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別れゆくモノたち

 ――WED 08:13


「きゃー! おーちゃんおーちゃんおーちゃーん!

 おーちゃんが、帰ってきたあ~!」


「み、ミナっ……首をっ、絞めるなぁぁっ!」


 妖怪子泣きジジイのごとく背中にぶら下がる美奈を振り払い、桜花は、ぜいぜいと息を荒らげた。

 さすがにまだ体力が回復し切っておらず、美奈相手にも苦戦する有様だ。


「や、やっぱり、桜花たんはイイよね……!」


「久々なだけに、感慨もひとしおだなっ!」


「弱り萌え~」


「吐血、吐血……ハアハア」


「――そんなに処刑されたいか、おまえらッ!?」


「あー、ダメ!」


 思わずダッシュをかけようとした桜花の襟首をひっ捕まえ、美奈は、相変わらずのハイテンションでばしばしと肩を叩いてきた。


「あんまり興奮すると、身体に悪いよー」


 実はこちらのほうが身体に響いているのだが、相変わらず、悪びれた様子もない。


「あたし、もう、めっちゃくちゃ、ものすごーく心配してたんだからー!

 いきなり倒れて、入院したっていうんだもん。

 一瞬、最悪の事態を想像しちゃったよー。

 お葬式に何着ていけばいいのかとか、お香典って、いくらくらい包めばいいのかとかー……」


「……最悪の事態のわりには、ずいぶん冷静だな、オイ」


 唸りつつ、一筋の冷や汗を垂らす桜花だ。


(でも……実際、マジであの世行きになっててもおかしくなかったんだよな……)


 あの夜。

 バシレイオスに血を与えた桜花は、急激な失血によるショック症状を起こし、命も危ぶまれるほどの重篤な状態に陥ったのだ。


 そこへ、山猫の一族が駆けつけた。


 音也が桜花たちを連れて戻るのを待ち続けていた彼らは、状況の異常さに気づき、九郎次の決断で、一族そろって屋敷から討って出たのだ。

 音也の死を知り、九郎次は長い悲嘆の叫びを上げたが、哀しみゆえになすべきことを見失いはしなかった。

 彼はただちに一族の者たちに指示を与え、深山の親子、そして優人を病院へと運ばせた。


 搬送先は、深山家が代々懇意にしてきたモグリ病院だ。

 もはや骨董級の医療機器が埃をかぶって並んでいるような病院だったが、老医師の処置は確かだった。

 ――実際、老医師の腕が、いま少しでも劣っていれば、桜花は間違いなく命を落としていただろう。

 今でこそ、輸血とまじないによってここまで持ち直したものの、何の後遺症も出ていないのは奇跡だとまで言われたのだ。


「いきなり倒れたのに、原因不明って、ちょっと怖いよねー。

 でもまあ、とにかく元気になってよかったよー! 早く完全復活してね。

 ――あっ、そうそう!」


 桜花の手を握りしめて熱心に言った美奈が、突然、ずいっと顔を寄せてきた。


「忘れてた。大ニュース!」


「え、何?」


「なんと! おーちゃんが休んでるあいだに、あの鈴木くんが、転校しちゃったんだよー。

 なんか、親の仕事の都合とかで、いきなり引っ越しちゃったらしくて。

 本人は、学校に顔も出さずに、親戚の人が、手続きだけしに来たんだってー!」


「そうか……」


「そうか、って……えーっ?

 なんか、すっごい普通ー。つまんなーい」


「いったい、何を期待してたんだ? おまえは……」


 そう呆れてみせながら、桜花は内心、ふーっとため息をついた。

 すべてを知っていながら、何ひとつ知らないふりをするというのは、想像以上に疲れる仕事だ。


(でも、仕方ないよな……)


 俊一郎の話によると、優人は、桜花が目覚める前に、ひとり姿を消したのだという。


『世話になったな。

 あんたらのことは、報告書では伏せとくよ』


 とだけ、言い残して。


 親戚が転校の手続きをしに現れたというが、本物であるとは思えなかった。

 おそらくは、ハンターたちが所属する組織というものがあり、その関係者がやってきたに違いない。

 そいつらが家に押しかけてこないところを見ると、優人は、あの言葉を守ったのだ。


(ムカつくとこもあったけど……強くて、それに、いい奴だった)


 彼が去ったとき、桜花は生死の境にいた。

 きちんとした別れをしたわけではない。

 だが、彼のことは、一生に出会う人間たちのなかでも五本の指に入る強烈さで、いつまでも記憶にとどまることだろう。


 そう、いつまでも、忘れることはない――


(……音也……)


 不意に、苦しい記憶が胸によみがえり、桜花はうつむいた。


 あの瞬間を、幾度も夢に見ては、悲鳴を上げて飛び起きる。

 目覚めていても、急に、近くに彼がいるような気がして、あたりを見回してしまうこともある。


 彼が話しかけてきてくれたとき……どうして、いつも強がって、そっけない返事ばかりしてしまったのだろう。

 もっと、もっと、話せばよかった。

 どんな下らない、ささいなことでもよかったのだ――

 あの声が、もう二度と聞けなくなると、知っていたら。


「あーっ、何? おーちゃん、ぼーっとしちゃって!

