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襲来するモノ

     *



 その部屋は、暗闇に閉ざされていた。


 真昼である。

 太陽は中天に明るく輝いているが、力強いその光もこの部屋の内部を侵すことはない。

 窓という窓のガラスは高性能の遮光フィルムでおおわれ、その上、分厚いカーテンが引かれている。


 偏執的なまでに光を排除したその部屋は、しかし、内装そのものはごく普通のビジネスホテルのものだった。

 バスルーム付きの個室であり、寝室にはデスクと椅子、キャビネット、それにベッドがひとつあるきりだ。

 並の人間ならば、この闇のなかでは、それらの輪郭を見分けることすら難しいだろう。

 だが、彼には造作もないことだった。

 暗闇のなかにひとり、彼はいる。

 そのとき、控えめなノックの音がきこえた。


「入れ」


 ドアが開き、スーツ姿の男が入ってきた。

 日本人ではない。西欧風の顔立ちだ。

 ダークスーツを着た、ごく普通のビジネスマンだが、その肌の蒼白さが尋常ではなかった。

 まるで、死体の色だ。


「我が君」


 後ろ手にドアを閉ざすと同時に、男はじゅうたんの上にひざまずいた。


「つい先ほど、協議が終了いたしました。

 この付近一帯の魔物の首領は、我々の狩りを承認いたしました。

 条件は四つ。狩りは隠密裏に行うこと。猫の眷属に害を及ぼさぬこと。ミヤマの一族に危害を加えぬこと。

 そして、以上の三点の履行を確認するため、山猫の一族から、一名を狩りに伴うことです」


「条件だって?」


 彼は、くすくすと笑った。


「たかが古びた猫のくせに、生意気じゃないか?

