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抱擁は優しく、そして

      *  



「……これでよし、と。おい、大丈夫か、おまえ?」


 かがみこんでいた姿勢から、ぐっと腰を伸ばして、俊一郎が問いかけた。

 彼の足元には、タオルでさるぐつわをかまされ、ロープで全身をぐるぐる巻きにされた優人が横たわっている。

 俊一郎の鉄拳をまともに食らった若きヴァンパイアハンターは、完全に意識を失っていた。

 武装はすっかり解除され、まとめて深山家の買い物バッグのなかに詰めこまれている。


「……ええ……」


 全身をさいなむ途方もない倦怠感に必死に逆らいながら、バシレイオスはうなずいた。

 強靭な代謝システムが、全身に回った毒の効力をすでにほとんど無効化している。

 だが、その代償として多大な消耗を強いられた。

 目はかすみ、四肢には力が入らない。

 もはや、限界が近い。


「ありがとうございます、俊一郎さん……」


 力が必要だ。

 ――その源となるものが。

 長さを増した牙を見られることのないよう顔を伏せて、バシレイオスは言った。


「まさか……私を救うために、あんな無茶をなさるなんて……」


 そのことばに、俊一郎は、答えなかった。


「よくがんばったな、娘よ。偉かったぞ」


 彼は、桜花のもとに歩み寄っていた。

 桜花はまだ口に粘着テープを貼られ、後ろ手に縛られたままだ。

 首筋には乾いた血がこびりつき、すでに出血は止まっている。

 まずは優人の動きを封じるのが先決だということで、彼女は今の今まで、とりあえず放ったらかしにされていたのである。


「ああ、首の傷は大したことねえや。跡も残らんだろう。

 ……しかし、くそっ、あの野郎。髪んとこにまで貼りやがって。

 こりゃ、切るわけにもいかんし。

 おい、ちょっと痛いか知らんが、我慢しろよ」


 粘着テープの具合を確かめながら顔をしかめた俊一郎は、テープの端をちょっと剥がすと、そこをつまんで、べりべりと遠慮なく引っ張りはじめた。


「……痛ェッ!」


 悲鳴があがった。

 ただし、その悲鳴は桜花のものではなかった。

 テープがはがされた瞬間、それまでじっと立っていた桜花が、俊一郎のすねを力任せに蹴りつけたのである。

 普段は娘に甘い俊一郎だが、このいきなりの蹴りには、さすがにきりきりと目がつりあがった。


「何すんだ、ゴラァッ!? 何も、こんくらいで蹴ること――」


 俊一郎の怒鳴り声は、尻すぼみに小さくなり、消えた。

 涙をためた目が、まっすぐに彼をにらみつけている。


「バカヤロー……」


 どん、と父の胸板を突いた拳には、しかし、ほとんど力がこもっていない。


「あたしは、一瞬、あんたが……」


 腕も、声も震えている。

 この十六年間、なかったことだ。


「本気かと、思っただろうが、くそっ……! 脅かしやがって……!」


 うつむいた拍子に、涙がぼろぼろと床にこぼれた。


 俊一郎の手がぴくりと動いて、それから、そろそろと持ち上がった。

 その手を、娘の黒髪に触れさせようとして――

 彼は、だらりと手を下ろした。

 彼女はもう、大きな手に頭を撫でられてたちまち笑顔を取り戻した、あのころの小さな子どもではないのだ。


「桜花……おまえは……」


 そこまで言って、彼は、ぼりぼりと頭をかいた。


 なんだ、この気弱な物言いは?

