表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/22

策謀

 ピピピ! ピピピ! ピピピ!


「ちっ……うるっさいなぁ……」


 ――THU 13:10


 アラームを鳴り響かせる腕時計をにらみつけ、桜花おうかは、机に突っ伏した姿勢から、のろのろと起き上がった。


「うおっ……!?」


「み、深山みやまが起きた!」


 昼休みである。


 近くの席で機嫌よくだべっていたクラスメイトたちが一斉にざわめき、そろそろと引いていった。


「こ、怖ぇ~。すっげー顔……」


「シッ、静かにっ! ヤツは、寝起きは特に機嫌が悪いんだ。

 そんなもん聞かれたら、ヘッドロックかけられるぞ……!」


「誰がだコラァッ!?」


「ぎゃああああ!?」


 桜花が思わず怒鳴った瞬間、椅子を引っくり返し、脱兎のごとく逃げ出してゆく男子たち。


「ふん、馬鹿どもが……ふぁ……」


 大魔王のごとき唸り声を発しておいて、大あくびをしたとたん、


「おっはよー! おーちゃん」


 いきなり視界にアップで飛び込んできたのは、美奈みなの満面の笑顔だ。


「どう、どう? あたしの必殺技、十五分間睡眠!

 すっごくスッキリしたでしょー?」


「いや……なんか……

 かえって、眠気が増したような気がするんだけど……」


「あれー、そう?」


 まったく悪びれない様子で、美奈。


「まあ、睡眠って、いろいろ体質とかあるらしいからねー。

 そんなときには、はい、これ!」


 言って差し出してくれたのは、学食の自販機でしか売っていない、ブラックの缶コーヒーだ。

 桜花が一眠りしているあいだに、わざわざ買ってきてくれたらしい。


「おおぉ……サンキュ……」


 呪いのような手つきで缶を受け取るこちらを見つめて、美奈は眉をひそめた。


「おーちゃん……本気で、調子悪そー。

 なんかもう、ゾンビみたいだよ? 大丈夫ー?」


「大丈夫だ……単なる寝不足だから……」


 缶コーヒーの飲み口をふーふー吹きながら、桜花は呻いた。


「やっぱ、人間、寝ないとダメだな……

 昨日、マジで、一睡もしてないから……」


 結局、尾出先生オニデの課題は、朝のホームルーム前から授業中もぶっ続けで、美奈のノートを写させてもらった。

 その甲斐あって、三限目の提出には何とか間に合ったが、徹夜明けの身体にはさすがにこたえ、今、こうして机に突っ伏す羽目になっている。


「な、なんか、今日は妙に弱り気味……?」


「でも、ああいうのも、新鮮でイイよね!」


「弱った桜花たん萌え~。ハアハア」


「ついでに吐血しないかな、吐血……」


「――消え失せろ、おまえらっ!」


 廊下の窓から見え隠れする変態三人組の姿にこんかぎりの怒声を投げつけておいて、桜花は再び机に突っ伏した。

 いつもなら、ゴミ箱をぶん回して張り倒しているところだが、今は、さすがにアホの相手をするほどの余力はない。



『決めた。あたしは、こいつを生かす』――



 昨夜、そう宣言した桜花に対して、俊一郎は、バシレイオスの身柄をおまえに任せると言った。


 いわば、保護観察役といったところだ。

 引き受けた相手のことをこちらがほとんど知らないでは話にならないため、バシレイオス本人からあれこれと話を聞きだしているうちに、あっという間に時間は過ぎ、明け方近くになってしまった。


 言い伝えどおり、バシレイオスは、陽光に耐えられない身体だった。

 夜明け前になり、彼は今まで眠っていたという洞窟に帰っていったのだが、桜花のほうは、すっかり気が張ってしまって、結局、一睡もできなかったのである。


(ああ……勢いとはいえ、巨大な厄介ごとを背負い込んじゃったな……)