 このぼくに向かって、条件を突きつけてくるなんてね。

 そしておまえは、その思い上がった申し出を受け入れたんだな?」


「はい、我が君」


 男は、ますます深く頭を垂れた。


「わたくしの判断が我が君の御心に沿うものでなかったならば、いかなる懲罰にも甘んじます」


「ふふ、いい子だね、プロメテウス。

 おまえのしたことに、ぼくは満足しているよ」


 彼は言った。

 もしもその姿が光のもとにさらされ、それを見る者があったとしたら、おそらくそのすべてが陶然としてため息をつくであろう。

 それほどに、美しい少年だった。

 幼さを残した顔立ちをやわらかに波打つ亜麻色の髪がとりまき、大きな目のふちに長い睫毛が微妙な影を落としている。


「いいよ、少しくらいの無礼は大目に見てやるさ。

 何しろ、あの猫ちゃんたちは、あいつの居所を教えてくれたんだから……

 これで、ようやくここから動くことができる。夜が待ち遠しいよ。

 ちょうど、退屈すぎて、いらいらしてきたところだったんだ……」


 何人をも魅了せずにはおかない、天使の美貌――

 だが、今この瞬間に彼の姿を目にする人間があったとすれば、その者は、美への感動ではなく、おぞましさに戦慄することになるだろう。


 その少年の手足も、無邪気そのものの顔も、深紅の液体にべっとりと濡れそぼっている。

 室内には、濃厚な血臭が立ちこめていた。

 プロメテウスを酔わせ、よろめかせた香りだ。


「一番新しいオモチャも壊しちゃったし、ね……」


 ベッドの上は、血と臓物の海だった。

 原型を留めないほどに破壊された肉塊のなかから、醜悪なオブジェのように、パールピンクのマニキュアを塗った手が一本だけ、突き出している。


「おいで」


 少年は鷹揚なしぐさで、肩まで血に染まった手を突き出した。

 プロメテウスの両眼が期待に輝いた。

 彼はそろそろと主人のもとに寄り、臣下が王に対するようにその手をおしいただいて、恭しく舐めた。


「あいつらは、大人しく待機しているかい?」


 させるにまかせながら、少年は問いかけた。


「はい、我が君」


 赤く染まった唇をほっそりとした指から離し、男は従順な口調で答えた。

 だが、その声音には、どこか押し殺したような響きがある。

 少年は苦笑した。


「ご苦労だね、プロメテウス。

 人間ごときと行動を共にするのは、おまえの本意じゃないだろうけど――

 その鬱憤は、今夜の仕事で存分に晴らすといいよ。

 セネカたちはどうしている?」


「いつでもお召しに応じられます」


 少年は満足げにうなずき、立ち上がった。


「この死体、始末しておいてよ。

 ここの支配人は、人間にしては話のわかるやつだったけど、この有様を見たら、きっと引っくり返るだろうな……」


 闇にすむモノの存在を知る人間たちが、常にその敵に回るとは限らない。

 むしろ、その協力者、あるいは隷属者として、人の身の及ばない強大な力のおこぼれにあずかろうとすることのほうが多いのだ。

 破格の報酬と引き換えに、吸血鬼たちのために部屋を用意した、このホテルの経営者のように。


 軽やかにバスルームに向かいかけた少年の足が、不意にぴたりと止まった。

 華奢な肩が、小さく震えている。


「どうなさったのですか?」


 プロメテウスの問いかけに、少年は、なかなか答えなかった。

 不意に湧きあがった震えを抑えつけようとするかのように、きつく我が身を抱きしめている。


「我が君――?」


「心配ないよ」


 愛らしい唇がほころんで、小さな、しかし鋭すぎる牙がのぞいた。


「血が、騒ぐんだ。

 百年近くも捜し求めた相手と、今夜、ようやく会えるんだから……」


 その瞬間の彼の瞳には、夢見るような表情があらわれていた。

 だが、彼が描く夢は、血と苦痛の饗宴だ。

 口元に浮かんだ微笑が示すのは、彼の見かけどおりの年齢の子どもならば持とうとしても持ちえないほどの、禍々しい悦び。


「ああ」


 見えない相手に手をさしのべ、少年は熱っぽく囁いた。


「今夜、きみのもとへ行くよ。バシレイオス――《銀の血の王子》」



       *  



「なっ……長い……」


 桜花は、うんざりして呟いた。


「長、すぎるっ」


 勝駒高校からの帰り道。

 トンガリ山の山腹をぬって深山家へと至る九十九折つづらおれの坂道を、桜花は、自分の足で歩いて登っていた。


 もちろん、朝は歩いて下山したわけだ。

 バイクに乗れれば楽なのだが、勝駒高校はバイク通学禁止だった。

 それに、俊一郎の言によれば、このきつい山登りは基礎体力向上のための訓練も兼ねているのである。


「とか、言って、オヤジは、車で上り下りしてやがんだからっ……

 まっ、たく、ムカつくよっ!」


 唸るように言いながら、勢いをつけて大きな段差を乗りこえる。

 どうも先ほどから文句ばかりだが、別に桜花は、日々の登下校のたびにぶつぶつ言っているわけではない。

 今日の愚痴は、疲労感を打ち消すための景気づけのようなものだ。

 要するに、またもや寝不足なのである。


(昨日こそは、寝ようと思ったのに……

 また、つい、あいつと話し込んじゃったな……)


 いつもよりもはるかに重い足取りで坂をのぼりながら、桜花は自嘲的にひとりごちた。


 星々がめぐる下で、交わした会話はさまざまだった。

 内容は、他愛もないことだ。

 吸血鬼の生態に関する事柄や、桜花の学校のこと。

 二百年前の出来事。

 インターネットについて。

 星座について。趣味について――


(このままじゃ、早晩、ぶっ倒れる……

 仕事が入っても、まともに動けないかもしれない。

 バカか? あたしは。いったい、何やってるんだ?)


 話しながら、何度もそう思うのだ。

 だが、やめることができない。

 できるだけ長く、話していたいと思う――


(どうしてだ……

 あいつは……ばあちゃんのことが好きなのに)


 今夜もまた、会う約束をしてしまった。

 だが、さすがにこれ以上、睡眠時間が2時間を切るのはまずい。


 だから、今夜は、午前零時に会おうという約束をした。

 話し出すと長丁場になることを計算して、会う前に、あらかじめ睡眠をとっておこうという作戦だ。


 ――FRI 17:24


(よし、今日こそは絶対に、六時間は寝る……)


 固く決心しつつ、ようやく我が家にたどり着く。

 飛び石を踏み踏み、勝手口――玄関はジープの突入で派手にぶっ壊れたため、現在は土嚢どのうとトタンとブルーシートで封鎖中だ――に向かっていた足が、不意に、ぴたりと止まった。


 周囲に広がっているのは、見慣れた風景。

 だが、強烈な違和感があった。


(誰かいる――!)


