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5

「驚いた」

 杖を喉に突きつけられたナノは背後に立つシャノンに対して敗北宣言をし、両手を上げた。

「お姉さんのこと少しは見直してくれたかしら?」

 突きつけた杖をホルダーに仕舞い、得意げにふふんと鼻を鳴らした。

「おう! 俺も早く魔術が使えるようになりたいぜ!」

 負けたにも関わらず、シャノンの実力が自分よりもずっと上であり、闘い慣れていることが肌で感じ取れた時間だった。それはナノを興奮させるに十分だった。

「私が使った魔術はどれも基本的なものよ。それをどの順番でどのタイミングでどう使うか。それが戦闘において大切なの。単純に攻撃をするだけが魔術じゃないから、ナノ君も学んでね」

「さっきの魔術どうやったんだ」

 ワクワクした表情でシャノンに詰め寄る。その姿はまるで子犬のようだった。目をキラキラと輝かせてシャノンをそのまま押し倒してしまうのではないかと思うほど接近する。

「そうね。さっきの模擬戦を振り返りながら説明するわね」

シャノンはナノに魔術の基本的な使い方や距離による威力と干渉力の減衰、そして明日は休みということを教えた。それだけで初日の授業は終わり、解散することとなった。




ナノは夕食を済ませ、マイからマフラーを返してもらう約束を果たすために屋上にやってきた。

「待たせたな」

「……別に待ってない。láit/light」

 杖先から蝋燭の灯りよりも強い光を放つ球体が現れる。周囲は照らされ、マイの傍にはやかんと急須と茶筒と何かを盛った皿と二つの湯呑が置いてあった。

「hí:t/heat」

 杖をやかんに向けてマイが詠唱すると、注ぎ口から湯気が立ち込める。そのやかんを手にとり、急須に注ぎ、少しして湯呑へと注ぐ。すると茶葉の良い香りがやんわりと広がった。

「……丁度いい温度にするのが少し難しい。……あなたもどうぞ」

「ありがとう」

 受け取った湯呑は温かく、飲めば全身が弛緩した。

「そういえば、ここだけ温かいな」

「……それも魔術のおかげ。wɔ':rm/warm」

 杖を振るうと辺りは春の日中のように暖かくなった。

「おお、すげー!」

「……そんなにすごくない。……食べる?」

 犬のフンのような黒い棒状のものを差し出した。

「それ、食べられるのか?」

「……サクサクして美味しい。……食べてみて」

 犬のフンのようなコロコロした黒い何かはマイが齧るとサクリという音を立てた。何かの表面を塗していた粉がボロボロと落ちる。

「……」

「……(もぐもぐ)。……(ズズズ)。……ほ」

 どこか満足げな表情を浮かべるマイ。月を映す瞳が僅かに潤んでいた。その姿は月を羨む鳥籠に囚われた鳥を連想させるが、その実態はナノが来るまでの間に欠伸をしていたせいだ。

「じゃあ、一つだけ」

 触ってみると表面はザラザラしていた。どうやら砂糖がまぶしてあり、表面を蜂蜜でコーティングしているようだ。嗅いでみると揚げた何かのようだった。どうやら本当に食べ物らしい。端を齧ってみる。サクリ。もぐもぐ。ゴクリ。美味い。サクリ。もぐもぐ。ズズズ。……ほ。

「これはいいものだ」

「……気に入ってもらえたならよかった。……はい、これ」

 差し出されたのはマフラーだった。きちんと修繕され洗ってもらってまでいる。

「おお! ありがとう。うわー、あんなに縮れてたのに元に戻ってる」

「……どういたしまして」

 また一つ黒い何かを摘まむ。渋いお茶に甘くサクサクとしたお菓子。正義である。

「マイ、その甘いやつってなんていうんだ?」

「……かりんとう」

「へぇ……かりんとうかぁ。これもマイが作ったのか?」

「……買ったもの。……私は料理できないから」

「そっか、マイなら料理もできそうだと思ったんだけどな」

「……私、火が苦手だから……」

 マイの視線がナノからその背後に向けられている。ナノが振り向くとそこには小柄な体躯の人影があった。

「……ミリア?」

「……違う。……ミリアじゃない」

 小柄な体躯は無音で地を駆けナノに接近する。その手には刺殺目的の短剣が握られていた。

「なんだこいつ!?」

 体表は影で覆われ、月明かりに照らされてもその姿は分からなかった。ナノは咄嗟に立ち上がり、迎撃態勢を取る。

「この!」

 首を切り落とす勢いで手刀を繰り出すも、招かれざる客人の身軽な体捌きによって交わされ、差し出された形となったナノの右腕は小さな暗殺者によって薄く切り裂かれてしまい、ポタポタと血液が流れだす。

