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たくさんの嘘を

 ――FRI 22:57


 ぜいぜいと呼吸を整えながら眺めた文字盤は、そんな時刻を表示していた。


「すっげえな……」


 感心したようにつぶやいたのは俊一郎だ。


「これが《魔術》ってやつか……」


 洞窟の内部は、大人の男が立って両手を振り回しても、壁に触れる心配がないほどに広い。

 山腹の崖に開いた入り口もまた、かなりの大きさがあった。


 そして今、その入り口を完全にふさぐように、きらめく虹色の膜が広がっている。

 さざなみ立つ水面にも似た、不思議な輝きだ。

 この光のおかげで、洞窟のなかは、危険なく歩ける程度には明るい。


「昔、オルラントという魔術師から譲り受けたものです」


 言ったバシレイオスの手には、拳大の白い石が握られていた。

 魔術を発動させるための鍵だ。


「外から見れば、ただの岩肌にしか見えません。

 物理的、魔術的を問わず、あらゆるものの侵入を遮蔽する力を持っています……

 もちろん、これを解除しないかぎり、こちらから外に出たり、外に対して攻撃したりすることもできませんが」


「じゃ、しばらくは、ここに釘付けってことだな」


 湿った石の床をごしごしとこすって腰を下ろしながら、俊一郎。


「つっても、朝までの辛抱だ!

 敵さんも吸血鬼、日が射してくりゃ、引き揚げざるを得んだろう。

 ま、のんびり待とうや」


 どっかりとあぐらをかき、あまつさえ、気を失った優人の身体を肘かけがわりにして、すっかりくつろぐ態勢だ。

 だが、彼とは対照的に、バシレイオスの表情は硬かった。


「そうとは言い切れませんよ。

 吸血鬼は、よく人間の傭兵を使うのです。

 朝になったからといって、ここを安全に出られるという保証はない」


「なあに、俺たちの実力なら朝飯前だ」


 どこから来るのかは不明だが、やたらと巨大な自信を見せて、俊一郎。


「だけど……」


 桜花は、慌てて口をはさんだ。


「それじゃ、おまえは? おまえはどうするんだよ、レイ――」


 朝になれば、陽光に弱いバシレイオスは外に出ることができない。


 そして、天候が曇りや雨であっても、やはり出られはしないのだ――

 敵にとっても、活動可能であるという条件は同じなのだから。


 そして、夜になれば、間違いなく敵が待ち受けている。

 やはり、出てゆくことはできない。


 そのことにようやく思い至ったか、俊一郎も真顔になり、その場に起き直った。


「おい……よく考えたらおまえ、このままじゃ、敵さんがあきらめて帰るまで、出るに出られんぞ。

 まさか、そのへんの後先考えずに、ここに立てこもったんじゃないだろうな?」


 バシレイオスは、答えない。


「図星か!? おいおい、勘弁しろや。

 どうすりゃ、そんな間抜けなことができちまうんだよ? 

 ――それに、そもそも、おまえ、なんで追っかけられてんだ?

 ハンターならともかく、同じ吸血鬼が、どうして、おまえを追うんだよ?」


 矢継ぎ早に質問をあびせた俊一郎に、バシレイオスは、やはり口を閉ざしたままだった。

 うつむいたまま、唇がかすかに動くが、声にはならない。


 桜花は、俊一郎を止めようとした。

 父の疑問には、まったく同感だ。

 だが、バシレイオスの様子があまりに辛そうで、今、無理に聞きただすのも哀れに思える。


「あ!」


 その瞬間、不意に名案が浮かび、桜花は思わず自分の膝を打った。


「そうだ! 山猫の一族の誰かが、このことに気付いてくれないかな?

 それで、外の連中をブッ倒してくれれば……」


「それは無理だ、桜花」


『すげえな、おまえ天才じゃねーのか』

 そう言ってくれるかと思った俊一郎が、妙に静かにこちらを見たので、桜花は一瞬、二の句が継げなかった。


「無理、って……どうして?」


「御大の情報網は、おまえが考えてる以上のものだ。

 このへん一帯に、ほぼ隙間なく張り巡らされてる。

 よそものの吸血鬼が、この辺りを団体でうろうろして、それが御大の耳に入ってないなんてことは、ありえん」


 俊一郎は、深い溜め息をついた。


「条約とか、盟約というのはそういうもんだ。

 レイの身柄について『山猫の一族は、深山家に一切干渉しない』ことになっとる。

 つまり、それに関する諸々のゴタゴタにも、全部こっちが責任持たなきゃならんってことだ。

 ――山猫の一族は、動かん」


「……そんな……」


 冷徹な、そして、この上もなく論理的な俊一郎のことばに、桜花は、かすれた声で呻いた。

 だが、それは不満の声ではなかった。


 レイを助けると決めたとき、当然、こういう事態になることも予期しておかなくてはならなかったのだ。

 様々な政治的なバランスを崩し、個人の気持ちを通そうとするのならば、そのことがもたらすあらゆる可能性についての責任を引き受ける覚悟が求められる。


 詩乃は、かつて、それだけの決断をしてバシレイオスを庇ったのだ。

 果たして、あっただろうか?

 自分に、そこまでの覚悟が――


「あたし……甘かったよ」


 桜花の小さな呟きが耳に入ったのだろう、バシレイオスがこちらを見た。

 一度、目が合い、そして、すぐに逸らされる。


「でもな」


 桜花は、続けて、はっきりと言った。


「どうしてかな。

 あたし……今の今になっても、全然、後悔してないんだ。

 あのとき、レイを殺さなかったこと――

 全っ然、まったく、1パーセントも後悔してない!」


 驚いたように再びこちらを見つめたバシレイオスに向かって、そう言い放ち、今度は、俊一郎に向かってがばっと頭を下げる。


「ごめんっ、オヤジ! あたしが、ちゃんと手配りしなかったばっかりに、ややこしいことになっちゃって。

 勝手かもしれないけど――」


「なあに、いいってことよ」


 にっと笑って、俊一郎。


「手配りが足りなかったのは、俺も同じだからな。

 こうなったら、決めた道を、とことん走り抜け!

