暗闇に目覚めるモノ
覚醒は、唐突だった。
周囲には、闇がわだかまっている。
ただ暗いというのではない。
ほんのわずかな光源すらも存在しない、完全な闇だ。
だが、彼の目は、その暗闇のなかでも周囲の様子を見て取ることができた。
いまだ視界の端々がぼやけている。
だが、間違いない。
そうだ。何もかも、眠りについたときのまま――
何ということだろう。
それでは、自分は――まだ生きているのだ。
「……ア……」
心が、恐怖にひび割れるのを感じた。
こうして声を発するのは何年ぶりだろう?
1年、それとも10年、100年か?
いったいどれほどの時が、自分を置き去りにして過ぎ去ったのだろうか。
心臓を握りつぶされるような圧迫感が襲いかかった。
過ぎ去った膨大な時の重みが闇に混じり、容赦なく神経を圧しひしごうとする。
嫌だ。怖い。淋しい。
この恐ろしい瞬間を再び味わうくらいならば、目覚めなど永遠に訪れなければよかったのに――
ちりちりと、皮膚がうずきはじめる。
彼は喘ぎ、我が身を抱きしめたが何の効果もなかった。
長い眠りから覚醒した肉体が、研ぎ澄まされた五感のひとつひとつをよみがえらせてゆく。
それは、地獄の始まりだった。
「アアァ……!」
最初は、全身の皮膚の内側を爪で引っかかれるような不快感。
それが過ぎ去ると、今度は生きながら焼かれるような凄まじい熱さが襲ってくる。
波のように終わることを知らず執拗に繰り返し、そのたびに苛烈さを増して襲いかかる苦痛――
彼はもがき、切り裂くような悲鳴をあげて身をよじった。
これが、彼の一族に科せられた宿命だ。
鎮める方法は、ただひとつしかなかった。
『ようやくのお目覚めか?』
不意に声が聞こえ、彼は、はっとして動きを止めた。
『ずいぶんと辛そうじゃないか』
気遣っている、という調子ではなかった。
その声にあるのは、侮蔑と嘲笑の響きだ。
「黙りなさい……」
対する彼の声は、絞り出すように弱々しい。
「まだ、いたんですか……いい加減に、出ていきなさい……」
『出て行けだと、この俺に?
くく、そんなことをすれば、おまえは渇き切って狂い死にすることになるだろうな。
自分ひとりでは狩りもできない臆病者が……』
「私はっ!」
彼は声を荒らげ、次の瞬間には息を詰まらせて激しく咳き込んだ。
傷付いた喉に広がった自身の血の味が、悪夢のような酩酊感をもたらす。
「違う、私は……
私が、そんなことを望んだんじゃない……あなたが……」
『そうかな?』
甘い声は、獲物をいたぶる猫のようだ。
『俺じゃない、おまえだ。おまえが望んだ……
眠りの中で、夢に見なかったか?
夜に咲く花のように匂いたつ肌、その下に流れる血潮の芳醇な香り……
あの悦楽をもう一度味わいたいと、焦がれるほどに望んでいるのはおまえのほうじゃないのか?』
「黙りなさい……」
『ああ、そうとも、おまえはいつだってそうだった。
嫌だ、やめてくれ、私はこんなことは望んでいない――
だが、それは偽りだ。
俺にはわかっている。おまえが本当はそうしたいってことをな。
何しろ、おまえが、あの娘……詩乃を見るときの目つきといったら……』
「黙れ!」
彼の口調が豹変した。
「彼女に、手を出すな!
そんなことをしてみろ、私は、おまえを滅ぼす!」
『はっ! かつては魔術師オルラント、そして今度は東洋のまじない女か?
おまえは人間どもに感化されて、すっかり腰抜けになってしまったんだな。
だが、おまえの身体に流れる血はまだ干上がってはいない。
待っていろ。俺が、おまえを――』
「やめろ!」
彼の声はほとんど金切り声のようだったが、相手に感銘を与えることはできなかった。
『忌々しい太陽が沈んだら出かけようじゃないか』
そう、今が何年かはわからなくとも、昼か夜かはわかる。
分厚く、冷たい岩の壁を隔てていてもだ。
彼は、そのように定められた生き物なのだ。