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前編

 突然だが、虫の話をしようと思う。


 虫と言っても、カブトやクワガタと言った子供たちが好きそうな虫のことではない。はたまたルリタテハや玉虫などの、見ていて惚れ惚れするような生ける芸術のことでもない。誰の家にも一匹はいるような、あの虫のことだ。


 これは私の家族が今年の夏に体験した、その虫に纏わる少し不思議な話である。紳士淑女の皆様、どうかムシせずに最後までお聞きくださいませ。



 専業主婦たるこの私には、今年で10歳になる美雪という娘がいる。その可愛さと言ったらもうどこぞの国のお姫様のようで、かの小野小町と並んでも遜色ないのではないかと思う。まさしく目に入れても痛くはない、・・・・と豪語したい所であるが、娘がまだ赤ん坊の頃に、偶然動かしたその手が私の眼球を直撃するという事件が起こり、非常に痛い思いをしたことがある。

 どれだけ愛しかろうと、目に入れば普通に痛いことをその時初めて知った。目から鱗であった。


 前置きはこのくらいにして。そろそろ本題に移ろう。

 夏と言えば、夏休みで浮かれ気分の小学生たちがそこかしこに蔓延する季節であるが、同時に虫の活動も活発になっている。外でブンブンカサカサ動き回るのはまあいいとしよう。問題なのは、家の中に居を構える害虫どもの存在だ。

 特にゴキブリ。通称はG。無論どこぞの怪獣王とはまったく別モノだ。(生命力の強さだけは似ているかもしれない)

 毎年我が家では、台所を主戦場とした奴らとの熾烈な戦争が繰り広げられている。見方次第では、虐殺に思えるかもしれないけれど。

  


 その日は娘の誕生日・・・の前日であった。 


「ねえねえ美雪ちゃん、今年の誕生日のプレゼントは何が欲しい?」

 

 私がそう訊くと、娘は仰々しく腕を組んで考え込む仕草をする。可愛くて写真に撮っておきたいほどだったが、鬱陶しがられるのでそこはグッとこらえた。

 ちなみに私と娘は、親子揃って読書好きな本の虫である。特に娘など、暇さえあればいつ何時でも本を開いていると言って良いほどだ。夜も夜で、布団の中で遅くまでずっと本を読みふけっていることがしょっちゅうである。一度、早く寝なさいという意味で「今何時だい?」と言うと、「へえ九つで」と返してきたことがある。負けたと思った。


「何でもいいよ、欲しいものなら何でも」


 だからその時もてっきり娘は本を要求してくるものだと思っていた。

 事件はその時起こった。


 ブウゥンという忌々しい羽音を響かせて、茶色い悪魔がどこからか飛んでくる。迎撃を試みようとした時には時既に遅し。奴はあろうことか娘の髪の毛へと着地してみせる。それはまるでゴキブリ型の髪留め、の実物バージョン。吐き気がした。


「っ!美雪っ!」


 咄嗟にスリッパを振り上げたものの、可愛い娘の頭を叩く訳にもいかず。私はその体勢のまま固まった。動いたらやられると分かっているのか、相手もじっとしたままだ。

 

「・・美雪」


 我が最愛の愛娘は、怯えた様子も見せずにボーっと突っ立っている。放心状態にある人を、私はその時初めて見た。

 数秒くらい経っただろうか。魔法が解けたかのように、不意にその硬直は終りを向かえた。

 ゴキブリがその黒光りする羽を広げて飛び立ったのである。私は追撃を試みたが、やはりもう年なのだろう。瞬発力が、物理で言うところの瞬間の速さがいかんせん不足していた。ここからさらにもう一手間、微分することによって具体的な値を求めてもいいのだが、ここでは皆様の脳内の健康状態を考慮して控えておくことにしよう。誰も関数f´(x)に興味などないだろうから。

 そんな訳で。私は逃走したゴキブリをみすみす逃してしまったのであった。

 ちくしょうめ、と私が一人毒づいていると、そこへ娘がやってきて服の裾を引っ張ってきた。


「お母さんお母さん。みゆきプレゼント決めたよー」

「うん。何にしたのかな?」


 娘が言ったのは、まさしく予想外の答えだったと言えよう。


「明日夜更かししてね、金曜ロー○ショーを見たいな」


 何と無欲な。

 齢十歳にして、いったいこの子は何を悟ってしまったのだろうかと思った。 



 

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