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ふたりのバルバリ  作者: あしき わろし
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三九六年 皇帝たちとふたりの蛮族 コンスタンティノポリス

 壮麗な元老院議事堂を横目に見つつ、スティリコは列柱に囲まれたアウグスタイオン広場を横切っていった。

 コンスタンティヌス大帝が『ノウァ(新)ローマ』として開都し六十余年。

 内外の厳しい情勢を受けて、未だ発展途上の段階にとどまる新都コンスタンティノポリスだが、大宮殿の正門をくぐれば、さすがに別世界の感がある。


「ローマ市民の血税は、こういうとこに消えてるってこってすなあ」


 部下の一人が辺り憚ることもなく言った。


「もっともそこいらじゅうにある彫像なんかも、全部ローマから担いできたって話だから、節約してるといやあ、してるわけか」

「口を慎みたまえ」


 スティリコはたしなめた。

 だが彼自身も、贅を尽くした大宮殿を眺めて、ひそかなある思いを禁じ得なかった。

 通された一室を見回しても、その華美な内装には目を見張るしかない。しかもそこは謁見の間ではなく、その控え室なのだ。


(時代とともに、統治も変わらなければならぬ)


 風景を映すスティリコの心は、思索の深みに沈んでいった。


(かつて神君アウグストゥスはエジプトを皇帝の私領とした。何故か。上下ナイルを統一したメネス王からアントニウス将軍と心中した女王クレオパトラまで二千五百年、エジプトは神権を持つ王によって統治されたからだ。かの地の民にとって統治とは神によってなされるものであり、ローマ法に基づく統治は馴染まなかったのだ。故にローマ皇帝も、エジプトにおいては神として振るまう必要があった)


 エジプトの神ではないが、控えの間を囲む壁には神格化された歴代のローマ皇帝たちが浮き彫られていた。

 それより少し高いところに大帝コンスタンティヌスのモザイク画が、今上帝であるアルカディウス、ホノリウスや、先代であるテオドシウス帝とともに描かれている。

 ローマ古来の美意識では、人体のもっとも美しい姿を肖像に遺すことは神々にのみ許された特権であり、故に浮き彫られた皇帝たちは裸体だった。

 だがコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認して以降、神格化は背後の光輪で示されるようになったので、晩年に洗礼を受けた大帝コンスタンティヌスの肖像にも、肩から頭上を通りまた肩にかかる金環が描かれている。

 時代のうつろいを感じながら、スティリコはなおも思索──あるいは内なる弁解を続けた。


(しかるに。ここコンスタンティノポリスは東ローマとは言え、オリエントの文化圏に属す。オリエントには上代より専制君主の権威によって支配されてきた歴史がある。それ故、権威を象徴する建造物の偉容をもって臣民の畏怖を喚起するのもまた、より効率的な統治をするために選択した政治手法であり──)


 瞑想にも似たスティリコの思索は、がやがやと入ってきた騒々しい一団によって遮られた。

 その中心にいる、背ばかりひょろりと高い男がスティリコに気付き、佩刀のまま、ずかずかと歩み寄ってきて、


「ようようよう。お勤め、ご苦労! 直に会うのはいつ以来だっけな。テオドシウスのおっさんの下で、ひと働きしたときか?」


 大きな声だった。

 敗戦につぐ敗戦の末、やや手薄になった包囲の一角をついて命からがら戦場を逃れてきた、そんな悲壮感はまったく感じられない。

 それどころか、


「いやあ、負けた負けた!」


 アラリックは馴れ馴れしくスティリコの背を叩きながら、


「あんた、強いなあ。俺もおいそれとは、ひけをとらねえつもりでいたんだが、あんたにかかっちゃ、ひとたまりもなかったぜ」


 そう言って哄笑までしてみせた。


「運に恵まれたまでのこと。戦況次第では、あなたが勝っていたと思う」

「いやいや、俺もいくさは不得手じゃねえ。だからこそ解るんだよ。いろんな奴と戦ってきたが、間違いなくあんたがピカイチだ。ヨイショじゃねえぜ。そこであんたに訊くんだが、俺のいくさは、どこが悪かったかね?」


 アラリックが生真面目くさった顔付きをすると、面長の顔に顎髭が山羊のように伸びていて愛嬌がある。彼は虚勢でも悔し紛れでもなく、本心でなぜ負けたのかを不思議がっているようだった。

 スティリコは表情を崩さずに、


「王は運に恵まれなかった。麾下の諸兵はよく戦い我々を苦しめたが、兵を引かせるのが勝利の条件であるならば、緒戦の段階でそれが可能な状況にはなかったように思う」

「ふうん。駒を並べたところで、もう俺の負けか」


 アラリックは顎を撫でながらスティリコの顔を覗きこんでいたが、


「やっぱりあんた、強えな」


 そう言ってまた笑った。


「ま、いいや。こうして生き延びて、あんたに会えたんだからよしとするさ。おっと、お呼びのようだぜ。俺たちのやんごとなき陛下がよ」


 謁見の許可を告げる使者が控えの間に入ってきて、別世界の異物でもあるかのように、二人の武人を遠くから眺めていた。

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