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あなたの光

 魔法の壁が消滅し、同時に真昼のような光があたりを照らしたとき、包囲側は、ほとんど完全に無防備な状態でいた。


 全員の意識が音也に集中していたということもある。

《銀の血の王子》のあまりの腑抜けぶりに、気が緩んでいたということもある。

 そして何より、たとえ反撃の気概があるにせよ、これほど早々に討って出てくるなどとは、少年を含めて誰も予想していなかったのだ。


 吸血鬼の半数は、持ち前の反射速度で目をかばった。

 だが、残る半数と、人間の傭兵たちは反応が遅れた。

 傷もち顔と不精ヒゲが、地面に影を焼きつけるほどの輝きに目を焼かれて絶叫する。


 その瞬間、純白の光を断ち割り、銀色の一閃が無限記号を描いてきらめいた。


 自分の身に何が起きたのか、彼らには、最後まで理解できなかっただろう。

 漆黒のコートで全身を覆った影が風のようにそのかたわらをすり抜けた刹那、ふたりの傭兵たちは上半身と下半身を両断され、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。


「この……!」


 腕で目をかばいながら、セネカという名の若い吸血鬼が影の前に立ちふさがった。

 両手に、銀をかぶせた鉤爪を装着している。

 その鉤爪が風を巻いて唸り、黒い影を容赦なく引き裂いた。

 一瞬のうちにずたずたになった布切れが、無残に飛び散る。


「!?」


 突き出した鉤爪が影のど真ん中を貫いたとき、セネカの白い顔が引きつった。

 手応えは、なかった。

 同時、背後から、肩甲骨のあいだに軽い衝撃。

 続いて、腰に重い衝撃――


 セネカは地面に倒れた。

 顔が限界まで歪み、醜いしわくちゃの仮面のようになる。

 叫び声を上げようと口を開けたが、出てきたのはどろどろに溶けて混ざり合った内臓だけだった。


 背後からセネカの心臓を貫き、彼を蹴り倒したバシレイオスは、ほんのわずかな時間立ち止まって、敵の死骸がしゅうしゅうと煙を上げて縮み、地面の上の汚いしみになるのを見下ろした。


 もう、何千回もやってきたことだ。

 そしてこれは、いつか、彼自身の上にも降りかかる運命だった。


『さあ、何をぐずぐずしている?

 身の程知らずのクズどもを切り裂き、踏みにじってやれ!

