母、そんな所に母親を亡くした真霜がナヅハの存在を示そうとしたところで話を聞いてもらえるどころか、可哀想な子扱いされるのは考えてみればわかる。
「こうして誰に気を遣うことなくいられることはこの子にとっていい事なのかしらね……?」
「ん?なんか言った?」
ナヅハの独り言が少しだけ聞こえたようで真霜は聞く。
「なんでもないわ、あなたのように独り言よ?」
「私のは独り言じゃないってば!」
翌日の朝。学校に着いたときには椥叉は学校にはまだいなかった。奏と昨日の事で言葉を交わす。
「ねぇ真霜?昨日綾紫野さんとご飯食べてたとき何話してたの?」
奏は少し離れたところで違う友人と食事を取っていた。
「ああ、なんだろうね、ご飯の話、かな?」
「……なにそれ?途中で綾紫野さんどっか行っちゃったし、梢に聞いたけど"関わらないで"みたいなことも言われたんでしょ?」
奏の言葉に真霜は驚いた。
「いや、そんなこと一言も言ってないよ!無理に話しかけなくていい、って言ったんだよ。」
真霜は慌てて訂正をする。
「え?そうなの?おっかしいなぁ。大分意味違うじゃん。」
目を丸くして奏は言った。
「人づてに聞くと尾ひれがつくわね。」
ぼそりとナヅハが言い、真霜はぎくりとする。
「ま、まぁ他の人から見たらきつい言い方に見えたのかもね?でも椥叉はいい子だと思うよ?」
「ふーん、じゃあ今日は私も一緒にご飯食べていい?」
「もちろん!」
そんな会話を交わしたのだが、その日、椥叉は学校へは来なかった。
「どうしたんだろう?風邪でも引いたのかな?昨日はそんな感じ全然しなかったけど。」
「その椥叉ちゃん、って子には連絡とってないの?」
その日の帰りは、真霜は愛華と並んで薄暮の通学路についていた。
「あ、そういえば連絡先聞いてないや。」
「あらま、今時はすぐ交換するっての。真霜、時代に取り残される!って?」
愛華は手元の携帯をひらひらとさせる。
「何よその廃れた週刊誌のタイトルみたいな言い方……。」
「まぁ明日来た時に聞いておいた方がいいよ。」
「そうだね、じゃあまた明日ね~。」
愛華と別れた真霜はナヅハに話しかける。
「どうしたんだろ。」
「風邪って考えるのが自然でしょう?まぁ確かに昨日は全くそんな様子は無かったけれど。」
「ま、明日には来るよね。」
そう笑った真霜だったが、椥叉はその日から一週間学校に来なかった。