「láit/light」

 マイの詠唱によって作り出された光は真夏の太陽のように辺りを照らし出した。小柄な人影の下の素顔が見える。小さな暗殺者は全身を紺の衣によって覆い包んでおり、覆面から覗くダークブラウンの瞳はナノに対して何も告げなかった。

「マイ!」

 紺色の少女はマイを危険と判断したのか短剣をマイの顔に目掛けて投擲する。その短剣をナノは咄嗟に左腕で庇う。鋭く投擲された短剣はナノの腕の皮膚を貫き筋肉に深々と刺さっていた。

「ナノ!」

「大丈夫だ。肉は切ったけど筋は痛めてない。動く」

 腕に突き刺さった短剣を抜き取り、半身で構える。どぶっと流れでる血液。筋は痛めておらずとも静脈どころか動脈まで傷ついているかもしれない。

「……」

 不気味なほど口を開かない暗殺者は既に構えている。相手が負傷しているならば、じっくりと待つ。血を流せば流すほど自身が有利になる。そう考えているようだ。しかし、それは一対一の場合だ。

「fɔ':rs/force」

 マイの詠唱が完了するとナノの脇からやかんが飛び出した。

「hæ'ndl/handle frí:/free routéiʃən/rotation」

 やかんが空中で回転を始め、熱湯を暗殺者に浴びせかけようと襲い掛かる。むわむわと白い湯気を立てながら暗殺者を追撃するが、運動制御と回転制御の二つをしながら高速で移動する暗殺者を追うことは難しい。しかし、

「そこだ!」

 水溜まりと飛来するやかんを注意するあまり、ナノへの注意が散漫になった。そこを狙って短剣を投擲する。暗殺者も咄嗟に短剣を避けるが、やかんと水溜まりと短剣とナノを同時に注意することはできない。

「græ'vəti/gravity」

 人間最大の死角、頭上からやかんが暗殺者を襲う。やかんは強化された重力によって暗殺者を地面に縛り付ける。

「……卑怯だなんていわないわよね?」

 マイはどこか満足気に無表情を歪ませた。そして、ナノは近寄り暗殺者の覆面を外す。鉄黒色の短髪に幼い顔立ち、ダークブラウンの瞳はこの状況においても何色も浮かべず、ただただ我が身を顧みることなく状況を判断し受け入れるだけだった。ボディラインはゼプトが言っていたようにミリアよりも曲線に富み、四肢は体捌きを可能とする細くしなやかで筋肉質なものだった。

「えーっと……。マイ、こういうときはどうすればいい?」

「……命を狙われた場合は殺すことが可能となっています。……この場合、私が証人になるでしょう」

「ってことは、殺すしかないのか?」

「……いえ、奴隷商に奴隷として売って金銭を得るも投獄するも逃がすも自由です」

 マイは短剣で顔を狙われたにも関わらず、落ち着き慣れた口調でナノに話す。光球の光を少し弱め眩しくないように調整していた。

「ふーん。どうしようか?」

 暗殺者に問いかけるナノ。そのとき、少女の首に蚯蚓腫れのような痕があることに気づいた。。

「……」

 何も返答はないが、暗殺者は指先で地面を指で擦る。するとそこには文字が書かれていた。

『あなたの○○』

 読めない字が二つある。

「マイ、これってなんて読むんだ?」

「……自由」

「ああ、自由か。自由ねぇ……。まぁいいや。逃がそう」

「……逃がすんですか?」

「だって、さっきまで美味しいものをこの手で摘まんで食べたんだぜ? その手でこいつを殺すなんてかりんとうに失礼だろ」

 少女の命を奪うことがかりんとうに失礼という不思議な価値観を持っていたナノに対してマイはやっぱり変な人と思った。

「そうだ。お前もかりんとう食ってみるか? 美味いぞ」

 ナノは立ち上がり、かりんとうを探す。さっきの騒動で湯呑は倒れ、美味しいお茶は飲めないが幸い、かりんとうは無事だった。そこから二つ、三つ摘まんで暗殺者の口に入れる。