 三人寄って頭をひねりゃ、何かしら、うまい方法も浮かぶだろ」


「あ……あの」


「いいから、いいから! おまえも、もう気にすんな」


 バシレイオスにぱたぱたと手を振ってみせ、俊一郎。


「男なら、過去より未来を見つめて生きろってんだ。

 ヘコんでるひまがあったら、何でもいいから、ナイスなアイデアを――

 うおっ!?」


 出し抜けに俊一郎が声をあげ、桜花も、そしてバシレイオスも、あっと口を開いた。

 いきなり、優人が跳ね起きたのだ。

 俊一郎の腕をはねのけて身を起こした彼は、縛られている自分と、周囲の状況の変化に戸惑ったように視線を走らせ――


「ここは……」


 やがて、その目が、ひたりとバシレイオスに据えられた。


「どういうつもりだ、吸血鬼」


「どういうつもりだ、じゃ、ないっつうの!

 おまえが気絶してるあいだ、こっちは、ハンパなく大変だったんだからな!?」


 バシレイオスが何か言うより先に、桜花が応えた。

 この洞窟に逃げ込むまでのいきさつを、早口でまくし立てるように説明し、さらに、付け足す。


「別に、おまえなんか、あのまま放りっぱなしにしてきてもよかったんだからな!

 だけど、まあ、仮にも同級生だった奴を見殺しにしちゃ、後々の寝覚めが悪いし。

 レイが――」


 言いかけて、桜花は一瞬、ためらった。

 ありのままを告げるのは、優人には残酷すぎるかもしれないと思ったのだ。

 だが、結局、言った。


「レイが、おまえをここまで担いできてくれたんだ。

 そうツンケンしてないで、ちょっとくらい感謝しても、バチは当たらないだろ」


「何だと?」


 優人の目が見開かれる。

 これは、予想していた反応だった。

 なにしろ、ヴァンパイアハンターが、ヴァンパイアに救われたのだ。

 相当な屈辱だろうし、恥だろう。


 とはいえ、今はヴァンパイアだの、ヴァンパイアハンターだのと内輪もめをしていられる状況ではない。

 桜花は、敢えて事実を明かすことで、優人のレイに対する偏見が柔らげばと思ったのだ。

 だが――


「なるほど、な」


 バシレイオスを見る優人の目つきも声も、逆に、氷のように冷たくなった。


「そういうやりかたで、こいつらをたらし込んだってわけか?

 ……おい、騙されるなよ、おまえら」


 ことばの後半は、桜花と俊一郎に向けられたものだ。


「そいつが、今までに、何人の人間を殺してきたか知ってるのか?」


「ふん」


 優人のことばを、桜花はあっさりと鼻で笑い飛ばした。


「そんなこと言って惑わそうったって、そうはいくか。

 レイは、人殺しはしない」


「殲滅目標指定・一八九九年……」


 桜花の反応を意に介さず、優人は、何度も読み返した記録をそらんじるように、淡々とした口調で言いはじめた。


「殲滅難度評価・最大時A+++……」


「おい、鈴木! 何の話だよ?」


 苛立って口をはさむが、優人はことばを止めない。

 最初は静かだった口調が、だんだんと熱を帯びてくる。


「所属血統・H、認識名《銀の血の王子》……

 過去、何人もの手練のハンターがこいつに挑んだ。

 だが、誰ひとり、こいつを倒すことはできなかった!

 ここ百年ちょっとで返り討ちに遭った者は総勢二十二名、全員が、死亡してる。

 ――そして」


 優人は、ここで一瞬の間をおいた。

 効果を狙ったのか、それとも、感情の昂ぶりのためか。

 どちらにせよ、関係なかった。


「こいつがこれまでに殺害した人間の数は、確実に判明している限りでも、七百名を超えてるんだよ!」


 そのことばは、銀の刃よりも鋭く、桜花の胸に突き刺さったのだ。


「……嘘だ、そんなこと」


「嘘じゃないさ」


「嘘だよな? レイ」


 桜花は、バシレイオスのほうに身体ごと向き直った。


 一度、信じた。

 心の底から、信じたいと思った。

 ――それが、間違いであったとしたら?


「レイ?」


 彼は、地面を見つめて震えていた。



『さあ、もう終わりだ……

 おまえの手で、この安っぽいメロドラマに幕を引いてやれ』



 白い手の甲に筋が浮くほどの強さで自分の胸元をつかみ、押しつけている。

 その姿はまるで、自分のなかから湧き上がってくる何かを、必死に押し戻そうとするかのようで――



『どうした? こいつらに教えてやるがいい。

 俺たちのことを――俺たちの名を』



「なあ……」


 桜花は、そんなバシレイオスの顔をのぞきこんだ。

 ことばを継がずにいられないのは、半ば真実を悟りながらも、それを聞きたくないからだ。


「嘘なんだろ? そんな……」


「ええ。嘘です」


 やっぱりな。

 ――そう、笑ってうなずこうとして、桜花の動きは、途中で止まった。

 バシレイオスの目と、その声に含まれた、苦渋の色に気付いてしまったから。


「ごめんなさい、桜花さん……」


 吸血鬼の男は再び視線を落とすと、ことばを失っている少女に向けて、静かに告げた。


「私は、たくさんの嘘をつきました」



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