青い正義 二章1
2章
1
「とても元気な子でした。落ち着きがなくて困るくらいでしたよ」
桜庭やえはそう言ってお茶を口に含んだ。桜庭を一目見たとき、どこにでもいる気の良さそうなおばあさんだな、という印象を抱いた。
通された部屋には彼らが食事をする机だろうか、狭い部屋には大きめな机と小さな椅子が六脚ほど。冷蔵庫とキッチンもあるから、大人が一人ようやく通れるほどのスペースしか空いていなかった。
「みきがいなくなってしまってから、茜は本当に思い詰めてしまって見ていて辛いんです」
桜庭は隣の部屋で小さな子供達と積み木を積み上げて遊んでいる斉藤を見つめて、心底心配した様子で言う。
「近藤さんは茜のご友人なんでしたよね?」
「ええ、友人というよりも知り合いと言った方が正しいですが」
桜庭には何でも屋であることを伝えていない。それは桜庭に金を払って何でも屋を雇った、等とは言えない斉藤の頼みでもあった。
「それで、みきちゃんがいなくなってしまった前日や、それより前に何か変わったこと等ありましたか?」
「そうねぇ、特段変わったところは無かったと思うわ。喧嘩があった訳でもないですし」
桜庭は思い返すようにして言う。
「他にみきちゃんの行きそうな所や思い当たることがあれば教えて頂いても?」
「みきは体を動かすのが好きでしたから、このあたりでしたらどこでもいってしまいそうですけれど……」
「そうですか、茜さんのためにも一刻も早く見つけてあげたかったんですが」
桜庭の視線が少しだけ泳いだがすぐに戻った。
「警察にも届けはだしているので、あまり無理はしないでくださいね」
それが俺を気遣って言っているのか、たかだか二十程度の若造一人で何を意気込んでいるのか、という皮肉にも聞こえた。
「ひとまずは、もう一度このあたりをよく捜してみます。今日はお時間を作って頂いてありがとうございました」
桜庭に礼を言い、席を立ちコートを羽織っていると、
「茜は他の子供達のために頑張れる良い子なんです。そんなあの子が悲しむ姿はもう見たくないんです。どうか、茜のことも、みきのこともよろしくお願いします」
桜庭は今まで見せたことのない、悲壮感と後ろめたさが混ざったような顔で言った。
「もちろん、そのつもりです」
桜庭の顔は見ずに、斉藤を見やりながら短く答えた。
事務所のドアを開け、デスクでパソコンとにらめっこしている一色に話しかける。
「話、聞いてきましたよ」
「で、どうだった?」
一色が背もたれに寄りかかり体を伸ばす。
「結論から言うと、大した情報は得られませんでした」
「それで?」
「子供思いの人の良さそうなおばあさん、って感じでしたし、斉藤さんに教えてもらったことと同じようなことしか聞けませんでした」
一色が何度か小さく頷く。
「そうかい。とりあえず、お疲れ様」
一色の手元で銀色のノートパソコンが小気味良い音を立てる。
「さて、桜庭のことを思いだしながらこいつを見てみな」
一色に手招きされ、ノートパソコンを覗きこむ。そこには一色が調べたのであろう。桜庭のことが書かれていた。
「桜庭は今から十年ほど前に夫と死別している。その後すぐに児童養護施設を開いているんだよ」
つまり、桜庭が施設を始めて間もなくの頃に斉藤も入所したことになる。
「ここからが、ちょっと興味深くてな。どうやら桜庭は子宝には恵まれなかったみたいでね。桜庭夫婦には子供がいなかったらしい」
「それで児童養護施設を?」
「恐らくな。桜庭にも子供に対して思うところがあったんだろう。で、その施設なんだがどうにも借金を抱えているみたいでな。しかもこれが結構な額なんだよ」
「借金、ですか?」
こくり、と一色が頷く。
「これは予想だが、これだけの借金であれば施設の経営も、来年が限界ってところだろう。おまけに子供の失踪事件まで起きちまってる」
「踏んだり蹴ったりですね」
「私だったら泡吹いて倒れちまうね」
ケラケラと一色が冗談ぽく笑う。その様子に少しムッとしたが、それが無駄なことなのはもう理解している。一色は自分以外の人間がどうなろうと知ったことではない、なんて平気で言いきってしまえるような人だからだ。
「これを踏まえた上でもう一度、考えてみな。桜庭の態度にこのタイミングでの神宮みきの失踪」
「……何が言いたいんですか?」
自分の頭のなかに思い浮かべてしまう。人の良さそうな桜庭に感じた妙な違和感、その正体が少しだけ顔を見せたような気がした。ただ、その妄想を口にしてしまうのは自分が最低な人間である気がして躊躇った。
「偶然不幸が重なっただけなのかもしれないし、はたまた起こるべくして起こったのかもしれない」
俺の目を見てきた一色の視線から逃れるため、パソコンに目線を落とす。
「物事の見方を変えてみれば、新しい可能性がでてくる」
「桜庭を疑えってことですか?」
「その可能性もあるってこと」
短く言い終えて一色はもう一度伸びをする。
「何にせよ、次にすることはもう決まったな」
両手を頭の後ろで組んだ一色がこちらに目線をとばす。
「明日からで構わないから、桜庭をマークしろ。もしかしたら何か見つかるかもしれないしな」
「分かりました」
短く答えて、事務所を後にする。一色が言っていたこと、施設の借金と神宮みきの失踪。都合の良いように考えれば、繋がってしまう嫌な想像。深く冷たい夜の闇が俺の心を一層曇らせた。