舞踏会当日朝
仮面舞踏会当日。この日の公爵邸周辺は、朝から騒がしかった。特に舞踏会が行われる大広間とその入口へ続く広い道では、多くの人によって着々と準備が成されていた。今回は記念すべきイベントであるとビルヌ公爵が力を入れたのだ。
広い道の中央に作られた細長い水場とその先にある大きな噴水には、様々な花や飾り物が置かれた。道の両脇にある垣根は、アスガロを代表するベテランの庭師十四人の手によって綺麗に形作られる。そのトピアリーを見た野次馬たちは、皆その場で感嘆の声を上げた。
大広間でも飾り付けが行われる。部屋を明るく照らすシャンデリアは召使いの手によって綺麗に磨き上げられた末に、広間の真ん中へ掲げられた。その煌々たるや、夜の月も恥じて顔を隠してしまう程である。部屋をぐるりと取り囲む白い壁には新品の装飾ろうそくを新調し、彩りを与えている。大広間の中央奥にある、一階と二階を繋ぐ踊り場からビルヌ公爵は部屋を見回した。そして満足そうに微笑みながら髭を指で撫でた。
「いや、実に楽しみだ。この自慢の大広間に仮面の男女が集まるなど、想像しただけで胸が躍る。必ずや成功させよう」
その時、階段の下から召使いの一人が話しかけた。
「公爵閣下、報告でございます」
「おう、どうしたのかね」
「注文していた仮面が全て完成いたしました。これから運ばれてきますが、どうしましょうか」
「ほほう!待ちくたびれていたぞ。そうだな、入口の両脇に箱でも置いて取り出せるようにするのが良かろう。入った者に取らせればよかろう」
「それなら、私たちが配れるようにしましょう」
「いやいや、それには及ばんよ。今回の企画はなんたって身分格差をバラさんようにするのが目的。身分はあってないのだからな。そうさ、お前たちも参加すればよい」
「い、いえ!とんでもありませんよ。いくら身分の差を考えないと言ったって限度があるというものです。我々にはやんごとありません!」
「そうか、そうだなあ。確かに当日にもやらねばならんこともあろう。すまないな。給料は弾むから許してくれ」
「いえいえ!」
召使いは上手く言えば美味い飯も食べれたろうにと少しばかり残念に思いながらも、それ以上悔やむことは特段なかった。
場所は変わって天の広間。ビルヌ公爵邸とは違って、いつもと変わらない朝が訪れていた。マイルは顔を洗うと外へ出て、一つ大きな欠伸をした。
「うーん、清々しい朝だ。今日が舞踏会と思うとワクワクして眠れないかと思ってたけど、もう小さい頃とは違うんだなぁ。しっかりぐっすり寝ることができた」
独り言をしながら店の中へ戻り、舞踏会へ参加する為の最後の準備に取り掛かった。壁に掛かったドレスを手に取って破けている点がないか確認をした。
「うん、大丈夫だ。我ながら素晴らしい出来だ」
次に奥の部屋へ行って招待状があるのを確認すると、無くさないようにテーブルの中央に置き、何かの拍子に飛ばされてしまわないよう、小さな箱を上に乗せた。
「あとは時間がやってくるのをひたすら待つだけだな」
マイルは店の椅子に座って、近くに置いてあった鉛筆と紙で絵を描き始めた。
「朝方に外へ出るのは、やっぱり苦手だな」
ゾクは天の広間を、建物の影を伝って歩いた。そしてマイルの仕立て屋の前に立ち、一呼吸置いてから扉を開けた。
「もしもし、もう開いてますかい」
「いらっしゃいませ。大丈夫ですよ」
マイルは鉛筆を置いてゾクの前へ行った。ゾクは眉を少し上げて言った。
「こないだ仕立てを頼んだジョージだ。出来上がってますかい」
「ええもちろん。しっかりと。今お持ちしますから少々」
そういうとマイルはクローゼットへ向かった。数秒してしっかりと作られたドレスを持ってきた。
「どうですか。いいスーツでしょう。とりあえず着てみてください」
ゾクは受け取ってそれを着た。
「うん、上は良さそうですね。手直しもいらないでしょう。ズボンの方も履いてみてください。あちらに試着室がありますから」
ゾクはマイルに案内されて試着室へ行き、上下を着た。出て行くとマイルが待っていた。マイルはズボンの裾を触ってみたり、腰元に手を当てたりした。
「よし、大丈夫ですね。手直しも必要なさそうです。何かご不満な点はございますか、ジョージさん」
「いや、問題ない。ありがとう。会計を頼む」
「はい、こちらへどうぞ」
ジョージが値段を紙に書くと、ゾクはさっとポケットから取り出して渡した。
「ありがとうございます。またのご利用、お待ちしております」
「ああ」
ゾクは服を片手に店から出ていった。
アスガロ王族の宮殿もこの日は大忙しであった。沢山の召使い達も王族たちの着付けやらドレス選びにキリキリ舞いの状態だった。マルゼビア王女は何度か最後のドレス選びにと、何人か召使いを呼んだが、
「すぐ行きますから、お待ちください」
と言うばかりで誰も相手はしてくれなかった。何しろ、召使いたちはマルゼビア王女が舞踏会に参加するとは全く思っていないのである。
「仕方ないわね。この様子じゃ誰もこないし、昨日決めておいたドレスにするわ」
マルゼビア王女は棚から小説を取り出し、読み更け始めた。
数時間経ったころ、ようやく女性の召使いの一人がやってきた。
「お嬢様、お待たせ致しました。なにぶん、今日は舞踏会なもので、みんな着せ替えに大忙しでしたの」
「ええ、分かってるわ。私も同じよ。ドレスは昨日には決めてあるの。これを着させて」
「え、お嬢様も参加なさるのですか?」
召使いは目をまん丸くさせた。マルゼビア王女も自慢げに届いた招待状を見せた。
「そうよ。この日をどれだけ待ったことでしょう。読み聞かせて貰った絵本のお姫様はいつも舞踏会。でも自分は舞踏会の日はお部屋でひとりぼっち。いつか本当のお姫様になるんだって言ってたものよ」
「それはそれは。ようやく大人の女性として認められたのですね。私としても喜ばしいことですわ」
と、召使いははにかんで見せた。そして、王女に綺麗な水色のドレスを着させたのだ。
警察署もまた忙しい。王族の私設衛兵では足りないからと警察に応援がかかった。サンロッテ警部も例外では無い。貴族が盗みにあった話をしたら、同僚から
「そんなもの、落としただけに決まってるだろ。要するに暇なんだな」
と決めつけられ、舞踏会に駆り出されることが残念にも決まってしまったのだった。サンロッテ警部は、もう盗みの件はお蔵入りにしてしまうことにして、心を入れ替えることに決めた。
こうして、ビルヌ公爵は目と片頬が隠れる仮面を、マイルはビシッと決めたスーツを、ゾクは顔全体が隠れるシンプルな黒色の仮面を、マルゼビア王女はネコの模様が入った金飾の仮面を持ち、舞踏会に心を寄せた。
そしてなサンロッテ警部は手錠を持って肩を落とした。
これらが、記すべき物語を生んでいくのであった。