「!!」

 甘い蜂蜜でコーティングされた生地はサクサクとして噛めば噛むほど甘い香りが口腔を満たす。サクサクといった食感が癖となり一つが二つ、二つが三つと次々に食べてしまう。ダークブラウンの瞳が宿す感情はこの上もない幸福だった。

「お、気に入ったか?」

 少女は地面に一言だけ書いた。

『○に○った』

 暗殺者からやかんを取り除き拘束から解放した。その後、お土産にかりんとうを差し出すと山で見た野兎のようにはむはむとかりんとうを貪り逃げ出していった。その姿はなんだか小動物を連想させ、ナノはお腹が減った。マイはやかんや急須や湯呑を片づけると、またお茶をご一緒しましょうと言って去って行ってしまった。ナノも屋上で一人寒空の下で天体観測するつもりもなく男子寮に戻る。厨房ではゼプトが何かを作っていた。

「ゼプト、何作ってんだ?」

「ああ、食堂でパンが余ったらしくてな、暇だからお茶請けでも作ってたんだよ。食ってみるか?」

「へぇー、お茶請けってことは甘味か。そうだな、俺も貰うよ」

 ゼプトが皿に盛ったものは作り立ての熱気と甘い香りを放つ蜜の光沢を持つ物だった。

「カンデラの嬢ちゃんから美味い物を貰ってな、食ってみるとそれが美味いんだよ。見よう見まねでパンと手元にある材料で作ってみたんだよ」

「もしかして、かりんとう?」

「ほう、よく知ってたな。ナノも食べたことがあるのか? まぁ食ってみろよ。試食してみたんだが、食感は本物よりサクサクしてるな。俺は少し固めのほうが好きだから、カンデラの嬢ちゃんから貰ったかりんとうの方が好みだが、味は悪くないぞ」

 ナノはゼプト作のかりんとうを一摘まみする。確かに食感はかりんとうのほうがいいかもしれないが、作り立てということもあってより濃厚な甘味となり、頭の奥から蕩けるような感覚を抱いた。

「すげーな。作り立てはこんなにすごいのか」

「そうだぞ、なんでも作り立てが美味いんだぜ。今度作り方を教えてやろう」

「そうだな、時間があるときにでも教えてくれよ」

「ああ、俺が暇だったらいつでも教えてやる。なんか汚れてるな? 風呂に入ってこいよ」

「ああ、そうだな。風呂入ってくるぜ」

「行ってこい」

 ナノは脱衣所で服を脱ぐ。短剣が深々と刺さった左腕は既に完治しており、皮膚の上でカピカピに凝固した血がべっとりとついていたのが不快でさっさと湯で洗い流してしまった。

(そういえば、このお湯もマイがやってたみたいに魔術で温められたんだろうか)

 つくづく魔術とは便利なものだと認識させられる。やかんの水を湯になるまで温めたり、火がなくても光があって、やかんを自由に操って暗殺者を攻撃したり、最後のやつなんか紐を使ってないのに相手を動けなくしてる。

ナノは湯船に浸かると全身は弛緩し、溜め息が浴室に反響する。湯気は天井まで達し、雫となりポタポタと落ちる。

 視線は彷徨って天井、扉、湯船、そして壁へと移る。何かの跡が壁にあった。手を伸ばして触ってみると、それはどうやら雌ネジのようだ。つまり、元々はここに何かがネジによって固定されて誰かがそれを外したことになる。この男子寮はつい最近建てられ、日焼けの跡もないことから建てた直後になんらかの理由があって外したということになる。何故?