 俺らしくもない。


「……本気もクソも」


 ふーっと息を吐き出し、深く吸い込んだときには、俊一郎はすでにいつもの調子を取り戻していた。


「本気だったんだよ。

 途中までは、本気で、若造に手を貸すしかないと思ってたんだ。

 ――だからな、おまえも、礼なんか言うな」


 ことばの後半からは、レイに向けたものだ。


「俺も、詫びることはしねえ。

 俺にとっちゃあ、昨日今日降ってわいた吸血鬼よりも、自分の娘のほうが大切なんだ。

 それを言いつくろう気はねえよ。

 だが、おまえがスピリタスを一気飲みして顔色も変えなかったのを見たとき、これはなんとかなるかもしれんと思った。

 あれだけの代謝能力があるなら、時間さえ稼げば、自力で解毒できるんじゃねえかと思ったわけだ。

 ……そこの若造と喋りながら、おまえの呼吸を聴いて、徐々に回復してきてるのがわかった。

 そこで、一か八かの勝負に出たってわけよ。

 まったく、九死に一生ってのはこのことだぜ!

 うまくいったからよかったようなものの、失敗してた日にゃ、笑い話にもなりゃしねーや。

 自分で言うのもアレだが、ありゃ、俺のクソ度胸あってこその成功だったと思うぜ。

 おまえら、きりきり感謝しろよ、コラ!」


「……ああ……」


 ゆっくりと――ほんとうに、ゆっくりと。

 桜花の顔に、笑みが戻ってきた。


「マジで、びびった。

 ……ほんとに、あれは、凄かったよ、オヤジ」


「う、うむむむ。そう面と向かって言われると、父さん照れるなァ。

 ――てか、いつまで泣いてんだ、おまえは?」


「し、知るか……! なんか、止まんないんだよ! くそっ!」


 桜花は、目の下をごしごしと手の甲でぬぐった。

 だが、それでも涙はとめどなく流れ落ちてくる。


「あーもー、泣くなっつうんだよ。

 ……おいコラ、おまえ!」


 ばりばりと頭をかきむしった俊一郎は、親指でバシレイオスを呼びつけた。

 よろめきながらも、驚いたように立ち上がったバシレイオスに向かって、


「おまえのせいで、桜花が涙腺ぶっ壊れちまったじゃねえか。

 何とかしろ、何とか」


 言いつけておいて、すすっと後ろに下がり、ちゃっかり責任を押しつけている。

 吸血鬼の若者は、ためらうような様子で、そろそろと桜花の前にやってきた。


「桜花さん……」


 視線は、桜花の頭上を通り越して食器棚に向けられている。


「な、何だよっ」


「あの……」


 彼は白い手を伸ばして少女の黒髪に触れ、それから、ゆっくりと桜花を抱きしめた。


「ありがとう」


 はっとした身体を、冷たい腕がいっそう強く抱いた。


 誰かと抱き合ったことが、ないわけではない。

 難しい仕事を見事やりおおせたときに、俊一郎と。

 学校の球技大会で優勝したときに、美奈や、クラスメイトたちと。

 息もできないほどぎゅっと抱き合い、激しく背中を叩き合ったことは幾度となくある。


 だが――これは、それらとはまったく違っていた。

 痛みにも似た感覚が、桜花の胸を満たした。

 古い服の肌触りと匂いがする。

 体温は感じられなかったが、バシレイオスの腕は、信じられないほど優しかった。

 そこに込められているのは、限りない感謝の念と、それから――


「あなたが、そんなふうに……」


 それから――何だろう?

 彼の声に微妙な不協和音を感じ取り、桜花は、バシレイオスの表情を確かめようとした。

 だが、こちらの肩にあごを載せるような体勢になっている彼の顔は、視界には入ってこない。


 うぉっほん、という俊一郎のわざとらしい咳払いがひびき、我に返ったふたりは慌てて離れた。

 互いに、視線を逸らしている。

 バシレイオスの顔色は変わらないが、桜花は茹であがったように真っ赤になっていた。


 何とも複雑な表情になった俊一郎だが、敢えてそのあたりに突っ込むことはせず、


「ま、感動の再会スペシャルはそのへんにしといて、だ。

 マジな話、こいつ、どうするよ?」


 くいっと親指で示したのは、意識を失ったままの優人だ。


「このまま逃がせば、確実にリベンジに来るだろう。

 武器ごとコンクリ詰めにして海にドボンって手もあるが……

 その前に、頭でもぶん殴って、記憶消去とか試してみるか?」


「死んじゃうだろ。それは」


 思わず、普段のノリに戻って桜花がつっこむ。

 我が父ながら、どこまで本気なのか分からない。

 ――どこまでも本気であるという可能性もある。


「けど……これって、あたしらの一存で決めていい問題なのか?