 巧妙に気配を殺してはいたが、バシレイオスのときとは比較にならぬほどはっきりと感じ取れる。

 速やかに視界が切り替わり、周辺を、レーダーのごとく探知して――


「……飛燕斬ヒエンザンッ!」


「!」


 桜花が右手を振るって光刃を放ったのと、間近の築山のなかから、巨大なナイフを振りかざした人影が飛び出してきたのが同時だった。


 ふたつの銀光が、空中で交錯する!

 パキィン! と、澄んだ音が上がった。


(弾かれた!?)


 桜花は、目を見開いた。

 手加減をする余裕はなかった。

 急所を狙い、必殺を期した一撃だったのだ。

 だが、人影は手にしたナイフを空中で振るい、その一撃を跳ねのけたのである――


 音もなく地面に降り立った人影は、そのまままっすぐに突進してきた。

 ずどんっ! と打ちこまれた拳を、とっさに掲げた腕で防ぐ。


「くぁっ!?」


 骨にひびく衝撃に、思わず苦鳴が漏れた。

 瞬間、身体の奥がカッと熱くなる。

 痛みが怒りに火をつけ、獰猛な戦闘衝動が身体の重さを忘れさせた。


(――ンのヤロォッ!)


 制服のスカートが鮮やかにひるがえった。

 長い足が跳ね上がり、凄まじい上段回し蹴りが敵の側頭部に叩きつけられる。


 鈍い音がした。

 桜花の渾身の蹴りは、敵のこめかみにめり込む直前、あっさりと受け止められていた。

 左腕一本で。


「動くな」


 それをなしとげた男は、顔色ひとつ変えずに言った。

 同時、桜花の眉間に、冷たく黒いものが押しつけられる。

 ――銃だ。


「すっ……」


 だが、自分が銃を突きつけられているという事態よりも、今、自分の目の前にある顔のほうが、彼女には信じられなかった。


「鈴……木!?」


「残念だよ」


 それは、C組の転入生、鈴木すずき優人ゆうとだったのだ。

 だが、桜花が知っていた鈴木優人とは、まるで別人だ。


 巨大なナイフ――いや、刀身に奇妙な紋様を刻んだ短剣を握った左手で、桜花の蹴り足を軽く押しのけ、まっすぐにこちらを見ている。

 髪一筋ほどにも揺るがないその眼差しは、こちらがおかしな動きをすれば、即座にそれを察知するだろう。

 おどおどとして見えた表情は引き締まり、声音すら、鋼の硬さを備えていた。


「な、何、だよ? 残念って……」


 桜花は、気圧された。

 状況がまったく理解できない。


「あ……あのさ、鈴木。何ていうか……落ち着け」


 優人が手にしている銃が本物なのか、それとも精巧なモデルガンなのか、見ただけでは判別できなかった。

 だが、短剣は、間違いなく本物――

 それも、普通の品ではない。

 感じで分かる。

 特別な《術》を施された、一級品だ。


「何だ……? 何なんだ? おまえ……」


「とぼけるな」


 優人は、にべもなく言った。


「このあたり一帯の魔物どもに広いネットワークを持つ、深山一族。

 その末裔である深山桜花、そして深山俊一郎……」


 そう告げた眼差しが、きっと険しさを増す。


「まさかとは思ったが、本当に、あんたたちがヴァンパイアをかくまっていたとはな」


「……何だと?」


「ごまかそうとしても無駄だ。

 昨夜、おまえが《銀の血の王子》と接触しているところを、俺は、この目で見てる」


「銀の血の、王子……?」


 それは、誰のことだ。まさか――


 いや。

 それ以前に、なぜ優人がそんなことを言うのだ。

 見た、とは、いったい、どういうことだ?