 やっぱり残念? 残念だよねー?

 鈴木くん、おーちゃんのこと、気に入ってたみたいだったもんね!」


 桜花の沈黙を自分なりに解釈した美奈が、完全に楽しんでいる調子で、胸の前に手を組んだ。


「今ごろ鈴木くん、どこかでおーちゃんのことを想って、ひとりため息をついてるのかも!

 あー、惜しい! せめてアドレス交換くらいしとけば――」



《桜花さん?》



 不意に、馴染みのある声が脳裏に弾けた。

 桜花は一瞬、驚いた表情を浮かべたが、それはすぐに薄れていった。


《……何だよ。おまえは、寝てる時間帯だろ?》


《いいえ、こちらは今、夜ですよ》


《夜? ……おまえ、どこにいるんだ》


《北アイルランドに》


 同時、冷たく澄んだ香りがふわりと鼻先に漂ったような気がした。

 それは、バシレイオスが感じている夜の空気なのだ。


 ――ヴァンパイアと、血を捧げた者とのあいだに生まれる絆。

 たとえ、どれほどの距離を隔てていても、バシレイオスがそう望めば、心が通い合う。


 病院で昏睡を続けていた桜花を目覚めさせたのは、この、バシレイオスからの呼びかけだった。

 はじめは驚き、戸惑った桜花だが、今では、すっかりこの能力にも順応している。


 だが、この奇妙な体験にも、終わりのときが近付いていた。

 バシレイオスの中から、桜花の血の響きが消えてゆくにつれて、絆も薄れ、やがて消える。


 ――おそらく、これが、最後だ。

 桜花は、そのことを漠然と感じていた。

 バシレイオスもそうだろう。

 心に、海のように満ちるさみしさは、果たして、どちらのものなのだろうか――


《アイルランドか。よかったら、今度、絵葉書でも送ってくれよ……

 ああ、でも、死人から急に連絡が来たんじゃ、オヤジが引っくり返るな》


 ――銀の血の王子は、自分が滅ぼした。

 目覚めた桜花は、俊一郎と九郎次に対して、そう告げた。

 彼が生きていることは、二人だけの秘密だ。


《今夜……九郎次の御大のところで、音也の弔いの儀式があるんだ。行ってくる》


 バシレイオスから伝わってくる思念が、不意に波立ち、ざらついた。

 実体のあるものではないのに、手触りとでもいうべきものを感じる。

 心でのやりとりは、ことばよりも、表情よりも鮮明に、心の綾を伝えるのだ。


 それも、これで最後。


《どうか……彼の、安らかな眠りを祈ってさしあげてください》


《ああ。おまえも、元気でな》


《ええ》


《……じゃあ》


《ええ》


 繋いだ手がゆっくりと離れるように、バシレイオスの気配が遠ざかってゆく。



《レイ》



 桜花は、思わずそれを追うように心を投げかけていた。


《あたしたち――いつか、また、会うことがあるんだろうか?》


《ええ。いつか……》


 どちらの胸にも、確信めいた感覚があった。

 人は、それを予感という。

 運命とも呼ぶ。



《いつか、会いにいきます》



 バシレイオスの気配が途絶える。

 薄膜が破れるように、周囲のざわめきが再び耳に届いた。


「――おーちゃんっ!」


「うお!?」


 いきなり耳元で叫ばれ、思わず仰け反る。

 両手をラッパにした美奈が、いぶかしげにこちらを見ていた。


「もー、どうしたのー? 無視しないでよー」


 どうやら先ほどから呼ばれていたらしいが、まるで耳に入っていなかった。


「そ……そうか? 悪い。

 ちょっと、ボーッとしてたっていうか……まだ、本調子じゃなくてさ」


 軽い調子で謝った桜花を、美奈はしばし、じーっと見つめていたが――


「おーちゃん……」


 突然、何を思ったか、ぐぐぐっと身を乗り出してきた。


「ね、ね、ね。

 ひょっとして……好きな人、できた?」


「――はぁ!?」


 思わず、目を見開いて美奈子を見返す。

 まさか、今のやりとりが聞こえていたとでもいうのか?

 いや、まさか――


「何、言ってんだ!?

 何がどこでどうなって、そういう話になっちゃうんだよっ!?」


「女のカ・ン!」


 大いばりで胸を張り、びし! と桜花を指差す美奈。


「だって、おーちゃん、今、恋するオトメの顔してたもーん!

 間違いないっ!」


「こっ……おまえ、何、言って……」


「あーっ、動揺しちゃって、アヤシイ! で、相手は誰? 誰? 誰ーっ!?」


「だから、いないって、ンなもん!」


「うっそー! 白状しちゃえ! でないと、ぶら下がるぅ~」


「やっ……やめろぉぉぉ~!」



            *



 親友同士のあいだにも、決して明かすことのできない秘密がある。


 それは、あまりにも大きく――


 涙のように苦く、そして、蜜のように甘やかな秘密だ。



             

           【終】






 この物語を、ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました!

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