舞踏会を終えて
アスガロ王国の長い長い夜もいよいよ終わりが近付いてきた。太陽こそまだ見えないが、空に青色がほんの少し付いてきた。アスガロの牧場作業員たちは、早い目覚めを迎えていた。
そしてビルヌ公爵邸では仮面舞踏会が終焉を迎えようとしてきている。会場の音楽は既に止まり、参加者も最初の半分となっていた。ビルヌ公爵は踊り場に立つとこう言い放った。
「皆さま、今日は本当に素晴らしい夜であった。本当に感激です。しかし間も無く太陽がお迎えにあがります。実に悲しいものですが、また次の機会を心待ちに、本日はこの辺でお開きといたしましょう」
参加者たちは大きな拍手で応えた。中にはそのまま別れてしまうのが惜しく、仮面もはずさないままに二人手を繋ぎながら邸宅を出て行く男女もいた。
しかし、この二人ばかりはそうではなかった。青年マイルとマルゼビア王女である。
「ああ、名前も知らない素敵な方。あなたとお別れするのが本当に寂しいですわ。でも……私はそうはいきませんの」
「君にどんな事情があるかは分かりません。ですが、僕もまたこのまま一緒にいる訳にはいきません」
「あの、もし再び舞踏会があった時、会うことはできませんか」
この言葉を聞かされたとき、マイルは自らの運命を底から呪った。
「本当に申し訳ありません。やんごとなき事情です。どうしてももう会えないかもしれません。でも、もしかしたら、ほんの少し小さな運命の片端の末、仮面舞踏会でなら出会えるかもしれません」
「分かりました。信じますわ。毎日だって祈りを捧げます。そして仮面舞踏会を開きます。お願いです。また、会ってください」
「はい」
青年の目は彼女がそれまでには見たことが無いほど、純粋で美しく輝き放った瞳をしていた。
マイルが名残惜しくもこの邸宅を出ようとしたその時だった。目の前にいる男の姿に覚えがあった。いや違う。正確には目の前にいる男の服装に見覚えがあったのだ。
「あ、あなたは!」
突然と声を掛けられたゾクは後ろを振り向いた。その姿は仮面に隠れて見えない。しかし声は確かに聞き覚えのある声。仕立て屋の青年の声であった。
「しまった!」
ゾクは前を向くと一目散に逃げていった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
マイルは逃げる様子を見て、特に深追いする必要は無いと思いつつも本能的に追いかけてしまった。しかし数百メートル走ったところでついにその姿を見失ってしまった。
「参ったなあ。確かにあれは僕がこないだ注文された品のはずだったんだが。やっぱり舞踏会に参加する貴族だったのか。あれ、もしかしてまずいことをしてしまったのは僕のほうではないのか?彼に貴族では参加できないのに参加しているところを見られてしまった!」
マイルは思わず頭を抱え込んでその場に座り込んだ。その瞬間、何者かに首を腕で絞められたまま立たされた。
「おい、このやろう」
「な、なんだ」
「お前は何者なんだ。お前は俺がこの服を注文した仕立て屋だろう。なんで舞踏会にいるんだ」
「ううっ、分かった、全部話す。全部話すから緩めてくれ。死んでしまう」
ゾクは絞めた腕を緩めた。しかし、首には掛けたまま、いつでも絞めれる状態にしている。
「僕はただの町の仕立て屋だ。だがある日、天の広間で誰かが捨てていった、いやもしかしたら落としたのかもしれない招待状を拾ったんだ。それでつい、興味本位に参加してしまったんだ。もう二度と参加しない。だから、だから許してくれ。悪気は無いんだ」
「なんだそうだったのか」
ゾクは手を離した。
「すまない。ちょっとした理由でお前を警察と勘違いしちまった。許してくれ。それと、俺のことは絶対に誰にも言うなよ。俺もお前のことは言わない。これでおあいこだ」
「ああ、よく分からないけどそういうことなら」
マイルはその場にひざから崩れ落ちた。そして、ふと後ろを振り向いたが、もう誰の姿も見えなくなっていた。
「一体、なんだってんだ」
マイルは小走りに自らの家へと帰っていった。
「お嬢様!どこに行ってらしたんですか。陛下がご心配なさってましたよ」
マルゼビア王女への説教は、まるで馬耳東風である。
「いいでしょ。私だって子供じゃないのよ。いい加減そういう扱いはやめてくれないかしら」
「いけません。まだ国王の監視下にいるんですよ。勝手な行動は侍女として、この私が許しません」
「分かった分かった。分かったわ。気の済むまで怒ってちょうだい。私は手紙を書こうかしら」
「お嬢様!本当に困りましたこと。とりあえず、しばらくはお部屋から出られないと思ってくださいね」
侍女は部屋を出て行った。マルゼビア王女はそんなことすら気に留めることもなく、棚から便箋とペンを取り出した。そして一通、ビルヌ公爵へ手紙を書いた。
ビルヌ閣下
この度は素敵な舞踏会へのご招待、本当に嬉しく思います。
私も父も大満足の一夜でした。それに関しまして、お願いがございます。
もう一度、仮面舞踏会を開いてください。これは閣下も同じ思いだと思います。
もうひとつ、私を再び招待してください。父が反対しているのは百も承知です。
ですが、私ももう子供ではありません。しかし普通の舞踏会では式の途中で簡単に見つかってしまいます。
素性が分からなくなる仮面舞踏会だけが私の社交界への出入り口なのです。本当に心からお願いいたします。もちろん、話を聞いて頂ければ、王女としてできる限りのことはします。
あるいは今はできなくても将来は国を担う一人として、一計を案ずることをお約束します。
マルゼビア
「これでいいわ。問題はどうやって送るかよね」
残念なことに、マルゼビア王女には自前の伝書鳩も、担当の郵便役もいなかった。
「ちょっと荒々しいけどこの方法しかないわね」
マルゼビア王女は手紙を片手に国王の部屋へ向かった。
「マルゼビア!お前は一体どんなことをしたか分かっとるのかね!」
マルゼビアの頭に大きな大きな雷が落ちた。
「ワシはお前が憎くて言ってるのではない。お前を愛しているから言ってるのだ。勝手に宮殿を抜け出して、あろうことか舞踏会へいくだなんて」
「反省してるわ」
「いいか、そもそもお前は昔からな……」
マルゼビア王女には国王の言葉など微塵も響いてはいなかった。マルゼビア王女はただひとつの瞬間だけをじっと狙っているのである。そしてその時がやってきた。
説教に夢中になった国王が、いつもの癖で窓から外を見たのである。
「みよ、このアスガロ王国を。この国はわれわれ一族が何代にも渡って築き、そして守ってきた。一族は優秀なものばかり。それは小さいころからお前のようには遊ばず、勉強し、親の背中を見てきたからなのだ。それをお前というやつは……」
「そうね、お父さま」
マルゼビアは適当な返事でごまかしながら、国王の机の上に積まれた送る予定の書簡の間に先ほど書いた手紙をスッと差し込んだ。
そして、ようやく説教がすんだ。顔だけは落ち込んだ様子で、足は軽く部屋を出た。
「あら、お嬢様!出てはいけないと何度言えば!」
「お父さまに叱られてたのよ」
「あら、そうでしたの。素直になりましたことね。昔ならこういうことがあれば陛下のお部屋には絶対に近寄りませんのに」
「だから、もう子供じゃないのよ」
「ほら、早く部屋にお行きなさい。」
「はいはい」
マルゼビア王女は満足げに部屋へ戻った。そして、郵便役はいつ宮殿を出るのかと、窓の外からじっと視線をはずさなかった。