 ――そら、またひとり、馬鹿がやってきたようだぞ!』


 バシレイオスはずたずたになったコートを肩から引き剥がし、飛びかかってきた敵に向かって投網のように投げつけた。

 敵はそれをあっさりと払いのけ、着地と同時に再び襲いかかってきた。


 周囲には、すでに暗闇が戻っている。

 赤く燃える目が緑の残像を描き、突き出されたナイフが喉元を狙ってきた。

 銀の刃が、頬をかすめる。

 黒い髪が数本、宙に舞う。


 刹那の隙をつき、バシレイオスの左手が蛇のように伸びた。

 相手の手首を捕らえてひねり上げ、骨の砕ける音を響かせる。

 上がった悲鳴は、ガラスを粉砕しそうなほどに甲高かった。


 だが、そいつにはまだ武器があった。

 右手を砕かれながらも、そいつは左手でセミオートマチックの銃を抜き、至近距離のバシレイオスに向かって全弾を叩き込んだ。


「おやおや……美しくないな、ええ?」


 からかうような声が背後・・から聞こえ、吸血鬼は慌てて身体ごと振り向いた。

 いや――振り向こうと、した。

 彼の身体は敵のほうを向いたが、首は、前を見つめたままだった。

 二秒後、ゆっくりと胴体が傾いて、彼自身の首をボールのように地面に投げ出した。


「そんな武器はギャングのおもちゃだ。俺たち・・・にはふさわしくない」


 頭部を失った肉体は、欠けたパーツを拾い上げようと不器用に腕を伸ばしたが、その指が届くよりも早く、黒い革靴が打ち下ろされて頭部を踏み潰した。

 その瞬間、ようやく自らの滅びを悟ったらしく、胴体がくたくたとその場に倒れ伏す。


 バシレイオスは、百年の眠りから覚めた者のようにまばたきをした。

 ぐらぐらと視界が揺らぎ、うねり、彼は手にした銀のサーベルを地面に突き立てて頭を振った。

 体内で《銀の血》がざわめいている――


『いいや、そうじゃない。もっと素直になれ……

 苦しめたい、傷つけたい、滅ぼしたい――

 それはすべて、おまえ自身が望んでいることなんだよ』


「黙りなさい……黙れ」


 バシレイオスは震える手でサーベルを握り直した。

 今、《銀の血》に主導権をあけわたすわけにはいかない。


 だが、目がかすむ。

 あらゆる音が遠ざかる。

 彼は、自分が力尽きかけているのを感じた。

 今は、気力だけでもっているようなものだ。


 先ほど殺した傭兵たちの血が、彼を手招きするように匂いたっている。

 ああ、あの血を一口……いや、ほんの、一舐めでいいから――

 だめだ。

 こんな状態で血を口にすれば、渇きの爆発で我を忘れてしまうに違いない。

 戦いのさなかに戦いを忘れることは、そのまま死を意味するのだ。


 自分だけならば、それもいい。

 だが、今は俊一郎を、優人を、そして桜花を守らなくてはならない。

 そうだ、そのためには、一刻も早く――


「おや、そこにいるのは誰だい?」


 明るい声が聞こえた。

 バシレイオスは顔をあげた。

 わずかな月明かりを背負って、ほっそりとした人影が立っている。

 その手には、セネカが着けていたような鉤爪付きの手甲がはめられていた。

 だが、セネカのものよりもずっとリーチが長く、重そうだ。

 右側の爪は、銀色。

 そして左の爪は、鋼の黒。

 銀の鉤爪を優雅に唇の前にかざし、少年は目を細めた。


「なんだか、前に見たことあるような気がするなあ……

 十年前? 二十年前? ……いいや、そうじゃない……」


 ゆっくりとこちらに鉤爪を向けた、その顔が、ゆっくりと悪鬼の形相に変わってゆく。


「ちょうど、九十二年前の今夜だ。

 そのサーベルに見覚えがあるよ。

 僕の父と、兄たちを滅ぼした剣……

 もちろん、きみも覚えているだろうね? 《銀の血の王子》、バシレイオス――」


 少年を見つめていたバシレイオスの目に、理解と――それにまさる苦渋の色が広がった。


「そうか……あなた、ルッジェーロの……」


「ルッジェーロのマリウス」


 ことばと同時に、少年の姿がかき消える。

 戦いが始まったのだ。



       * 



「飛燕斬!!」


 雄叫びとともに振り抜いた光刃が、立ちはだかった吸血鬼のひとりを、ほとんど手ごたえすらもなく両断する。

 凄まじい量の血が噴き上げ、草を、木の幹を、そして桜花の身体をしとどに濡らした。


「音也ッ!」


 叫んで、倒れた獣のもとへと突進し、その傍らに膝をつく。

 背後に、ぴたりと俊一郎が寄り添った。


「どうしてだ……音也! バカ、目ェ開けろ!」