 厄介、といえば、音也のことも気にかかった。

 彼は最後まで、バシレイオスを生かすことに反対した。

 だが、心を決めた桜花も一歩も引かず、しまいには口げんか同然の口論になり、俊一郎が無理やり引き分けたのだ。


 あんなことは、初めてだった。

 別れ際、音也は何かを言おうと口を開きかけ、やめた。

 そして哀しげにこちらを見つめ、踵を返して立ち去っていった。


 その後ろ姿に、桜花もまた、何かを言おうとした。

 だが、何を言えばいいのかわからず、結局、そのまま別れたのだ。


 ――あのとき、自分は、何を言おうとしていたのだろうか。

 何を、言えばよかったのだろうか……


「でも、ほんと、すごいよねー!」


 美奈の明るい大声が、夜の記憶をあっさりと吹き飛ばす。


「将来について、お父さんと、一晩中語り明かすなんてさー。

 あたしたちの年じゃ、普通、ありえないじゃん? 熱すぎる!」


「まあ……な」


 曖昧に呻く。

 徹夜の本当の理由を明かすことは断じてできないため、適当な説明でごまかしたのだが、やはり、親友を欺くのは気分のいいものではなかった。


「さっすが、おーちゃん。男の中の男だね!」


「だから、誰が男だ……」


 後ろめたさと疲労とがあいまって、ツッコミにもいつものキレがない。

 桜花はそのまま、のっそりと立ち上がった。


「あれ? どこ行くのー?」


「ん、トイレ。……あ、コーヒー、サンキュ。

 昨日、おごるって言ったのに、先におごられちゃってごめんな……」


「いーよ、そんなの! 気にしないでー」


 もうすぐ、5限目の授業がはじまる。

 桜花は、コーヒーの空き缶を扉のわきのゴミ箱に放り込み、しびれの残る腕を振りながら女子トイレに向かった。


(ん……?)


 歩きながら、桜花はわずかに眉をひそめた。

 C組の鈴木すずき優人ゆうとが、廊下に立っている。


 ただ立っているだけならば、特に不審もないのだが――

 今回も、明らかに、こちらを見ているのだ。


(何なんだよ、あいつは……? 用があるなら、はっきり言えよな……)


 昨日の中庭の一件といい、気になる。

 だが、今は、敢えて真意を問いただす気力も湧かなかった。

 視線を合わせずに通り過ぎようとした、そのとき――


「……深山さん」


 いきなり聞こえた声に、桜花は、思わずぎくりとして足を止めた。

 聞き違いではない。

 鈴木優人に、呼び止められたのだ。


「え?」


 反射的に振り返ると、優人は、斜め下に視線を外していた。


「あの……」


 身体の両脇で固めた拳を、ためらうように何度か握りなおしてから、目を合わせないまま、ぼそぼそと口を開いてくる。


「今日の、放課後……話したいことが、あるんだ。

 西館の裏に、来てもらえないかな……一人で」


「へっ?」


 それ以外、何と言うこともできず、桜花は間の抜けた声をあげた。


「き、君と……話したいことが、あって――」


 それで、西館の裏。

 しかも、一人で。

 と、いうことは。


(こっ……告白か!?

 まさか、このあたしに告白でもする気なのか、鈴木ッ!?)


 フェンス越しに勝駒の街並みを一望できる西館の裏は、勝駒高校の隠れたデート&告白スポットだ。

 だが、まさか。


「ぼ、僕……あんまり、お、女の子と話したこととか、ないから……

 どう、言っていいか、分かんないけど……」


「……あー……」


 あまりにも突然の展開に戸惑い、ひたすら唸る。

 幼いころから「強い」「たくましい」「男らしい」「怖い」「大魔王」と言われ続け、中学生時代には、後輩の女子から本気のラブレターまでもらったこともある桜花にとって、こんなふうに男子から声をかけられるというのは、初めての経験だった。

 ふと、昨日、美奈が読みあげていた雑誌の占いを思い出す。


 『現在、ラブを探し中の人は、近いうちに運命の出会いが訪れる可能性アリ!

 新しい出会いだけじゃなく、トモダチから一気に進展するケースもあるので、改めてまわりに目を向けてみて』――


 それでは、これが『運命の出会い』だとでもいうのだろうか? 

 かっ、と頬に血が昇った。


「あ、あのさ!」


 突然、大声を出した桜花に、優人がびくりとする。


「いや……ほら、あの……アレだよ」


 それ以上どう言えばいいのかわからず、桜花は、無意味にぱたぱたと片手を動かした。


「今日は、ちょっと……アレでさ。用事があるんだ。

 えーっと、何の話? 今、ここでよかったら――」


 勢いに任せてそこまで言ったところで、桜花は、ぴたりとことばを止めた。

 瞬間、ちらりと上目づかいにこちらを見た、優人の目――

 その、何ともいえない視線と、視線がぶつかったからだ。


 そこにある感情は……怯え?

 いや、そうではない。

 恨み? ……それも違う。


 ――警戒。

 あるいは、敵意か。


 だが、それは、ほんの一瞬のことだった。

 優人は、すぐに元のように視線を外して、ポケットに手を突っ込んだ。


「……これ」


 取り出したものを、桜花の手に押しつけてくる。


「おっ……いや、おい? ちょっ……」


 床に落ちそうになったそれを桜花が慌てて拾いあげるあいだに、優人は、さっさと自分の教室に戻っていってしまった。  

 首を傾げつつ、ノートの切れ端らしき紙切れを開く。

 そこにはたった一言、こうあった。



     銀の血



(……何だ、これ)


 意味不明だ。

 一瞬「ぎんのさら」と読み間違え、寿司屋の名前か何かかと思いそうになったが、明らかに点がついている。


(いったい、何が言いたいんだ……?

