ゾクの舞踏会
広い部屋全体に響き渡る力強い演奏、自らの身元が見えなくなる仮面の装着、沢山の人が動き回って騒々しい場所。その全てがゾクにとっては都合が良かった。ただ一つ、勘の鋭そうな刑事が入り込んでいること以外は。しかしそのサンロッテ警部はというと、捜査に影響が出ると言い訳をして仮面をしていなかった。その特徴はゾクが彼の動向をしっかりと見張ることに対し、大きな目印となってしまっていた。ゾクはビルヌ公爵の私物やほか値打ちのあるものが置かれている場所へ行こうと、広間からその奥へ続く扉がどこへあるかじっくりと探っていた。
「うーむ、思っていたより広くてどこがどこか分かりづらい。だが待てよ、さっき外から建物を見てた時に、シルエットで二階の窓に召使いらしき人影が見えた。ここからは見えないだろうし、恐らく公爵様のスペースへ繋がるに違いない。とするとそれは……あの扉の辺りだな」
ゾクはステップを踏みながら少しずつ階段へ近付いた。
「しかしな……階段を上り下りする人は少ない。目立ちたくないな」
広間の二階部分(大広間中央は広く吹き抜けで、二階部分とは広間全体を円状に構えるスペースである)に目をやると、幾人の人らが会話を楽しんでいる。よく見ればどれも男女の組み合わせばかりである。
「なるほど。察するに二階は異性との交流を楽しむ場所なのだな。普段からそうしているのか、今回だけ自然とそうなったのかそこまでは分からないが、きっとそうに違いない」
ゾクは近くにいた空色のドレスを身にまとった、若そうな(もっとも顔は見えないが、体つきや仕草から若々しさは出ている)女性に狙いを定めた。そして何気なく近づいて行った。
「|Mademoiselle、よろしければ一緒に踊りませんか」
ゾクの問いかけにその女性は少し間をおいて答えた。
「構いませんことよ」
ゾクとその女性は、曲に合わせて何ステップかだけ踊った。そして女性を一回転させたところで、ゾクが言葉をかけた。
「すみません。ずっと踊りっぱなしだったもので、疲れてきてしまいました。少しあちらのほうでお話でもしませんか」
と言いながら二階を指した。
「もちろんですわ」
ゾクはその女性を前に立たせると、決して追い越すことのないようにゆっくりと階段を上がっていった。
女性は周りを少し眺め、空いていた場所へ歩いていった。
「ここらへんでよろしいですか」
「ええ。最高ですよ」
ゾクは深呼吸をして心を落ち着かせた。
―ここまでくればあと少しじゃないか。変なところで焦るなよ、おれ。
「お嬢さんは舞踏会は何度も来たことがあるんですね」
「あら、どうしてかしら」
「大した根拠ではありませんがね。落ち着きを払っていて魅力的に感じますな。初めての舞踏会ではここまで落ち着いてはいれませんよ」
「そうかしら。でもそんなこというなんて、もしかしてあなたは初めての舞踏会なのかしら。お声を聞く限りそこまでお若そうではありませんけど」
ゾクは一瞬だけ「しまった」と思ったが、すぐに平常心を取り戻した。
「いや、まさか。ただあなたの瞳が輝いていたからですよ。その輝きは若くなければ出せない。仮面をつけていたって、決してすべてが見えなくなるわけじゃないのですよ」
「あら、お上手なのね」
そういって女性は視線をそらした。
「あなたのこと、もっと知りたくなってきたわ」
普通の男性ならこんな言葉を若い女性からかけられたら、心を躍らせることであろう。しかしこの時のゾクは違った。お忘れかもしれないが、ゾクの目的は女性と恋に落ちることではない。公爵邸の奥へ入り、財宝を盗み出すことなのだ。ゾクはいかにしてこの女性の目を盗んであそこの扉から入っていこうか、と隙を伺っていた。
そして、ついに勝負に出ることにした。
「お嬢さん、あなたは本当にお美しい」
「あら、仮面をつけているのにどうして分かるのかしら」
「細かな動作や仕草、そういったものはどうやったって隠せやしないんです。美しい人の所作は美しいし、逆に醜い所作しかできない人は醜いものなのです。どうです、あの方をごらんなさい」
と、ゾクは一階の中央あたりを適当に指で示した。女性はその方向に顔を向けた。
「あら、あの方のどこが醜い所作というのですか」
そういって再びゾクの方を向いた。しかしそこにゾクはもういなかった。周りをキョロキョロ見たが、それらしき姿はどこにもない。近くに立っていた男性に
「すみません、今しがたまで私と話していた方がどちらへ行かれたか存じませんこと」
と尋ねたところで首を横に振るだけであった。そして
「あれ、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。不思議な方だわ」
と言うとその男が
「そんな方のことなど、忘れてしまいなさい。私とゆっくり話せばいいことです」
と返した。その通りだと思った女性は、言われた通りゾクのことなどすっかりと忘れてしまった。
その時のゾクはというと、遂に上手いこと大広間からその奥にある場所へと移動できたのだった。しかし、その先まで上手くいくほど世の中は甘くないのだ。
ゾクが今しがた通った扉を閉めると、二人の男が向こうから近付いている。
「ちょっと、ご主人。ここはいけませんです。どうしたのでしょうか」
ゾクは失敗したと確信した。この男たちに紛れようと思ったが、残念ながらその男二人と自分には大きな差があった。まず第一に彼らは自分が着てるほど立派な服装ではなかった。そして仮面もつけてはいなかったのである。ゾクはごまかそうと必死に思いついたのが
「いや、お手洗いを探していて迷ってしまったようだ」
であった。
「なんだそうでしたか。ご案内しましょう。そういう訳だ。この用事はお前ひとりに任せる」
そういって男の内の一人が自分をお手洗いまで案内してくれたのだった。
その道中もゾクは考えるのをやめなかった。どうやったらあの廊下の先へ行くことができただろう、と。しかし、いくら考えても一張羅のスーツに仮面しか持っていないゾクには、なすすべは思いつかないのであった。