 すでに、閃光弾の光は完全に消えている。

 光が炸裂する瞬間に目を庇い、その直後、優人の合図で全員が飛び出した。


『深山の親父は右、深山は援護』――


 その計画は、洞窟から飛び出した瞬間、桜花の意識から完全に吹き飛んだ。

 吸血鬼たちの只中に倒れ伏した音也と、その周囲に広がる、大量の血を見てしまったからだ。


「音也ッ!」


 血に染まった金茶色の毛皮に手をかけて揺さぶると、彼は薄く目を開いた。

 その視線が上がって、桜花の顔を捉え――


「!」


 音也の身体が、不意に桜花の手をはねのけて躍り上がった。

 くわっと牙が剥き出される。

 彼はばねのように身体を捻り、桜花の横手から襲い掛かろうとしていた吸血鬼の喉首に深々と喰らいついた。


 大きく開いた口から断末魔の叫びをあげることもできぬまま、吸血鬼が後ろ向きに倒れ込む。

 音也も諸共に転がり、立ち上がろうと地面を引っかいたが、後脚からがくりと力が抜け、そのまま横ざまに倒れた。


「くおっ!?」


 背後から、俊一郎の声があがるのを桜花は聞いた。

 父が戦っているのだ。

 今すぐに、振り返らなくては。

 父を、助けなくては――


 だが、目の前でもがいている音也の姿から、目を離すことができなかった。

 深い傷口から、新たな血がどくどくとあふれ出す。

 つややかだった金茶の毛並みは、もはや、斑の見分けもつかぬほどに赤く濡れそぼっていた。


「しっかりしろ! 大丈夫だ、傷は浅い――」


 音也の身体を抱きかかえ、流れ出る血を手のひらで止めようとし……

 桜花は、はっとして動きを止めた。


 これまで、いくつもの修羅場を踏んできた彼女だ。

 生き延びるものと、死にゆくものとの違いは、嫌でもわかる。

 抱きしめた腕に伝わってくる痙攣、徐々に冷えていく体温――

 それらのすべてが、もはや手の施しようがないことを告げていた。


 ――だが、なぜだ。

 なぜ、彼がここに?

 吸血鬼たちの襲来を知り、ただひとり、盟約を侵してまで、自分たちを救いにきてくれたというのか――?


「音也、音也……音也」


 桜花は泣いた。

 血塗れの身体を抱きしめ、涙を流しながら、ただ、その名を繰り返すことしかできなかった。


「ごめんな……」


 もしも、あと五分、自分たちが動くのが早ければ。

 もしも、山猫の一族が、増援をよこしてくれていれば。

 こんな奴らが攻めてきさえしなければ。

 ――あたしが、バシレイオスを匿ったりしなければ。

 もしも、もしも、もしも……


 倍率の合わないレンズを通して見るように山猫の姿がぼやけ、金髪の若者に変わり、また山猫になった。


「やめろ!」


 桜花は喚いたが、音也はやめない。

 彼は、刻一刻と流れ出る命を削って最期の《変化》をしようとしていた。

 人の姿でなければ、話すことができないのだ。

 長かった命が尽き果てる前に、彼女に、伝えておきたいことがあった。


「……こちらのほうが……桜花殿は、お好みかと思いまして……」


「バカヤロー、喋るなっ!」


 音也は微笑んだ。

 琥珀色の目はすでに膜がかかったように濁り、視力を失っていたが、顔に落ちかかる熱い涙の感触は分かる。


 これは、わたくしのための涙……

 この一時、彼女の心は自分だけのもの。

 そう思うと、満足だった。

 同時に、無念でもあった。

 できることなら、こんなふうに、ずっと――


「や、刃のように、きれいな……あなたの、光……貫いて……」


「光!? おまえ、何、言ってんだ! しっかりしろ!」


 愛しい声が急速に遠ざかる。

 最期に、心を告げたかった。

 だが、今となっては詮無いこと。

 彼女を傷つけ、苦しめるだけだ。


 ならば、せめて、せめて――


 音也は渾身の力を振り絞り、桜花の首に腕を回した。

 できるかぎり優しく引き寄せ、その唇に口付けした。


 凍りついたように動きを止めた少女の頬をざらついた舌で舐め、囁く。


「御武運を、桜花殿」


 かりそめの人の姿が揺らぎ、山猫になり……

 次の瞬間、音也の身体は、桜花の腕の中で砂のように崩れ落ちていった。


(……そんな)


 桜花は、何もなくなった腕の中を呆然と見つめた。


(嘘だ)


 幼い頃から、彼は、いつも優しかった。

 その優しさに甘えて憎まれ口を叩いても、平然と切り返してくれた。


 いくつもの戦いを共にしてきた。

 いつも守ってくれた。

 いつも、大切にしてくれた――


(くそ……)