「まぁいいか」

 再び肩まで湯に浸かる。難しいことは考えたくない。犯人は分かっても動機が分からないんじゃ仕方ない。




 深夜。寝つきのいいナノは来客によって目が覚めた。

「ナノ。客が来てるぞ」

「……客?」

 まだ眠っている身体を気だるげに動かして電灯を点けて戸を開く。ゼプトが紺装束に身を包んだ少女の首根っこを掴まえて立っていた。その少女の口元が妙に光っているのは何故だろう。まるでかりんとうを食べた跡じゃないか。

「昨日、この寮に忍び込んだのもこいつだな。厨房で俺が作ったかりんとうを盗み食いしているところを捕獲したから連れてきた。お前の客だろ」

「……そんなにかりんとうが気に入ったのか」

 コクコク。

「俺は下で用事を済ませるから、何か用があったら呼んでくれ」

「ああ、それだったらお茶と茶請けにかりんとうを持ってきて」

「かりんとう? まだあったかな……。無かったら作ってくる」

「ありがとう」

 ゼプトは一階に下りる。ゼプトの一際大きい身体でも階段が軋まないあたり、頑丈な設計であることが伺える。

「さてと、俺に何か用かな?」

 布団をたたみ、押し入れから座布団を二枚出し、並べ座るように促す。少女は正座でちょこんと座る。

「……」

 少女は何かを探すように辺りを見回し、ナノが使っている机の上に散らかした読めない学内規則の本の中から何も書かれていない一ページを破り、右手の人差し指で紙面を擦る。

『これを○う』

「……俺は感字が読めないから平字か仮字で書いてくれないか」

 すると少女はもう一度紙面を擦った。

『これを使つかう』

「ああ、使うか。いいぜ」

『ありがとう』

「気にすんな。それより、お前の名前はなんていうんだ? 俺はナノだ」

わたし名前なまえはセイ』

「ああ、セイっていうのか。セイは喋れないのか?」

こえせません』

「不便そうだな」

ひとはな機会きかいすくないので、あまりこまりません』

「そんなもんか。それで、俺を狙った理由を聞かせてもらおうか。そこんところがよく分からん」

わたし任務いらいけました。だからナノをころそうとしました』

「物騒な話だな。それで、セイがまたここに来たのは俺を殺すためか?」

依頼いらい失敗しっぱいしました。だからわたしてられました。なのでころすつもりはありません』

「捨てられた? 捨てられたって誰にだよ」

『クラウン』

「クラウン? そいつは誰だよ」

『クラウンは組織そしき名前なまえ

「そのクラウンってのは任務が失敗したやつをほいほいと捨てるもんなのか?」

わたしはそうわれてそだてられた。失敗しっぱいしたはいらないと』

「……ということは捨てられたからここに来たのか?」

『はい。わたしにはかえ場所ばしょがありません。わたしをここにいてください』

「……」

「……」

 沈黙。互いが互いの瞳を覗く。そこには思案と希望と戸惑いと互いの内面に様々なものが行き交った。

「まぁいいか。とりあえず、明日になったら学園長のところに聞きにいこう。俺だって立場としては客みたいなもんだから勝手には決められないしな。幸い布団も余分にあるから使ってくれ」

『ありがとうございます。マスター』

「マスター?」

わたしはマスターからかりんとうをいただ一宿いっしゅく御恩ごおんけた。だからわたしはマスターにむくいねばならない。なにより、いのちひろってくださった』

「そんなもんなのか」

『はい。それがわたしつけたみちです』

「そっか。だったらよろしくな」

 ナノは右腕を差し出す。そして、セイはナノに促されながらその手を握る。

『よろしくおねがいします』

「話は纏まったか?」

 ゼプトが静かに襖を開き湯気立つ二つの湯呑と木皿に盛られたかりんとうを持ってやってきた。

 ピクリ。かりんとうの匂いを嗅ぎつけたセイは浮足立っていた。ゼプトはそんなセイにかりんとうを持った木皿を差し出すとセイはその木皿を嬉しそうに受け取り、ナノの顔色を窺った。

「食べてもいいよ」

『いただきます』

 ゼプト作のかりんとうが気に入ったセイはサクサクサクサクと次々に食べる。

「とりあえず今日はここに泊まってもらうことにしたぜ」

「そうか、じゃあ今日から男子寮は三人で使うことになるんだな」

「そっか。……そうなるんだよな」

「ああ、女子寮は在学生しか使えないからな。でも、この男子寮なら二人が三人になろうが構わないさ。そもそも俺達男が魔女学園にいる時点でおかしいんだ。女が一人増えることに比べたら問題ないぜ。エクサが何か言ったら俺が口添えしてやるから安心しろ」