「まだわからないのか?」


 いらいらとした口調で、優人は吐き捨てた。


「俺は《ハンター》だ」


 この瞬間、桜花は、表情をいっさい変えなかった。

 意図してのことではなかった。

 衝撃に、表情が追いつかなかったのだ。


「俺は、ずっと《銀の血の王子》の行方を追い続けてきたんだ。

 奴が日本にいるらしいって噂は、半年ほど前から、一部で流れてた。

 ほとんどのハンターは、いまだにその話を信じちゃいない。

 だが、俺はその噂に賭けてみることにしたんだ。

 ダメモトで探っていくうちに、偶然、奴の足取りの情報をつかんだ。

 それを追って、この街、そして深山の名前にたどり着いた……」


 よどみなく、力強い口調。

 これが、本当にあの男だろうか?

 拳を固めてうつむき、目を逸らしながら必死に話そうとしていた、あの――


「俺たちハンターは、魔物を狩り取るのが仕事だ。

 だが、あんたたち深山一族は、代々、ある種の魔物どもとは盟約を結んできたと聞いた。

 あんたたちが、俺の仕事にとって助けになるか障害になるかを見極めるために、あんたに近付いたんだ。

《銀の血》のメモを渡したのも、あんたの反応を見るためさ。

 だが、あれだけじゃ、どうもよくわからなくてな。

 結局、自分の目で確かめることにした。

 昨日の晩、双眼鏡でこの家を見張っていたんだ。

 そしたら、ドンピシャだ……」


「なるほど、な」


 すべてが明かされたとき、桜花は、ゆっくりと声に出して、そう言った。


「そういうこと……だったのか……

 そんな……そのためだけに、わざわざ転入とは、なかなか、めんどくさい話だな……」


「この国で動くには、身分がかっちりしてるほうが、何かと都合がいいんでね」


 何もかもが、仕組まれたことだったのだ。

 優人が勝駒高校にやってきたことそのものも、内向的な仮面も。

 あの、告白めいた発言も――

 あらゆる事柄が、目的を遂げるための手段にすぎなかったというわけだ。


 桜花自身も、彼にとっては、目的に至るための通過地点にすぎない。

 彼の目的とは《銀の血の王子》――

 バシレイオスを、滅ぼすこと。


 今にも薄膜を突き破ろうとするエイリアンのように、桜花の心の奥底で、ざわりと何かがうごめいた。


「高校生だろうが、のぞきは犯罪だぞ? 鈴木優人」


「ヴァンパイアをかくまうことは、人間としての裏切り行為だ」


 優人の口調には、いささかの動揺もない。


「深山桜花、俺に協力しろ。

 あれは、危険だ。処分しなくちゃならない」


 眉間に銃を突きつけられながら、桜花は肩を震わせ、唇を噛みしめた。

 優人の顔に、いぶかしげな表情が浮かぶ。


 ……くっくっくっくっ……

 そんな声が漏れた。

 伏せられていた桜花の目が、引き絞られた弓のかたちに歪む。

 口元がつり上がった。

 完全に開き直った人間特有の、ナチュラルハイな笑顔だ。

 それが一瞬で、憤怒の表情に変わる。


「ふざけるな!」


 銃口を突きつけられたままで、桜花は、真正面から相手を怒鳴りつけた。


「銃を持たなきゃ他人の目を見て話もできないような奴に、だれが協力なんかするかバーカ!」


 あまりの言いぐさに、優人は、ぽかんとしている。


「あいつの身柄は、このあたし、深山一族の桜花に一任されてるんだ!

 よそ者が手出しをする気なら、絶対に容赦しない!

 命が惜しかったら、あたしの前から、とっとと消え失せろ!」


 こんなやつに――

 レイを、滅ぼさせてたまるものか。


 驚いたように見開かれていた優人の目が、すっと細くなり、瞳の奥に冷たい光が浮かんだ。


「あんた……自分の立場がわかってるのか?」


「黙れ! 失せろって言ってるんだ。でなきゃ……」


 こちらに銃を突きつけたまま、優人が小さく肩をすくめる。

 その瞬間、桜花は神速で左手を跳ね上げ、目の前の銃身を叩いて跳ねのけた。

 同時、優人の顔面めがけて、強烈な右ストレートを放つ!


 優人の顔が、ふっ、と横にぶれた。

 それだけだ。

 桜花の拳は、その角が、わずかに優人の頬をかすったのみ――


(しまった!)


 彼の左手で魔法のように短剣が回転し、どん、と桜花のみぞおちに突き込まれた。


「残念だよ」


 意識が果てのない暗闇に放り出される寸前、そんな呟きが聞こえたような気がした――



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