 これは、アレか? あたしのことか?

 あたしが冷血だとか、そーゆー意味なのか!?

 それなら、堂々と口で言えよな、コラァッ!)


 廊下に立ち尽くしていると、チャイムが鳴った。


「うお!?」 


 思い出した。

 トイレに行かなくてはならない。



       * 



 柱時計が、昼の12時を打った。


「さあて……」


 山猫の九郎次きゅうろうじは、体内の空気を全部しぼり出すような、長く深い溜め息をついた。


「それじゃあ、わしらも、わしらの決断をせにゃあならん」


「ああ! 深山の方々が、あれを始末して下さりさえすれば……」


「詩乃殿は既に亡くなられ、あれ・・と深山家との縁は、もはやなきはずですのに……」


 口々に言ったのは、三日夜みかや時矢ときやの兄弟だ。

 この薄暗い、しかし広大な広間に、今、彼らをはじめとした山猫の一族がほとんど顔を揃えていた。


 一族の存亡にも関わる重大な決議にあたり、他の地域に派遣されていた者たちも全て、夜に日をついで駆けつけたのだ。

 頭目である九郎次が、重々しく呟く。


「詩乃がうなったとはいえ、あの約定やくじょうは、まだ生きておる……

 我らが、あの鬼に手を出すことはできにゃあ」


「しかし、あの鬼が稲盛山におることが、他の血吸い鬼どもに知れりゃあ……!」


 騒ぎ出したのは、三日夜や時矢よりも遥かに年かさと見える山猫たちだった。


「あのときも、隠し通すのに、えりゃあ難儀をしたものじゃ……」


「あのときの者どもは、詩乃の機転でどうにか退けたが……

 今度の者どもは、そう一筋縄ではいきそうもないぞ」


「何しろ、目と鼻の先まで来ておるんじゃ。気が付かずに、済むはずがにゃあ」


「わしらはこれまで、知らぬ存ぜぬで押し通してきた。

 わしらが、あれを庇うておったと思われたら……

 今度は、わしらと、血吸いどもとの戦にもなりかねんぞ!」


「――音也おとや殿!」


 老猫のひとりが、九郎次の傍らに無言で控える若者の名を呼んだ。


「音也殿は、深山の一族と、特に懇意にしておられたろう……

 どうか、今一度、説得を試みてもらいたい!」


「おお、音也殿ならば……」


「音也殿!」


 音也は深くうつむき、拳を固めていた。

 やがて、静かに上げたその顔に、深い苦悩がある。


「深山の方々の決意は固く……

 もはや、わたくしの力では、ひるがえすことはかなわぬかと存じます」


 おお……と失望の溜め息が広間をどよもすのを、手のひらで制し、


「されど、あの鬼を生かせば、深山の方々にも、そして我らにとっても、害となることは必定」


 音也は、決然とことばを続けた。


「かくなる上は……深山の方々の意思に反しても、早急にあれを除くが、最上の道かと」


 満座がざわめいた。


「し、しかし……」


「深山との約定を違えるというのか?」


 九郎次は、思い詰めたような音也の若い顔に、白く濁った目を向けた。

 視力は薄れても、その眼差しの深さは衰えぬ。


「音也よ。何か、策があるのかにゃあ?」


「深山との約定を違えは致しませぬ。

 それゆえに、わたくしどもが直接、あの鬼に手を下すは不可能……されど」


 ぎらりと、その目が光る。


「共食い、ならば」


「……なるほど」


 九郎次は、深くうなずいた。


「おみゃあの考えは、わかった。確かに、この場合はそれが一番良かろう……

 しかし、万に一つ、このことが深山の娘御に知れりゃあ……

 娘御との縁組の話、壊れるぞ?」


 一瞬、揺れた琥珀の眼差しが、すぐに刃の強さで九郎次を見返す。


「無論、覚悟の上にございます」


「よかろう!」


 囁くようであった九郎次の声が、雷鳴のようにとどろいた。


「これで、山猫の一族の出方は決まった!

 段取りは、音也、おみゃあに任せる。万事、ぬかりのう運ぶがええ」


 頭を下げる一同を見渡し、最後に、九郎次の視線は、再び音也の上に止まった。

 その目には確かに、哀れむような、痛ましげな光があった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