「そっか。じゃあセイの部屋も決めないとな」

わたし押入おしいれや屋根裏やねうらでもかまいません』

「セイちゃん、この男子寮に屋根裏はないんだよ」

 ゼプトがセイを子供扱いにした口調で説明する。

「ゼプト、どっかに空いてる場所ってあるか?」

「……そうだな」

 そういってナノの部屋の押入れの側面の壁をコンコンと叩く。

「セイちゃん。この扉を魔術で開いてくれないか?」

『どうすればいい』

「この壁は魔術でないと開かないように取っ手がついてないんだ。だからセイちゃんにやってほしい。ナノはまだ魔術が使えないからな」

かった』

 セイが壁に触れ、手の平を吸盤に見立てて扉を開く。

「こんなもんがあったのか……」

「大事な物を仕舞ったり隠したりするための場所だ。魔女は人に見られたくないものを持っていることが多いからな。女子寮にもこういった隠し収納があるから暇があったら探してみるといいぜ」

「女子寮にもか。セイ、ここはどうだ?」

『ここはいい場所ばしょです』

 セイが立てる程度には天井が高く、セイが横になれる程度には広い空間だ。多くなければセイ自身の所有物も仕舞うことができそうだ。しかし、押入れに隠し扉があるとは思いもよらなかった。

「じゃあ、セイの部屋はここにしよう」

『ありがとうございます。マスター』

 セイは深々と頭を下げる。

「ところでナノはいいのか。一枚壁を挟んでいるとはいえ女性が近くにいるんだぞ。気にならないのか?」

「俺は気にしないぜ。この間まで母さんと一緒に布団を並べて寝てたからな」

「そうか」

「セイ。何か必要な物があったら言ってくれ。できる限り用意してやるからな」

『ありがとうございます。マスター』

「セイちゃん。着替えとか持ってるかな?」

わたしっているものはこのふく武器ぶきだけです』

「そうか、それは困ったな……」

「何が困るんだ?」

「着替えがないってことは、ずーっとその服を着ていなきゃいけねぇってことだ」

「だったら俺の服をやるよ」

「お前の服のサイズを考えろ。……そうだ、明日は学園が休みだからセイと二人で街に行ってこいよ」

「街か……そうだな。街に行ってみたいな」

 結局、街中を馬車で通過しただけできちんと見て回ることができなかったナノは後ろ髪を引かれる思いだったのだ。

「案内はセイにしてもらえばいい。そのお礼にナノは服を買う。セイが言っていた御恩と奉公の関係で理に適ってる」

『そんな滅相めっそうもない』

「いや、いいんじゃないか。俺一人だと迷っちまうかもしれないし、どこに何があるかも分からないし、セイと仲良くなる良い機会だ」

『マスターがそうおっしゃるなら、明日あした街案内まちあんないまかせてください。任務にんむのためにまち調査ちょうさませてあります』

「期待してるよ」

 ナノはセイの頭をガシガシと撫でた。そして、その手が少しべたついた。

「セイ、水浴びはしてないのか?」

『ここしばらくはしていません』

「そうか、だったら風呂に入れよ。気持ちいいぞ」

『いいんですか? わたしがお使つかっても』

「当たり前だろ。セイはこの男子寮の一員だからな。盗賊の頭領が言ってたぞ。『同じ屋根の下で暮らすやつは家族だ』ってな」

わたしはマスターの家族かぞくなんですか?』

「おう、お前だけじゃないぞ。ゼプトだって家族だ」

「俺も家族か。嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」

 ゼプトは少し照れ笑いしながらナノの肩を強く叩き、セイは俯いて顔を歪ませていた。

「ほら、さっさと風呂に行ってこいよ。かりんとうの粉と一緒に洗い流してこい」

『感謝します』

 ナノはその字が読めなかった。しかし、感じることはできた。セイが震える指で書いたその文字の真意を。

 


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