 本気で今さらだけど、九郎次の御大に報告しなくてもいいのかな……?」


「ばあちゃんの代から、レイの身柄は深山一族の管轄と決まっとる。

 それにくっついてきた厄介ごとをこっちが勝手に片付けても、別に問題はないだろう。

 ま、事後報告で充分だ」


「それなら……ッ!?」


 不意に、馴染み深い感覚が背筋を走り抜けた。


「どうした、桜花!」


「シッ……静かに……」


 目を閉じ、耳を澄ます。

 ――だが、目で見、耳で聞くわけではない。


 急激に集中が高まった。

 肉体の壁が溶けるように流れ落ち、精神が解き放たれる。

 凄まじい光と音の嵐を抜け、澄み渡る闇の中に桜花は立った――



 彼方から、稲妻が走った。


 影。影。影。


 熱い――赤い、目。


 燃えるような怒り。


 湧き上がるマグマのような真紅の憎悪。


 戦いを前にした興奮が電流のように突き抜ける。


 まだ遠い。


 だが、こちらに向かって走ってくる。


 こちらに向かって。


 こちらに向かって――



「や……やばい!」


 桜花は叫び、かっと目を見開いた。


「何か、こっちに来る! ――十人くらいいるぞ!

 赤い目が見えた……多分、吸血鬼だ!」


「なっ!?」


 期せずして、俊一郎とバシレイオスの声が完璧に重なる。

 俊一郎はいまいち状況がつかめていないようだが、バシレイオスは表情を引きつらせて叫んだ。


「まずい……追っ手だ! なぜ、ここが!?」


 今までに見せたことがないほどの狼狽ぶりだ。

 無意味に左右を見回し、わななく唇で、


「すぐに逃げなければ! ――あなたがたも、早く!

 私を追ってきた奴らです。見つかれば、あなたがたも殺される!」


「マジかよっ!?」


 桜花は思わず叫び、俊一郎は天を仰いだ。


「一難去ってまた一難てのはコレだな。

 ……おい、おまえ! その口ぶりだと、行き先のアテでもあるのか?」


「ええ! ――私が眠っていた洞窟に!

 ただ遠くへ逃げただけでは、奴ら、どこまでも追ってきます。

 あそこなら、守りの魔法が働きますから、敵を寄せつけることがありません!」


「ようし、それだ! 出発!」


「はいっ!」


「――って、ちょーっと待ったぁ!」


 うなずき合い、今にも走り出しそうとした男たちを止めたのは、桜花の鋭い制止だった。


「そいつ! 鈴木は、どうすんだよっ!?」


 言いながら指差したのは、倒れたままの優人だ。

 俊一郎が、あっという顔になる。


「くそっ! 忘れとった。

 ――しかしおまえ、どうするったって……」


「仕方がない。連れていこう!」


 俊一郎たちを止めたときから、桜花は、すでに決断していた。


「連れてくって……いいのか!?」


「他にどうしようもないだろ!

 ここに放っていったら、こいつ、殺されちゃうだろうが!

 そんなもん、いくら何でも……アレだろ!?」


 俊一郎よりも先に、バシレイオスがうなずいた。


「……連れて、いきましょう」


「いいんだな?」


 確認のような俊一郎の問いかけに答えるかわりに、バシレイオスは、優人の身体を軽々と抱えあげた。


「さあ、急がなくては!」


「力あるなー、おまえ……」


「オヤジ、のんきに感心してる場合かっ!

 さっさと懐中電灯取ってこいよ! あと、鈴木の武器の入った袋もだ!」


「おお、我が娘ながら頼もしいねえ!

 よっしゃ、俺がそいつの荷物を持ってやる。えーっと懐電は……」


「早く!」


 三人――と担がれた一人――は、狭い勝手口でどたばたと入り乱れながら靴を履き替え、暗い夜道を脱兎のごとく走り出した。




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