 心の一部が、欠けて崩れ去るのを感じた。

 ひび割れた場所から、噴き出すマグマ。

 喪失感と無力感と哀しみとが混ざり合い、化学反応のように激烈な感情を呼び起こす――


「ウオオオオォォォォッ!!!」


 桜花の右手から、龍のごとき光刃が噴出した。


 死神の舞踏にも似た、無音の殺戮。

 火花さえ散らす純白の光が魔物たちの目を焼き、その生命を刈り取ってゆく。


 激しく燃える炎が凄まじい勢いで酸素を喰らい尽くすように、それは、彼女自身の生命をも削り取るほどの苛烈な攻撃だった。

 そのことを示すように、縦横に振り抜かれる刃が、刻一刻と長さを減じてゆく。


 それでも、桜花はやめなかった。

 彼女の怒りは、敵だけではなく、自分自身にも向けられていたのだ。

 もしも、もしも、もしも――


 突く。

 切り裂く。

 薙ぎ払う。


 そんな彼女の背後から、ひとりの吸血鬼が、音もなく忍び寄っていた。

 ぐっと身をたわめ、白い首筋に向かって牙を剥き出す。


「シャアッ!」


 振り向きざま、桜花がすくい上げるように一閃した刃が、その吸血鬼の股から脳天までを一刀のもとに斬り上げた。

 血しぶき、そして悲鳴――

 さらにその向こうにいた人影に向かって右腕を振り上げた瞬間、桜花は、凍りついた。


 眼前に、銃口。


「敵と味方の区別くらいつけろ、バカ」


 冷ややかに呟き、優人はトリガーを引いた。

 桜花の背後から飛びかかろうとしていた別の吸血鬼が、空中でもんどりうって落下する。

 そいつは、もがきながら、ぐずぐずと溶け崩れていった。


「鈴、木……」


 呟いた途端、ぱん、と乾いた痛みが頬に走り、桜花は目を見開いた。


「戦いの最中に、我を忘れるな」


 振り切った平手はそのまま、険しい表情で告げた優人の後頭部が、ごん、と鈍い音を立てた。


「父親に断りもなく、娘の顔を殴るんじゃねえ」


 思わずその場にうずくまった優人の背後から、血塗れの俊一郎の姿が現れる。


「お……」


 その衝撃で自分を取り戻し、桜花は声を上げた。


「オヤジ!? 大丈夫かっ!?」


「おう、大丈夫だ! これは全部返り血――!?」


 俊一郎の横手に、だしぬけにスーツ姿の吸血鬼が現れた。

 そいつがサーベルを引いているのを目視するより早く、俊一郎が反射的に撃ち出した光弾が、その胸板を貫く!


 だが、一瞬の差で、相手の姿は宙に掻き消えた。

空間渡りジャンプ》だ。


「くっ!? ……ゴラァ、蚊トンボ野郎、情けねぇぞ!

 ちょろちょろと逃げ隠れしてねーで、堂々と出てきやがれぃっ!」


「――蚊トンボは血を吸わないぞ、オヤジッ!?」


「なあに、細かい細かいっ!」


 豪快に怒鳴っておいて、ぐっと声を落とし、俊一郎は囁いた。


「桜花。今は、泣くなよ」


「だっ……誰が!」


「上等ッ!」


 三人は背中合わせになり、周囲に意識を巡らせた。

 その、刹那。

 何の前触れもなく――桜花の足から、力が抜けた。


「あ、れ?」


 ――膝が崩れる。

 倒れ込む。


「桜花!?」


(な、何でだ)


 戦闘のさなかに自分が地面にへたり込んでいるという事実が、桜花には信じられなかった。

 傷を負ったというわけではない。

 ただ、自分の身体が、急に自分のものではなくなったかのような――


「おまえっ、それ……バカたれ! 《力》の使いすぎだ!」


(そんな)


 では、自分は、それほどまでに我を忘れていたのか。

 自らの限界を超えてしまったことにすら、気付かぬほどに――


(嘘だ! こんなときに)


 必死に意識を凝らす。

 だが、視界は変わらなかった。

 今この瞬間にも自分たちをとり前いているはずの力、あの《光》が認識できない――


 呆然とした桜花を、俊一郎が、ぐっと背中に庇った。

 広い背中。

 戦いの中でこの光景を見るのは、幼いとき以来だった。

 父や祖母に庇われるしかない無力な自分、それが悔しく、申し訳なくて、これまで技を磨いてきたのに――


「おい若造! 油断するな」


「ああ……」


 超加速運動ハイパーアクセレーションに入った吸血鬼の存在を捉えることは、彼らの能力をもってしても容易ではない。


 桜花をはさんで、俊一郎と優人は背中合わせになり、周囲をにらみつけた。




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