街を守る者
アルカナート王国の西方、隣国との国境に接するジェスター侯爵領。元々戦闘的な文化を持ち、ジェスター侯爵家もアルカナート建国当初から王の剣として武芸を磨いている。
その一方で領民の声をよく聞く優れた領主の一面もあり、大規模な土地改良や隣国とも平和的な交流を続けていた。
その結果、侯爵領は他国民にも気軽に訪れることができる貿易の拠点としての一面を持つようになり、様々な人種が集う賑やかな街となっている。
人が増えれば、それもあちこちの文化を持った人々が集まるのなら、当然ながら諍いも増えていくものだ。
そのため、ジェスター侯爵領の自警団は腕と知識の両方を兼ね備えた者だけがなることの出来る少年たちの憧れの職業ともなっていた。
そんな自警団の証である藍色の上着を身につけ、街中を颯爽と歩く青年が一人。
まだ年は若く、精悍な顔立ちだが淡い緑の瞳がやわらかな光を宿しているためか、さほど威圧感を感じさせない。
首の後ろでくくった髪は明るい茶色。背は一般的な男性よりやや高いだろうか。黒いブーツをコツコツと石畳に響かせながら歩くのは見回り中だと周りに知らせる役目を持つ。
自警団の最も優先されるべき任務は悪を見つけて退治することではなく、それにより被害を受けている人の命を守ることである。だからこそ音による悪事への牽制であり、この音が聞こえて声あげればすぐさま駆けつけるというのが団則の第一条という徹底した方針である。
無論、悪を見逃すわけではない。だが最優先が人命だと言い切るのも他には類を見ないこの領独特の方針であるらしく、他国の商人たちが安心して商売ができると評判もいい。
「あっ、ファビ様だ!」
足音を聞いてか、青年の方へ顔を向けた子供が声を上げる。道端で遊んでいたのだろう、他の子供たちも一斉に青年の方を向くと笑顔になって駆け寄ってきた。
「お帰りなさい、ファビ様!」
「祭まではいるの?」
「王都は楽しい? どんなところ?」
口々に質問を飛ばす子供たちに、青年はしゃがんで視線を合わせるとにっこりと微笑んだ。
「みんな、元気そうでなによりだ。祭りまではいるよ、王都はきらびやかだがここの方が俺は好きだな」
嬉しげな笑い声とやや不満そうな声が一斉に湧き上がる。それに青年が笑って立ち上がろうとして、ふいに顔を後ろに向けた。
行き交う人々と、物売りの声が響くそれなりに賑やかな界隈。不審な動きをする者はいない。
だが、青年の表情は少しばかり険しいものになっていた。
「ファビ様?」
「どうしたの?」
様子の変わった青年に、子供たちが不安そうな顔になる。それに気づいた青年はやや慌てたように笑顔を浮かべると、上着のポケットから一掴みの飴を取り出す。
「なんでもないさ。それより、王都で買ってきた飴だ。みんなでお食べ」
色とりどりの紙に包まれた飴に子供たちの興味が向く。手のひらいっぱいのそれを行儀よくひとつずつみんなが取った後、何人かがもの言いたげな顔で青年を見た。
「あの、ファビ様。まだあるなら、妹にももっていっていい? 熱を出して今日はいないの」
おずおずと訊ねた少女に青年は笑う。
「ああ、もちろん」
途端、少女だけでなく周りの子供たちの顔も明るくなる。
「よかったね!」
「早く元気になるといいね!」
口々に少女へ声をかけ、少女がもうひとつ飴を受け取るのを待って一斉に駆け出す。
どの子供も明るく元気な様子に青年は微笑み、そしてすぐにその笑みを消した。
元来た道を引き返す足は先ほどまでの軽快な足音を消したもの。自警団の仕事としての歩き方に切り替えた青年が向かったのは、やや先の店先に隠れるようにある細い路地だ。
地元の人でしか知らないほどわかりにくいその道を迷いなく進んでいく。一人分程度の道幅に古くやや足下の石畳が劣化しているにも関わらず、その速さは増していくばかり。
やがて裏町の小さな広場に出た青年の目に飛び込んできたのは、一人の少女を取り囲む複数の男の姿だった。
やっぱりか、と声に出さず青年が呟く。
先ほど青年が振り向いたのは、やや足早に裏道に入っていく乱暴な足音を複数聞きつけたためであった。
この街は路地ごとに使う石畳の材質を変えてあり、知る者が聞けば響く足音によってだいたいの検討がつくようにワザと作られている。青年の耳はその小さな音に気づいていたのだ。
どうしたものかと青年は様子を伺う。
少女は完全に男たちによって取り囲まれているようだ。下手に飛び出してしまえば怪我をする可能性もある。男は五人、青年がにとっては簡単に蹴散らせる程度の人数ではあるが、少女を助けるとなれば少し厳しいものもある。
ひとまず隙をと青年が思った時、男の一人が少女に手を伸ばす。咄嗟に飛び出そうと足を踏み出すのと、少女が動くのはほぼ同時。
「……は?」
思わず青年が惚けた声を上げたのも無理はない。
男の手を掴んだ少女がそのまま体を捻り、男を振り回すようにして他の男たちを一掃する様子を見れば誰だろうと驚くものだ。
「悪いけれど、そういう仕事はしていませんので」
一歩踏み出した状態の青年に聞こえた声は、まだ幼ささえ感じさせる少女のものだった。
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