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真実の過去

       *  



「出ておいでよ、バシレイオス……」


 歌うように、少年は言った。


「さあ、早く……

 君ほどの男がこそこそと穴倉に逃げ隠れするなんて、見るに耐えない」


 洞窟の周囲は、すでに彼の部下たちによって完全に包囲されている。

 一見すると単なる岩肌にすぎない洞窟を目の前にして、プロメテウスがつぶやいた。


「それでは、これが《オルラントの魔術》と言われていることなのですか?」


「ふふ、おまえたちの世代にも、その名はよく知られているようだね。

 ……だが、その魔術師の真の力はこんなものじゃない。

 オルラントが遺した最大の功績は、彼を、変えたことさ」


 その男について口にする瞬間、少年の瞳に底光りする憎悪がきらめいた。


「バシレイオス。血に狂った殺戮者、深紅の仮面の悪魔――

《銀の血の王子》。

 奴は、人間どもを襲うだけでは飽き足らず、大勢の同族をその牙にかけた。

 血を奪うためだけではなく、残酷趣味を満たすために、それはそれは酷いやり方でね……」


 にい、と笑みのかたちにつりあがった唇の端から、長い牙がむき出しになる。

 声音は穏やかだが、その内側でぎりぎりと弾けとぼうとしている箍の音がきこえるようだ。


「彼の行状に、他の血統の者たちは怒りを燃え上がらせた。

 血統同士の争いが起こり、そのさなかで、バシレイオスの一族はほとんど滅ぼされた。

 けれど、バシレイオス自身を滅ぼすことは誰にもできなかったんだ。


 だが、それがいつまでも続くものではないことは誰もがわかっていた。

 遠からず、彼もまた、滅びのときを迎えるはずだった……


 そして、そう考えたのは、他の血統の者たちばかりではなかった。

 バシレイオスの一族のわずかな生き残りのなかには、彼の《母》アリストファネがいた。

 アリストファネは、人間の魔術師オルラントを呼び、自らの命を代償として、《息子》に術をかけさせた。

 彼のとめどない血への渇望と、残虐性を消し去るために」


「血統を絶やさないためですね?」


「その通り。バシレイオスは常に徹底して攻撃的であり、身を守るという考え方を持たないようだった。

 アリストファネは、息子の自滅を恐れていたんだ。

 彼女の目論見は、成功した。

 オルラントの魔術によって、バシレイオスは変わり、表舞台からその姿を消した……」



       *  



「……オルラント老の魔術によって変えられた直後、私は、抜け殻同然でした。

 私を支配していた衝動、欲望、それらのすべてが急に抜け落ちて、何をなすべきかも思いつかなかった。


 ただ、今までの記憶ははっきりしていました。

 自分が、今までに、何をしてきたか。

 どれほど多くの者たちが、自分を憎悪しているか。

 そして、数は少なくとも、こんな私を愛し、守ろうとしたひとたちがいたことを……


 私は逃げました。

 その頃、ヨーロッパは戦場になっていました。

 第二次世界大戦と呼ばれている戦いです。

 人間世界の大動乱が、私の身を追跡者たちの目から覆い隠してくれた。

 血と泥にまみれ、照明弾に目を焼かれながら、戦場の暗闇を走り抜けたこともありました。

 そのなかで私は、人間たちの残酷な振る舞いを、戦場の狂気を幾度も見ました。


 私は、目を背けました。

 かつての自分を映し出す巨大な鏡を突きつけられているようで、恐ろしかった。

 だが、もっと恐ろしかったのは、私のなかから呼び声が聞こえてきたことです。

『さあ、どうしてあそこに加わらないんだ?

 連中に手本を見せてやるといい、おまえなら、もっと面白いやり方ができるじゃないか』――」


 バシレイオスの声は、静かだった。

 自分のことだというのに、まるで、遠い昔の物語を語るような調子で――


「《オルラントの魔術》は、半分しか成功しなかったんです。

 オルラント老は、私の残酷な性質を封印することはできたけれど、完全に消し去ることまではできなかった。

 私は、戦後の混乱にまぎれて日本に渡りました。

 そして、詩乃さんに出会ったんです。

 彼女は、私のなかの《声》の存在を知っても、私を受け入れ、庇護してくれた……」


 彼の声音が、急に乱れた。

 その目は、桜花たちを見ていない。


 洞窟の壁を――

 いや、ここではない場所と時間を。

 そこにいた、ひとりの女性のおもかげを見つめている。


「ですが、今にして思えば……

 彼女の選択は、間違っていたのでしょうね。

 私のような化け物を、生かしてしまったために……」


 違う、と言いたかった。

 言ってやりたかった。

 だが、その声が出せない。


(化け物……)


 初めて会ったあの夜、自分の首を絞めあげた、冷ややかな声の主。

 あれが、バシレイオスの、本当の姿――


「《銀の血の王子》という呼び名が、何を意味するかわかりますか?

 銀は、我々にとって猛毒……

 私の血管には、毒が流れていると……

 同族にさえ忌み嫌われる、残虐な魔物。

 それが、私の本性です。

 外の者たちは、私に復讐するためにやってきたんですよ……」


 レイの長い物語が終わって、皆、黙り込んでいた。


 優人は、複雑な表情を浮かべている。

 この魔物が歩んできた道のりは、確かに、優人が考えていたほど甘いものではなかったらしい。

 だが、だから、何だというのか?

 今、悔い改めているからといって、そのことが、過去の罪を帳消しにする免罪符になるだろうか?


 俊一郎は、何やら考え込んでいる。

 彼が、今の話に対してどのような感想を抱いたにせよ、それを表情から読み取ることはできない。


(あたしは……)


 こんな話、信じたくはない。

 だが、信じないわけにはいかない。


 それでも、なぜだ。

 あたしは、それでも、まだ――


「あの……優人さん?」


 気詰まりな沈黙を打ち破るように、バシレイオスが口を開いた。

 返事こそしないが、優人がそちらに視線を向ける。

 バシレイオスは音もなく彼の目の前に近付き、黙って片手を振り上げた。

 優人の肩がこわばる。


 バシレイオスの手刀が一閃し――

 優人を縛っていたロープが、ばらり、と地面に落ちた。


 信じられないという顔つきで敵の顔を見た優人に、バシレイオスは真剣な表情で告げた。


「明日、太陽が昇れば、外の敵のうち、吸血鬼は引き揚げます。

 おそらく人間の傭兵を残すでしょうが、そのときに包囲が最も薄くなることは間違いない。

 あなたは、桜花さんと俊一郎さんを援護し、脱出してください」


「な」


 声をあげたのは、桜花と優人が同時だった。

 だが、先を続けたのは優人だけだ。


「何だと!? ふざけるな、なんで、こいつらなんかを!

 おまえの仲間だろうが!」


「もちろん、代償は支払いますよ……」


 バシレイオスは優人の目を見据えたまま、彼の武器を納めた袋に手を伸ばした。

 一瞬後、優人の目の前に突き出された手には、黒光りする銃が握られている。


「あなたが契約を受けてくださるなら、あなたの銃を返しましょう。

 ……これで、私を撃ちなさい」



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